ドラマみたいにいつも
みんながハッピーエンドなら
それが一番わかりやすくて、一番助かるのに。
けれど、残念ながら私の幸せは
あの子
(
・・・
)
や、
あの人
(
・・・
)
の
不幸の裏にくっついてる。
あの子やあの人の幸せは、ひっくり返せば
誰かの不幸と裏表なんだということが
ちゃんと分かってしまう。
自分の首を締めるために
頭を持ったわけじゃないのに
人間という生き物は、厄介だ——。
*
それから約一週間が経とうとしていた金曜日。私なんかが心配する必要もないといった感じで、大衆の面前に立つ社長はいつもどおりクールだった。乱れがなくてそれが逆に威厳を感じさせる。
しかし最近、言動は同じで振る舞いもきれいなままなのに、なぜか社長室でふたりきりになると彼はすこしだけ違う顔を見せるようになった気がしている。ただ黙りこんでいるだけなのかもしれない。でもたぶん、以前はこんなふうではなかった。ふたりきりのときにも、まるで朝礼のときのような気分だったのに、すこしだけ、いまは違うのだ。たとえば以前は社内、社員の前ならとくに「きみ」か名字で私を呼んでいた彼が、最近では社内でも私のことだけは「お前」と呼ぶ。
「きみ」呼びは、あくまでも彼の中では業務上。「お前」は彼なりのすこし踏み込んだ領域のものだと私は勝手に思い込んでいる。これだから……女は面倒くさい。きっと社長はそんなこと微塵も考えて発していないだろうに。それでも、不機嫌そうで角があるのになんていうか、関わってくる感じというか。
藤真社長は、寂しいのだろうか。そんなわけ、ないか。
「名字さん。社長がお呼びです。社長室にお越しください」
呼び出しに応じて社長室に行くと、たいてい、ノートパソコンを渡されて、その場で仕事を言いつけられる。社長も忙しそうにパソコンで仕事をしている。ときどき顔を上げては「できたんだろうな」とか「遅れた時間の内約を」とか「こんなことで時間をとらせるな」などと急かしてくる。最近になって、いま私がやっていることは社長の仕事なのだと気が付いた。普段彼がこなしている仕事の簡単な部分を私にやらせているのだ、と。
もちろん不備がないか、厳しいチェックは入るけれど。それだけ忙しいんだなあ……。ときどきみょうじさん以外の彼の側近が電話を渡しにやってくる。
彼は前にも増して外出も増えたし、それなのに社長室に普段以上に籠っていたりもする。
「……」
「……」
たたたたと軽くタイプする音が聞こえてくる。社長席にいる彼に目をやると、熱心に画面を見て仕事をしているところだった。眉間が強張りまばたきは浅く、口角が締まっている。大変な集中力だ。さっきからずっと音が途切れることがない。
「できたのか」
「あっ、はい」
「なら、データを。」
「あ……はい、こちらです」
「……」
「……、」
「よし、まあいいだろう。二十分休憩をとれ」
「は、はい」
いつのまにか社長室の来賓用のソファーとテーブルが、自分の仕事場になってしまった。データ流出を防ぐため特定のパソコンでこの部屋でやらせているのだろうけれど。
みょうじさんがお茶とお菓子を持ってきてくれたので遠慮なく甘いものを口に運んだ。脳に糖分が行きわたる感じがする。お茶を飲んで深呼吸した。
目を閉じてじっとしていると、たたたた……とキーボードを叩く音が心地よい。浅く定期的で、メトロノームみたいに落ち着く。
*
「!」
目を開けると、誰もいなくなっていた。あれ?わたし……。
陽が暮れたらしく、ブラインドの板に街の光が反射している。急いで時計に目をやると十七時を過ぎたころだった。
がちゃりと扉が開いて社長が入ってきた。外出していたらしく車のキーが彼の手の中でチャリと音を立てた。
「起きたのか」
「すみません。いただいた時間を、大幅に過ぎてしまって……」
「居眠りはさぞかし心地がよかっただろうな」
「あ……。申し訳ございません……」
やらかした……とがっくりして謝ったけれど、私の無益な謝罪はより、彼の癇に障ったらしい。
ぎろりと睨まれた。黙れ、と言っているのだ、たぶん。
ふたたびパソコンを与えられずっと計算をやっていた。彼は社長席で何度か電話で社員に指図をし、それ以外はやはりパソコンを使って仕事していた。社長のタイピングの音は精神を安定させてくれる。彼に目をやれば必ず「できたのか?」と訊かれるので、そちらを向くことはできないが、彼の気配がそこにあるということにいつの間にか私は慣れ親しんでいた。——そう、居眠りをしてしまうほどに。
「ここがおかしい」
背後から覗きこみながら社長が言う。そのとき突然コーヒーの香りが、鼻腔をくすぐった。知らないうちにカップが私のそばに置かれていたらしい。
「あれ、これは? 私のですか?」
「みょうじがさきほどお前に持ってきた。気づかなかったのか?」
「え、全然気づきませんでした。お礼言わないと……」
「……熱心が過ぎて、不器用なほどだな」
そんな社長からの嫌味に気が回らないくらいにまばたきもしていなかったようで目が痛いくらい乾いている。慌ててぱちぱちまばたきしたあと、ようやく潤ってクリアになった視界に社長の顔が映りこんだ。どきりとした。なぜなら私を見ながら、すこしだけ彼が目元をやわらげていたから。
「つぎはこっちもだ」
「は、はい、……」
ああ、そうだった。こんなに優しい顔ができる人だったんだよね実は、と思う間もなく彼は私から目を逸らす。その横顔はすでに無表情だった。
*
「今日はここまででいい」
「はい」
「さすがに疲れたようだな」
「いえ、平気ですっ!」
とはいうものの、とても疲れた。社長はそうは見えないので、さすがだなと思う。私の何倍もの仕事量をこなしていたのに。
当たり前のことだけど、ほとんど一日を一緒に過ごして、やはりこの人は、並の人間ではないと改めて思った。体力も集中力もすごすぎる。
ああ、だとしたら……きっとバスケットをしていたときも予想通りですごかったんだろうなあ。
湘北vs翔陽。インターハイ予選のバスケの試合見たかったな。もう少しだけ早く、転校できればよかったのに……。
「お前は電車通勤だったな」
「えっ、あ……はい」
「送っていく。帰る支度をしろ」
「えっ!?」
「なんだ?」
じろっと睨まれて私は口に手を当てた。小さくかぶりを振って、込み上げた驚きを飲みこんだ。
待って、これって。このあいだと一緒のシチュエーション……!
『送ってもらったりすんのは、出来るなら断って欲しい』
寿から言われた言葉が脳裏をよぎった。ぐっ、と下唇を噛みしめてから私は言う。
「いえ——」
「……」
「��きょう�≠ヘ、ひとりで帰ります。」
とっさに出た断り文句。けれど……��これからはひとりで�≠ニは言わなかった。なぜか、言えなかった。
なんだか、社長を見るのが恐い。私は、視線を合わせぬまま、その場で、固まっているしかほかなかった。
「そうか。」
社長はそう言い置いて、また隙のない動作で、颯爽と社長室を出て行った。
私はしばらく音もなく閉まったその扉を、ただ茫然と眺めていた。
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