自分が幸運な時や運が向いたときは必ず、周りから悪口言われると聞いたことがある。
『悪口言われる』という事は、その人が『悪口を言いたくなるほど幸運』だという、証明らしい。
彼女の言葉が、何度も頭の中で反芻しては俺のすべてを支配していく。
『その真面目さを、不器用さを、好ましいと思う人は、必ずいるから大丈夫だよ』
空に手が届いた日——ピースはきっと、ここにある。
元はと言えば、
ここは俺の、ナワバリだったんだ——。
*
文化祭が終わり、凪ぐ風が頬をかすめる、なかなか紫外線の気になる、そんな放課後の屋上。
生まれてこのかた、俺は、所謂『不良』という肩書きをこの背に背負って生きている。ただ思春期真っ盛りの10代故、色んな事にも興味がわくし首だって突っ込みたい。
定期考査では常に赤点の数を更新しているが、別にもともと『勉強が出来る人』になりたいわけじゃないから問題はない。勉強しか出来ないバカにだけはなりたくなかったから。
でも『頭が良い人』にはなりたいなとは思う。
「ふぅー......」
重苦しい溜め息と共に口から零れる煙草の煙。右手には今朝、自販機で買った��7�≠フロゴ——セブンスターが在る。テスト赤点テスト赤点……脳味噌の8割くらい、そんな文字ばかり反芻していたりして。
アホくさ。俺は今日もここ湘北高校の屋上にて優雅に喫煙タイムを楽しむ。眼下には、部活動に勤しむ湘北高生の姿。
おーおー頑張るねぇ。野球部は外周か。なんてゾロゾロとムサクルシイ野球部の面々が、揃いも揃って外周へと駆けて行く後ろ姿を眺めあぐらをかき直したときだった。背後の扉がガチャリ、と音を立てた。
「!!」
思わず煙草をコンクリの地面に押し付け片手で捻り潰して振り返る、と。
「……ん? お。」
ずいぶんと見知った顔だった。びっくりした。今のところ、一度も教師には見つかった事はなかったけれど万一ってこともある。ドアが開く音がしてから、振り返るまでの0.3秒くらいの間に、どう弁解しようか言い訳を考えてしまっていた。
どう見ても『元気です!』とは程遠い顔をしたその生徒はバタンとドアを閉めるなりタシタシと上履きを引き摺って、こっちへとやって来た。
「なーんだ、先客か」
「はは、残念でした」
「ここ実は、密かにお気に入りの場所だったんだけどなぁ〜」
「へぇ、俺と同じだ」
「でも……そりゃそーか、煙草を吸うには、ここしかないもんねぇ?」
イヒヒと陽気に笑ってみせる彼女は、俺の隣にあぐらで座り込むとポケットから可愛らしいリップクリームを取り出した。これはまた。煙草とは程遠い代物ですこと。てか、タバコってバレてたのね。じゃあ、急いで消さなくても良かったってことか。もったいねー、まだ吸って間もなかったのに。
「どーした?また何か、事件でもあったかー?」
「んー。あ、ねえねえ!私、みょうじなまえ!」
「はい?」
「君は?」
まだ幼さの残るその顔立ちとは裏腹に、まとう空気はどこか大人びていて。何だかアンバランスな人だなーって思っていた、初めて出会ったときから、ずっと。
俺はポケットから煙草のパッケージを取り出し手馴れた手つきで一本持って火をつけ、フーッと紫煙を空気中に燻らせる。隣にいる彼女は何かを期待して、目をキラキラと輝かせている。そんな彼女の期待に応えるべく今日もまた突拍子もなく投げられたボールをキャッチして、とりあえず、乗っかってみることにする。
「——俺は、一年七組、水戸洋平。」
「へぇ〜、水戸洋平くんね! 私は二年一組!」
「じゃあセンパイだ。敬語で話さなきゃな」
「ちょっとー、もうー。話してないじゃん」
「あ。ホントだ」
「生意気って言われない?」
「ハハハ!よく言われマス」
我ながらわざとらしい敬語。ふと視線を感じて横を見れば、彼女はじいっと俺の手元を見ていて途端にバッ!と顔をあげ「一本ちょうだい」とか言っている。仕方なくふりだけでもと新しいのを一本取り出して渡せば一丁前に「火」とか言ってほれほれとライターの催促をしてきたので思わずここで苦笑した。でも、とりあえずは渡すことにする。��コレ�≠�他人に触らせたのは初めてかもしれない。
「あっ!ジッポなんだねー!」
「知ってるの?ジッポ。初めてのバイトの給料で買いました」
「なんか、100円ライターのイメージ強いよ?」
「それ、褒めてる?」
「うん、倹約家男子」
