朝方に食べた焼きおにぎりとか味がしない味噌汁とかを思い出して、微笑む日があってもいい。
恋愛がどうだこうだなんてわからないけれど、ふと思い出して、たまに口角が上がってもいいんじゃないかな。その時の顔ってきっと優しい顔をしてると想うんだよね。
だって一分一秒、人を想うこと、愛すること、それを知れたわけだからさ。
君に、花束みたいな恋ができますようにって。そしたら私、本当に良かったねって、抱きしめてあげるからね。
お母さんにはなれないけれどお母さんみたいにあなたの一番の味方でいることなら出来るから。
*
秋の夜長を鳴き通す、ああおもしろい虫の声。なんて——俳句を読みたくなるくらいには過ごしやすい季節にはなったものの生憎……本日、天気予報は雨だった。そして、その予報は的中する。
「あーあ、こんなにしちゃってぇ……」
私はとりあえず汚れた学ランをハンガーに引っ掛けて、その中から取り出した画面のひび割れた彼の携帯電話をまるで、思春期に父親の靴下でも拾ったかのように人差し指と親指で摘みあげる。
「不本意、不本意。」
私の隣でズボンを脱ぐ彼は、けらけらと笑う。あのさ、普通にボクサーパンツ一丁になるなよ、百歩譲って私だって女だぞ、この不良息子が。
そんな不良息子(仮)の顔には多少の殴られた痕がある。話によれば街中で肩がぶつかり、いざこざがあって派手に暴れてきたんだそうだ。
まったく……入学早々にも体育館で事件を起こしたくせに本当に、よくやるなと思う。あのときだって、いくらバスケ部——いや違うな。あれは親友の花道のためだったのか、確か。でも、それでも……ねえ?
「相手、高校生? そんな強い人だったのー?」
「うん。高校生かどーかも怪しい風貌だったぜ」
「ふーん」
「1対、6……ありゃ卑怯だわ」
「……そう。」
洋平の部屋で呑気にテレビをつけて彼の帰宅を待っていた私は、別に、彼女じゃない。よく誤解されるけれど。ただの親戚のお姉ちゃん。洋平のまわりをうろつく女の一人、なんかじゃないからご安心を。私としては、もはや本当の��弟�≠セと思っているけど実際こいつはどうなんだろうか。まぁ……初恋のキミ、くらいにはなりたいもんだけれどもさ。
「もう、いい加減やめれば?喧嘩。」
「——って言うけど、別に、俺からふっかけてるわけじゃないからなァ」
「放っておきゃあいいじゃん、喧嘩売られても」
「まー、それもそーなんだけどねー。なんかね」
「なんかね、って何だよまったく、不良息子が」
「ははっ、光栄ですね。」
洋平の家庭は複雑で私の父の妹が洋平の母親にあたるわけなんだけど、洋平のお母さんは昔から帰ってこないことが多くて、幼少期もほとんど、私の家で彼は過ごしていた。
中二の頃そんな母親がついに家を出て行った。『他に男を作って家を出た』と、母親がいなくなった理由を述べたのは、洋平の父親ではなくて、なんと、洋平本人だった。久しぶりに私の実家に顔を出した洋平が玄関先で言ったのだ。「母さん出てった。男作って」と——。 ああ、そうだ、あの日もたしか、こんな、雨の降る夜だったな。
「洋平ちっちゃいもんねー。牛乳嫌いだもんね」
「ちっちゃくはねーよ多分……って何の話だよ」
TVガイドを開いてみたが面白そうな番組は特にやってなさそうだったので速攻で閉じた。洋平はここで一人暮らしをしていて、そして私の両親も共働きで帰宅時間が極端に遅いので、こうして、暇潰しに彼の家に来ては、居座っている。
彼氏がいたらね……そっちに行くんだけど今はほら、絶賛彼氏募集中だから。でもこの子は追い返したりはしない。ご飯だって作ってくれる。
「てか、なに見てたの?」
「えー?わかんない。何かのドラマかな?」
「ふーん」
彼が中二の頃、散々やっていたとき。喧嘩は、とりあえず置いておいたとして、まあ女性関係が悲惨だった。このまま放っておくといずれ「子供ができました」なんて事になるのは時間の問題だと思っていた私たちだったが、両親はそっとしておけと怒り心頭な私を宥めたけれど私はやっぱり我慢できなくて洋平と散々やり合ってビンタして怒鳴って泣いて、愛のある説教をし続けていたら「知らねーよ」って突っぱねられるかと思いきや彼にはどうやら効いたらしくちょっと落ち着いてくれたという、いかにもお涙頂戴な、思い出話がある。
