気がつくと、考えている。もしもあの時、違う道を選んでいたとしたら。もしもあの人と会っていなければ。もしもあのとき、あの場所に行っていなければ。
もしも明日……この世が、終わるとしたら——その瞬間にも私は『もしも』を考え続けているのだろうか。
関わりたがったのは、私。だから突き放すのも私、なんだよね——。
*
今朝、ディズニープリンセスみたいな女子生徒が朝からニコニコしながら『毎日が楽しい!』と言っていた。
元気をもらえたような気もするし吸い取られたような気もする。
「さあ〜、中間考査のお帰りだ!今から名前呼ぶ奴はこれから二週間たっぷり補習あるからな!」
高校に入って一発目の中間考査。まさか赤点を取るわけないじゃない。一発目だよ?一番、簡単なんだよ?たぶん……。
「桜木、水戸、名字!以上三名は放課後大会議室に来るように!」
……はい?
どうも今日は調子が悪いな。いや、いつもだ、私の調子の悪さなんて。また、今日も——厄日。
「やっだぁ、狙ったァ〜?」
「ちょっと、聞こえるって」
斜め後ろから聞こえてくるどこぞの女子のカラカラと甲高く笑う声。あのさぁ、常識的に考えてよね?狙う馬鹿が、いるかっての!と、言うか。第一、どうして私が赤点?どの教科だよ!!このやろう!
「ちなみに桜木が7つ、水戸2つ、名字3つ」
——で、洋平くんの方が少ないというね……。「じゃあHR終わり。号令ー」という先生の声に続いて「きりーつ!」という日直の声が教室内に響く。今日も担任のダルダルなHRが終わった。つまり、この後は補習という安定の流れなのだ。
「……ありえない」
思わず、そんな王道の言葉を吐く。ふと教室を見渡すと桜木くんも洋平くんも、もう、とっくにいなかった。ほんと、ちょこまかと動き回る人達だよ、まったく。
「名前」
教室を出ようとしたとき、普段から普通に声をかけてくれるクラスメイトが、話しかけて来た。チラチラと辺りの様子を伺っている仕草を見れば私を目の敵にしている連中から見られないかと、心配しているのだとすぐに察した。いいのにな、気を遣って声をかけてくれなくても。
「あの二人と一緒に補習とか……平気?」
「え?ああ……平気だよ?先生もいるしね」
私は笑い、Vサインを出す。彼女はそうだね、と言って微笑んだ。この子はきっと、いずれ洋平くんや桜木くんと仲良くなれると思う。優しいし気が利くし。でも、クラスの空気がこれだから、私からは気軽に話せない。彼らを理解してくれそうな希望というか、可能性を潰すなんて、本当に酷い話だ。あの女どもに言ってるんだよ、ふん。
「じゃあね!声かけてくれてありがとう」
「うん!頑張ってね」
お互いに手を振って、そこでお別れをした。
何となく重い足取りで、大会議室へと向かう。
「……」
ほぼ毎日一人なんて。私の夢見た花の女子高生生活は何処へ……そもそも帰宅部だしなぁ、私。今までだって洋平くんくらいしか放課後のつるみ相手はいなかったから。軍団は、女・遊びより、桜木くんって感じだし。
彼ら、いい人たちだけど超仲良しってほどでもないし。だからかな、隣に誰もいない事は、別に珍しくもなんともないけど、なんでかな。柄にもなく、さみしいだなんて思う自分が変だなって。
「……マジかぁ」
思わず自身へこぼれた笑み。独り言——なんて気持ち悪い奴。痛い奴。ごめん。いや誰に謝ってるんだろ。今日はおかしいな。なんでこんなにも情緒不安定なんだろう。あ、そろそろ月のものが来る予兆?
ひとりでばりばりと思考をはりめぐらせていたそんなとき。階段を一段、一段と、降りていた、そんなとき。私を追い抜く、長身の影。見覚えのあるガタイ。「あ」と思わず声に出した。すると「ん?」と、目の前の男も振り返った。
「……」
「……」
自分はどこまでアホなんだろうか。自分から、声を掛けるとは。うん、私、病んでるんだなっ!
