険しい道を避けておきながら
 ここでは生温いと嘆く。


『お前、そのままだと、ぬるま湯の中でしか
 生きられなくなっちまうぜ』


 そう教えてくれた��友人�≠ヘ、いまどこで
 何をしているだろうか。

 このままじゃいけないって自分に言い聞かせて
 理解したフリで目を背けているだけだ。


 俺自身に問いたい。

 本当に変わろうなんて

 お前は、思っていないんだろう?——って。





 17歳、春
― 17歳、春 ―


 俺がこいつを呼び出したのは別にやり返したいとか、おとし前をつけたいからとか、もう、そういうんじゃなくて。もっとこう、なんつーか……ガチガチに気まずくなるよりは形式上でも誤っておいた方がこれからのためにいいだろうと思ったからだ。だから全然怒ってねーし悲しくもない。だってこっちは、謝る気満々だから。

 俺が練習を終えて体育館裏に行ったとき水戸はコンクリの壁に背中を預けて、煙草吸って立っていた。しかも妙に殺気立って。そんな相手を見て俺はつい口走った。

「そういうつもりじゃねえんだよ」

 って。そしたらこう返された。「じゃあ、どういうつもりなんですか?」って。煙草を地面に、ジと押しつけながら。思わず背中に汗をかいた。これは冷や汗じゃない。違う、練習が終わって、しこたま熱かったんだよっ!

「その、きのうは……悪かった。なんか、逆に、助けられたし、な」
「……気持ちわる」
「——っ、はっ!?」

 そう言や、謹慎処分のせいで今日は学校に来なかったんだってことを、今の今まで忘れていた。べつにこんなの、処分が終わってからでもよかったんじゃねえのかなって。わざわざ桜木にこいつの家電を聞き出して呼び出すなんて、我ながら、自分のバカさにあきれる。そして私服姿の水戸はため息をつく。

「なに」
「あ?」
「謝って、ナシにしようってこと?」
「いや、そんなんじゃねぇけど……」
「じゃあ何?」
「……、」

 こいつの声って、なんか冷めてえよな。なんとなく、そう思った。温度がない。抑揚は、あるんだけどな。

「……な、なんとなくだよ」
「……」

 苦い煙草のケムリ。嫌いな匂いだ。吸ってる方より吸っちまった奴の方が被害がでかいんだぜ?わかってんのか、こら。
 消されたはずなのに充満するこの匂いは多分、こいつ自身の匂いだ。

「——不良」
「あ?」
「やめて正解だったね」
「……」
「多分、死んでたよ。」

 水戸は、そう言って笑った。額に流れる汗は、冷や汗なんかじゃない。

「んじゃ、俺帰ります」

「これからバイトなんで」なんて言いながら俺の横を通り過ぎて奴は、体育館裏から姿を消した。

「……」

�� 不良。やめて ��

�� 正解だったね ��

�� 多分、死んでたよ。��



 思った以上に、傷は深い——。


 *


 その日、天気予報は雨だった。的中して今日は雨だ。このなんともいえないこの湿気がイヤなんだよな。ジメジメしてて気持ち悪ィったらねぇ。

「……だー、くそ。傘、教室だ」

 今日は朝練が休みだったのをいいことに、傘を教室に置いてきちまう不覚。着替えも終了して、ロッカーのドアを閉めたところでそのことに気がついた。

「なんだミッチー、ずぶ濡れで帰るのか?」

 横で桜木がバッグからタオルを取り出して言う。汗だくなこいつはこのあとも基礎練習だからまだ帰れない。

「ンなわけねーだろが。取りに行くっつの」

 俺はバッグを肩にかけ「じゃーな」と、残った部員に声をかけてからロッカーを出ていく。
 ザアアアと雨の音が響く廊下。もう真っ暗だ。非常灯しかついていない夜の学校は薄気味悪い。
 三年はダリいな、上階だもんよ。一年なんか、二階だかんな。ずりい……。

