愛するということは許すこと。
本当に愛していたら許せる。どんなことも。『生きてる』っていうことは、愛することだ。
誰かを愛すること。そのために、生きている。
優しいという字が『人を100回愛す』と読めるということに気づいたのは高校時代のことなんか忘れてしまうくらいに大人になってからだった。
*
「——なぁ、宮城。なまえ知らね?」
間もなく文化祭開始——という頃。バスケ部のたこ焼き屋の準備も諸々終わり、ふと彼女の事が気になった。いつもなら俺たちバスケ部の連中に金魚のフンの如く、くっついているはずの彼女の姿が見あたらないのだ。
「なまえちゃん? あー、見てないスねー」
「そか……」
さっきタコを取りに行ったとき、調理室ではち合わせになったものの、向こうが急いで調理室を出て行ったきりそう言えばそれ以降、顔を合わせていない事を思い出した。キョロキョロと辺りを見渡している俺を見兼ねたのか、宮城が言う。
「多分、クラスの方やってんスよ」
「あ? クラスの方?」
「1組、お化け屋敷なんで」
「へー、そうなのか……」
「いースよ」
「あ?」
「探しに行ってきても」
ニヤニヤとほくそ笑む宮城が「一個貸しね」と白い歯を覗かせる。俺はそれをじろっと見下ろしそそくさと立ち上がり赤木に一言声をかけてからその場を後にした。
そのまま俺は、真っ先に2年1組に向かった。だが、彼女はおらず、クラスメイトらしき人物に「屋上でサボってるかもしれませんねー」なんてアドバイスを貰う始末。やれやれ、と呆れつつ、俺は屋上へ続く階段を気怠く登っていく。
薄暗い階段を登り終え、締め切っている屋上のドアノブに手をかけて、ゆっくりと回せば——
「——っ!?」
ずっと屋台に顔を出していなかった後輩——、流川と、俺の幼馴染の彼女の姿。今起きました、みたいに体を起こしかけている流川と、その影に重なるように、膝立ちしている俺の彼女。
見間違いであって欲しいと願った。しかし俺の瞳にはしっかりと流川の唇と彼女の唇が交わっている光景が映ったのだった。
「——ッッ!?」
「……なんすか」
「こ、こ、!! こっちの台詞だよ!!」
「オイッ!流川!!!」
バタン!!と、勢いよく屋上の扉を閉め、自分でも驚くほどの凄まじい怒鳴り声を発して俺は、ズカズカと踵を鳴らし、流川の元へと向かう。
彼女をスルーして流川の胸ぐらにつかみ掛かり奴を力一杯に持ち上げると座る体勢にいた流川が無理やり立ち上がる形になった。
「てめェ流川!誰の女だと思ってんだオラァ!」
「——たりとも」
「あァん!?」
「何人たりとも、俺の眠りを妨げる奴は許さん」
一気に頭に血が上ってカァと絵に描いたように顔が真っ赤になったのが自分でもわかった。それでも流川は無表情のままで突っ立っている。やや不機嫌そうに、そっぽを向いて。
待てよ、待ってくれよ。不機嫌になりたいのは俺の方だろうが。なんでこいつがモテるんだよ、水戸も、流川も。こんな奴らの、どこがいいってんだ!ま、まずい……これは非常にまずい状況。俺は今、キレている。完全に、キレてる——!!