「てめ……なんで声掛けた、今。」
「え、や、あの……条件反射と言いますか」
「いや違うな。それにわざわざ反応した俺がいい奴すぎるだけか……はぁ〜あ。」
「……。」
この人ちょっとやばいかもって思いながらも、お互い自分達のアホさ加減にとりあえず呆れる。
階段を降りるのをやめ、私と三井先輩は、その場で軽く会話する。私のほうが高い所にいるので私を見上げる長身の三井先輩がなんだか不自然でおかしかった。
「水戸ならまだ体育館にいなかったぜ」
「はっ?何が」
「あ?探してたんじゃねーの?」
「か、関係ないじゃん」
いきなり核心に触れるもんだから、もうこの際ぶっ飛ばしてやりたい。こんちくしょうが!三井先ぱ——もう、三井でいいだろ、こんなヤツは!
そして��こんなヤツ�≠ヘ「おぅおぅ、タメ口かテメー」と目を細めて笑っていた。……なんか、大丈夫なのかな、この人まじで。あの、一個上の先輩は、こんなヤツのどこがいいんだろうか。
『 あーあ、ムカつく 』
不意に——。洋平くんがさらりと言った言葉が脳裏をよぎる。今ならなんとなくわかる。きっと洋平くんみたいなタイプは一番嫌いそうだ、三井のようなタイプの人間を。
そういやこの人って洋平くんと喧嘩した仲なんだよね?実際に、手合せしたのかは不明だけど。
「あんたこそもう懲りたの、暴力キチガイ男。」
「あンだと!?つか声でけーし! もうとっくに更生してっし!」
「うるさいな、暴力キチガイロン毛さらさら男」
「うるせえ水戸信者」
「はぁ!?さっさと部活行きやがれ、バーカ!」
「ああ行くよ!行ってやるよバーカ!勝手に悲劇のヒロイン演じてろバーカ!」
「私は正真正銘、被害者なんだよバカヤロー!」
なんかもう最後の方はただの低レベルな怒鳴り合いだったけどとりあえず三井は舌打ちしながら階段を降りて行った。
何なの、あの人。いきなし傷口抉りやがって!ほんっと、ありえない!あのクソ野郎!
「くっそー、なんだよもう……」
階段を行き交う人たちの視線なんか、もう開き直ってやる。私は三井に追いつく事がないようにため息を吐きつつまたゆっくりと歩みを進めた。
——ば し ゃ っ!
「え——?」
え?……ちょっと、ごめん。意味分かんない。
階段を登り始めた瞬間に、鼻に付く液体が降り注ぎ、耳に付く意地の悪い高笑い。どうやら私はまた何かを、ぶっかけられたらしい。
「あっはははは!」
「今度はプールの水だから安心しなぁー!」
努力っていうのは宝くじみたいな物だと思う。買っても当たるかわからないけれど、買わなきゃ当たらないっていう概念と同じで。
でも、買っても買っても当たらないなら、いつ諦める?必死に努力しても当たるどころか、マイナスで返還されてくるばっかりだったら?だめ、ほらまた、行き止まりだ。
「水戸洋平以外にも、校内に男いたんだー?」
「しかも、人のモノ♡まじ、いい趣味してるわ」
「何してんのー?ヤリマン。大会議室に行くんでしょー?」
「あの二人に レ・イ・プ されにっ!」
きゃははは!と、また笑う女子二人組。思わず体が震え出す。70億に、ただ一つの奇跡だって?だったら私、出会いたくなんてなかったよ——。
「いい感じに透けたでしょ〜?下着が♡」
ポタポタと滴り落ちる、季節外れの液体。塩素入りの、乾いたらベタつく液体。よく持ってきたもんだよ。感心するよ、もう……感動するって。
「なに黙ってんだよ!」
「つか震えてなーい?」
腕が震える。全身が震える。内側から込み上げる何かを、押さえ込む術を誰か、私に——。
「今さら泣いたって、もう遅いからねー?」
「うちら、ちゃーんと注意したんだから!」
手にした鞄を、声がする真上へ勢いよく放る。
「ぎゃっ!」とか「キャー!」とか馬鹿丸出しの奇声に、思わず顔が歪んだ。
