どうしたって離れられないって

 知ってるくせに、狡いよね。

 どうなったって離れたくないって

 思っちゃうから、馬鹿だよね——。





 *


 仕事を終えて、当たり前に彩子の家へ向かう。借りている合鍵で解錠し慣れた手つきで扉をあけ玄関に入る。通常ならば彩子の「おかえりー」という明るい声が聞こえてくるのだが今日はなにも聞こえてこない。その代わりにリビングの方から彩子以外の耳に馴染んだ笑い声が聞こえてくる。ひょっこりと、玄関に顔を出したその聞き慣れた声の主に、私は思わず溜め息を吐いた。

「顔見た瞬間にためいき吐かれちった〜!」
「もう、リョータくん……」
「やっほー、お先に一杯ひっかけてました〜♪」

 その変わらぬ笑顔を向けられたとき、なんだか拍子抜けしてこちらも釣られて笑ってしまった。しばらく三人で彩子の手料理を堪能したりテレビ番組を見たりと、ゆったりとした時間を過ごす。
 途中、会話の中で「三井サンとこないだ会って話したよ」とリョータくんが言っていたがとくに深くその事について追求することもなくその話はすぐに打ち切られた。
 缶ビールとワインをたらふく飲んでいい気分になった頃、彩子が先にバスルームに向かった。

「私がお風呂あがるまでにリョータ、アンタは、帰りなさいよ?」

 と彩子に釘を刺されて面食らうリョータくんは相変わらず高校時代を彷彿とさせて、なんだか、とても可愛らしく見えた。
 彩子がゆっくりとバスタイムを過ごしていた時リョータくんが唐突に先ほどの続きを話し出す。

「こないだ、会ったって言ったでしょ?」
「ん? ああ……寿?」
「うん。なんか、聞いたよ?三井サンに、ひどいことされたって」
「ひどいこと? ああ、まあ……うん。」

 ワイングラスで赤ワインをちびちび飲んでいた私は、思わず体育座りの体勢に切り替える。

「後悔してたよー?三井サン」
「だろうなーと思ってた。でも気にしてないよ、まったく」
「……。なんか、」

 と、感慨深そうにつぶやいたリョータくんは、ソファに背を預けて床に座ったままで腕を伸ばし「んー!」と、背伸びをしながら言った。

「そーゆうとこなんだろうなぁ〜」
「え? そーいうとこって?」
「んー?三井サンが名前ちゃんにドハマりしてる理由のひとつ?みたいなやつ」
「……」

 私はリョータくんに向けていた視線をゆっくりテレビ画面に移した。べつに、見たかった番組がやっていたわけでもないけれど。なんだか、なんとなく、気まずくなったから。

「なんてゆーか。陰も陽もさ、名前ちゃんに受け止めてほしーんだと思うんだよねー、あの人」
「……」
「闇(かげ)も光(おもて)もぜーんぶ名前ちゃんに見せてーんだよ、ほんとのところはね」

 リョータくんは目の前のローテーブルにあがっていた自身の缶ビールに手を伸ばしそれを煽る。

「けど、そーいうの出来ねーもんじゃね?簡単にはさぁ」
「うん……」
「本当の自分の芯の部分ってさ、そうそう容易く他人に見せられねーじゃん?誰だって」
「ん……だね。」
「だから、名前ちゃんだけ。」
「え……?」

 反射的にリョータくんの方を見やる。でも彼が今度は視線をテレビ画面に向けていた。私も再度テレビ画面に視線を映す。テレビの中では有名なスポーツ選手の面々がお笑い芸人と一緒になってクイズに挑戦していた。