「なんだそりゃ。むずかしー言葉知ってんのね」
「ギリギリ、赤点取ってないからね〜!あとほら私、センパイだから♡」
「……とにかくもうおしまい。ごっこは終わり」
彼女から煙草を取り上げ、パッケージの中へと戻せば不服そうに頬を膨らませてブーブー文句を垂れていた。ここでまた俺は苦笑いを浮かべる。何か、ほんとにこの子って……花道に似てるんだよなぁ。どこがって聞かれたら、よくわかんないけど。だから、本人にはまだ言わないでおこうと思う。
「なんかさー、吸いたくなっちゃってさー」
「たばこ?」
「うん。水戸くん吸ってるの見てると美味しそうだなーって」
「美味しくないさ。体にいい事一個もないしな」
「じゃあ、なんで吸ってるの?」
「なんでかなー、そうねー......なんでだろうね」
彼女は「うわぁ、不良みたい」と、眉を下げて笑っている。言いたいだけでしょ、って返そうと思ったけれど、なんかもういいやって諦めて軽く笑うだけにしておいた。
「——で? なんかあったんですか?先輩は」
「もう!ごっこは終わりって言ったじゃん!」
相変わらずのノリ突っ込みに俺が笑っていれば彼女がじっと俺を見つめてきた。「ん?」と聞き返せば、にっこり笑った彼女が言う。
「可愛い、笑顔してるよね」
「へっ?」
「私、水戸くんの笑顔見てると、幸せになる。」
「……」
「可愛いよねー、ほんとに……。」
「……でも、俺——」
「んー?」
「よく、上手く笑えてないって、言われるよ。」
「え……?」
「どう思う? 俺ってさ、上手く笑えてない?」
一種の、賭け——みたいなものだった。こんなこと、誰かに聞いたこともなかったから。でも、なぜだか彼女にだけは素直に聞けた。と、いうか聞いてみたいと思った。なんとなく。なぜかは、俺にもよく、わからないけど。
「——誰が、そんなこと言ったの?」
「え?」
「誰?私がぶん殴ってやるよ、そんなこと言う人なんか!」
「……」
「水戸くんの笑顔、素敵だよ?特に、桜木くんを見てるときなんか、優しい顔して笑ってるよ?」
どれだけ、愛されているかを気にするよりも、どれだけ愛したいのかを、考えればいい——。
きっと俺はこの先ずっと、君のいた夏へ逢いに行きたくなるだろうな、なんて。ガラにもなく、歯の浮くような台詞を、心の中で呟いていた。
「水戸くんの事を、その真面目さを、不器用さを好ましいと思う人は、必ずいるから大丈夫だよ」
「……、」
「笑ってるときだけ高校生みたいに可愛いしさ」
「……コーコーセーだけどな? 俺、もともと」
「あ、そーだった! ふふっ」
「はっ……っんだよ、ソレ。」
いい、匂い……すんなぁ。シャンプー何使ってるんだろう——ってオイオイ。大丈夫か、俺は。まるで盛りのついた高校生みたいだ。いや実際、俺はコーコーセーなんだけどさ。最近バイト続きだったから、ちょっと疲れてるのかもしれない。
「俺も——なるよ。」
「んっ? なにが?」
「なまえさんの笑顔見てると、幸せに。」
「え……」
いくばくかの逡巡を持って、彼女は目を伏せてふ、と微笑んだ。あ、って思った。彼女がまた、��一線�≠�引いたと思ったからだ。こういう雰囲気になると途端にさっと線を引くことを、きっと彼女本人は気づいていない。無意識の行動なんだろうと思う。
そんな中、ぽつりと、彼女が思い出したように「あー、そうそう」と正面を向いた。
「ん? なに」
「うーん……」
なんだかその先を言いにくそうに言葉を選んでいる感じで「えーっとね」とか「でもなぁ」とか言っている。すでに吸い終わってしまった吸殻を一旦地面に捨てたままにしておくことにし、再び俺は箱から新しい一本を取り出す。ジッポのライターで火をつけて深く吸い込む。まずい、今日はペースが早いな……。
「水戸くん、さぁ……?」
「はい?」
「好きでもない子——っていうか、特に意識してない子とかと、さぁ?」
「うん」
「……キス、したことある?」
「はっ、へ?」
思わずポロッと王道に、煙草を口から落としてしまった。慌ててそれを拾って、また口に咥えて思考を必死に巡らせてみる。質問の回答を考えているわけではなく、どうして彼女がいま、そんな質問をしてきたのかを考えていた。それでも全く見当もできずゆっくりと視線を彼女へと向ければなぜか彼女は、顔を赤くして俯いていた。え——なに?なにごと……?