「……」

 水戸とかだったらきっと、こういうとこでも、怖くねーんだろうな。

「……って、何あいつのこと考えてんだ」

 ひとり廊下でぽつりと呟く。教室の前に来ると廊下にある傘立てから暗がりの中頑張って自分の傘を見つけ出す。あれ700円もしたんだぜ、俺のビニール傘。そう簡単には失くさせねぇ。
 誘拐もされず無事だったビニール傘を手に俺は足早に生徒入り口へ向かう。雨の匂いが近づいてくる。
 生徒入り口につくと下足箱の方から男女の声が聞こえた。あー、カップルですか。ったく、うぜぇな。こんな夜遅くまで二人で何してたんだよ。想像しちゃいけない想像が脳内を占領しながらも俺は手に持っていたスニーカーをぱん、と置いて履く。ちらとカップルらしき生徒を見るとそれはずいぶんと見慣れた顔だった。

「……、水戸?」
「あー、こんにちは? 三井サン(・・・・)。」

 そう返した水戸と一緒にいた女。私服姿で茶髪で、たぶん、年上。三年にも見たことがねえツラだった。教員でもなさそうだ。年上彼女か……。
 ったく、もうセンコー臨時の奴しかいねえからって、学校に女連れ込んでんじゃねーよ。なんて脳内でひとりでつぶやいていたとき、その女が、「三井?あーはいはい三井くん。バスケ部の!」と、俺を指差して言った。人様に指を指すんじゃねえよ。俺は「あ?」と思わず顔を顰めた。女が水戸の影に隠れるようにして怯む。

「奇遇だね。なんでこっちにいるんだ?」

 水戸は体育館の方をチラと見ながらそう言う。それに対して俺は、傘を突き出した。

「傘。教室に忘れたから取りに行ってたんだよ」

 と、言った。水戸は「俺と同じだ、」と言って笑った。そして水戸は先に歩き出す。雨の匂い。俺は、この匂いがキライだ——。

「ねぇ、みっちーってどっち方面?」

 外に出ると、急に黙りこくった俺に水戸が声をかけてくる。なので俺は「あっち」とつぶやいてピッと指を差す。「わー。なまえと一緒かー」と水戸は、また笑った。水戸の女が傘を開く。

「ちょうどいいや。なまえ。みっちーに送ってもらいなよ」
「ンなっ!?」

 先を歩いていた水戸がくるっと振り向き満面の笑みで俺と彼女に向かってそう言った。俺が驚きのあまり声を出すも彼女は特に気にする素振りも見せずにニコニコと笑っている。な、なんだよ、この二人のテンション。つかおまえ、だれだよ?「彼女です」くらい言いやがれってんだ。

「お、おい水戸!」

 慌てている俺に反して彼女はやっぱり「えー」とか言いながらも特に動揺しているわけでも嫌がるわけでもなかった。

「いいじゃん、もう暗いし。雨降ってて視界悪いし危ないから」
「んなこと言ったって……」

 水戸も傘を開きながら俺の方を見る。俺は舌を打ち鳴らして、とりあえず傘を開いた。

「ほんじゃあ、よろしくお願いしマス」

 水戸がそう言って俺たちは三人で校外を歩く。
 ええ……どうすっかな。しゃべることねえよ。しかも年上。んでもって今気付いたけど二の腕にけっこうがっつりと墨入ってんぞ、この女。あ、今の時代はタトゥーつうのか?まぁ、どっちでもいいか。てか、こえーって。鉄男らとつるんでた俺が何を言うかってな。いや、でも……なあ?

