≪Chapter 5≫
ぬくもりがほしい



 誰にも心は侵せない。

「きっとこう思ったからこうしたんだ」

 って、そんなの、ただの憶測にすぎないもの。


 私に残された時間があるなら

 素直になりたいんだ。

 あなたの心にちゃんと立ち向かわせてよ——。





 *


 クリスマスイブを間近に控えた今日、私は彩子を誘って水戸くんのお店に顔を出した。
 入り口から入って来た私たちを見るや否や少し目を見開かせた水戸くんは、サッとテーブル席を手で促す。

「なんで迷う事なくテーブル席に促すのよ」

 彩子がそう言いながら、唇を尖らせて腰に手を当てる。

「あ、いや。何か込み入った話でもすんのかと」

 面食らっているカウンター越しの水戸くんに、彩子が「カウンター座らせてもらうわよ」と言いスタスタとカウンター席に向かって行き腰をおろす。私もそれについていくように、彩子の隣へと座った。

「私たちの顔を見て避けようとしたわね」
「いや、そんなことは断じてありまセン」
「じゃあ何よ、そんな混んでないでしょー?」

 彩子の圧に根負けした水戸くんが、申し訳なさそうに言う。

「や、なんか。姉御が来ると説教されんじゃないかって反射的に……」
「そんな能力身に着けてくれなくて結構よっ」
「はい、すんません」

 謝っているわりに、水戸くんはいつものように眉を下げて笑っていた。
 私たちはお酒を注文して水戸くんに軽く料理もお願いした。水戸くんが準備に取り掛かったので私は置かれたおしぼりで手を拭く。すると彩子が頬杖をつきながら私の顔を覗いてきた。

「……え? なに?」
「なに? じゃないわよっ」
「……」
「で? 相談事でしょ?どーせ」

 彩子はそう言って、はいよと水戸くんから差し出されたグラスを、カウンター越しに受け取る。
 私も水戸くんからグラスを受け取って彩子の、「乾杯」という掛け声を待って、グラスを小さくぶつけ合った。

「三井先輩は?呼ばなくていいの?」
「あ、うん……メッセージ入れたけど遠慮しとくってさ」
「ふうん……」
「久しぶりに会うだろうから二人でゆっくり飲めって」
「あら、そうなの」
「うん」

 ややあった沈黙の中、水戸くんの繕ってくれた料理が私と彩子の目の前に置かれた。

「ちょっと!水戸洋平っ」

 しれっと、料理を私たちのカウンターに置いた水戸くん。さっさと退散するかのように背を向けたのを見かねた彩子が、水戸くんに声をかける。あからさまに、ギクッという効果音を放ちながら水戸くんが振り返る。

「はい?」
「アンタひまでしょー?ちょっと付き合いなさいよ、おごるから」
「いやいや、ふたりでゆっくりと……」
「ほら、早く来なさい」

 目の前に立てと言わんばかりに彩子が手招きをする。水戸くんは、観念したように私たちの目の前に立った。やっぱりこういうところ、優しいなって思う。

「はあ……」
「こらこら〜、溜め息つくんじゃないわよ」

 水戸くんは情けないような顔をして自分の分のお酒を作っている。作り終わったのを見た彩子が笑顔で「乾杯」と、グラスを持ち上げたので私も水戸くんもグラスを軽く掲げた。

「水戸洋平、なにか知ってんの?」
「なにかって?」
「ったく、じれったいわね。名前と三井先輩のことしかないでしょー?」
「ああ。」

 言って水戸くんがチラと、私を一瞥した。私はキョロキョロと視線を巡らせる。

「名前さんが浮気してるって話?」

 さらっと言ってのける水戸くんのお陰で、私は品なくブッ!と飲み物を吹きそうになる。

「汚いわね、なにアンタ……浮気してんの?」
「違う違う、コラ!水戸くんっ!」

 水戸くんは「ハハハ、悪い悪い」なんて、全然申し訳なさそうにしている素振りなど見せない。

「あの……実はさ……」
「うん?」
「いま、都心に働きに出てるって言ったでしょ?さっき、電車の中で」
「ええ」
「私の働いてる会社の社長さんがさ……藤真さんなの」
「え」

 彩子が綺麗な箸使いでつかみ上げた里芋の煮付けをポロッと小鉢の中に落とした。そして、目をぱちくりとさせて私を見ている。私はその視線から逃れるようにサッと視線をテーブルに落とす。

