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冬になって、先日の通報の甲斐あってか、犯人(ゾンビ?)は捕まったみたいだった。
事情聴取なんかで、もし自分が呼びだされてもきちんと話せる自信が無かったのだけれど、通報の時に気をきかせてくれていたらしく、私がホールケーキ城に呼ばれることは無かった。
そして事件から一週間が経った今日。
私の荷物が見つかったと、あの人から連絡があった。
なんとなく、出来ればもう関わりたくはなかったが、探してもらう手前、そんな事は言っていられなかった。
お陰で、自分の荷物は返ってくることになったのだから。むしろ私は彼に感謝しなくてはならなかった。
子電伝虫を渡された際に、名乗られた彼の名前を思い出す。
──シャーロット・カタクリ。
顔に似合う仰々しい字面の名前だと思った。
ただ、なぜか。
無意識下で彼の名前を呼びたくはないという思いが頭を駆け巡って、私は混乱する。
──ナマエ。
荷物を見つけたと連絡してきたとき。
彼は間違いなく私の名を呼んだ。
電話口で聞こえた彼の声が、面と向かって話したそのどの声よりも柔らかで、私の唇はなんともまごついた。
どうしてだろう。
それがたび重なる違和感の正体に繋がる気がしてならなかった。
シャーロット・カタクリ──。
どうして彼は私の名前を知っていたのだろう。
荷物を受け取りに行くということが、途轍もなく恐ろしいことのように思えて、私はどうしたらいいのかが分からなかった。
待ち合わせ場所はホールケーキ城の門前だった。
スイートシティで密かに暮らしている私としては、有難い申し入れだったけれど、彼に対する得体の知れない気持ちは変わらず拭えない。
待ち合わせ場所である城の門前に向かうこの時でさえも、気の抜けない思いだった。
あの事件の少し前から、何となく「見られている」ような感覚にたびたび襲われることがあったのだけれど、思えばあの時から、その感覚に鋭くなったような気がする。
もしかしたら、私が鋭くなったのではなく、私を見ている誰かが私に近づいてきただけかもしれないけれど──そう考えて、勘違いであって欲しいと頭を振るう。
今はただ、目の前のことだけに集中しよう。
徐々に見えてきた目的地に視線を送れば、そこには既に彼の姿があって。その手に握られたバッグに「本当に見つけれくれたのか」と、どこか他人事のように思った。
「すみません。待たせてしまいましたか?」
「……いや。俺も今来たところだ」
声をかければこちらに向けられた視線に、思わず肩が跳ねる。分かっていても、慣れない視線だった。
不躾に彼の手元を見てしまっていたのか「ああ」と、一つ唸った彼が「中身の確認をしろ。合っているといいんだが……」と底に手を添えながらこちらに鞄を差し出す。
中身を確認して、この国ではずっと圏外になったままで電源も切れてしまった携帯電話と、財布も、何もかもが丸々落とした時の状態で収まっていたから驚いた。
運よく落としただけで済んだみたいだ。
それを伝えれば、良かった、と彼は少し戸惑った表情で言った。
探すと言われたものの。色と形、だけしか聞かれなかったから、こんなにも早く手元に戻ってくるとは思わなかった。
知り合いの人にも頼むと言っていたから、もしかしたら私の想像するよりももっと多い人数で探してくれたのかも知れない。そう思ったら、無意識に言葉が口をついて出た。
「何かお礼をさせてくれませんか」
大したことは出来ないけど。
返してもらった鞄を抱いて言えば、困ったように歪められた眉に、今度はこちらが戸惑う番だった。
「そんなつもりはない。それに言ったはずだ、こういう時はお互いさま。気にするな」
「でも。それじゃあ私の気が収まらないです……」
たとえ他人だったとは言えど、ここまでしてもらってただで帰るだなんて、そんなこと。私には出来なかった。
それがもう一度、この男と会わなければならなくなるという、自分の首をしめる結果になるとしても。
「……そうか。じゃあそうだな……」
「……?」
目を吊り上げて迫る私に折れたのか、一度視線を逸らした彼が、頬を人差し指でカリカリと掻いて、僅かに経って言葉を紡ぐ。
「行きたい店があるんだが」
「…お店、ですか……?」
「男一人で行くのもな…困っていたんだ、それに付き合ってもらう。というのは、流石におこがましいか」
「……。食事、ですか?」
「ああ」
確かにこの風貌とレストランは、少しミスマッチかも知れない、と失礼なことを考えて、けれど助けてもらったお礼がそんなことでいいのだろうか。と反芻すれば、彼は一度頷いてこちらの反応を待つ。
「……そんなので良いんですか?」
「ああ。付き合ってもらえたら凄く助かる」
「じゃあ。その、私でよければ。お付き合いいたします」
そう答えて。
どこのお店なのか、聞いていなかったことを思い出して問えば、手配はこちらでする、という返答に「え?」予期していなかった声が漏れる。
「そんな。それってお礼になってませんよね?」
「いや、一緒に行って貰えるだけで有難い」
納得していない私を置いて、微かに楽しそうに笑う彼に、私は何とも釈然としない気持ちになった。
この人に会ってからというものずっと、彼のペースに巻込まれているような気がしてならない。
彼の顔をこっそり盗み見ようと視線を送れば、目元を微かに細めて、その瞳を伏せた。
「楽しみだな」
