人って価値観が合うか、器が大きいか——そのどっちかがないと、きついでしょ。
彼が教えてくれた特集、私には、ちょっとよくわからなかった。彼が教えてくれる映画もどれも面白くなかった。こんな面白くないものを面白いって言うなんて、面白い人だなぁって。よくわかんなくて、楽しかったの。
未熟な愛は言う『愛してるよ君が必要だから』と。成熟した愛は言う『君が必要だよ愛しているから』と——。
やっぱり私には、よくわからない事ばかりだ。
15歳 11月
― 15歳 11月 ―
体育祭が終わった。季節は秋。過ごしやすく、食べ物がおいしくなる季節だ。もうすっかり日も短くなってきたように思う。
今日は初めて洋平くんと一緒に登校するという奇跡が起きた。まあ……偶然はち合わせになっただけなんだけどさ。
「ねっみ……」
「最近ちゃんとみんなと同じ時間に来てるの?」
「んー、まーねー。花道の朝練あるときとかは、もっと早いかなー」
「朝起きるの辛いでしょ?」
「んー、まあ、朝に強い方ではないかもね」
「——私と、一緒に登校してて平気なの?」
そういえば前みたいに眠くてもにこにこ笑ったりしなくなったかも、洋平くん。本来はこれが、当たり前のはず。いつも夜遅くまでバイトもしているらしいし、朝早く起きるのは、難しいよね。
「でも名前ちゃんは俺と登校する方がいいんじゃねーの?」
眠そうで、だるそうな目……。不覚にも、かっこいい——そんな言葉が、頭を駆け巡る。そんな目で、私を見るの?
「……やだ」
「あーあ……嘘ついちゃうの」
立ち止まり、私が恥ずかしさに顔を背けると、洋平くんは少し身をかがめ、私に顔を近付ける。
「嘘つきには、お仕置きしちゃうけど」
「……!」
私はぎゅっと目を瞑る。瞬間、額に走る痛み。そーっと目を開ける。でこぴんされたよ。何だよまたそうやって、笑ってんの?カッコ、いいよ。
「公道ですから、何もいたしません」
そう言ってけらけら笑う洋平くん。畜生、してやられた。彼の横顔、綺麗だなって思う。いつもこんな近くで見ていたいなぁ、ははは。なんちゃって。
「——てかさ、」
「ん?」
「名前ちゃん、泣いたね?」
「え、」
ふいに彼がそんなことを口にする。驚いて彼の方を見るとちょっと苦笑してこっちを見ていた。「ばればれ」と、洋平くんは目を細める。
「……ごめん」
「えー?何謝ってんの」
確かに——目、腫れてるかも……。昨日の夜、実は泣いた。かなり泣いた。最近連絡すらまともに取っていなかった彼氏。その彼を駅で見かけてしまったのだ。しかも、隣には同じ翔陽の生徒らしき女子生徒の姿。手を繋いで……キスしてた。もう好きじゃないと思っていたはずなのに。浮気されていたと思ったら、なんか悲しくて。でも、何で今まで気付かなかったんだろう、とか、色々考えて結局、あまり眠れなかった。
彼は長い間ずっと猫を被っていて本性を見せてはくれなかった——そういうことだ。私ばっかり全力で、必死で。悔しくて悲しくて。
連絡をして別れを告げるのが正しいはずの選択なのに、連絡できなかった。少なからず心の隅でまだ彼が好きなのかも知れない。どんなにダメでも嘘をつかれていたんだとしても今でもちゃんと好きだったんだなあと、実感してしまったのだ。
「でも——今は、洋平くんしか見てないから」
私が微笑むと、洋平くんは目を丸くして、そのあと、眉を下げて困ったように言った。
「彼氏と……別れたんだ?」
「……ううん、まだ、別れてはないけど」
「……。」
最後、尻すぼみする私をじいっと見ていた洋平くんがふっと笑った。まるで自嘲するみたいに。そして……呆れた、って言いたげに。
「欲張りだなー、あいかわらず」
「……ご、ごめん。」
「名前ちゃんは、ほんとに馬鹿だよね」
真面目にそんな事を言うから思わず聞き流してしまう。そうかも。いや、そうだね。洋平くんを好きになった、時点でね——。