「ぜぇ〜んぶひっくるめて、あの人を受け止めてやれんのは、名前ちゃんだけ。」
「……、」
「助けてやんなー?三井サンのこと。」

 あ、と思った。リョータくんが言ったのと同じような台詞をつい最近も、ある友人から投げかけられたことを、ふと思い出したからだ。


 『 救ってやんな、名前さんが。』


 いつも絶妙なタイミングで励まして、ときには叱ってくれて、最後には背中を押してくれる。
 きっと、リョータくんと水戸くんのふたりは、思い返してみれば寿にとって……彼の歩んできた人生の中での��キーパーソン�≠セったのだろうなと思ったら途端に目頭が熱くなってきて泣きたくなった。だって、そんなふたりがあなたを救ってやって欲しい——って、そう言ってるんだもん。

 バカだアホだ生意気だスカしていると寿がよく彼ら、リョータくんと水戸くんのことを提言していた。それを笑って聞き流していたわりに、頭を反芻し続ける彼らの言葉が、私の今の思考回路を戒め続けている。
 自分は、心底弱いのだと、脆いのだと、立場がおかされれば、あっけなく退いてしまうんだと。そう思って過ごした、親友の家での二泊三日。


 『 助けてやんなー?三井サンのこと。』

 『 救ってやんな、名前さんが。』



 ふたりの言葉は案外わたしに
 大きなダメージをあたえていたらしい——。


 *


名前

元気だった?今日、会える?



 文字を打ちながら手が震えた。それを誤魔化したくて携帯電話を彩子宅のテーブルに置いた私はキャリーケースに荷物を詰めはじめる。
 今日でこのお家から出て行こうと決心したのは昨晩。眠ずに考えた、私の答えだった。次に寿と会うときはきっと、寿と私が終わるとき——。

 『救ってやりな』というのは、彼と一緒にいる未来の話ではなくて、もう彼の、寿の手を離してあげることなのではなのかな、という考えに行きついた。
 ややあって、ブー、ブーッと、鈍い音で携帯のバイブレーションが室内にこだまする。

三井寿

元気。今日は休みか?



名前

うん、お休みなの



三井寿

会える。俺も会いたかった。



 相手から届いたメッセージを読み終えて、とりあえず安堵の溜め息を零す。それと同時に不意に蘇る記憶。高校二年生のクリスマスイブの前日。別れの意志を伝えるべく、会う約束をしたときの彼とした、電話の内容。


『 明日……会えないかな? 』

『 会える!迎えに行く!明日イブだもんな! 』



 何年経っても私たちの��最後�≠�迎える直前の会話は、あの頃と同じような言葉の繰り返しだ。私たち、まったく成長できていないね。
 でもね、大丈夫だよ。あのときと同じように、寿は何もしなくていいから。今回も私がきっちりケジメをつけるから——。

 バスケ部の練習が終わるであろう時刻の数時間前——時計の針は、六時半を指していた。彩子に『お世話になりました』と置き手紙を置いて私は玄関に向かった。オートロックなので、玄関先で鞄の中身をチェックする。携帯と財布があれば、十分なんだけどね。
 よしっ、と謎の気合いを入れて彩子宅を出た。もう三月だというのにまるで冬が舞い戻ってきたかのような寒い日。ぶるりと身震いをして、歩むスピードを速めたとき、着信が入った。誰からだろうと携帯の液晶を見て、目を見開く。意外にも相手は、あの藤真さんだった。

「……もしもし」
『名字』
「はい」

 藤真さんのほうから電話を掛けてくるなんて、珍しい。電柱のそばで立ち止まり彼の声に神経を集中させる。トレーニングの後なのか、それとも電話だからなのか、少しだけその声は粘りがあるように感じられた。

『いまどこにいる、会社か?』
「いえ。友人宅の、近くですけど……」
『……暫くのあいだ、本社には近づくな』

 それだけ言って通話は途切れた。ツー、ツーという電子音が後に残される。私は、携帯の画面をしばらく眺めていた。
 不意に背後に気配を感じて振り返ると新宿方面へ走る、パトカーが目についた。そのサイレンは不吉な暗示のようにちかちかと街を赤く照らしていた。


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