夜中の雨、涙が止まらない。
自分の意思では止まる事ができない。お願い、ひとりにしないで。ひとりにしないで……
気がついたら一人になっていそうで怖い……。怖いよ、離れないで。お願いだから離れないで。姿を消さないで。
朝日は登って絶対に消えないから朝日になって消えないで。ずっと、この生活が続きたいって。お願いだから、消えないで。
大切な人よ、愛しているから、心の奥深くから愛してるから。
悲しくて辛くて孤独で寂しい夜だってあるよ。涙が止まらない夜だってある。そんなときは寝なくてもいい、目を閉じればいい。
私は生きているよ、僕は生きているの?
生きていて、いいの?
ねえ、誰か教えてよ——。
*
中学校。行く価値も見出せないのに、三年間も通って卒業できたのは、今思えば不思議だけど。
中三のときに花道に会えてなかったら……結構真面目な話、自殺、してたのかもしれないなって思う。それくらい、あいつの存在は大きい。
��桜木花道��——噂は聞いていた。
今と同じような青空、春模様。噛み付くような鋭い目つき。初めての出会いは、最低だった。
殴りあった近所の空き地。散々やられたし散々やり返した、ボコボコになるほどに。今も残る、淡い傷跡。けれど、解り合うのに言葉なんかいらないと教えてくれたのもやっぱりあいつだった。
ひたすらあいつの背中だけを追いかけた。追いかけて、追いかけても、届かない広い背中。
悔しくて、悔しくて。どうしていつも俺には、明日が見えないんだろうって悩んで。そんなとき気付いた。誰かの様に演じて生きてみても、この不安な心が、晴れる事なんて無いのかもって。
両親不揃いで、同じような境遇だったことも、引き寄せた謂れだったのかもしれないなって今となれば思う。あえて互いに言葉にしたことはないけれど、ずっと遠くから見守ってくれていた花道には、感謝の言葉しかない。
いつからだったかな……守りたいモノに基準を付けはじめたのは。
勝手に線を引いて、入り込ませなくしたのは、いつからだ?
『守らなきゃいけないモノ』と『守りたいモノ』に分けたのは、いつからだ?
俺は自分が大嫌いだから。そんな俺に、色目を使う人間が心底気持ち悪かった。ちょっと微笑みかければホイホイとついてきて、まるでゴキブリみたいに。そして最後はメンヘラに成り下がる。
けど、そういう優しさを壊すことしかできない自分がいることももう、わかりきってる。そう、わかりきっているんだ……。
*
すっきりしないまま迎えた、お昼休み。屋上に向かう気分にもなれずそのまま校内をダラダラと歩く私の足。午後の種目は何だとか、あのクラスが勝った負けたと、会話が弾む湘北生を目の端に捉えながら、一階の自販機を目指す。
生徒入り口が開け放たれていたからか、潮風のにおいにつつまれながら、前をダラダラと集団で歩くの男子たちを見つける。桜木軍団だ。
全員それなりの身長をお持ち、よね、というか一人はデブか。その三人の前に少し小柄な男子。その隣には、赤い坊主頭。
「いや〜ミッチーと姐さんおもしろかったなー」
「ほんとな。まさか女子便所の中でシンデレラの演劇が見られるとはな!」
「しかしあのままミッチーの手が折れてくれりゃ大爆笑だったのによ、惜しかったぜー」
「ははは。本当に折れてたらもうバスケできねーだろ」
「はぁ。洋平は真面目だなー。ノリわりーぞ!」
彼らの歩くスピードが遅いため、私の歩幅ではすぐ声の聞こえる範囲まで追いついてしまって、だんだん見慣れた背中と聞きなれた声色が明らかになる。
「おい花道ー、それ、来年も着るのかー?」
「モチロン!来年はおめーらも作ってもらえよ、よーへーに」
「待て待て、俺作んの? 三人の名前入りを?」
「おうよ!よーへーの手にかかればチョチョイのチョイだろっ!」
「またお前は、テキトーなこと言いやがって」
いま一番会いたくない人にどうしてこうも毎回会ってしまうのかな。私、会いたくなくて今日はできる限り一年生の方には近づかなかったのに。
気づかれる前に迂回したかったが何で私が彼のためだけにそんな手間をかけなきゃいけないのかと。じゃあ知らん顔して歩いて追い抜けばいい。でも……何かそれもイヤだ。ああ、最悪だ。
「ふぬっ! 身の程を知れバカモノ!」
「痛ってーな!なにすんだ、花道っ!」
「ほらー、だから言っただろ、大楠ー。ダメだよ花道にそれ言っちゃあ」
そんなことをグルグル考えていたら桜木くんの頭突きを喰らった大楠に、そう言いながら後ろを振り返った洋平くんと、パチッと目が合ってしまった。
「あ」
「………!!」
災厄。最悪。サイアク!逃げたい——!
