感情的になって怒ってしまう時。そういう時は『自分は今溺れている』と思うようにしている。
溺れている時は口を閉じて手足をばたつかせるのをやめるでしょ、いったんフリーズする。少しでも間を置いてみる。
知らない方が良かったのかもしれない。でも、知ってしまった。それが、耐えられないんだ。
15歳 9月
― 15歳 9月 ―
湘北高校に入ってから、初めて迎えた文化祭。略して��湘北祭�=B
いや、そのままかよって感じだよ。もっと捻りなよ、ってね。別にどうでもいいけど。
我がクラス、1年7組の出し物は何とかカフェだか何だかって言っていたかな。そもそも、最悪今日はサボっちゃおうかなって思っていたくらいには文化祭の準備に非協力的だった私が、今さらクラスの出し物を、しっかり把握しているわけもなく。
ガヤガヤと楽しげに準備をしたり着替えをしているクラスメイトを流し見て私は教室の隅に追いやられた机に突っ伏していた。やっぱ帰ろっかななんて思っていたとき、バタバタと大男の足音が教室に近づいて来た気配がした。私は突っ伏したままの体勢で、チラッと入り口の方を見る。
「よーへーっ! よーへー!!」
「ん?」
足音の正体は——桜木くんだった。桜木くんは部活の出し物に借り出されたていたため、朝から教室にはいなかったので相方を失った洋平くんは私と同じく窓際に追いやられた席の一つに座って机に頬杖を付きながらぼんやりと外を眺めていたようだった。そんな彼の元へ、桜木くんが慌てた様子で駆け寄る。
「じ、じ、事件だ、よーへー!」
「んー?」
「なあ、よーへーってよぉ……もしかして……」
「ん……?」
「………、」
「なに、どーした?」
「そ、その……モ、モテんのか……?」
洋平くんは突然放たれた親友からの問いに目を見開いて声には出さず「はっ?」と口をぽかんと開けている。私も思わず目を見開いてしまった。
「おお、また藪から棒に。なんでそー思った?」
「て、手紙——預かった。」
え……。え、えっ? ええぇーーーーー!!?私は突っ伏していた体勢を持ち上げて窓際に立つ二人をじいっと凝視する。どうやら洋平くんは、目の前の親友に意識が向いていたからか私からの視線には気づいていない模様。……よかった。
「おれ宛?」
「お、おう……」
「流川宛じゃねーのか?ちゃんと確認したか?」
「したっ!俺もそー思った!でも、ちがった!」
ぐいっと、何とも赤い坊主頭には似つかわしくない可愛らしい色味の封筒を、桜木くんが両手で洋平くんの目の前に突き出している。それを怪訝そうな顔つきで見下ろし、洋平くんは受け取ろうとはしなかった。そしてふいっと顔を背けてまた机に右手で頬杖をつき、窓の外に視線を戻した。
「三組の、なんとかサンとゆー女性でな、かっ、か、かわいらしかったぞっ!」
「ふーん。わりーけど、パス」
「なっ! ナゼ!?」
洋平くんが頬杖を付いていた手で口元を覆って言う。桜木くんは相変わらず「なんで!?」とか「とりあえず受け取ってやれ!」とか言って少々焦っている様子だ。
「……いや、だってさ。せめて直接渡してほしーじゃん」
「むむっ……厳しーぞ、よーへー。まだ読んでもねーのに」
そこで桜木くんが初めて、差し出していた手を引っ込めた。そうして、両手で大切そうに手紙を持ち、うーんとか唸ってその手紙を眺めている。洋平くんはそんな桜木くんを、チラッと一瞥してから、また視線を窓の外へと向ける。彼はひとつため息をつき、独り言のように言った。
「厳しいよ、俺……」
「む、」
「誰かさんのせーで、目が超えちまっててなァ」
「あ? 誰かさん、って……」
