≪Chapter 10≫
明日死ぬのなら君とがいい
願いがひとつ叶うたびに
幸せになれると思っていた。
でも、いくつ手にいれたって変わらずに
生きるのはつらい。
なんでこんな気持ちになるのか
自分でも分からないんだよ。
一緒にいるのに、そばにいるのに。
さみしい、くるしい
とおい、たりない、
うめられない——。
*
藤真さんと最後のドライブをした日は、朝からずっと雨だった。
その日の夜も窓の外では雨音が激しく窓を叩いていて、このまま翌日になってもきっと雨は止まないだろうと思いながら眠りについた。次に目を覚ますと空は快晴。雲ひとつない青空だった。
今日は久しぶりに予定のない休日だったこともあり、身支度を整えた私は昼過ぎにマンションを出た。ふらっと立ち寄ったのは近くの海。すでに雨が乾いているコンクリの上に腰を下ろし、ただ茫然と目の前に広がる海を眺めていた。
——ヴォン、ヴォォォ……
ふと背後から大きなバイクの音が聞こえたので反射的に振り返ってみる。黒革のライダースに、デニムと、革のブーツに身を包んだシルエットがある。目を凝らして見れば、その人物がバイクのエンジンを止めたのか、けたたましく鳴っていたエンジン音が、ピタリと止んだ。バイクから降り立ち、ヘルメットを取っ払ったその影がこちらに向かって歩いてくる。
「あ。」
と思わず間の抜けた声が漏れてしまった。私はコンクリからすくっと立ち上がる。その相手は、ずいぶんと見知った人物だった。
「……水戸くん?」
予想は的中。相手はあの水戸くんだった。彼はデニムのポケットに両手を突っ込んで少し猫背に背中を丸くしながら「どーもっ」と言う。私は、彼が向こうに停めて来たであろう大型バイクを、じっと見つめながら「水戸くん」と問いかける。
「はい?」
「あれ、なに?」
水戸くんは「え?」と言って私の見ている方を振り向いた。そうしてその視線をすぐに私の方に戻してから答える。
「えっ?なにって、バイク?」
「それは見りゃわかるよ!なんて名前の?」
「ああ、ハーレー?」
「うわぁ〜!ハーレー!?」
「そー、ハーレーダビッドソン」
「すごーい!やっぱ水戸くん、大型バイクの免許持ってたんだぁ!かっこいい〜」
「あー、でも仕事んときは原チャだけどなー」
水戸くんはなぜか謙遜気味にそう言って困ったような顔をした。見られたらなにかまずい事でもあったのかな?というような表情で。
もしかするとこのバイクに乗っている時だけは唯一羽を伸ばせる瞬間なのかもしれない。例えば外車に乗っている時のあの、藤真さんのように。ならば彼もあまりこれ以上は、深く詮索されたくないだろうと思った私は「あんな立派なの見たらもう昔から見慣れてた水戸くんの原チャリ姿想像できないんですけどー」とまるで独り言のように言いながらまた海の方に体を向け、先ほど座っていたコンクリの上に腰をおろした。水戸くんは、私の背後に立ったまま海を眺めていたけれど彼が気を遣ってくれていることに気づいた私の方から「おとなりどーぞ?」と手を返して促した。水戸くんはきょとんとしたあと、眉を下げて「ハハ。じゃあ、おじゃまします」と、遠慮がちに添えてから私の隣に座った。
「よく私ってわかったねえ」
感心したように言うと水戸くんは「まーね」と軽い感じで返してくる。水戸くんは、昔からそうだった。ちょっとだけ、心細いときとか、誰かにただそばにいてほしいなぁなんて思っているときとか、彼は、いつもふらっと現れて、すっと懐に忍び込んでくる。それが決して、不快なんかじゃなくて、むしろ居心地がいいのだから驚かされてしまう。
「で?」
「な、なに……?」
「何があったんだー?今度は。真昼間から、海でひとり、黄昏れてるなんてさ」
彼のその目敏くも鋭い指摘に私は押し黙って、溜め息を吐きながら目を瞑った。ややあってから閉じていた瞼を持ち上げゆっくりとぽつりぽつり言葉を紡ぐ。
「実はこのあいだ、ね?新宿で。偶然藤真さんに会ったの。久しぶりに」
「うん?」
「で、藤真さんと、ラブホテル……入ってさ」
「はい?」
水戸くんが珍しく素っ頓狂な声を出す。驚いているんだか引いているんだか、呆れているんだかよくわからないような表情で私を見やる。あたり前に気まずくて、私は咄嗟に目を逸らした。
「あ、いや。飲んだの、少しだけ。その帰り道に連れていかれたって言うか流されたって言うか」
「……」
「ハッ、としてね?急いで帰って……それで、」
「みっちーか」
「う、うん。」
