『受け入れるだけ、認めるだけが
 優しさじゃないよ』

『どんなに乱暴なやり方でも
 正してくれた人たちに感謝して生きていく事』

『だって、どんなに考えたって
 他人の心は読めないし思い通りにはならないし
 納得してなきゃ何ひとつ響かないし』

『だったらもう、泣いたって落ち込んだって
 君の思うままに進むしかないでしょう? 』


 遠い過去——高校三年生の俺に向かって
 元婚約者と同じ名前の彼女は、
 野球中継をBGMに、そう言っていた。





 *


 水戸くんは高校時代にあったそんな話を思い出に浸るみたいに、そして優し気に話してくれた。
 彩子はずっとうなずきながら、納得したようにウンウンと黙って、その話を聞いていた。私は、どう反応をしたらよいのかわからなかった。仮に人間に陰と陽があるのならば寿は絶対に��陽�≠フほうの人種だと、勝手に思い込んでいたから。
 たしかに陵南戦の後、そんな時期があった話は自らしてくれた。けれどあのとき話していた内容は「後悔している」と言うそういった話だった。一人で悩んで過去の過ちに後悔をして苦しかっただけだと思っていた。あの日——彼の頭を思わず抱きしめた、けど……水戸くんの親戚のお姉さんのようにもっと何か気の利く言葉をかけてあげたらよかったのかな。今となっては、わからない。

「水戸くん……」
「ん?」
「わたしね、バスケから離れてたって聞いたの、陵南戦のあとだったの」
「うん」
「でも、わたし——抱きしめてあげることしか、出来なかった」
「……」

 私は目の前のグラスを両手で包んでぐっと力を込めた。

「なにかもっと、気の利いた言葉をかけてあげるべきだったのかな……」

 私がぐすっと鼻をすする音が、なぜかその場にこだまする。彩子が横で、小さく溜め息をはいたあと、自身のグラスに口をつけた仕草が、横目に見える。

「いや?」

 水戸くんの声に私が思わず顔を上げると彩子も飲んでいたグラスを置き水戸くんのほうを見た。

「名前さんの役目はそれでいいんだと思うぜ」
「……」
「あの闇を取っ払うのは多分……」
「……」
「後にも先にも名前さんしかいないからな」

 押し黙る私の横で彩子が「そうね」と優しげに言った。

「どんな言葉を並べられてもさ、一度だけぎゅっと抱きしめて受け止めてもらうって特効薬に敵うモンはねえよ」
「……」
「みっちーはそれを名前さんに求めてるはずだぜ?」
「え……」
「みっちーにとっての特効薬って過去にも先にも名前さんだけ、だろ?」

 私から視線を解いて目を伏せた水戸くんが煙草に火をつけた。カチャというライターの音が平日でお客さんの少ない店内に、やたらと響き渡る。
 大人になってから、ここでみんなと会うようになって、元バスケ部員や、現役バスケットマンの前では一切煙草を吸わない水戸くん。水戸くんはフーと換気口のほうをめがけて息を吐いたあと、言った。

「俺なんか、とか。俺じゃダメだ、とかさ」
「……」
「そこにハマったらあの人、きっと抜けらんなくなるぜ。急がねえと、手遅れになるぞ」

 水戸くんは、真っ直ぐに私を見据える。私は、ゴクンと生唾を呑んだ。

「救ってやんな、名前さんが。」

 ややあった沈黙のあと、私がガタン……と席を立ったとき、彩子がぽつりと言った。

「今日は私のおごり」
「——えっ?」
「早く帰りなさい、未来の旦那さんの元に。」

 手をヒラヒラと振った彩子に面食らって「ごちそうさま」と言い置いた私が、水戸くんを見る。

「ありがとうございましたっ」

 水戸くんは、やや目を細めて、やっぱり昔から変わらない優しそうな顔をして、そう言った。


 *


 マンションに帰ると、リビングの電気がついていた。テレビをつけたままで彼がソファで眠っている。私はリモコンでテレビを消した。そして、意を決しソファの前にしゃがみ込み彼を揺する。

「……んっ、」
「おはよ、寿」

 目を擦りながら体を起こした彼にそう言えば、相手はまだ半分夢の中なのか、あたりを見渡している。そして、その視線が私に落とし込まれた。

「おう……帰ってきてたのか」
「うん。いまさっきね」
「そうか……おかえり」
「ただいま」

 けれど彼はすぐにすくっとソファから立ち上がって、冷蔵庫に向かってしまった。その姿を目で追った私に気付いた彼が冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出したあと、私を見ながら言う。

「あ? なんだよ?」
「う、ううん……」

 私は言い淀んでそのままソファに腰をかけた。チラと相手を盗み見れば、スウェットのポケットから携帯を取り出しキッチンテーブルに腰をあずけて携帯の画面を眺めている。キッチンの電気をつけていないからか、彼の顔が携帯電話の液晶のライトでぼんやりと照らされていた。

「寿、」
「ん?」

 しっかりと返事は返してくれるものの、視線は携帯電話に落とし込まれたままだ。それを寂しく思いつつも、私はめげずに言葉を続ける。

「今週の金曜日、さぁ?」
「ああ」
「……クリスマスイブ、」
「……」

 シン——と静まり返る室内。彼の携帯電話から聞こえてくる動画の音だけが、小さくも虚しく、ふたりだけの空間に響き渡っている。

「どっか、行く? ご飯とか」
「……」
「わたし、仕事だから……夜ご飯でも、さ——」
「いい、別に。」

 私の言葉を遮るように彼の低い声が室内にこだました。まさか即答で断られるとは夢にも思っていなかった私は、膝の上においていた手を握って拳を作る。

「でも、冬休みだよね?練習……日中で終わるんじゃないの?」
「ああ」
「……、」

 いや、ああ、って……。ああ、ってさ。それ、その先に——なんて言葉を繋げればいいわけ?

「——仕事、」

 思わず強い口調で責め立てそうになったとき、彼の声が聞こえてきて、反射的にキッチンの方を見れば、携帯をポケットにしまいこんでミネラルウォーターを冷蔵庫に戻す彼の姿が目に入った。

「頑張れよ。」

 私に背を向けたままで、彼はそう言い置いた。次いで「俺、風呂入ってくるぞ」と言いさっさと脱衣所へ行ってしまった同居人。

「……。」

 ああ、わたしたち……本気でもう、終わったのかも知れない。
 水戸くんごめん。せっかくアドバイスをくれたのにね。もう手遅れかも知れないよ。私たちまた高校生の頃のように、同じ事を繰り返している。


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