今日こそ、告白するぞ。
そう勢い込んで朝ショコラタウンを出発したのに、いまはしょげかえって夜道を歩いている。
同じ空間に意中の人がいたのに、チョコレートを渡す勇気は微塵もなかった。
万国はバレンタイン一色に包まれている。
今朝、幹部室のあるホールケーキ城まで向かっているあいだも往来の人々は、チョコレートや花束やプレゼントらしきものを手に行き交っていた。いまこの瞬間も冷たい二月の夜風に皆、楽し気な余韻を刻んでいた。
今日、仕事が終わったら城の入口に先回りして直接カタクリさんに渡そう!と思っていたのだが、仕事は失敗ばかりだったし、そもそもカタクリさんって私のことちょっと嫌いな気がするし……と、急にネガティブになってしまってメンタルはぺちゃんこにひしゃげてしまった。
それでスイートシティ内のバーでひとりで酒を引っかけて、ウダウダと悩んでやっぱり帰ろうとしたいま、なんと曲がり角で鉢合わせしたのは意中の相手、カタクリさんその人だった。
彼は私の顔をまじまじと眺めてから、「ナマエ……か?」と、ようやく低い声を絞り出した。
会いたくない人間に会ったら、きっとこういう顔をするんだろうという、拒絶的な空気の壁に、私の胸はぐっとまた苦しくなる。
それなのに彼は優しいから、「まさか一人か?送るぞ」と、隣を歩いてくれている。
カタクリさん、私からチョコなんてもらっても迷惑なんだろうな……。
やっぱり渡すのはやめよう。
チョコは自分で食べてしまおう。
うすうす嫌われている?避けられている?
という予感はあった。でも、気づかないふりをしていた。
特にこれといった根拠はない。
優しいし親切にしてくれている。でも、私とだけ目をあまり合わさないし、クラッカーさんらと幹部室で私が話し込むと、きまって席を外すし。
脈がないだけならまだしも、嫌われているのでは、相手からしたら今の状況なんかは特に迷惑でしかないだろう。
「珍しいな。ナマエ一人で」
「はい、ちょっと飲みたい気分になっちゃって。」
「なにか……あったのか?俺でよければ、聞いてやらないこともないが」
「いえ、大したことではなくて。……それよりカタクリさんは、コムギ島に帰る途中だったんですか?こんな夜遅くに……」
「ああ。今日は少しばかり忙しかったからな」
「そうなんですか、お疲れ様です」
「ナマエこそ、幹部の手伝いご苦労だったな」
カタクリさんの凛々しい瞳に笑みが微かに浮かんでは消える。その瞳から鮮やかな赤いのぼりと明るい光が映り、通りすぎていく。
バレンタインムードなスイートシティ内。
露店の花壇に座りはしゃぐカップル。カタクリさんが通るたびに立ち上がり、一礼する。それでも自分以外はみんな、幸せそうに見える。
皮肉にも。悲しすぎる……。
「じゃあ――、」
「……」
「私はここで。 ありがとうございました」
ホールケーキ城のいわば、タクシー乗り場のように馬車が並べられた一角に入ったあたりで立ち止まってそう告げる。
このまままっすぐ行けば海岸の船置き場行きの馬車がある。さすがにこれ以上は申し訳ない。
完全に失恋した気分で最後に一目だけと、
無遠慮にカタクリさんを見上げる。
カタクリさんは赤い瞳の奥で物言いたげに私を眺めていた。そして、ゆっくりと唇を開いた。
「あぁ……、じゃあ、くれぐれも気を付けろ」
「はい。カタクリさんも。 おやすみなさい」
一瞬、「はい!義理チョコです!」とでも言って、チョコを押し付けてしまおうかなと、強い衝動に駆られる。でも、カタクリさんを困らせるだろうなと想像すると、それだけで意気地なしになってしまう。
ぺこりと頭を下げて私は踵を返して歩きはじめた。このまま乗り場まで向かおう。まっすぐ
馬車乗り場まで。
こんな日もあるものだ。
落ち込んでいるけれど、せめて普通の顔で。
失恋したことは自分だけの問題で、カタクリさんに迷惑かけちゃいけない。心配かけないように。私なら大丈夫なはず。
そんなことを考えてたら、後ろから誰かに肩を掴まれた。