そんな私の心の声など知る由もない洋平くんは無邪気な笑みで私に手を振った。
「名前ちゃんだ、おーい」
周りにいた桜木軍団もその声に、こちらを振り返ったりして。桜木くんが「む」と言って軍団は「おー」と、軽く手をあげる。貼り付けたような笑顔が癪に触るがしょうがない。今だけは、甘んじて受け入れよう。私はてこてこと軍団に近づき軽く会釈する。
「ヤッホ」
野間と大楠の二人が一緒に「ヤッホー」とオウム返しをした。洋平くんは目を細めたあと、妙に人が良さそうな雰囲気で桜木くんに言う。
「花道、」
「ぬ?」
「おめーらも……先いってて」
「あ? どーした、よーへー」
「さっき、センコーに名前ちゃんと用事頼まれてたの忘れてて」
「よーじ?」
「な、名前ちゃん。それで迎えにきてくれたんだろ?」
洋平くんはそう言って、私を見る。「ね?」という顔をして。合わせろ、みたいなオーラをプンプンと醸し出して。私は少し目を泳がせたあと、「うん」と返してしまう。軍団は「りょーかい」と声を合わせる。ニコッと笑う洋平くん。なんだろう……この、トラブルの予感。
「じゃーな、午後グラウンドで」
洋平くんが営業スマイルでそう言い、来た道を戻っていくので、私ものこのこと、それに着いて行く。こういう自分が、どうも好きになれない。
「……」
「……」
なにこれ。隙あらば触れそうになる肩を懸命に離して、前へ、前へ。通り抜ける風の音が、耳に痛い。二人の上履きの音が、普段聴くこともないような音に聞こえる。すれ違う生徒が不思議そうな顔で見る。私だって不思議でたまらない。どうしてこんなことに。どうして、こんな人と——。
辿り着いた先は屋上だった。今日はスポーツの祭典——ということもあり、あの屋上常連客の、流川楓も珍しくしっかり参加していたので、屋上にはいなかった。
なんだ、これ……。
*
さあさあと風が吹く。二人で並んで座ってしばらく、どちらも喋らなかった。でも嫌じゃない。無言の空間がどこか心地いい。下から聞こえる、はしゃぐ生徒たちの声や、先生たちのいつもとは違う、緩い雰囲気の声音。
「お前らー、午後の競技の準備したのかー」
とかいう……ちょっと楽しそうな声。ホースで水を掛け合っているのか、女子生徒の「きゃー」という甲高い声。水のしぶきが、ここまで飛んできたりして。なんか——
「ウケる」
思わず笑ってしまった。洋平くんは食べていたガムで小さく風船を作りながらこっちを向いた。
「だって、なんかうける」
「なにそれ」
「なんかよくわかんないけど、面白い」
「面白い?」
「だって普通ないよこんなの。抱きしめられて、おでこにキスされて、屋上に、連れ込まれてる」
「……」
「超うける、なんなの洋平くん。」
笑い声が止まらない。こんな腹を抱えて笑うのは、いつぶりだろう。笑ってたら、いつの間にか私は、涙を流していた。笑いすぎて出た涙かな、それとも私、今……悲しくて、泣いてるの?
「……面白いね、わたしたち。」
私が目の涙を拭った時だった。洋平くんに急に強い力で、手首を掴まれた。スローモーション。目を瞑る暇もなかった。洋平くんは私のおでこに
——キスをする。
「……!」
咄嗟に、反対の手で洋平くんを、押しのけた。一瞬だけ離れて、目が合う。
「なにして、……っ!」
それも本当に一瞬で。また声は飲み込まれる。
洋平くんの匂い。甘さと苦さと——色んな物が混じって、不思議な匂い。いい、匂い。初めての香りだ。
「……」
「……」
長いような短いような沈黙のあと。洋平くんが私を押し倒した。私は驚いて何も言えない。彼はバツが悪そうに目をそらす。なんだこれ。こんな洋平くん、初めて見た。いつも余裕たっぷりで、経験値もガッツリありそうで、人の心を見透かしたような顔ばっかしている、彼が——。
「……洋平くんさ、女の子に、いつもこんなことしてんの?」
わりと冷静な、しかも、若干冷たい声音が自分から出てきて驚いた。
「最初会った時から、人タラシだなーとは思ってたよ。でも、誰彼構わず、こんなことするような人だったんだ?」
「……ううん」
「じゃあなに」
「……わかんないの?」
洋平くんはゆっくりこっちに目を向けた。なにその拗ねた子供みたいな顔。目が、あう。揺れる彼の瞳の中に、私がいる——。
「………、」
そんな顔をしてさ、私は、どうすればいいの。私が悪いの?と、その刹那。何故か彼の腕の中にいる私。