私が放り投げた鞄は見事に片っ方の一人に命中したらしく「大丈夫!?」と当たらなかったもう片方に、心配されていた。ざまーみろ。
「てめえ、ヤリマン!……何考えてんだよ!」
そんな台詞と共に、液体が入っていたであろうそのバケツが降ってきた。私は、そのバケツを間一髪で躱す。まぁ、私の身体能力なんかじゃあ、やっぱり格好なんて、つかなかったけど。
「あーあ、マジ痛〜いっ!」
「ほんと、手癖悪すぎじゃなーい?アイツ」
私がもしもあのとき、水戸洋平に会わなかったなら。あのタイミングで、洋平くんに声をかけなかったら。不自然な笑顔が気にならなかったら。怪我を、しなかったら。『かまってほしいんじゃないの?』なんて……言わなかったなら——。
「……っ」
私はきっと裏のない彼氏との楽しい付き合いを。クラスのみんなとも仲良しに。訳の分からない、嫌がらせなんかを受けることもなく……きっと、楽しく輝かしい花の女子高校生生活を送っていたんだろうな。抑えきれず涙が、止まらなかった。
「……っ、意味わかんねーよ!バーカ!死ね!」
遂に泣き出した私に鞄が当たらなかった女子は少し焦ったようにそう言い放ち鞄が当たった方の相方を抱えて、小走りで消えて行った。
「……」
私は最悪。全てを、あの人のせいにしている。
起こった、すべての不幸を——。
鞄を拾い大会議室へ向かう。今いた階段を上がった階の突き当たり、そこに例の教室はあった。扉を開けると、無人。中には誰もいなかった。
薄暗くて涼しい、そして、広い。そんな場所に薄気味悪さを感じた。私はわざと。一番後ろの、黒板から遠い遠い席に腰を掛ける。
濡れた服がへばり付いて気持ち悪い。耳に残る女子たちの笑い声。瞼の裏に張り付く見たことのない、優しかったはずの彼氏の姿。あなたたちは私をいったい、どうしたいの?
——ガ ラ ッ
「……!」
勢いよく開く大会議室の重い扉。顔を上げるとそこには予想した、例の彼の姿があった。どうせなら、三井に来て欲しかったよ。
「……マジかよ」
ちゃんと見なくたって、わかった。入ってきた彼は息が切れていた。私はそんな彼の姿を初めて見た。いつも涼しい顔をして汗だって一滴もかかない。いつだって、そんなイメージが、先走ってばかりだったから。
「——わっ」
走り寄って来た彼——水戸洋平に、いきなり、抱きすくめられる。私の頭の中は一気にパニック状態に陥る。同時にドクドクと心臓が音を立てて加速する。
「は……?」
——待って? おかしいよ。何これ?
「階段、濡れてん……」
「……」
「——ってか………………もう、無理だ。」
甘い、恋愛脳が生えそうだ。こんな状況下で。初めて聞いた、絞り出すような、その声が——。
「もう、無理。」
そう、何度も何度も洋平くんは繰り返す。痛いよ……彼氏に付けられた痕が、洋平くんの腕が、体が、頭が、心臓が——。
「俺、おかしいよ……」
私を離すと、洋平くんはそう呟いた。まるで、ただの、十五歳のように——。
洋平くんは、私をじっと見つめた。滲む視界が捕らえた彼の瞳が、綺麗だなぁと、思った。
「……もっと」
洋平くんは、私の頬を両手で包みながら——
「もっと、俺のために………………泣いてよ。」
そう、言った。
そして、自嘲するように——笑ったんだ。
「……! やだっ!」
手を放してもらえない。頬を離れたその腕は、私の両腕を掴んで放さない。嫌な、予感がする。透けた私のYシャツ。そんなものに今更この人が欲情なんか、するのだろうか。
今までだって何度もこんな姿を晒していた気がする。それなのに?
ねえ、誰か——。夢だよって、言ってよ。
空白も慟哭も、ぜんぶ
愛しい
。
(きみのためなら死ねると思う。)
※ image song『 あなたに出会わなければ/Aimer 』
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