振り返ると、カタクリさんだった。
しゃがみ込んで私の肩を掴んだまま、こわい顔をしている。眉間に寄ったしわ、ガン見する目、ストールの下の堅く結んだ唇。
ストールを挟んで口元が見えずとも、目つきの悪さがその怖い顔を全然カバーできていない。
でも、それが心配してくれている顔だってことはすぐにわかった。
「やはり海岸まで送る。……迷惑かもしれねえが、安全は保障する」
「え、いいんですか? お忙しいのでは?」
「いや、もう何も忙しくはねえ。それに……」
「……え?」
「そうさせてもらえれば、俺も安心する……
とにかく、行くぞ。」
「……。」
それ以上なにも言えなくなって、結局甘えるかたちになってしまった。
カタクリさんは、すくっと立ち上がって歩き出す。相変わらず不機嫌そうにしながらも私のペースに合わせて歩いてくれている。
スイートシティの通りは人の往来がすごくて、すれ違いざまに服やバッグの端が掠っていきそうなほど密な状況だ。
それなのに実際には誰ともぶつからない。
不思議だなと思ってから、カタクリさんのおかげであることに気がついた。
皆、カタクリさんの存在というか、眼光を避けてくれているらしい。
そういえば、飲み屋さんのキャッチや酔っぱらいのヤジも今日は飛んでこないなあ。
カタクリさんのいる右側が温かい気がする。
そちら側にばかり意識を向けてしまう。
きれいな横顔を見上げる勇気はない。
視界の端に彼の色があってときおり、通行人からかばってくれる逞しい腕があった。
どうせチョコは渡せないだろうし、カタクリさんに嫌われたままで私の恋は終わるのだろう。
でも、……
一緒に歩いたこの感覚は、一生忘れたくない。
「ナマエ、……最近は、どうなんだ」
「変わりないですよ。元気です」
「だが、なにか元気がなさそうだと、クラッカーが言っていたぞ」
「クラッカーさんが?やだな……そう見えたんですかね」
「ああ、まあ…… 俺もアイツに同感だが」
「……」
ゆっくりとカタクリさんを見上げると、閉ざされた口元から白い吐息が淡く消えていく。
続けてなにか言おうとして、ためらって閉ざされる瞬間がストール越しからでもわかった。
鋭い瞳の赤い色が、横目に見ていて優しくまばたきした。
「なにもねえなら、それでいい。……差し出がましいことを言ったな、忘れてくれ」
「……」
スイートシティの中央部のバレンタイン仕様に電飾されたゲートをくぐる。雑踏の甘い湿り気の中に、冬の匂いがする。
こつこつと足音が響いて、無言のまま数メートル歩いた。
何と言ったらいいかわからなかった。
心配してくれていることが嬉しかったし、申し訳なくもあった。
そしてすこしだけ、ほんのすこしだけ、もしかしたらカタクリさんに嫌われているわけではないのだろうかと欲張りな期待も抱いてしまった。
「元気は元気なんです。ご心配ありがとうございます。ただ、最近……」
「……」
カタクリさんが、ちら、と私に目をやるのがわかる。私は自分の靴の爪先を見下ろしながら、続きを言うのに唇を噛んだ。
「最近実は、片思いをしていまして……」
「……」
「……」
「それは…… そうか。」
「お恥ずかしいですけど。ちょっとだけ悩んじゃってて。だから、ご心配には及びませんよ」
「
恋煩い、か……」
え。
カタクリさんってそんなこと言うんだ、とすこし驚いて言葉につまってしまう。けれども会話を終わらせたくない一心で出る言葉を探した。
「はい。全然振り向いてもらえそうにないので……このまま失恋の予定ですね」
「そうなのか?案外、相手のヤロウもその気になっているんじゃねえかと思うがな」
「だったらいいんですけどねえ、わかるじゃないですか?相手が自分をどう思ってるかって。なんとなくですけど……」
「そいつを隠すのが
巧いヤツもいる。ナマエに好かれて喜ばねえ男なんて、万国にはいないだろうからな」
カタクリさんは、冗談めかして軽く笑っているのかな、と思ったが、案外真顔で前を向いていた。