*
昇降口に行き階段を登り教室に着くまでの間、私たちは無言だった。教室のドアの前に近付くと洋平くんが、こっちを見た。私も洋平くんを見て立ち止まる。私が突然立ち止まったからか彼も、不思議そうな顔をして足を止めた。
「ねえ、洋平くん」
「……ん?」
「私、強くなる」
「え」
「強くなるよ。だから、見てて」
「……」
私はまた歩き出す。いつもよりもすこしばかり胸を張って。
教室のドアを目の前にして立ち止まり、深呼吸する私を横目に見てドアは洋平くんの手によって開かれた。
「おはよ!」
私は笑いながら近くにいたクラスの子に挨拶をする。クラスメイトは戸惑いながらも「お、おはよ」と返してくれた。そのまま席に着くまで私は挨拶を絶やさない。
席に着くと、教室の隅で私の方を見ながらひそひそ話をしている、あのいじめっ子二人組に気付いた。私が笑って手を振ると、面食らったような顔をしてから、こちらへと歩み寄って来た。
「おはよー」
「はぁ? なにがおはよう?」
私がひらひら手を振ると、数ヶ月前に私の鞄が直撃した方の女子生徒が口を開いた。「何様だよてめー」とか言いながら。お、また始まったよと思っていたら、今度はもう片っ方が言った。
「何なの、まじ意味わかんない。頭打った?」
「なに?私ただ、あいさつしただけだけど?」
私が笑いながら見上げるとバンっ!と思いきり机をたたかれた。あの、これ……私の机なんですけれども。
「ふざけんなよ、こら!」
怒号が飛び交う。そのまま彼女が、右手を振り翳したのを見てビンタされると悟った私が思わずギュッと目を瞑った、そのとき——。
「いや、ふざけてはねーよ」
どこからか男の人の声が響いた。私は目を開ける。そうして、目の前の女子たちと一緒に、声がした方を見ると自分の席に座って真顔でこちらを見ている、水戸洋平がいた。
「てか、ふざけて挨拶するって、どんなんだよ」
ははっと彼は笑いながら足を組んだ。腕を椅子の背に掛けて、こっちを見ながら言う。
「それからさぁ、なんか文句あるならこれからは俺に言ってくんない?」
笑いながら——本当に笑いながら。彼にそんな事を言われた彼女たちは案の定困惑気味だった。たぶん、自分たちは彼から絡まれはしないだろと高を括っていたんだと思う。
「俺、全部知ってるよ?」
「え……」
「あんたらが、名字さんに何してんのか。」
「……っ」
「てかぶっちゃけ、名字さんはなんも悪くないよね?」
淡々と続ける。うちのクラス——7組だけ教室内は変に静まり返っていた。だからなのか余計に響く、彼の癖のある声。
「あー、そうだ。 いい機会だから言っとくね」
洋平くんが席を立つ。すたすたと上履きを引き摺らしながら私たちの席の方へ来る。そして彼女たちの前に立ち、ズボンのポケットに両手を突っ込んだまま涼しい顔をして、飄々と言い放った。
「俺、万引きもレイプもしてませんから」
「……」
「ちなみに言うと、酒も煙草も無理です」
「……、」
「しょぼいんですよー、俺なんか。ねっ?」
洋平くんはニッと笑って軽くウインクをした。誰も動かなかった。何も言わなかった。きっと、この中の誰も彼がこんな事を言うなんて考えてもいなかっただろう。
「な、なに、いきなり——」
「だからさァ」
目の前の女子が言いかけた言葉を遮って、洋平くんは、とても悲しそうに微笑んで続けた。
「もうやめようよ……仲良く、して?」
「……、」
彼女は洋平くんから目を反らし、黙る。そんな彼女たちに今度は私が口を開き、呟いた。
「——鞄、ごめんね」
そう謝ると女子二人がぱっと顔を上げた。私は立ち上がり二人を交互に見やる。泣きそうになるのを必死に堪えて、私は頑張って声を出す。
「もう、洋平くんのこと……悪く言わないで」
「……」
