「そのせつはどうも」
そんな事を言ってそんな理由にかこつけて水戸くんに話しかけるきっかけを作る、私の脳味噌。捻挫した左足、そんなものはすっかり完全復活。痛みが消えても記憶だけは、あの事実だけは——たったひとつのつながりだけは、消したくなくてだから、必死で。
「あ!」
見ると——朝8時。もう自分の席に着席してる水戸くん。桜木軍団が遅刻しないなんて事あったかな、あったらあったでそれこそ武勇伝扱いだ。
「おー、名字さん。おはよ」
「おはよ!水戸くん、今日は早いんだね」
目が合ったら、柔らかく笑って手を振って挨拶してくれた。私もそれに笑顔で返す。私の声……上擦ってなかったかな。顔、赤くなってなかったかな。
「はは、なんでだろうね」
そうサラッと呟いた水戸くんに「早いんだね」って失礼だったかな?なんて、今更になって後悔した。でも彼は特に気にしていなかったみたいでちょっとだけ下を向いてからもう一度「なんでかねー」なんて、笑いながら言った。
見ると珍しく早く来たからか桜木軍団は当たり前にいない。実際、水戸くんは私と話し終わると目を瞑って椅子に背を預けて黙っていた。
孤立——しているわけじゃない。ただ、周りの警戒心が強いだけ。
「桜木くんもいないし、暇そうだね」
本人に聞こえているかわからないけど、そう、ちらっと問いかけてみる。ゆっくりと目を開けた彼。視線は下に向いたままで、何だか虚ろな瞳のまま、言った。
「花道の奴——バスケ部、入るってよ」
「えっ!あの人、バスケできんの!?」
……やばい。今のは、確実にアウトだ。めちゃくちゃ失礼な言い方しちゃったと、ハッと口元を抑えた私を意に介さず「いやぁ?全くの初心者」なんて、彼はヘラっと呆れたような顔をした。
「なんか、あったの?」
「これがまぁ、色々とな……」
はあ、と水戸くんはため息をつく。何だか桜木くんのお父さんみたいで笑いそうになったけど。
よくわからないけど大変なんだな水戸くんも。あんな赤頭とエトセトラのお世話してるんだもんね、そりゃ大変か……。
「わかった!あれだ!」
「……?」
「それで悩んで寝付けなかったとかそういう系でしょ!」
「なんか、もうなんでもいいよ」
水戸くんはやっぱり笑っている。私もつられて笑顔になる。水戸くん、なんでそんなに、笑っていられるのかなあ。
「水戸くんって、疲れない?」
「え?」
あ、まずい。言葉に出てしまっていた。私は、「ううん、なんでもない」と濁す。水戸くんは、首を傾げながらも、もう気にしていないようだったので安心した。
私には水戸くんの笑顔が本物には見えないんだよなぁ。いろんなものが後ろでちらちら見え隠れしている気がする。水戸くんってほんと不思議な人。そして、魅力的な人だ。
「名字さんは……席つかなくていいの?」
「ん?」
「俺なんかと一緒にいると、誤解されちゃうよ」
ほら、と。そう言って水戸くんが目くばせした先には教室の隅でコソコソ話す数人の女子生徒。私と目が合うと、一瞬だけ目を見開いてから私を睨みつけ——そして糸が切れたようにプッと吹き出し、一斉に笑い出した。え……? 何、あれ。
「名字さんのためにもここはいったん身を引きなさい」
彼はとん、と私の背中を押す。席に行け、と、遠回しに促されたのだ。
「……。」
何それ
何それ……
意味わかんないしっ!
「やだ!」
「え」
——が た ん!
大きな音。それは、水戸くんの体が見事に机にぶつかった音だった。私は咄嗟に水戸くんの腕を引っ張って、教室のドアへ向かってずかずか歩き出していた。
視界がぼやけ始める。涙、かな? おうおう、私。ここは泣く場面じゃないだろ、弱虫め。
——ガラッ!
勢いよく扉を開け、いつのまにか、冷やかしの視線だらけの教室を出る。
むかつく
むかつく、
むかつく——!