拝啓、安西先生。すみません——俺は先生との約束を本日、破ることになりました。不甲斐ないシューターで、本当に申し訳ありませんでした。
「流川てめぇ、ふざけんなっ!!」
俺が拳を握りその腕を高く振りかざした。その瞬間、勢いよく俺に抱き着く形で、流川から俺を引き離そうとする彼女。
「寿っっ——!!!」
「あぁ?! 離せっ!!」
「ダメ!! 暴力だけは——!!」
彼女のその言葉で我に返り俺は流川の胸ぐらを掴む手をしぶしぶ離した。そして解放された流川は不機嫌な顔を晒したまま、屋上を出て行った。
突如、ふたりきりになってしまった屋上では、未だ興奮状態の自身の荒い息遣いだけがその場に響き渡っている。
「……ったく。何してんだよ、おめーは」
「なに、って……」
「お前が隙見せてっからいけねーんだろ!」
えっ、と言いたげな顔をして押し黙った彼女が静かに俯く。なんなんだよ、なんで黙るんだよ。何も言わないと逆に怪しいぞ。わかってんのか、お前。俺は今、不機嫌マシーン水戸ならぬ不機嫌マシーン三井、絶賛公開中なんだぞ!?
「寿だって隠し事してるくせに!」
「あぁ!? 隠し事だぁ?!」
「してるじゃん!嘘つき!!」
「う、嘘つきって……ハァ、また俺かよ」
俺はその先の言葉を失った。彼女も急に大声を出したせいか、少々息遣いが荒くなり小さくハァハァと肩で息をしている。
俺は、自分の後頭部をぐしゃぐしゃと掻いた。困惑する。頭の中が、整理できない。一気に頂点まで達してしまった怒りの矛先がない。あれほど忠告したって言うのに……お前は男との距離感がバクっているんだ、って——。
「なんなんだよ、テメェは……」
「……」
「急に逃げてみたり、すぐ怒ったり……流川と、キスしてみたりよぉ……」
「——!」
「俺のこと振り回して、そんなに楽しいかよ」
「そんなつもりは……」
「じゃあ、何なんだよ!」
「………、」
その捨て犬みたいな目、やめてくんねーかな。ああ、どうしていつもこうなるんだ。言葉足らずなのはお互いに理解している。分かり合いたい、ただそれだけなのに。なあ、教えてくれよ。この行き場のない、もどかしい感情の終着点を——。
「どうして……」
「あ!?」
「どうして悩んでるって……言ってくれなかったの?」
「……、」
「進路の事で悩んでるって、どうして教えてくれなかったの——?」
「……!」
ハッとして彼女を避けるように背を向けていた体勢を彼女の方へと勢いよく向けた。彼女は瞼に涙をいっぱい溜めて、堪えていた。それが瞼から零れ落ちるのは、もはや時間の問題だった。
「私って、そんなに頼りない?私って、そんなに力不足?」
「……ちげーよ、聞けって」
「いや、聞かない!」
俺が一気に距離を詰めて、彼女の腕を掴んだ。その掴んだ手を勢いよく振り払われたとき彼女の瞼に溜まっていた涙が一気に頬へと流れ落ちた。
「バスケ部のみんなは知ってて私だけ知らないんだよ?」
「それは——っ」
「全部知ってたら私、遊んだり、一緒に帰ったりメールしたり電話したり……しなかったもん!」
「……」
「寿の……っ、勉強や部活を最優先させてた……もんっ」
「……」
「知らなかったんだもん、だって、わたし……」
そのまま先の言葉に詰まった彼女は両手で顔を覆った。止まらず流れ出て来る涙を、必死に拭うその姿を俺は、ただ茫然と眺めているしかできなかった。
「……だからだよ」
彼女の泣き声が虚しく響き渡っている屋上に、俺の弱くて低い声が風とともに流れていく。その声が届いたのか、彼女は反射的に、ひくっと息を呑んだ。
「お前がそうやって、気ィ遣うと思って……言えなかった」
顔を覆っていた自身の両手をそっと下におろしゆっくりと、こちらを見上げた気配。俺は俯いていたので、はっきりとは見えなかったけど。
「なまえと居たら、悩みなんて忘れられたしよ」
