見つめ合って固まっている、俺と水戸の姉弟。ややあって我に返ると、俺はもう一度、目をぱちくりと瞬かせた。
「——ウソ」
「……は?」
「親戚なの。洋平の世話してたのって、ほとんど私の両親だったからねー」
「……」
「私の親、お店やってんの。今度みんなで食べに来てね」
言いながら彼女は、俺に麦茶の入ったコップを手渡す。そして自分の家で寛ぐみたいにして床に寝転んだ。オッサンみたいにリモコンでテレビをつけて、野球中継を見始める彼女。立ち尽くしている俺をチラと一瞥しただけで彼女の視線はまたテレビへと向けられた。テレビからは『ツーアウト満塁です!』という野球の実況アナウンサーの声が、微かにここまで聞こえてくる。
「——洋平さ。」
オッサンみたいな体勢のまま、彼女が視線を、テレビに向けたまま、ぽつぽつと話し出した。
「あの子、いろいろと家庭環境が複雑でね」
「……」
「すっごい荒れてたの、中二?の頃だったかなー一番ひどかったときは」
彼女が起き上がってあぐらをかく。しかし視線は、テレビに向けられたままだった。俺も未だ、その場に立ち尽くしたままでいた。
「中三の時かな。花道に会えてなかったら洋平」
「……」
「自殺、してたかもしんない」
「え……」
「それくらい、あいつの存在は大きんだよ。あの子にとって」
「……、」
『 もうバスケ部には関わらないと言え 』
『 この体育館には二度と来ないと言え 』
ああ、なるほどな……だから、あんなに——。俺は気づけば、なぜか奥歯を喰いしばっていた。自然と拳を握る、自身の両手。手に汗が滲む。
「体育館での暴行事件?三井くんを恨んでるとかそーいうんじゃないからね?」
俺は、喰いしばっていた歯を、握っていた拳を自然と緩めて微かに眉間に皺を寄せたまま彼女の方を見やる。
「花道の居場所」
「……」
「奴のバスケットって居場所を守りたかっただけだと思うの」
「——、」
あの日の情景や、あいつから言われたすべての言葉、殴られた痛みが一気に蘇って来て俺は目を細めた。今もあの時のことを思い出すと痛む傷の癒やし方を、俺はまだ知らない。
「だから今回はその相手が偶然、三井くんだったってだけ」
「……」
「相手が誰でも同じ事してたから。あの子たちの場合」
そのまましばらく沈黙が続いた。テレビからは『ホームラーン!』と言うアナウンサーの甲高い声が、虚しくも狭い室内に響き渡っている。
「あの子さ、多分ね。これは私の勘なんだけど」
「……」
「純粋で真っ直ぐで、きれいなもの……苦手なんだろうなぁって」
「……は?」
「三井くん、��そっち側�≠フ人でしょ?」
「………、——いや。」
はっきりと否定をした俺に彼女は驚いたのか、無意識か、すこしだけ目を見開かせていた。
部活に復帰してから部員たちを見ていて思う。そんな柄じゃねえけど、どうして俺たちは出会ったのかなって。対立するため?それとも、分かり合うため? ああ……、目の前に、夏が近づく。
「……俺は、荒んでる。真っ黒に。」
「……」
「汚ねえ——もう……昔みたいに戻れねえのかもって」
「……」
「思ったりしてる。」
『九回サヨナラホームランです!!』というアナウンサーの声に、なぜか思わず二人してテレビのほうに視線を向けた。
「すっごいねー。サヨナラホームランだって」
「ああ、みたいだな」
「こーいう世界にいるんでしょう? 花道も……三井くんも」
「え……」
彼女はあぐらをかいたまま、テレビを指差してそんな事を飄々と言ってのける。やっぱり何処となく、水戸に似てるなぁ、なんて思った。
「ちょっとくらいねぇー、陰があったほうが男はかっこいいから」
「……」
「いつか分かるよ、あんな道を歩いたのも自分の人生に必要だったんだって」
「……」
「陰がある人って、魅力的だよ?人間らしくて」
「……」
「ほらー、花道みたいな感じにさっ!」
ニッと笑った顔にやっぱり何だか水戸の面影を感じた。アイツのこんなツラなんて、見たこともないくせに——。
「いやぁ……」
「ん?」
俺は後頭部に手を当てて顔をそむける。テレビからは満塁サヨナラホームランを打った選手が、お立ち台に立って、インタビューをしている声が聞こえてくる。
「あのバカと一緒にされんのは……ヤダわ。」
きょとんとしたあと彼女はハハハ!と笑って、「たしかに!」と言い、うんうんと何度も頷いていた。
人生って面白い。もっとも辛い痛みが最後には強さに変わるんだからな。
水戸、俺は——。あの日の事を、感謝すらしてるんだぜ。きっとお前にとっちゃあそんなのどうでもいいことかも知れないけど。でも本当に感謝してる。ありがとうな、俺を、成敗してくれて。
*
アパートの階段を降りている時、背中にさあっと走った悪寒。階段を降りたところに、アイツがいた。そう……さっきの部屋の主。水戸洋平が、この雨の中、傘もささずに、静かに立っていた。
「……」
「……」
コイツ、いつからいたんだ——。カン、カン。階段を降りる音がアイツへと近づく。俺は階段をくだりきる。地面の浅い水たまりにスニーカーがぱしゃん、と音を立てて着地する。奴の横を通り過ぎた時ポケットに手を突っ込んだまま水戸は、くるりとこちらへ上半身だけ向けた。微笑んだ、表情で。
「ずいぶん時間かかったねー、送るの」
俺も反射的に足を止めて振り返る。変わる事で生まれる不安、変わらない事でつきまとう不満。
なぁ、お前は俺にどうして欲しいんだよ?俺に何が、できるんだ?