水戸くんは溜め息と共に「なるほど」と零してから、またゆっくりと視線を海の方へと戻した。
「はじめは、何でホテル行くんだろう?みたいな感じで、思考が追っつかなくてね」
「はいはい、名前さんらしー天然なやつな?」
「うぐ……。んで、泣きながらリョータくんに、電話しちゃって」
「そこでまさかの宮城さんか」
「通話の途中で、電源切れて、寿に伝達されて」
「だろーねぇ」
「そしたらなんか駅に寿が迎えに来てて、助けてくれて、そのあと……」
急に隣で私が黙ったからか水戸くんが一度私のほうを見た仕草が目の端に映る。なんだか突然、泣きたくなってきて、私は下唇を噛んで俯いた。
「なにが、あったんだ?」
「……っ」
「言いたくないなら、無理には聞かねーよ?」
そのまま少しの沈黙が流れる。私は、俯かせていた顔をあげ、地平線の彼方へと視線を投げる。
こんな話、水戸くんに言って、どうするつもりなんだろう。そんなことを思いながらも私は口を開いた。
「私ね、自分のこと嫌いなの。どうでもいいって思ってる」
「……」
「でも、こういう人間だけが、人を守れるんじゃないかなっても思ってたの」
ぽつりぽつり一字一句しっかりと水戸くんにも伝わるようにと話す私の言葉を水戸くんは真横で黙って聞いてくれていた。
波の音がとても心地良い。そのとき一瞬だけ、ザザと波の音が大きくなった。その波音と重なるように水戸くんが「——いや、」と、つぶやく。
「誰かを守りたいって思ってる人間が、実は一番弱いんじゃねーのかな」
「え?」
「違う? 違うかな?」
「……」
「だってさ、自分は絶対に自分のこと裏切らないだろ?」
「……」
「でも人って裏切るよ。どうすんの?もし自分の守りたいと思ってる人に裏切られたら」
「……いい。それでもその人を守れたら、それでいい」
「ふうん……」
水戸くんも海の向こうを見据える。きっといまここにタバコがあったら、ふぅーとふかしているような横顔で。
「……水戸くんは、さぁ」
「うん?」
それでも水戸くんはいつもと変わらぬ様子で、下手に説教したり怒ったりすることもなく、軽く相槌を返してくれる。それが私にとってはいつも本当にありがたかった。もちろん今この瞬間も。
「苦しいのが気持ちいいって、思った事ある?」
「——え?」
水戸くんが少し大きな声をあげた。彼は、今度こそ驚いた表情で、顔を顰めて私を見やる。返す言葉を失ってしまったふうな彼を置き去りに私は自嘲するようにつぶやいた。
「……おかしいよね。」
私は背中を丸くする。水戸くんは何も言い返してこない。それでも私を見るのはやめたのかまた視線を正面の海に向けたのが目の端に映り込む。
「わたし……自分がわかんなくなった。寿に何をされても、許す自分がいるの」
「……」
「人としてダメだよねって事でも、なんか、許しちゃって……」
「……」
「おかしいのはわかってんの。寿が実は怖い面を持っているってことも……知ってる」
「怖い面……か。」
「でもダメなの、本人に会うと……どうでもよくなっちゃう。ねえ水戸くん。これってさぁ……」
「……、」
「好き、ってことなのかな?」
私は、真っ直ぐに水戸くんを見据えた。言葉に詰まったまま押し黙る水戸くんと正面からしっかりと目が合った。彼はすこし考えるみたいにして「それは、違うと思うぞ」と言い、そっと私から視線を逸らした。
「好きでも嫌いでもダメなとこを許すのはただの甘やかしだ」
「……」
「だから我儘に育つんだよ、そういうのってさ」
「……そうなの、かな」
「うん。怖くても、言わなきゃダメだろ。それが相手を思いやるってことだろ?」
「……」
「許すことだけが優しさじゃない。ひたすら許すことの方が、かえって残酷だ」
私は前を向いて小さく肯く。そして潤んでいた目をこすり「ありがとう」と、つぶやいた。そのまま立ち上がり「んーっ!」と声に出して両手を空いっぱいに伸ばし、一度深く、深呼吸をする。
「やっぱ最後は水戸くんかあ〜」
「え、なにその勝手な役柄設定。勘弁してよー」
「だって〜その通りなんだもん。ほんと、いつもありがとうね、水戸くん」
「ハハハ、いーえ。いーっつも、お店に貢献してもらってますんでっ」
気がつくと私は笑っていた。水戸くんもほっとしたように浅く息を吐いたあと、笑ってくれた。このまま今日は晴れてくれたらいいなぁ、なんてのんびりと、そんなことを思った。
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