70億人が暮らすこの星で結ばれる。珍しいことではなくても、奇跡だと思った。
好きな相手なら何をされても優しいって感じると思うの。『優しい人が好き』っていう女ほど、人の優しさに気づかない。
好きにならなきゃ、好きな理由はわからない。
*
「ふ、あっくしっ!!」
青空の下、盛大なくしゃみをひとつ。あえて、大声で「ちべてー!!!」と、叫び散らかす。
いくら初夏とはいえ温度が高いわけじゃない。今日なんて三月上旬の気温なんだそうで、しかも風が強くて、下手をしたら本気で風邪を引く。
またまた登場、実況中継、24時——。
本日は階段を登ってる途中、上から液体窒素が降って来た。ご丁寧に、あの、水戸くんと一緒に掃除をしたキラキラした思い出の詰まった理科室から調達して来たとみた。ずいぶんと手の込んだ嫌がらせだなと、ここまでくると感心すらする。
「私も、嫌われたもんだ……」
と、言っても、クラスの半分くらいの人に避けられているだけで、むしろ私を毛嫌いしてる奴は数人(あの女子二人を筆頭に)だから、ちょっとだけ安心。人の噂も七十五日ってやつかな。でもこんなことで安心するなんて私のスクールライフって、治安悪過ぎ。
けど実際問題それ以外のみんなは普通に接してくれるから、もうどうでもいいやと考えることを放棄する。
あれからというもの水戸くんとの距離感はまだ微妙だけれど、その代わり、桜木軍団と少しだけ仲良くなった。軍団と話していると誰も近寄ってこないから楽だった。前はそれでもほんの数人は興味本位で近付いて来てたのに。世の中まだまだだわ、なんて思う。
液体窒素をぶっかけられた私は、周りの不気味がる視線をよそに淡々と女子トイレで髪を洗い、衣服についたのも流し落とす。びしょ濡れ状態の醜態を人様に晒すわけにもいかず仕方なく風当たりのいい屋上へ向かった。でも毎日こんなんじゃ身が持たない。さすがの私でも。
「ありゃ、先客か」
背中に、陽気な声がふりかかる。振り返れば、奴がいる——。どこからともなく……そう、水戸洋平だ。
「あー、洋平ちゃん」
「は? なんだよ��ちゃん�≠チて」
髪の毛をタオルで拭く私を、ちょっと切なげな顔で見て、水戸くんは隣の空間に腰を下ろした。
「ご苦労様です」
彼はぺったんこの鞄から携帯を取り出しながら言う。携帯の番号、聞きたいな。折りたたみ携帯じゃなくてスマートなストレート携帯なところがなんとも彼らしいなと思う。
「お陰様で」
私は髪をわしわし拭きながら答える。すると、横の影が立ち上がった気配と共にボフッと何かが頭からかけられた。それは——まさかの、彼の、学ランの上着だった。
すぐに強がって「大丈夫!」とか言って返そうか迷ったけれど、今は素直にそれを借りることにする。実際、ちょっと寒いし。で、彼の学ランにしっかりと腕を通した私への第一声は「そんなに俺の匂いが恋しかったの?」だった。ばかにしてる!ばかにされている!確実に!
「ちっ、ちがいますぅー!」
私がいそいそと学ランを脱ぐと彼は「いいからいいから。強がんないの」とか言って、学ランを脱がせないようにするためか肩を叩かれた。そうして、彼は笑った。
「着てなって。風邪引くから」
「いいよ、どっかの誰かさんが自惚れるから」
「ははは」
彼の学ランに袖を通したとき、当たり前なんだけどぶかぶかだった。男物だし至って普通の現象なんだけれど、改めて��男性�≠�感じてしまってドキッとした。学ランって一度は着てみたかったんだよね。だから、このまま着てることにする。
それにしてもいい匂い。もうこの際、聞いちゃおうかな……「香水なに使ってるの?」って。
「他人のそーいうの着るとさぁー、すっげー匂いしない?その人の」
彼は持っていた缶コーヒーをそっとコンクリの上に置いてから、もう一度、ゆっくりと私の隣に腰を落とし、あぐらをかいた。
「そうだね、水戸くんの匂いがする」
私が率直にそう答えると「あー、そろそろクリーニング出さねーとな」なんて言って、彼はまた笑った。クリーニングとかちゃんと出す派なんだって感心していたら緩い感じの彼の声が届いた。
「それってさー」
「うん」
「抱きしめられてるみたいだよな」
「……」
な、何を……言い出すんだ、この人は。
彼と目が合った。思わずさっと逸らすと相手は飄々として缶コーヒーを手に取り一口飲む。そうしてまた缶を地面に置き、チラッと私を見てからまた正面を見て「ハハ」と、なぜか笑われた。
だから!別に、恋しくなってたわけじゃないんだってば。私は手で頬を扇ぐ。急に、暑くなってきた気がしたから。
「頑張るよねー。俺だったら、もうとっくに学校なんて、来てないと思うぜ」
めちゃくちゃ他人事みたいにポツリと言った。いじめられていることを言っているのだろうか。
でも、原因は完全に私だ。気を利かせて彼が、「先に戻りな」と言ってくれたのを無視して私が「一緒に戻りたい」と駄々を捏ねたから。結果、一緒に歩いているところを見られて、この様だ。いじめが収まるかもしれなかった可能性を、私は自ら棒に振ったのだ。
「私はね、もっと強くなりたいの」
「それ以上強くなるの?それ以上強くなったら、もうレスラーなっちまうって」
「違うくて、傷つかないようになりたいっつってんの」
「え、じゃあいま傷ついてんの?そうは見えないけどなァ」
ほら。やっぱり他人事。そもそも、こうなったのは元を辿れば、水戸くんが——違う、そうじゃない。ぜんぶ、私の責任だ。
「てか、変な呼び名はいいよ。名前でいーよ」
「……!」
思わず頬を仰いでいた手が止まる。わ、私……水戸くんの名前を呼ぶ資格もらったよ!?神様、聞いてた?今、私水戸くんから「名前でいいよ」って許可もらったんだよ!?夢じゃない、よね?