「え、や、これは……スーパーに寄らされて」
よし——これは、嘘じゃない。嘘じゃねーぞ、これは、まごうことなき真実だ。
「ふーん。うっそくせーなぁ」
「おまっ、先輩のいうことくらい信じろよ」
「ははは」
笑う水戸をよそに、俺はなぜか俯く。こいつの声といえば笑ってるわりには、それはまた温度のない声で。さっきの彼女や、桜木たちと喋るときなんかより百度くらい冷たい声で。今は瞳にすら温度がない気がする。
俺は持っていた傘を開こうと正面に向き直って傘を前に翳す。
「みっちー」
「あ?」
傘を開く手前にもう一度振り返ると雨のせいでなんだかこいつが……泣いているように見えた。
んなわきゃねぇバカ。俺のそんな呑気な思考の裏側で。ふいに——胸倉を掴まれた。
思わず持っていた傘を手放す。こんな空気を、俺は、知ってる——。
『 もうバスケ部にはかかわらないと言え 』
『 不良やめて、正解だったね 』
『 死んでたよ 』
額がぶつかる。俺は、目を瞑る。強い力が俺を縛る。支配する。な、なんだこれ。漆黒の視界に広がる……哀しくて、かなしい——。
ああ、そうか。今ようやくわかった。『お前は俺にどうして欲しいんだ』じゃなくて『俺に何ができるんだ?』じゃなくて、俺は自分の人生を、生きる事を他の誰かに……いや。水戸、おまえに許されたかっただけなんだな。
ゆっくりと目を開けると俺の目の前、奴の瞳。水戸は動けないでいる俺からすぅと手を放した。
「あら、違ったか。」
「……はっ?」
奴の軽やかなその声音に俺は思わず素っ頓狂な声を出してしまう。先ほどから収まらない背中をつたう冷たい滴。雨なのか汗なのかもう自分でもよくわからない。
「いや、みっちーがさ」
「……」
「泣いてんのかと、思った」
「——、」
え——。
そうして水戸は、静かに笑った。脳が固まる。なぜか悪寒が止まらない。自らの震えが、背筋が凍てついて——。
カン、カン、と。水戸は階段をのぼっていく。
『三井くんが、俺たちのグループを抜けて』
『バスケ部に戻るなんていうから——』
『ちょっと頭きて、やっちゃいました』
『バスケ部も三井くんも。すいません……』
尊敬できるかできないか、人を見れば間違いはない。今聞かなければ、俺は一生後悔する——。
「なあ……!」
「……ん?」
水戸は階段の途中で立ち止まって顔だけで振り返り、ポケットに手を突っ込んだまま俺を見る。
「——なんであのとき、俺まで、庇ったんだよ」
急に出た俺の言葉に水戸は表情一つ変えなかった。無表情でも笑ってるわけでもない。哀れんでいるような目で俺を見ている。その目つきが苦手だった。そう、初めて会った時からずっと——。
「んー......」
水戸はまた正面に向き直って何か考えるみたいな、考えているフリをしているみたいな感じで、頭をすこし斜め上に向ける。そうして、俺に背を向けたままで言った。
「何も知らなかったとしても、あの日——」
「……」
「アンタからバスケットを奪っちまうとこだったからなァ」
「……」
「だから俺もさ、」
雨が全身を濡らす。俺を。水戸を——。酸性の水の音に紛れて微かに聞こえたこいつの声は……
「後悔したく、なかっただけ」
少しだけ、熱いような気がした。
「ま、そーいうことだからさ」
「……」
「この話、終わりねっ」
最後にチラ、とこちらに顔を向け、眉をさげてへらりと笑う。雨に濡れずぎて乱れた髪がほんの少しだけ、元の位置に戻りつつある。その前髪がやけに奴を幼く見せた。ああ、そういやコイツ、十五歳だったな——。
「じゃーな、みっちー。」
「……」
「帰り道、気ィつけて」
カン、カン、……と、水戸は階段を気だるげに上がって行く。
前髪を下ろせばどんな瞳をしたって……例えば今みたいにクソガキみたいな瞳をしたって隠す事ができるのにそうしないのは、こいつの精一杯の��誠意�≠ネんだろうな、と思った。
そして俺はこの日、こいつにだけは、一生……�� 勝てない �≠ニ、思った——。
その恩返しは、
勝利
しかない。
(真っ黒黒歴史すぎて泣けるぜ、ったく。)
※ image song『 大切なもの/AI 』
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