*
「——名字さんって、もしかして馬鹿?」
「な、なに、馬鹿って」
事態を放棄して人を避け、やってきたのは無法地帯の屋上——なぜ鍵が開いてたのか永遠の謎。
「俺ごときのために、何してんの」
「……」
ああ……。水戸くんの手が頭に乗っかる。そのまま、わしわしって。そんな事をしても涙なんか止まんないよ、水戸くん——。
「水戸くんは、いい人すぎ」
「……」
空気が揺れた。目の前の彼が、ほほ笑んだのがわかった。ほらね、なんでそう、いつも笑うの?
外見に騙されてはいけない。美は、内側に宿るものだって、私は知ってる——。
「くやしいじゃんあんなの!」
「……」
「何あれ、何?あいつら!?」
「……」
「何で水戸くんが馬鹿にされなきゃいけないの?しゃべったこともないくせにさ、」
吐き出したら、止まらなかった。
くやしかったんだよ。そう、くやしかったの。
「私、知ってるよ?水戸くんがいい人だって。」
「……」
「お人好しでさ、ちゃんとみんなの事見ててさ」
私だって水戸くんの事をそんなに知ってるわけじゃないけどさ。そりゃあ、このあいだ出会ったばっかだけどさ。それでも、ほんのちょっとしか関わってなくても、関わり皆無なあいつらなんかより私の方が断然、水戸くんのいいとこ知ってるって自負してる。
わがままでいいけど、あいつらなんかより水戸くんはきっと、いろんな事を我慢して生きてる。笑った顔が、そう言ってる、気がするから——。
「……すげーな」
顔を上げた。また空気が揺れた。でも目の前の彼は、今度はほほえんではいなかった。彼の手が私の頭から離れていく。冷たい瞳。
「お見通し、ってやつ?」
……あ、水戸くん、悲しそう。
でもその表情はすぐ消されてしまい新しい表情が生まれる。無理矢理に作ったような笑顔だ。
「名字さん、いっこ言っていい?」
「は、はい……」
改まったから、私までつられて吃ってしまったけれど、しっかりと視線を彼へと向ける。
「俺さ、ああいうの慣れっこだから。気にしないで?」
かしゃん——と、水戸くんは右手の指を屋上のみどり色のフェンスに絡ませる。
「あんなのいちいち気にしてたら、キリがない。俺は大丈夫だから」
「……」
「あとさ、そういう熱い感じ?」
「……、」
「ちょっと、苦手。」
「——!」
「ごめん」
目が合った。でも、目だけ笑えていなかった。水戸くんの目力、効くなあ。でも、怯むもんか。私、知りたいんだよ。もっと。水戸くんのこと。もっと、近づきたいんだよ——。
「猫かぶり?……してんの?」
「……は?」
精一杯の冷静を装ってみる。そんなことをしたって、水戸くんにはバレバレだろうけど、ここは私の意地というやつだ。
「なんで、そんなに強がんの?」
言ってみた。睨みつけてやりたかったけど本当はやさしい水戸くんを睨むなんてできない。
今にもまた、泣きそうだ、私。強がりはどっちだよ、みたいなね……でも、よく言うじゃない?恋は素直になれ、愛は正直になれ——って。
「うまく笑えてないよ、いつも。」
「……」
「水戸くん、気づいてる?」
出会って一ヶ月弱しか経っていないのに言われたくないよね、こんな台詞。それも私なんかに。
水戸くんは私から目を逸らす。その彼の行動が完全に拒絶された気がして、心臓が冷え切った。
「知らねーよ」
かしゃん——と。また音がする。彼がフェンスから指を抜く音だ。そして上履きのこすれる音。
歩き出したのかな。私は俯いているから、よくわからないけど。でも視界に、このせまくるしい視界に、ぼろぼろのぺしゃんこになった上履きが映る。そして頭にぽんと置かれたどっちかの手。一瞬だけ伝わる、彼の体温。私の横をすり抜けて開けられた屋上の扉。そのまま扉が閉まることはなかった。
最後まで優しいって、何それ?ずるいでしょ。いい加減、涙よ——止まれ。
ああ……私。なんてことしちゃったんだろう。
季節は、新緑の季節へと移り変わって行く。
誰から教わらなくても
人は人を
好き
になる。
(お淑やかに慎ましくなんて
私にはなれっこない……)
※ image song『 HELLO/YUI 』
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