桜木くんがそう言いかけたとき洋平くんの視線が、不意に廊下側の方に向く。瞬間、すぐに目が少しだけ見開かれて、顔がパッと明るくなった。
普段から彼をよく知っている人でなければその表情の変化には、気づかなかっただろうと思う。けれども私にははっきりとわかった。顔が一瞬で綻んだ事に。そして彼は慈しむように目を細めて呟く。
「ちょっとやそっとじゃ、俺の心は……動かなくなっちまったのさ」
「……。なあ、よーへー、」
「ん?」
「もしかしてお前、好きな子でも——」
「ほら、花道。なまえさんだぜ。」
桜木くんの言葉を遮り廊下側の方へ手を振って微笑む洋平くん。私も視線を廊下の方に向けた。三井の、彼女だった。珍しく今日はいつも一緒にいる黒髪パーマの美人な先輩とではなく他のクラスメイトと並んで歩いている。
「おーい、水戸くーん! 桜木くーん!」
「おー、なに? クラス回ってんのー?」
三井の彼女が教室の後ろの入り口から顔を出し二人に手を振ると、洋平くんが笑顔で、そう聞き返す。べったべたな笑顔を貼り付けて。私には、絶対に見せないような、満面の笑みで——。
「そーそー!彩子がほら、たこ焼き屋さんで!」
「あー、そっか。……そういや花道、お前も行かなくていーのか?」
洋平くんから言われて桜木くんがハッとする。「いかーん!」と言って桜木くんは三井の彼女に「では!」と短く挨拶をしてから、教室を颯爽と出て行った。目線だけでそれを見送った、三井の彼女と洋平くん。あえて教室の中に入らない彼女に気を遣ってか、洋平くんが席を立って入り口の方へと向かう。桜木くんが律儀にも机の上に置いて行った洋平くん宛らしいラブレターなんかには見向きもしないで。
「何すんの?なまえさんのクラスは」
「えっとね、お化け屋敷」
「はは、やんの?お化け」
「んーん、私は受け付け」
「へえー、じゃあアイツらと遊びに行こっかな」
彼女と一緒に来た女子生徒にもたまに目配せをする様なんかはラブレターをもらってもおかしくないほど紳士的だ。その証拠に、はじめはすこしビクビクしていたその女子生徒も、今では普通に会話に参加している。敬語を使いながらも、洋平くんに話しかける、三井の彼女のクラスメイト。
「今年は一年生達のクラスが一番気合い入ってるって聞きましたよー?」
「え、そーなんスか。初耳」
「水戸くんのクラスは? 7組、何やるのー?」
「さー。なんだろーね……わかんない」
洋平くんが、チラッと教室内を見回してから、視線を彼女たちへと戻し、へらりと笑って言う。
「え、何それ。もー、ちゃんと参加しなよ〜」
「ははは。基本、寝てますんで」
「だと思った、ふふっ」
起きてるじゃん……。意外と、ちゃんと授業、受けてるじゃんか。
ほんと嘘つき——って、私も、口を挟めれたらいいのに。でもできない。私、洋平くんとそんな仲じゃないから。でもいいんだ。私を見ていなくても、彼が三井の彼女を好きだとしても、たとえ他所に彼女がいたとしてもいいの。こうして同じクラスで、そばにいられるだけで……私は幸せ。
*
屋台を組み立てたり諸々準備をしたりと秋晴れのもと宮城と俺はせっせと��たこ焼き屋�≠フ開店作業に取りかかっていた。桜木の野郎に関してはバタバタと忙しなかったが、ようやく戻ってきた奴に対し彩子がめちゃくちゃこきを使っていた。
しばらくすると、野郎軍団の四人ではなく水戸だけが校外を歩いている姿を宮城が発見し、俺にこそっと耳打ちをしてきた。
「ちょ、三井サン」
「……あン?」
「水戸のやつ……鼻歌うたってね?」
作業の手を止めて立ち上がった宮城に対して、俺も作業を一旦中断し宮城の視線の方角に意識を向ける。その先には、少し猫背で歩く水戸の姿。