「なまえ、やっぱり今日の夕飯オムレツにして」
「え、ライスの方じゃなくて?」
「うん、レツ。なんかそんな気分」

 降りしきる雨の中、江ノ電に左から、俺、女、水戸の順で座席に座る。しゃべる事なんてないし第一カップルの会話に割って入れるほどの度胸は持ち合わせちゃいない。混んでるわけでもないしちょっとくらい間隔をあけて座ったって責められやしないだろと思ってほんのすこし水戸の女との間をあけた。そもそも、びったりくっつけるわけねえしな。水戸は足を組んで絶えず彼女に笑顔を向けていた。コイツこんなに笑う奴だったのか。俺と会うときは、あんなに殺気立ってるくせに。えー、なんかむかつく。
 いや、待て。彼女と男友達だぞ?態度が違って当然じゃね?いや、待て待て、男友達?俺らって友達か?しかも夕飯のメニューで盛り上がってるしな。お前ら同棲でもしてんのかよ。なんてな。

 しばらくすると、水戸はすくっと立ち上がり、見た事もないような爽やかな笑顔で「じゃーね、頼んだよみっちー」なんて手を振って、江ノ電を降りて行った。へぇアイツもやっぱ彼女の前ではとことん猫かぶりしてんのな。

「……」
「……」

 予想した通り水戸が消えた瞬間に静まる空気。あったりめーだろ、話すことなんかねえよ。つか水戸って、そんなにいいか?あいつのために夕飯作ってやんの?あいつっていつもあんなに笑ってる?思いつく言葉は、どうでもいい内容ばかり。ああどうせバカだよ。現文できねえよ。頭をぐるぐる使わせてるうちに隣で女が「あのさ」と俺を覗き込んだ。身長、もしくは座高のせいかもしれないが、上目づかいだったからかなりびびった。

「え、あ、おう……いや、ハイ。」

 俺は、急に声をかけられて驚いたのもあって、ちょっと吃ってしまう。我ながらダッセウケる。
 てか、よく見たら結構なんつーか、水戸の好きそうな顔をしてるな、とか思った。まぁアイツの好きなタイプなんざ知らんけど。

「私、ここで降りるね」

 彼女は申し訳なさそうな笑い方をして俺に軽く会釈をしながら立ち上がる。待て待て……そんな気ィ遣わなくていいんだって。気づくと俺は傘とスポーツバックを背負って改札を出ていた。
 江ノ電を降りるときにうしろで「え、大丈夫だよっ!」なんて声が聞こえた気がする。空耳かもしれねえけど。そして彼女もあわてて改札を出てきた。

「あの、なんかゴメンね?」

 俺は700円のビニール傘を広げながら「いーすよ別に」とかちょっとだけぶっきらぼうに言う。
 そして傘を広げて思った。あれ?これ、ちっさくね? って。ったく、間違えて持って来たか。暗かったしなあ、校舎……とか思いながら、ふと隣を見ると横で水戸の女がくすくすと忍び笑いをかましていた。

「あ?なんか、ついてっか?あ。いや……ついてマスカ?」
「いや別に。てか、敬語使わなくていいよ?」
「あ、ああ。……ハイ。」
「ぶっ。」
「おま、こらえすぎだろ!」
「だ、だって〜」

 俺が、気持ちいいくらいのノリツッコミで声をかけると耐えかねたように彼女が笑い出す。

「三井くん、その傘、ちっちゃくね?」

 水戸の写し絵みてえなノリの口調で中腰になりながら俺を指差す彼女。もう、まるで水戸。水戸本人。なんだこのクローンは、って言いたくなるほどの。

「三井くんガタイいいしねえ」
「……」
「ふつうの傘じゃ肩濡れちゃうんじゃないかな〜って思ったら、おっかしくて」

 もはや、ひとりでツボっている彼女をジト目で見てから仕方なく誰のかも知れないビニール傘を持つと、隣で彼女も傘を広げて雨足の弱まりつつある夜の街へ足を踏み出した。横で彼女は、まだひーひー言いながら笑っている。「ちくしょー」とか、ぼやくことしか出来ない俺。そういえば、隣に女を連れて歩くなんて、高校生になってから初めてかもしんねぇな、とか、ふと思った。

 道行く人に訊いてみたい。変な意味じゃなくて俺達って今、どんな目で見られてますか?って。


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