「最初は簡単な事務作業を任せられるはずだったから、藤真さんと会う機会なんてそうそうないと思ってたの」
「それで?」
「でも、今は藤真さんの仕事に近いことしてて、それで……」
「ホケツくんと一緒に仕事してるってわけよ」

 水戸くんがそう締めくくった事で彩子の視線が今度は水戸くんに向く。

「忙しくてさ、休日出勤もしてるから……なんか寿と話す機会とか減っちゃってさ……」

 私が言い終えて、静かにグラスの中身を飲む。彩子は取りあえず落とした里芋の煮付けを、もう一度つかんで口の中に運んだ。ややあった沈黙をやぶったのは水戸くんで、彼が出し抜けに言う。

「名前さんばっか責められねーけどなぁ」
「え? どういうことよ」
「みっちーも、元婚約者と再会しちまったらしいからさあ?」
「え?なになに、アンタたちどーなってんのよ」

 彩子は困惑しながら忙しなく私と水戸くんを交互に見やる。

「どーもなってないよ、ただちょっと、気まずいってだけで……」
「気まずいだけって……」

 彩子はその先の言葉を飲み込んで「んー」と、唸ってから、溜め息を吐いた。

「みっちーはすることしちまってるけどな」
「え!!なに、寝たの!?三井先輩が!?」
「ちょっと彩子、ストレートすぎ!」
「だって、することはって言うから……」
「……」
「キスしちまったらしいぜ?聞いた話によると」

 水戸くんは言ったあと、まるで他人事みたいに浅く笑った。

「……で? アンタは?」
「え?アンタは、って?」
「だから、藤真さんとどこまで……」

 彩子がその先を言いよどんでなぜか水戸くんを見やる。水戸くんはピクリと眉を動かしたあと、悪そうな顔をして言った。

「名前さんはアレだろ?」
「……っ、」
「なによ水戸洋平、アレって」
「気持ち、持ってかれちまってるほうだろ?」
「水戸くん……なんか今日いじわる」
「だって、事実じゃねーの?」

 そんな私と水戸くんの会話を彩子はやっぱり、混乱したようにして目を何度も瞬きさせて聞いていた。

「持ってかれてないよ……ただ、これから、どう接していけばいいか、瞑想してる……」

 完全に立場の悪くなった私を見た二人が、目を見合わせて呆れたように、溜め息をついていた。

「藤真さん、すごいの。バリバリ仕事できて側で働いてると尊敬するし、お手本になるし、仕事は楽しいって思えるの」
「まあ……アンタ見掛けによらず、真面目だからねえ」
「彩子、言い方!」

 思わず私はすかさずつっこみを入れてしまう。彩子はそんな私を流し見て、飄々と言い放つ。

「だって、そうじゃない。藤真さんが好きだから頑張るとか、そういった色恋で仕事が楽しいわけじゃないでしょ?」
「もちろん。それに仕事が楽しいと思えるのも、寿のおかげなんだよ?」
「三井先輩のおかげ?」
「うん。寿の、仕事が生き甲斐って感じが羨ましくてさ、私もそうなりたかったっていうか」
「なるほどねぇ」
「だから評価されたり達成感があるのは、本当に楽しい。続けたいなって思ってる」

 水戸くんは空になったグラスをカウンター越しに回収して、私と彩子の二杯目を作りはじめた。

「でも水戸くんに気持ち持ってかれてるって言われて、そうなのかなぁ……って」
「……」
「そんなつもりは、なかったんだけどなぁ……」

 水戸くんは「はいどーぞ」と言って、二杯目のグラスを私と彩子の前に置いてくれた。

「三井先輩が一番苦手な状況よねぇー」
「え? 一番苦手って?」
「え?だって、その人に惹かれてるってよりは、その人の能力に感化されてるっていうかその人の能力を尊敬してるわけでしょー?自分の彼女が」
「う、うん……」
「しかもその相手がイマカノの元婚約者で強いて言えば、昔のライバル」
「うん……」
「心中お察しするわ、私……」

 言って彩子は綺麗な横顔のまま二杯目のグラスに品よく口を付ける。

「たしかに名前さんの気持ちもわからなくもないぜ?」
「え?」
「いつものみっちーなら言ってくるだろ?なんで藤真なんだ!どうなってんだ!ってさ。それで、いくらか名前さんもガチンコでぶつかれる環境を見出してたはずなんだ」
「うん、そうなの」
「だけど、それもなくてなんか避けられてる感じすらするわけだろ?そりゃこんな感じにもなっちまうよな。特にアンタらみたいな二人の場合は」