もしいま、カタクリさんのことが好きだと言ったら、きっとこの人は喜びはしないだろうな。
隠すのが巧い人でもないから、怪訝な顔をして、「それは……悪い」って言うんだろうな。
いままでのことをぼんやりと思い返した。
初めて会ったときは、こわい人だなって。
私には無口だし、カタクリさんはこちらを見ないし、クラッカーさんやダイフクさんみたいに近づいてこないし、それなのに私は……カタクリさんが疲れか思い悩んでいるか、なんかそんな感じで眉間に手を当てたとき、ふいに彼と目が合って恋に落ちてしまったのだから救いようもない。
まるで淡い淡い事象のように起こった感情が、いまでは体の半分を巣食っている。
カタクリさんが何者でもいいのだ。
彼は優しい人だけど、そうでなくても
同じ熱量で恋していただろう。
こんなふうに誰かに激しい気持ちを抱くのは、またとないことなのかもしれない。
きっと彼には迷惑でしかないし、消えていくだけの感情なのだ。それでも、この感情を与えてくれたカタクリさんに、感謝の気持ちでいっぱいだった。
「本気で言わねえつもりなのか」
「相手にですか?」
「……、 ああ。」
「今日ね……、実はバレンタインじゃないですかあ?だから、チョコと一緒に告白しようと思ってたんですけど」
「……」
「やっぱり度胸がなくて。あはは……」
「…… ナマエ、」
「はい?」
「今日のことは、クラッカーのヤツは知っているのか」
「へ?」
クラッカーさん?
え?と頭の中で検討するも、符合するものは何もなく。
たしかに、さっきからクラッカーさんの話題が多いなと思った。それでいて、カタクリさんが真剣に私を見おろしてくるので混乱する。
「飲みに来たことですか?電伝虫の番号交換してないですし、知らないはずですよ。ひとりで飲んでましたし」
「だろうな、」
カタクリさんは、なぜか怒ったような顔をしている。無駄な肉がないこめかみに筋がぴりっと立っている。
「知っていたら、アイツがお前を一人にさせるわけがねえ…こんな状態で、こんな夜更けに」
「……」
「……城に、戻ろう。」
「アイツなら仕事が片付かずにまだ中にいる」と言ったカタクリさんの言葉のあと、立ち止まって、ふたりで見つめ合った。
眉間にしわが寄っていて、目を細めていて、はた目から見ればしんそこキレている海賊という風貌なのになぜだろう。全然こわくない。安心感がむしろある。
「ホールケーキ城にですか?」
「ああ。送っていく――アイツのところまでな
……はァ、乗り気はしねえが」
「……」
「……」
「えっと……カタクリさん?」
「ん……?」
「私が好きなの、クラッカーさんじゃないですよ?」
「……」
「もしそう思っているなら、誤解です」
カタクリさんが苦い顔のまま黙って歩きはじめた。困惑したまま私も一緒にとなりを歩いた。けれど、次の街灯のあたりでカタクリさんが、いきなりぴたりと立ち止まってゆっくりとした口調で言った。
「クラッカーじゃ、ねえのか?」
「(反応遅ッ……) はい。」
「…………悪い。俺は、てっきり……」
「いえ、まあ、クラッカーさんにはお世話になってますから、仲も確かにいい方ですしね……誤解されても仕方ないというか……」
「ずっと誤解していた。なんだ、そうだったのか……」
「アハハ、じゃあ誤解が解けてよかったです」
「……だが、クラッカーじゃねえとしたら……今日チョコ渡そうとしてたってことは、万国のヤツなんだろう?」
「え?」
「——まさか、」
「違いますよ?」
即座に否定すると、カタクリさんは珍しく苦笑した。どうせ「ダイフクか」と言おうとしたのだろうことは見て取れる。
「誰だか知らねえが……マヌケなヤロウだ。」
「……」
「ナマエに想われても気づかず、チョコを貰い損ねるなんてな」
これまた珍しく、カタクリさんはハッと悪い顔で小さく微笑した。なんだかおかしくなって、私も笑った。
「今夜、カタクリさんに会えてよかったです。こんなに話しやすい人だったんですねえ。もっと早く、絡んでいけばよかったな……」
