好きなのにそばにいられないのは辛いけれど、そばにいても信用できないのは、もっと辛い。
夢だと、思ったのに——。
*
目が覚めると、いつもと変わらぬ日常だった。しかしその中でも明らかにいつもとは違う異変。見覚えのない景色が視界を支配した。薄く淀んだ天井と、煙草の匂いと——。気づかなければいいのに気づいてしまう、私の目敏さ。鼻腔を掠める女物の香水……。ぜんぶ、洋平くんの匂い。
「起きた?」
声がした方を見ると横向きの彼。私が洋平くんのベットに寝かされているからだ。冷静さを失う彼の香りで、胸がいっぱいになる。
夢か幻か、現実か——そんな朦朧とした意識の中で、またも思い出す、あの保健室での出来事。
『……起きた?』
あの時の優しげな声、薬のにおい、白い天井、洋平くんの、端正な顔。それとは違う——冷たい声色とその表情が、これは夢であってほしいと、強く、私の脳に自分自身が語りかけてくる。これ以上そばに来てほしくない。それにしたってこの部屋につれてこられただけで私はもう胸が詰まりそうなんだ。来てみたかったはずの、彼の陣地。理想の形ではなかったけれども。
「……」
「……」
彼は黙ったまま床に腰を下ろした。そしてポケットから小さな箱を取り出し、細くて短いものを人差し指と中指の間に挟んで高そうなライターで火をつける。私はそれをただただ呆然と見つめていた。
「洋平……くん。」
私が呟く。すると彼はこちらを見向きもしないで、ふぅーと慣れたように長い煙を吐き出した。
「煙草、無理って……」
——言ってたのに。
彼はまた深くそれを吸い込んで煙を吐き出す。
「嘘。」
はっとして洋平くんを見た。彼の言葉を初めてちゃんと、聞き取れたからだ。
「煙草、吸える」
「……。」
洋平くんは目を瞑って淡々と呟く。……夢じゃなかったのかな。そのとき徐にテレビが点いた。何時間位、寝ていたんだろう。テレビはもうたいした番組はやっていなかった。深夜番組か、何かだろうか。彼がリモコンで、チャンネルを回していく。結局、変なドラマで彼の手は止まった。
「あ、こいつ」
「……、ん?」
ふいに洋平くんが顎で画面をしゃくった。雑に見えたその仕草も、本来はこれが、彼の本当の姿なのではないのだろうか……と。そんな頭で私もテレビ画面を見やる。
「なまえさんがかっこいーって言ってた奴」
「——あ、あぁ……そう、なんだ……」
そう、なんだ……言葉の通り、そんな返ししか出来ない。三井の彼女の趣味なんて知った事か。
「どこがいーんだろうなァ……」
「え……」
「俺にはさっぱりわかんねーや」
「……。」
洋平くんと出会って彼と過ごしてきた時間が、やけに遠く思える。たった半年足らずしか経っていないのに。
シリアスなドラマの中では三井の彼女がかっこいいと言っていたらしい俳優がきびきびと演技をしていた。目もとがキリとしていて射抜くような視線。きっとモテるんだろうなあ、なんてぼんやりと思った。心なしか三井に似ている気がした。
「……洋平、くん」
「ん?」
「やっぱ、いいや」
「なに?言ってよ」
洋平くんはテレビの画面に顔を向けたまま振り向かずに答える。向かなくていい。向かれたら、死ぬ、私が——。今度こそ、隠せない。
「洋平くん、さ……」
「うん」
「洋平くん、は……さぁ、」
「うん」
ドラマのBGMが鬱陶しかった。とっても悲しい音楽だったから。私は布団を被り直した。そして洋平くんに、背を向けた。
「どうでもいい?——私のこと。」
言って、目を瞑った。布団の中からなのでくぐもって聞こえていなければそれでもいい。むしろそれがいい。ああやっぱり訊くんじゃなかった。死にそう。今にも死にそうだ、私。これで「どうでもいい」なんて言われたら——私は、どうするつもりだろうか。
「……」
「……」
何も言葉は返って来なかった。テレビの音が、よく聞こえる。洋平くんは黙ったまま。きっと、今も私に、背を向けたままなのだろう。それでもやっぱり、期待している自分がいた。ねえ、どうでも……いいの?