「言わなきゃ伝わんないヤツ初めて」
「……えっ? 言わなきゃ伝わんないでしょ」
洋平くんはちょっとだけ体を離して私を真正面から見据えた。だから、なんなのその顔。なに、拗ねてんの。私に——どうしろっていうの。
コツンと額がぶつかって。ああ、もう逃げ場がない。
——ガチャ・・・
その音に、同時に二人で音のする方を見やる。背筋が、凍りついた。でもこれは私の感情なんかじゃない。近すぎて、目の前の彼……洋平くんの感情が伝染した感じだった。
きっと今日は厄日。私じゃなくて、洋平くんにとっての、人生最大の——厄日になるだろう。
「花道……!」
さあさあと木々の音。ここは外で、屋上だし。下からは相変わらず無邪気な生徒達の声が聞こえてくるし。洋平くんは、ずっとかっこいいし。
だって、こんな未来はきっと誰も、予想もしていなかったもんね……? ああ、なんだこれ。
*
「花道!」
何も言葉は発さずに、一瞬だけ眉間に強く皺を寄せた彼、桜木くんはくるりと私たちに背を向けそそくさと屋上の階段を降りていく。開け放たれたままの屋上の扉に向かって洋平くんが彼の名を叫び、勢いよく私から離れて立ち上がった。
「待て、花道!」
彼は急いで桜木くんの後を追う。私はその場で時間が止まっていたが、すぐに我に返り同じく、急いで立ち上がって、二人の後を追う。
「待てよっ!花道……っ」
桜木くんの歩く足のスピードが速い。「頼む、待ってくれ」と洋平くんは、叫んで追いかける。隙あらば縺れそうになる脚を私は懸命に動かして前へ、前へ。
屋上の階段を下り切り、廊下の角を曲がると、随分と先で洋平くんがようやく桜木くんの腕を、後ろから掴んだ——が。
「離せっ——」
力いっぱいに、洋平くんの腕を振り払った桜木くんがその流れのままグイッと洋平くんの胸ぐらを掴み上げた。私はその場で思わず足を止めた。
「は、花道……あれは——転んで、」
「だろーな。」
「……、」
「じゃなきゃ、俺がこのままぶん殴ってる」
「花道……」
「洋平、おまえ——好きなのか?あの子のこと」
「——! それは……」
そのまま言葉に詰まった洋平くんをじっと見て桜木くんが洋平くんの胸ぐらを掴んでいた手を、ぱっと離した。解放された洋平くんが、肩で息をする。
「放ったらかしにして俺を追いかけてくるくれーなら——」
「……」
「もうやめろ、こんなこと……」
「……っ」
洋平くんに背を向けて、そう言葉を吐き捨てた桜木くんが、後頭部に手を当てがいながら、やや猫背になって歩いていく。
その時、先の階段を下りてきたらしい二人組の男女と桜木くんが鉢合わせになる。
「お?……なんだ、桜木じゃねーか」
「……ミッチー。」
「お、そうだ!見ろ見ろ!この最高傑作をよ!」
そう言って何も知らない三井は隣にいた彼女の肩に両手を置いて、くるりと回転させてみせた。その背中には——��寿仁一途�≠ニいう刺繍が施されていた。桜木くんは、さっきまでの鬱々とした空気なんかまるでなかったみたいにしてオォ!と声をあげている。
そのとき、三井の彼女が桜木くんの背後、やや距離の離れた位置に立っている洋平くんの存在に気づいて手を振る。
「水戸くーん!」
そう叫んでまた背中を向け��寿仁一途�≠ニ刺繍の入った特攻服を得意げに指さしぴょんぴょんと跳ねている。
「ありがとねーっ! 着る気になったぁ〜!」
「あン!?なんだァその着る気になったって!」
「ちょっとうるさ。早く水戸くんもおいでよ!」
「青春漫画かよ、ったく……声でけーっつの。」
「いいじゃん、青春漫画でも何でも。あっ、桜木くん。さっき、晴子ちゃんが探してたよー?」
「なんと!晴子さんが!! この天才を!?」
はは、と小さく息を吐くようにして浅く笑った洋平くんは両手をポケットに突っ込んでさっきの桜木くんと同様に、少しだけ猫背になって三人の元へと歩いて行った。
償うことさえ出来ずに
今日も
痛み
を抱いて生きていく。
(どーだミッチー、よーへースゲエだろ!)
(あ? なァんでおめーが得意げなんだよ)
(よーへーの彫りは神奈川ナンバーワンだからな!)
(——だってよ、水戸。褒められてるぜ)
(……うん、花道が言うならそうかもな)
※ image song
『 Tomorrow never knows/Mr.Children 』
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