俯いたまま、ぽつぽつと呟く。俺の拳は、強く握られていた。握られたままのその拳が、微かに震え出す。
「なまえとの時間、減らしたくなくて」
どうしていつも俺達はこうなっちまうんだろうな……。もどかしい、情けない、悔しい——。
「なんか、逆効果だったみてーだな」
「………ひさ、」
「わりィ俺……屋台あるから戻るわ」
彼女が咄嗟に俺の腕を掴んだ。しかしそれには特に反応もせずに彼女の言葉を遮って言い切る。
腕を掴まれていた彼女の手を力なく擦り抜けて俺は屋上を後にした。
良かれと思ってした行動がいつも裏目に出る。大切な物を守ろうとするたびに綻びが生まれる。
俺は——大切な人を傷つける天才だ……。
*
秋らしい日差しが差し込む階段を一人だらだら歩いていると、文化祭の一般公開という事もあり生徒の他にも人が多すぎて時々、途中で滞る。
俺は小さく舌を打ち鳴らし、さっさと下りろっつーのに、なんてイライラしながらもその階段を一段一段下りていく。そのとき後ろからふわっとむさくるしい男の匂いとは違う女の匂いがした。理由はすぐにわかって、俺のすぐ横をするするとかき分けて通り過ぎていく水戸の女(仮)の姿があった。
「……チッ、」
こいつの匂いか……なんだよ、すっげー損した気分だ。ちょっといい匂いかもとか思っちまったじゃねーか。あーあ、損だ損。厄日、厄日。
「……、」
声をかけるのも変だし、声をかける理由もないので、とりあえずは特に何も話さなかったけれど何故か姿が見えなくなるまであいつの背中を見ていた自分がいた。
あれから水戸とはどうなったんだろうなーとか思ってみる。まだやってんのかな『水戸信者』。いや、どうだっていいけど。
というかまず、なんでこんなに水戸とあの女の事ばかり考えてるのかがわからない。考えなきゃいいのに。どうだっていいんだし。そうだ、別にあいつらがどうなろうが、エロいことをしようがどうだっていいんだ。仮に、エロい関係だったとしても俺には関係な——って何でエロに走るんだ俺の思考は。やっぱり、今日の俺はおかしいな。おかしい、うん。おかしいんだ。まぁ大切な人を傷つける天才だから、しかたねーか。
「——ぶへっ!」
「あ、三井先輩!どこで油売ってたんですかぁ?屋台混んで来たんで、急いで戻ってください!」
変なことばかり考えているから、何かの補充をしにきたらしい彩子と、見事に激突してしまうというオチ。つーか指図すんな。先輩だぞ、俺は。
「ドンマイ、三井。」
しかも彩子と一緒にいた木暮に肩を叩きながら励まされる始末。そんな木暮は彩子の後を追って軽快に階段を下りて行った。なにがドンマイだ。もう、ほっといてくれ。
しかし頭の隅にはいつまでも水戸の女(仮)の彼女の匂いが残っている。女らしい匂いだったと思っていたけれど、あれってやっぱり水戸と同じ香水だよな?じゃあ��女らしい�≠チて表現はちょっと違うくねえか?——って、待て待て。やべえって、キモイって俺。落ち着け、落ち着けって、大切な人を傷つける天才よ。
「……だーっ!クソっ」
相変わらず自分は、しつこい奴なのだと改めて実感する。本当こういう自分を好きになれない。
「……あ、そもそも付き合ってねーんだった。」
俺はぽつりとつぶやいてぼりぼり頭を掻いた。そこでようやく階段を全て下り切り、一階の大地へと足をつけることに成功した。
「アホらし……」
くあ、と欠伸を一つかいて、屋上に置き去りにしてきてしまった彼女のことを想う。あんな女も水戸も、どうでもいいんだよ。俺が気にしなきゃならないのは、幼馴染の——最愛のアイツだけでいいんだ。
水戸と、水戸の女(仮)……ほんっと意味わかんねー奴らだぜ、まったく。そもそも、わからせようともしねぇ奴らだ。俺にはどうだっていい。
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