「どうでもいいよ」
はっとした。心臓がうるさくて、気持ち悪い。洋平くんの声がする。途端に、泣きたくなった。
「——じゃあ、三井……センパイの、彼女は?」
「……」
「どうでも、いいの……?」
「……どうでもいいとかよくないとか、そう思う事が、どうでもいい」
「……」
「それ以前の問題なんだよね」
どういうこと?私は——馬鹿な質問をしたの?私の質問は……間違いだったの?
「……意味、分かんない」
「分かんないなら、いいんじゃない?」
「何それ……ほんとに意味分かんないんだけど。意味分かんない……」
「……」
「あーもう、わかるように言ってよねっ!」
痺れを切らした私はガバッと布団から起き上がった。冷たい床に足を付いて、洋平くんの胸倉を掴んだ。ぐわんと、私と彼の距離が狭まる。
「……何の真似」
洋平くんの冷たい目——。初めて会ったときに向けられた視線と同じ。その瞳の中に私がいた。その冷たい声色は私の思考を無駄に壊していく。冷静さを、失わせる。
「前から——」
「……」
「……違う。初めて会ったときから、思ってた」
首の肉がひりひりする。きっと洋平くんの爪が食い込んだ傷だ。
「言いたいことなんて何にも言わない……本音は全部自分の中。いつも抽象的な事ばっか言って、すかしてんの」
「……」
「かっこつけないでよっ!」
言って力いっぱい彼を突き飛ばした。私なんかの力では、彼はびくともしなかったけれど。
ダメだ、もう。最悪だ、こんなの。嫌われる、嫌われる。絶対に嫌われる。あ……やばい。涙が出そう。
「ふーん。そう思ってたんだ、今までずーっと」
洋平くんの声が聞こえる。洋平くんの方なんてもう見れない。だって、怖い。
「へぇ……」
突如、場に似合わない笑い声。ゆっくりと顔を上げてみると洋平くんが笑っていた。心底、愉しそうに。背中が、ぞくっとした。怖いよ——洋平くんが。
「何が、おかしいの?」
「さぁ……何だろうね」
「……洋平くん、おかしいよ」
私がそう言った瞬間、一瞬だけ、真顔になった彼がフッと鼻で笑い、私に笑顔を向けて応えた。
「知ってる。」
「……ッ」
急に胸がつっかえて、涙が出てきた。私は口を押さえて立ち上がる。すると、当然のように洋平くんが私の手首を掴んだ。振り解こうとしても、びくともしない。
「……っや、離してっ!」
「……」
「離してよ!」
涙が伝う。止まらない。わからない。自分が、わからない。ただここから逃げ出したい。ここは彼のテリトリーだ。私のいるべき場所じゃない。そんなの——はじめから、わかってたんだ。
「何で、俺のことだけ見てくれないの?」
びたり、と全ての動きが止まった。頭が、追い付かない。くいっと手を引かれ、洋平くんの腕の中へと簡単におさまってしまう、馬鹿な私。
「……はな、し……ッ!」
ちゅっと耳の裏にキスをされて体が強張った。また雫が、頬を伝った。
「……やだよ、もう」
「……」
「離してよっ……」
「……」
「も、つらい、の……!も、わたし、わかんないよっ……!」
震え泣く私を、洋平くんは、ただ後ろから抱き締める。決して口唇には届かない甘い甘いキスが降り注ぐ。
ずるい、ずるいよ。結局私の欲しかった言葉をくれた。でも、私にここまでさせて。ずるい……ずるいよ。だから、止められないの——。
私の気持ちに気づいておいて、一緒にいたってキスだってしてくれなかったくせに。抱き締めもしなかったくせに。髪だって触らなかったくせにどうして離れたら、いともたやすく触るの?
「……ッ」
どうして、口唇にキスはしてくれないの——?洋平くんのキスは、媚薬?ちがう。麻薬だった。どんどんくらくらして、嵌って抜け出せなくて、どうにでもなれって思わせるんだ。もっと欲しいと、思わせるの。
「名前ちゃんってさー」
「……、」
「ほんっと、馬鹿だよなァ」
「——っ」
遠のいていく意識の奥で自分の中の『危険』が騒ぐのに、いつも途中で背を向ける。また、彼の手中に堕ちる。きっと目覚めても、私はまた彼のいる��この世界�≠ノ、戻ってくるのだろう。
冷たくされては甘く、優しくされたら、酷に。そんな悪い鞭の餌食。そんな、悪戯の繰り返し。もう、救えない——。
期待は、感情の
借金
なんだよ。
(——私は、本当にバカだ。)
※ image song『 a little pain/OLIVIA 』
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