「洋平くんが夜遅いのは女の人と遊んでるんじゃなくて、バイトをしてるからだし」
洋平くんの方を見ると、目が合った。彼は目を少しだけ細めた。構わずに私はそのまま続ける。
「無愛想なのは、眠いからで」
「……」
「目付きが悪いのは、目が悪いからで……」
洋平くんは目を伏せてふっと笑った。彼女達がうろたえている。私も笑う。声が、震える。
「……わかって、あげてよ」
ふと壁掛け時計を見たらもうすぐHRの時間になるところだった。お願い、まだ来ないで先生。
「——って、ことです。」
洋平くんが肩をすくませてみせると、彼女達は目を泳がせながら自分たちの席に戻って行った。私と洋平くんも顔を見合わせて笑い、席に着く。釈然とした空気の教室に担任が登場し散らばっていた生徒たちも席に着いていく。妙に静かな教室内の様子に、担任の先生は不思議そうな顔をし、それでもすぐに、いつも通り出席を取り始めた。
ふと洋平くんの方を見てみると、頬杖をついて窓の外——晴天な空を、ぼんやりと眺めていた。
——ガラガラッ!!
勢いよく教室の後ろの扉が開いて、先生の声がピタリと止まる。生徒たちも全員で反射的に扉の方に視線を向けた。
「まずい……。遅刻、か……?」
桜木くんだった。いつもの如く生徒たちのくすくすという笑い声が聞こえてくる。担任は呆れたような顔をして目だけで「早く座れ」と桜木くんに促し、桜木くんも、背を丸めながら面食らったように、そそくさと席に着く。そんな桜木くんを洋平くんは、まるで母鳥のような雰囲気を纏って見つめていた。
——これからだよね、洋平くん。私は、瞬きをひとつして目を瞑り、静かに下を向いた。
*
その日の放課後。帰る準備をしているところにクラスメイト、しかもあの女子二人組から「バイバイ」なんて、声をかけられるという、これまた今朝の登校時間に引き続き第二の奇跡が起こる。
「……うん、バイバイ」
私がそう返したらその女子二人組が私の背後にも視線を投げて「じゃーね水戸くん」と言った。
座ったまま後ろを振り返れば、そこには、洋平くんが立っていた。彼も「じゃあ」なんて笑って小さく手を振っている。
「——バイバイ! また明日ねっ!」
すでに教室の入り口付近まで歩いて行った二人の背中に、もう一度そう声を張れば挨拶を投げかけられた女子二人組が振り返り、少しだけ驚いたような顔をしていたが、それでもそのあと笑顔で「また明日ね、名前」と、返してくれた。
「……いい感じ。」
女子二人の姿が見えなくなってから、私がそう呟くと、背後から「だな」と、愉快そうに笑った洋平くんの声が聞こえた。
「これからだよ」
急に洋平くんはそう言って、ポケットに両手を突っ込みながら中腰になって私の顔を覗き込む。
「俺も、名前ちゃんも」
窓の方に向いてしまった彼の顔。ただ一瞬だけちらっと彼の表情が見えた。見たことのないその表情は、あまりにも切なすぎて——。
きっと、嬉しいんだろうな、って思った。何でそんな、なんでそんな……素直なんだよ。なんでそんな、いろんな表情を持っているの。
「敗者復活戦——、ってやつだな」
「え? もう……何それ。」
「え? 言ったまんまさ。」
「……。」
時折悲しいくらい少年になる彼がいる。普段は変に落ち着いて大人っぽくて。でも笑うと普通に高校生で。そして……感情をうまくコントロールできないとき、洋平くんはすごく、少年になる。
私、ほんとにこの人が好きだ……。やばいよ。ほんと、好き。どうしよう……。
あなたの隣で、
素直
に笑いたい。
(さてと。花道の勇姿でも見に行くかなー)
(——洋平くん!)
(んー?)
(バイバイ、また、明日ねっ!)
(……うん、じゃーな。また明日。)
※ image song『 恋をしたのは/aiko 』
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