カタクリさんは少し眉尻を下げて、いや、と小さく口ごもった。
「クラッカーとのことを勘違いして、少しばかり遠慮していた」
「……?」
「……」
もうすぐ海岸に着いてしまう。
万国らしく、煌々と光る入口が見えている。
カタクリさんはまた立ち止まって、今度は電伝虫を出した。
「ナマエ、よければ番号を教えてくれ。そういえば、まだだったよな」
「あ……もちろんです!」
「また飲みてえ日は言ってくれ。帰りに、送っていく」
まさか、こんなことができるなんて。
カタクリさんと交換できるなんて――。
万国ではビッグマム海賊団の面々、しかも幹部ともなればなおさら、電伝虫の番号なんてものは機密情報の中においても極めて重要な内容となるため一般庶民が知る由もない。
夢じゃないだろうか。
カタクリさんのその顔には、もう壁も感じなかった。
やっぱり傍目からは海賊らしい悪い顔なんだろうけど、私には世界一優しく見えてしまう。
まるで昔からの気の置けない友人みたいな、特別なあたたかさがあった。
「ありがとうございます。また、連絡しますね」
「ああ。」
「よかった。これでやっとお友だちですね!」
私も調子に乗ってそんなことを言ってしまう。カタクリさんは微かに目を細めて微笑した。けれどすぐにいつものように眉を寄せた。
「今までそんなに感じが悪かったのか、俺は」
「いえ、カタクリさんはいつでも優しいです。私が勝手に勘違いしてて。勝手に避けられてるような気がしちゃってたから……」
「あぁ。まあ……そうかもしれねえな。心当たりがないわけでもねえ」
「えっ、 そうですか?」
「……惚れたらヤベエだろうなと、思っていたもんでな」
え……、 ヤ、ヤベエ?
え、カタクリさん、そんな言葉使うの?
え、ヤベ、エってなんだっけ。
ああ、ヤバイって意味、か。
えーっ、かっこい……。
……ん? え!?
ぐわん、と揺れる頭の中。
ただの一言に衝撃を受けた。
それでも言葉に反してカタクリさんは、いつもと変わらぬ凛とした表情で前を見据えている。
心臓がばくばくと騒がしくて、私だけ顔がかーっと火照ってきた。
冗談だよね、うん、きっとそう、
いや、でもまさか、
私の好きな人が誰か、バレてる?
や、それはないか。たぶん。……まだ。
「もう港だが、都合が悪くねえなら」
「……」
「……もう少し、歩かないか」
「……」
「最悪、ショコラタウンに帰れなくとも、俺の住むコムギ島まで送るぞ。部屋は腐るほどあるしな」
動揺してワタワタせわしなくしている私の横で、淡々と話を進めているカタクリさんと、ちらちら上を見上げてみたり、やっぱり恥ずかしくなって自分の足元を見たりを繰り返している私。そんななかカタクリさんが刹那、言った。
「まぁ、急ぎでなければだがな」
「あ、いえ、全然!! こちらこそ、お願いします!」
「……よかった。じゃあ、行くか」
「はい、お世話かけます……」
「なに……最初から好きでやっていることだ。付き合ってもらってるのはこっちだからな」
カタクリさんの、微かにほんのすこーしだけ照れくさそうな声がする。彼はもう前を向いていたけれど、私の視線に気づいて視線をよこすと彼は目を細めた。
きっと今夜、白状してしまうだろう。
彼が微笑んでくれるだけで、なんでも洗いざらい喋ってしまいそうな気がする。
バッグの中のチョコレートを確かめて、
時計を見た。
バレンタインデーのうちに渡せるか――
大丈夫、日付が変わるまであと10分ある。
たぶん彼は受け取ってくれる、と思う。
あれだけ恐れていたけれど、もう迷惑かも、
なんて不安もない。
仮にもしダメだったとしても、いいのだ。
誤解があっても、勘違いでも、断られても、
それでもいい。
既に最高のバレンタインになった。
いつ渡そうか、どう切り出そうか、はちきれそうだ。
もう一度、バッグのチョコを確かめて、
ドキドキしながら私は、カタクリさんの手を引っ張った。
Happy Valentine
砂糖づけのラブレター