「な、なに……え、なんで、そんなこと——」
思わず吃ってしまったが、俺は煙草を口元から離して煙を吐きゴクリと唾を飲んだ。何だろう、マジでまったく見当もつかない。でもまぁ、女子高生だしな。思春期の悩みってやつ?え、なんだろう。マジでわかんないや。
「じ、じつは……ね?」
「……うん?」
「私……その、流川くんと、さぁ?」
「——!?」
それを聞いてピンときた。流川?あの、流川?あの、花道と犬猿の仲の。晴子ちゃんの想い人、俺と同い年の、1年10組、流川、楓——?
案の定それから先は言葉を詰まらせモゴモゴと口篭っていた彼女が何を言っているのかは判別できなかったけれど、要は、そういう事だろう。
「なまえさん」
「は、はい……?」
「わかってる。黙ってるよ、誰にも言わない」
ケムリと一緒に、俺は笑う。余裕そうな態度を装って。見透かしたような瞳で見つめてくるのには咄嗟に視線を逸らしてしまったけれど。でも、できたと思う。余裕そうないつも通りの態度を。
ややあって、もう言ってしまえと観念したのか彼女がぽつぽつと、事の経緯を話しだした。
「文化祭の、日。屋上でさ、寝てたんだよ、流川くんが」
「うん」
「んで、さ?本当に寝てるんだと思って、調子に乗ってさ、おーいって、遊んでたの」
「あー、言われた?」
「え?」
「何人たりともオレの眠りを妨げる奴は許さん」
「!!」
「……って?」
彼女がこちらを勢いよく見てまた赤面させた。やっぱり……花道に、似てるよな。もう言っちゃおうかな、花道に似てるよね、って。怒るかな?怒らないか。この子なら、むしろ喜んでくれそうではある。
「う、うん……で、ね?」
「うん」
「寿に——見られちゃってさぁ」
「あら」
「もう、和解はしたよ?ちゃんと。だから、喧嘩継続中とか、そういうのじゃないの」
「うん」
「でも、まだちょっとだけ……心の中がモヤモヤしてるって、いうか……誰にも言えなくてさぁ。バスケ部の人とかには、特に」
「そうねぇ……」
俺が短く返すとなぜか「スイマセン」と言って肩を竦めて謝る彼女。てか俺に謝られてもなぁ。
苦くて渋いセッターのケムリを吐ききって俺は地面に煙草を押し当てて残り火を消す。
「——今日、いい天気だな」
自分でもわかる、掴みどころのないその声は、煙と共に、大気へと消えていった。
*
あれから、どれくらい経ったのだろうか。私と水戸くんは今、大の字になってじんわりと僅かに熱を持ったコンクリの地面へと寝転がっている。
「花道の奴がさ、体育の時間に癇癪起こしてさ。止めんのも体力使うんだわー、こっちも」
思い出してまたうんざりしたのか、水戸くんは珍しく眉間に数本しわをよせた。私はそんな彼の様子を、真横で見ていた。
「お疲れさま」
「あのバカデカイ図体毎回抑えるこっちの身にもなってほしいよ」
「そんくらいでへばってんじゃ、まだまだだね!桜木軍団の名がすたるよ?」
「ハハハ、それもそーだな」
「タバコ吸ってるからじゃないの?体力ないの」
私がそう言うと水戸くんは珍しく高校生みたいな顔つきでジロッと睨んできた。いや、もともと歴とした高校生なんだけどさ、彼は。
「大丈夫。俺メンソールじゃないから」
「えっ?メンソール?」
