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身体がいうことを聞かない。

徐々に浮上してくる意識の中、天井を視界に収めて私はそんな事を思った。

……身体がだるい。

彼の予約していたレストランは、夜景の綺麗な、お洒落なところで。
きっと私には二度お目にかかることが無さそうなくらい、高級なメニューばかりで。

彼が注文してくれなければ、いつまでもどれを頼むか悩んでいたと思うほど、どれも聞き覚えのないものばかりで。

そんなシチュエーションの中で、少しだけ油断してしまったところもあったのかも知れない。

静かに会話をして、
彼の腹の中を探って。探って。

ふとしたとき、何かが指先に触れそうになって、そして、私の体は大きく傾いた。
──そこからの記憶は無い。




目覚めて刹那、ああ、薬を盛られたのかと考えるまでもなく気付いて、思わず鼻で笑う。

ソファに寝かされていたのか、私の挙動に合わせて革が何とも言えない音を出す。服は、最後の記憶のままだった。いじられた形跡も、何もない。

力の入りきらない上半身を無理やり起こして周囲を見渡すも、見覚えのない景色に頭が痛くなる。

見覚えは無いけれど、なんとなくここがどこかは分かっていた。

ここに居てはまずい。
そんな分かりきったことも。

不思議と、人の気配は感じない。

まだ覚醒しきっていない身体と思考を動かして、扉を探す。ほどなくして黒と灰色のツートンカラーの両開きの扉を見つけ、そちらへ歩みを進める。

この部屋は土足可らしい。
脱がされていないままの靴でフローリングを傷つけながら、私は首を傾げる。

インテリアも、先ほど寝かされていたソファも、埃一つないほどに綺麗なのに、どうして靴のまま部屋に上がっても良いのだろう。

この家の持ち主の核心も、そこに繋がっているような気がして、途端に私はきゅっきゅと音を鳴らしていく自身の靴も、このフローリングも恨めしくなる。

まるで響かないと言わんばかりの瞳を持っている癖に、汚いものも、きっと嫌いな癖に。

土足で上がって来いというのは、彼がきっと自分を高貴で綺麗なものだと思っているからだ。
──こんなことを、しておきながら。

扉に右手をついて、そのまま押す。
ドアの縁にゴムのようなスポンジのようなクッションがあるのだろう、独特な音を立ててそれはゆっくりと開かれる。

扉の先は、長い廊下だった。
他の部屋との架け橋になっているのだろうか、道はいくつか垂直に折れていて角が見えない。

玄関はどこだろう、部屋を無視しながら少し歩いて、それらしいスペースを見つけた時、私の肩が跳ねた。


──あかい、靴。


ベロア生地で作られたそれは、玄関の柔らかな照明に照らされて淡く光っていたけれど、その見た目は酷く既視感を煽るものだった。

見間違いかもしれないけれど、足が竦む。
オーダーメイドというわけじゃないのだから、似たようなものはいくらだってある。ただそれが、ここにあるというのが、大きな問題だった。

この部屋には女の人が住んでいるのだろうか。
考えて、刹那。聞こえてきた足音に、また、私の肩が跳ねる。

「どうかしたのか」

ぞっ、と背中を何かが駆け上がる。
……今度は、聞き覚えのある声だった。

その声色がやけに優しくて私は怯える。
彼はこんな声を出すような人間じゃない。
そう思っていたから、余計に。

振りかえった先、上着を脱いで上半身裸の格好になっていた彼が、私の背後に視線を送りながら呟く。

「突然倒れたので心配した」

──嘘だ。

思った言葉は口には出なかったが、顔には出てしまったのだろう。彼の目が愉快そうに細められて、弧を描く。

「……お礼をさせて欲しい、と言ったのはお前の方じゃなかったか」

途端、腕を掴まれ玄関?門?の近くの部屋へと押し込まれる。

強い力によって自由のきかなくなった私の体は、そのままベッドの上へと投げ放たれて小さく跳ねた。

スプリングの軋む音も、彼の革靴がこつこつとフローリングを痛めつける音も何もかもが不愉快でたまらない。

彼の手によって乱雑に閉められた扉は、衝撃を緩和出来ずにはね返り、僅かに隙間を残したままの姿で、そこに留まり私を見つめた。

「大丈夫か」

ゆっくりと近づき、私に跨った彼が無表情で。
だるい思考を持ち上げながら睨みつけて、身をよじる。

「どこから……」

問うて、走馬灯のようにここ最近の出来ごとを思い出していた。

偶然と思って信じ切っていた彼との接点は、一体どこからねじ曲がっていたのだろう。予想も付かない問題に、私はただ答えを待つことしか出来ない。

私の問いかけに彼は、その手を止めると再び楽しそう口の端を吊り上げて、私の頬を優しく撫でる。

「どこから?」

子供に言い聞かすような口調で反芻された言葉に、思わずつま先に力が入った。そんな様子を横目で見た彼が、こちらに顔を寄せて耳元で呟く。

まるで恋人に浴びせる囁きに模造した掠れた甘い声は、私の意識を持っていくには十分だった。

「ああそうだ “ナマエ”」
「………っ」
「まだ俺は、お前の名前しか“知らない”んだ」

夏のもがき。
ああ、やっぱり。
見間違えるはずが無かったんだ。

押し倒された視線の先、無造作に開かれたドアの隙間から見えた玄関の、あかいろ。
鎖骨を這う舌の感触にあからさまの嫌悪を顔に出して自嘲する。


──あれは、
“私の靴”だった。


「なあ、ナマエ」
「……は、はい……」
「“ビッグマム海賊団”を甘く見るな」
「……」
「お前は何者だ、なぜこの国に居る」

怖くて、何だか胃の辺りが気持ち悪くて、こんな状況で、それなのに何故か……

いとしくて、かなしくて、
ひとつになりたくて、世界が滲む。

この思いは、どれだけ一緒に過ごしても、どれだけ抱きあっても、決して消えないのだろう。

どんな言葉も届かない。
ああ、絶望。

「目が覚めたら……ここに」
「そんな苦し紛れの言い訳を信じられるとでも思っているのか」
「ほ、ほんとなんです……カ、カタクリ様……あ。」

 あ。
 あ、──

「……」
「……」

彼が何の仕事をしているか全く想像がつかないけれど、身なりや風貌からしてきっとそれなりの地位に就いている人なのだろうなとは思っていた。

たとえば噂に聞く“ビッグマム海賊団”の一味だとか、そうでなくても庶民ではないのだろう。警備員とか、そういう類にもどう見違えても考え難かった。

新聞は見ないようにする……フリをしていた。
町の人からも情報を聞かないように努める……
フリをしていた。
それは偏に、自分のため。

私は、既に知っていたのだ。
このひとが……ビッグマム海賊団の大幹部
シャーロット・カタクリ様だということを……





謎の文明と海賊島

プライバシーがない世界




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