抑揚のない声が、私の耳の奥に、留まって離れない。鼓膜を震わせたそれが幾度となく私をあざ笑っているように思えて、まさか、と、思わず喉が上下する。
彼は、私が“こうする”ということを、もしかして──バッグを抱く腕に力がこもり、強く圧の加わった革からみしりと音が発せられて二人の間を通過した。
「……ええ」
振り絞ったか細い声。
私の声に満足そうに笑みを浮かべる目の前の男に見せつけるように、無理やり押し上げた口角の端、唇の皮膚がぴしりと亀裂を立てる。
……私は、いま
ちゃんと笑えているだろうか。
春になった。
彼が何の仕事をしているか全く想像がつかないけれど、身なりや風貌からしてきっとそれなりの地位に就いている人なのだろうなとは思う。
たとえば噂に聞く“ビッグマム海賊団”の一味だとか、そうでなくても庶民ではないのだろう。警備員とか、そういう類にもどう見違えても考え難かった。
新聞は見ないようにしていた。
町の人からも情報を聞かないように努めた。
それは偏に、自分のため。
私が追われた“ゾンビ”らしき者の存在や、ここが海賊の住む世界だということを全て明確にしてしまうと、私は生きる気力がゼロになってしまう気がしていたからだ。
彼の仕事は不定休で、そして随分と忙しいみたいだった。
その関係もあって、食事の予定を立てるための連絡は、あれから暫く経ってから私のもとへ届いた。
すっかり忘れているものだと思っていたから、連絡が来た時はどうすれば良いものかと悩んで、結局は、指定された日時が空いていたから「分かりました」と可愛げのない簡素な一言を返して、そのあと向こうからの「それではその日に」という言葉を最後に、通話は終わりを告げた。
今度の待ち合わせは、スイートシティ内のジュースの吹き出る大きな噴水の前だった。
目印にと持ってきた、彼に見つけてもらったバッグを持ち、分かりやすいように噴水の目の前で待っていると、「待たせたか」と、控えめにかけられた声に振りかえる。
彼はいつもと変わらぬ仏頂面で、レストラン街の方向へつま先を向けて歩きだす。
自然とそれにつられて歩みを進めれば、私に合わせるように狭められた歩幅に、バッグのマチを掴む手に力が入った。
「ナマエ。今日行く場所だが、ここでも大丈夫か」
ゆっくりと歩きながら目線上に差し出されたチケットに書いてある文字を読んで、思わず彼の顔を見る。
「……これ。つい最近街の人と素敵なレストラン、って話してた所なんです」
「そうなのか」
本当に、つい最近話したばかりのレストランだった。
それでも島民が簡単に出入りできる場所ではないと、有名な話だったから、偉くなったら行きたいですね、と、ここ数日の間に島民と話していたのを思い出しながら返す。
「はい。私も行ってみたかったので凄く楽しみです」
「それならば丁度良かった」
やっぱり、どこでも話題になっているのか。
確かに年齢は私よりは年上だろうから、その評判に少しだけ食指が動いたのかも知れない。
二枚の紙をポケットにしまい直した彼の指先を目で追いながら、ならば、と思い恐る恐る足を彼の一歩前に出した。
「ええ。けど、なんだか申し訳ないです……。せめて、食事代だけでも」
「何度も言うようだが、気にするな。ちゃんと礼になっているのだから」
勇気を出して顔を覗き込んでみたものの、いつもと変わらぬ飄々とした口ぶりと顔でそう言われてしまえば、返す言葉が無かった。
冷静に思い返してみれば、それほど親しくもない相手と食事に行くということは、そこそこに苦行かもしれない。
それも、「お礼」とは名ばかりの、まるでデートのようなそれにも関わらず、相手の胸中は微塵も読めないと来たものだから、私は彼に対する接し方を計りかねていた。
帰りたい。
──目前に迫ったレストランに、今更そんな事を思い、前に繰り出すだけの足が少しだけ躊躇われる。
「さあ。中に入ろう」
……それもこうして、こちらを見遣る彼に促されてしまえば。そんな事を考えている余裕すら無くなってしまうのだけれど。
気乗りしないまま俯く視線の先、バッグと合わせるように選んできたモスグリーンのパンプスがつやつやと光っているのが、私を妙に滑稽な気分にさせた。
このキャメルには、赤いパンプスの方が合っていたのに……。逃げ走ったせいで失くしてしまった靴。
あの靴は、事件の後も探したけれど、見つからなかった。
バッグを見つけてもらっただけでも有難かったから、これ以上は聞けない。
折角見つけてもらったのに。
どうして綺麗なまま、中身も全て揃ったバッグだけが見つかったのだろうか。そんなことは聞けなかった。
「なにか嫌なことでもあったのか」
「え?」
「ずっと浮かない顔をしている」
まずい……。顔に出ていたのか。
控えめに告げられた言葉に、やはりこれはお礼になっていないのではないかと私は唸る。
やっぱり断ろう──そう思って彼を見れば、そんな考えなど見透かした顔で言う。
「ご馳走しよう、これも礼の一部……と言ったら怒るか」
私の逃げ道を囲んでいく。
「……。……それじゃあ、ご馳走になります」
渋々頷くも、そんな小細工は通用しない。
「良かった」
目を細める彼の視線に、身震いしてしまう。
──予定調和だ。
私は今確実に、彼の思うとおりに動かされている。それが心地悪くて、怖くて、たまらなかった。
……いつから?
いつから、私は彼の計画の上を歩かされていたのだろう。
私の言葉は、最初から彼の耳にほとんど届いていなかったのだと、彼が会話をしていたのは私ではなかったのだと、この時はっきりと気付かされた。
けれどもきっと。……もう遅い。