「そ。メンソール。メンソールの煙草吸ってると勃たなくなるって、都市伝説があるんですよー」
言いながら水戸くんは「ヨッ」と、手を使わず上半身を起こした。向けられた背中。カチッと、火の付く音とともに、紫煙が宙に舞う。
なんか水戸くんって、そういう話……あまり、てか、全然しないイメージだったから、何て言い返したらいいのか迷って、結局何も言葉を返せなかった。
私ものそのそと起き上がってあぐらをかく水戸くんの隣に移動して座った。屋上から見渡せる、この風景。眼下の校庭の先にひろがる湘南の海。この眺めが好き。夕日が傾いて野球部の声が聞こえてきて、風が気持ちいい。
無言のままの私に気を遣ったのか彼は、何かを言わんとしたけれど、やっぱりちょっとだけ口を閉ざし、考えている風を装った。そうして、私の目を見据えた。
「なまえさん、試してみる?」
ちょっと真面目に水戸くんは言った。私は三秒くらい思考が停止して。そして思わずガッツリと目を逸らしてしまった。落ち着けっ、動じるな、私は先輩なんだから。どうせ、煙草だ。煙草を、吸ってみる?とか、そういう話だろう。
「…………あえて、訊くけど。なにを」
感情が声に乗らないよう懇親の一撃でそう返すと水戸くんは「わかってるくせに」なんて全部を見透かしたように目を細めた。
ありがとう。おかげ様で、目が覚めた。危ない危ない。ちょっと、寝そうだったもん。さっき、寝転がってるとき——とか、色んなことを脳内で一人で言い訳をして、気持ちを落ち着かせようとしていたら、水戸くんがぽつりと言葉を漏らす。
「さっきの話さ」
「……」
「あれ、流しちゃったけど」
「え……?」
「流川にキスされた、文化祭ハプニングの話。」
「!!」
そう言って水戸くんは自分の吸っていたセブンスターを私の口元へ——。一瞬だけ、スローモーションに見えたのは、永遠の謎。
「……!」
咄嗟に、反射的にくわえてしまい驚いてそれを取ろうとした手を、押さえ込まれた。水戸くん、近い——。強い、力が……!。
「ぅむ……、」
「吸っちゃダメ」
「……っ」
「咥えるだけ」
「……!?」
水戸くんは笑いながら。いや、笑っていない。だって瞳が笑ってないもん! どこが��コーコーセー�≠セよ。こんな高一、見た事ないよ。いてもアメリカの話だよ!ここ、日本だよっ!
「なまえさん、」
「——っ、」
「——これも、キスだよ?」
「!!」
水戸くんは私の口からパッと煙草を取り返し、再びそれをくわえた。一連の動作が速すぎてついていけない愚かな私。
水戸くんが立ち上がる。ぽとっと煙草を地面に捨てて両手をポケットに突っ込み爪先でグリグリと煙草の火をを消す。そんな、一連の流れさえもスムーズで、私はただただ、彼の爪先を見つめているしかなかった。
背後の扉がガチャリと音を立てる。そして彼はゆっくりと、屋上を出て行ったのだった。
「………。」
何も言えなかった——。煙を吸っていないのに口に残るセブンスターの苦い味。むせ返りそうな強いタール。咳き込みたくなる衝動をプライドのままに、私はグッとこらえた。
ラジオネーム、
水戸洋平
撲滅委員会メンバー募集中。
(ほんと水戸くんって、つかめない子……)
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