どこか心の片隅で、ちょっとだけでもいいから『この人は信用してもいい』って、思ってくれるようにって私たち家族は、洋平に寄り添ってきたつもりだ。
私をどう思って接しているのかこいつの場合、天地がひっくり返ったってわからない、永遠の謎なんだろうけれど少なくとも嫌われてはいないと思う。今はそれだけでいい。きっと彼もこれからどんどん大人に成長していけば、いつか必ず私達家族の想いが伝わると信じているから。本来この子は——いい子だからね。あえて言わないけど。
「ねーねー、洋平くん?」
「あー?」
「湘北にさ? カッコいい子、いないの?」
「は?」
「高三くらいの子だったらさ、ギリギリ犯罪にはならなそうじゃない?」
「ギリギリ犯罪です。」
私は「ちぇっ」と言って洋平に背を向けてまたテレビに集中する。あ、この連ドラの主役の俳優さん、名前なんだっけ。すっごくかっこいいな。タイプだなー、この顔立ち。要チェックだわ。
「よーへい」
「なーに」
「超かっこいー」
「……」
「この俳優さん」
「バカ」
「……?」
さては。自分の事をカッコいいって言われたと思ったんだなぁ〜?やだ、可愛いとこあるじゃん洋平ちゃん。大人びて見えてもやっぱり中身は、まだまだ現役男子高校生なんだなぁ……。バカ、だって。ほんと可愛い。お姉ちゃんが何でも買ってあげちゃうよー、なんちゃって。
「あ、その俳優……」
「ん? なに洋平、どしたの」
「なまえさんがカッコいいって言ってた人だ」
「なまえさん?」
「うん」
「何、もしかしてアンタ……また女の子泣かしてんじゃないでしょーね?ほんと大概にしなよ?」
「はっ。残念だったな、ダチでしたー」
「……、ふーん。ダチ、ねぇ……」
へえ……、洋平に女の子の��トモダチ�≠ネんていたんだ。初耳だ。高校生になって、ちょっとは大人になったってことかな。これは後で両親にも報告しなければ。世間の高校生からは『えっ?女友達が珍しい?』なんて言われてしまうかも知れないけれど、彼にとっては、素晴らしい成長だ。
「それに、期待に応えられなくて申し訳ねーけど俺、女の子には優しーよ?」
「えっ? そーなの?」
「そうー。泣かしたことなんてありませんよー」
「はい?泣かした事ないって?どの口が言うの。いつから?どうしてまた」
「別に、もともと俺は優しいって。たぶん。」
「へぇ。そりゃあ、私がわるーござんしたね」
確かに。言われてみれば、小さい頃から正義の味方とか、そういうポジション?だったかも知れないなぁと思い出す。私もいじめっ子から助けてもらった記憶があるかも……超、昔の話だけど。
やっぱり擦れたのは、あの、中二の頃の母親の事が原因か。もしも逆で、父親が他に女を作って出て行ったとかだったら、また違った青春時代を彼も過ごしていたのかも知れないけど。よくわからないな、男の子の心境は。やっぱり何だかんだ言って、子供には母親が必要とか言うしね。
「ねー、よーへい」
「んー?」
「雨、好き?」
「……なんで」
「別に、なんとなく」
部屋着のゆるい格好に着替え終わった洋平は、「よいしょ」とかおやじみたいに口走り、煙草に火をつけながら立ち上がって、台所へ向かう。
「——嫌いじゃ、ねーよ別に。わかんないけど」
「……そう。」
「ナマエちゃん」
「おーおー、昔はよくそうやって呼んでたけど、今になるとチャン付けきっしょいな」
「うるせー。で?今夜は何が食べたいんでしょうかー?」
「えっ?」
「……え、って。泊まってくんでしょ?今日も」
おっと?あらあら、寂しがり屋め。可愛い奴。
私はパッと顔を明るくしてその背中に向かって「オムライスっ!」と意気揚々に答えた。すると洋平の足がぴたっと一瞬止まり、また歩き出す。
「……たまご、あったかなァ」
洋平は困ったような顔をして頭をぽりぽり掻きながら、冷蔵庫を開く。私はその様子をソファで大笑いしながら見ていた。洋平の手作りは、天下一品。フライパンから火ぃ噴いちゃうんだから!