 水戸くんは呆れたように言いながらも優し気に眉を下げる。

「アンタさ、よかったわね。高校時代は三井先輩にしか興味なくて」
「ええ? どういう意味?」
「陵南戦も、インターハイも来たでしょ?」
「うん、応援に行った」
「仙道や沢北あたりに粉かけられてたら、アンタなんて一発KOだったわよ」

 私が混乱しているのを置き去りに、水戸くんが珍しく品なく「ハハハっ!」と破顔して笑う。

「え、誰だっけ、その人」
「ほらぁ?そうやってまったく興味のないアンタなら問題ないわけよ、ねえ?水戸洋平」
「ああそうだな。たしかに仙道あたりにコロッといきそう、名前さん」
「ええ? だから、だれ、仙道って」
「ほら陵南の!流川くらいバスケセンスのある」
「えー?」

 私は天井を仰ぎながら、過去の記憶を頭の中で巡らせてみた。だが、本気でわからない。その、人物のシルエットすらも、呼び起こせなかった。

「……ダメだ、思い出せない。」
「ほらね。そんくらいなら、三井先輩も悩まないわよ。藤真健司ってのがねえ。しかも元婚約者」
「あ、そっか。名前さん翔陽戦見てないのか」
「うん、見てないの。見たかったけど……」
「あら?インターハイ前の湘北でやった合同試合のとき、アンタいなかったっけ?」
「合同試合?」
「ええ。陵南と翔陽のメンバーを桜木花道が勝手にかき集めてきたときよ」

 水戸くんは「ああ〜、あったな。懐かしいな」とかなんとか言って彩子と当時の話で盛り上がっている。

「記憶にないから……見てないのかも」
「あれー?名前さんいなかったんだっけ?」
「うん、たぶん見てない……」
「あっ、もしかして……」

 彩子がなにかに閃いたようにひと指し指を口に当てて、斜め上を見やる。

「三井先輩が危険を察知して、言わなかったのかしら、アンタに」
「あー、ありえるな」
「ええー? そんなことするかなー?夏休み中でしょ?」
「私達が静岡合宿に行ったあとよ。連絡なかったでしょ?今から急遽、試合になったーって」
「うん。たぶんなかった」
「じゃあ、危険察知したのよ、きっと♪」

 彩子が楽し気に笑う。水戸くんも一緒になってニヤリと揶揄うように、ほくそ笑んでいた。

「アンタ、男っ気なさすぎんのよ」
「んなっ……!?男っ気って、彩子……」
「そんなんでフラフラしちゃうものねー。そりゃ三井先輩も手ぇ焼くわけよね」
「手焼くって……」
「高校時代、仙道あたりに調教してもらった方がよかったんじゃないの?」
「だからっ! 誰、仙道って!」
「ま、みっちーも似たようなモンだけどなっ」

 水戸くんの言葉に彩子は「似たもの同士よね、まったく」なんて、やれやれと言いたげに両手を天井に向けて肩を竦める。

「でも寿……なんであんなふうになっちゃったんだろう……」
「え? あんなふうって?」
「うん。なんか、正面から向き合ってこないっていうか、どこまでも私を避けたい、みたいな」
「……」
「仮にさ?藤真さんとの浮気?を疑ってるなら、それこそお前なんなんだよ!って、言ってきてもいい気もするし……」
「……」
「もう別れようぜ!って、言って来てもおかしくないのに……」

 辛気臭く言う私に彩子は口を噤んだ。そして、水戸くんが鼻で笑っていつもの口調で言い放つ。

「名前さん、まだまだ甘いな」
「え?」
「みっちーが常に明るくて闇なんて全く無関係の人間だとでも思ってんのかい?」
「闇?」
「ああ。みっちーけっこう深いぜ?たぶん、闇」

 今度は、私が目をぱちくりとさせる番だった。そのまま水戸くんから視線を彩子に移せば彩子は水戸くんの言葉に「たしかに」と、ウンウンうなずいていた。

「しかも、一度はまったら抜け出せなくなるタイプだ、みっちーみたいな闇の種類は」
「えー? 闇に種類なんてあるの?」
「あるわよ。三井先輩のなんか漆黒よ、きっと」
「んー......わかんない。どういうこと?」

 私の反応に彩子と水戸くんは一度目を合わせてから、その視線を一緒になって私に向けて来る。

「名前さんの知らない��空白の二年間�=v
「空白の……二年間?」
「あの闇は——深くて暗いぜ?」
「……え?」
「下手すりゃ底無しだ、な。」

 水戸くんは、私を真っ直ぐに見てから、フッと笑ったあと、静かに目を伏せた。


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