「あいつ、鼻歌なんて歌うんだね。ちゃんとした人間だったんだー、ちょっとホッとした」
「何か、いいことでもあったのか……?」
「それはチガウぞ!ミッチー。」
突然、背後からデカい図体が迫ってきて、肩を抱かれる。反射的にぎょっと身を引く。相手は、言わずもがな、桜木だった。奴は俺と肩を組んだまま人差し指を突き立てて得意げに言う。
「あれはむしろ、めちゃくちゃ不機嫌なサイン」
「ほう……」
「ミッチー、近寄らん方が身のためだ。死ぬぞ」
「なっ——! 近寄らねーよ……」
「きゃはは! むしろ行ってみれば、三井サン」
「うるせっ!」
そんなコント紛いのやり取りを繰り広げている最中、桜木曰く不機嫌らしい水戸の元へと徳男が近づいて行った。友人の安否を案じて止めに行く間もなく肩に乗せた手を鬼の形相で振り払われている徳男を見て、桜木と宮城がそばで腹を抱えて涙を流しながら笑っている。
「ワッハッハ!ほら言っただろ、機嫌悪ィって」
「ガハハハハ!あー、かわいそ。なあ、花道ー」
「む?」
「死人出る前に、お前が何とかして来てやれよ」
桜木は宮城からそう言われて、少し「んー」と考え込んだ後「やむを得ん!天才、出動!」とか言ってほっほっ、と軽い足取りで不機嫌マシーン水戸の所へと走って行った。奴の「よーへー!」と言う、バカ明るい声が、校外に響き渡る。
「おー、行った行った」
「桜木なんかに何とかできんのかよ、アレを。」
「さーね。ねえ……待って三井サン。あれさぁ、『だ〜れだ?』ってやってね?」
「敵の背後から行くたぁ、さすが生粋のバカ王」
「火に油注ぎに行ってんじゃん。頼むぜ花道……喧嘩だけはすんな?安西先生との約束思い出せ」
俺と宮城は、屋台の準備なんてそっちのけで、というか、屋台の存在なんか、遠に忘れ去られていて桜木と水戸の行く末を固唾を飲んで見守っていた。
「おいおい、機嫌わりーときに『だーれだ』は、一番ダメなんじゃねーのか?」
「はは、そースね。でもまぁほら、花道だから」
「水戸の殺意スイッチ入るぜありゃ確実に……」
「あーあ、悲しいかな。三井サンみたいに花道がボコボコにされちまうのか……合掌。」
「あン!?手を合わせるな、手をっ!」
——と、そのとき。奴らの様子がおかしい事に気づいた俺と宮城が目をぱちくりとさせ頭の中に沢山のクエスチョンを浮かばせた。知らぬ間に、桜木と水戸がいつものように楽しげに笑っていたからだ。何なら爆笑している。な……、なぜ?
「すっげー笑顔じゃん……」
「お、おう……」
「やっぱ機嫌よかったんじゃねーの、水戸の奴」
「……」
俺にはわからない。そもそも、理解しようとも思っていないけれども。
仮に桜木が奴を手なづけていたとしたって、俺含め、あいつと普通に接しているバスケ部って、結構すごいんじゃないのだろうかなんて思った。
「リョータ!!」
「——ハイっ!」
「調理室からタコ、取ってきてくれなーい?」
「あー、三井サン行くって!」
「バカ!言ってねーだろ、誰も!」
「じゃあ、三井先輩。よろしくお願いします!」
「——だって、三井
センパイ
(
・・・・
)
♡」
「チッ……クッソ、覚えてろよぉ、宮城ィ。」
「まぁまぁ、おなしゃ〜す♪」
でも——そういえば、あの女とも仲良いのか。じゃあ俺が知らないだけで意外と普通に同級生達なんかとは、うまくやっているのかもしれない。水戸の野郎、人たらしっぽいところあるしなァ。
まぁ、どうでもいいけど。俺には関係ねえし。さてと、タコっつったか?調理室か、めんどくせえな……しかたねえ、取りに行ってやるか。この三井様が。
TOP