そういえば、あの日——あの三井って男の子をここに招き入れた日も今日と同じ雨だったなぁ。
——数ヶ月前、五月中旬。
「え——、よーへい!?」
三井くんが出ていった数十分後、バタンっ!と玄関のドアが大きな音をたてて勢いよく開いた。何かと思って恐る恐る玄関のほうを覗くと洋平の姿を確認したので、驚いた。
「おかえ——って、ぎゃああ!」
「……」
「な、なんでそんなびしょ濡れなのよ!?」
「……」
「ちょっ、傘はっ!?あほなの!? バカなの、あんたって子は!?」
尋常じゃないほど、もう川にでも落ちたんかと問い質したくなるほど全身水の化身と化した彼を見て私は人の家だってこともかまわずドタバタとタオルを探して、部屋を走りまわる。そんな私をよそに洋平は無言のまま室内に上がり込む。ポタポタと滴が、彼からこぼれ堕ちていく。
「……」
「……よ、へい?」
雨水を吸いこんだ学ランを洋平はたし、と脱ぎ捨てた。私は洗面所にあったタオルを適当にかっさらい、洋平のもとへ戻る。
あの三井くんと比べたら小さい方かも知れないけれど女からすれば当然自分よりも背の高い彼は顔を正面というよりは正面より上に向けて、私へ表情を見られないようにしている……としか取れない。雨に濡れた、彼の顔。錯覚——泣いているように見えた。
「洋平、」
「なに?」
「あんた、バイトは……?」
タオルを渡しながらそう言った瞬間。ぐわん、と胸倉を掴まれた。え?と、口の中で言った私。洋平はタオルを受け取らなかった。胸倉を掴まれたというよりも胸元を引っ張られて鎖骨あたりを見られている感じだ。
「盛ってんの?……変態?」
「うん」
「開き直んな!バカ。近親婚する気か、ボケ!」
「できるでしょ、いとこ同士なら」
「——っ、そーいう事じゃなくてっ!」
ぱっと洋平の手を振り払って私は背を向けた。なんだ、この子いきなり。急に��男�¥oしてくるじゃん。しかも力、強すぎ。なんて思っていると小さな声で名前を呼ばれ、ばっと洋平の方を振り返る。洋平はやっぱり目をあわせてはくれない。
「なんで、俺の話なんかしたの」
「……あ、ごめんね、聞いてたのね」
「しかも、あんな奴に——」
「……ごめん。調子乗ったね、ごめん洋平。」
「——ごめん……バイト戻る。」
「ちょっ、待って!」
洋平はくるっと体の向きを変えて、ドアの方へ歩いて行く。しかし、ちょっとだけ足取りが重いようにも見えた。なんだ、それ。意味わかんないヤツだ、本当にこの子は——。
「洋平!」
ガチャリと洋平はそのままドアノブを回した。テレビからは、いつの間にか夜のニュース番組が流れていた。胡散臭い政治評論家が淡々と偉そうに持論を語っている声が機械的に聞こえる。
「……」
ごめんって何?何に対しての「ごめん」なの?誰に対しての謝罪?なんで帰ってきたんだろう。
「——あ、」
ドアを閉める間際、洋平が呟く。私はうつむき加減だった顔を、少しだけ上げた。
「飯、あれな。やっぱ焼きうどんで。」
それだけ言ってバタンと扉が閉まった。ドアの閉まった音が、虚しくも室内にこだまする。
ああ、ちくしょう。何で涙が出てくんだろう。洋平の心を思うと、いつもこうして悲しくなる。あんたって本当に寂しいヤツだよ。大丈夫かよ。
「……っ、紅生姜抜きだかんなっ!」
私が、誰もいないはずのドアに向かって叫んでやると「上等だよ、」なんて。扉の向こう——、遠くで、洋平のくすくすと笑う小さな声が返ってきた。
洋平を見ていると、いつも思うこと。ちゃんと心が休める場所——あるのかな、って。
心配だよ……お姉ちゃん、アンタが心配だよ。
ハーネス
付けたら、意気消沈する?
(付けてもらいなよ、また——花道に。)
※ image song『 Silly/家入レオ 』
TOP