「わ、わ、私も!」
「ん?」
「名前で、いいよ……」
タオルをとって彼の方を向いて言う、けれど、だいぶ声が上擦った挙句、吃ってしまった。
だって……嬉し過ぎてさ。テンションがハイになっちゃったんだもん、仕方ないよ。
「まじ? じゃあ………名前、ちゃん?」
水戸くんは、小首を傾げてはにかんだ。あっ、やばい。涙が出そうだ。このあいだの��行こうか名前ちゃん�≠チてやつはこれの予言?いや——、伏線だったのか。
「もう一回!」
私が両手を顔の前で合わせて頼み込むと、水戸くんは困ったように「名前ちゃん」って呟いた。
やばい。これは非常にまずい。だってこれ癖になる。それってどうなの?って、感じだけれど。
「もっかい!」
「はは、名前ちゃん」
「もっかい!」
「名前ちゃん」
「もう一声!」
「………名前。」
「え?」
え、いま……。
私が考えるよりも先に動いたのは——隣にいた影だった。急に視界が暗くなり何かと思って体が強張る。次の瞬間、額にこつん……と、なにかが当たった感触。
「……」
「……み、と、く——」
額に当たるのは、
まさに、水戸洋平——彼の、おでこ。
「洋平」
「え?……あ、」
そうだった、私いま名前で呼べって言われたんだった。……って、そうじゃなくてさっ!
まずい。心臓の音、聞こえちゃう。せっかく、落ち着いたのに。また頬にどんどん熱が集まっていく。無理、死ぬ。窒息死しちゃうってば……!
「——っ、ちょ……近いしっ!」
私は水戸く、じゃない。洋平くんの胸あたりを力一杯押して少しでも距離を取ろうとした。けれどもまったく微動だにしない。着痩せするくせになんて力だろう。思わず背筋がぞくり、とする。
「……名前」
「へ?」
「言って。」
近いし、近いし……近いしっ!吐息がかかる!いつもより低い、有無を言わせない彼の声が脳に響く。心臓に悪い、絶対わざとだ。私を揶揄っているんだ。
私がぎゅっと目を瞑って精一杯抵抗していると「俺ばっか言わすの?」なんて、顎を掴みながら言われたので、逆らいようがない。
これ以上近付かれたら——それはもう、キスになっちゃうってば……!
「——わかった、言う。言うから離そ!」
「言ったら離す」
ひィィー!
私にはわからない。彼がなぜこんなにもむきになるのか、その理由が——。
あの先輩にもする?今、私にしているような、こんなこと。それとも、もう、したの?また私、二番目……?ねえ、教えてよ。洋平、くん……。
「……よ、」
なんだ、この緊張感!だから、近いってばっ!今日が私の命日か、もしかしてこれ。お母さん、お父さん、今までどうもありがとう——。
「洋平……くん……」
言い終わった瞬間、当たり前に恥ずかしくて、たまらなくなる。第一言ったら離すなんて言ったくせに、当の本人は離すどころかますます距離を縮めてくる始末。
近い近い近い近い近いっ!恥ずかしさの限界が来て、腹に一発食らわしてやろうかとでも思ったそのとき。音もなく、彼は私の額にキスをした。
「……」
「……」
やっと解放された私は頭が真っ白になる。彼の行動が信じられなくて、なにも言えずにいると、彼は、いつもより数段大人っぽい顔をしてふっと微笑んだ。え、なに……?こんなの、知らない。
「無防備すぎる、名前ちゃんへの罰。」
そんな台詞を私に投げて彼は屋上を後にする。
あれ……?嘘、水戸洋平って、こんな人だった?出会って間もない私には難しい課題すぎる。桜木軍団の誰からもそんな話は聞いていない。聞いたことがない、こんな、水戸洋平——。
「……」
あ、あれ……?私たち、そんな仲じゃないはずだよね?きっと、明日になったら戻ってるよね?いつもの二人に。
私……とんでもない人に、目つけちゃったの?
これは好きじゃないって。好きになったらいけないって、そう自分に言い聞かせていたのに——
世界は
恋
に、落ちている。
(——もう、遅いよ。)
※ image song
『世界は恋に落ちている/CHiCO with HoneyWorks』
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