私はそばにあったクッションを取って彼の頭に叩き付けた。案の定、相手は突然の衝撃と出来事に、両手で頭を抑えて私の方を勢いよく見る。
「——ってぇなァ!」
「もう! 嫌いっ!」
「はぁ!?」
「嫌いっ、もう寿なんかきらい!!寿が好きって言ったんじゃん!嘘つき!」
「……って、おい、ちょっ」
何度も何度もクッションで叩く我を忘れた私を彼は眉間に皺を寄せて困惑した眼差しで見つめていた。
「私のことだけ好きだって言ったくせに!バカ!嫌い!!」
「……お、落ち着けって、」
「嘘ばっか!口ばっか!もう、嫌いっ!」
「——チッ、このっ……」
ぱし、と。クッションを持つ手がつかまった。息が上がる。そもそもはじめから、勝つ気なんてない。捕われた腕を抵抗すらせず、私は——涙を流すしかできない。
「……ッ、……、」
「暴れんなって、ちゃんと……聞くからよ」
まっすぐにこちらを見る彼の目が久しぶりだと思った。だけど……合わせる勇気がなくて。涙でぐちゃぐちゃな顔で、私は俯いて呟く。
「……っ、悔しい、私だけ……好きみたいで」
「……」
「だから、言えないよ。言いたくない。言ったら寿の、思うツボじゃんっ……」
振り絞ってそれだけを言った。転校してきて、長年の初恋が結ばれて。急に相手がモテ出して、大切な進路の相談はしてくれない。自分でも何が何だか、よくわからなくなってきた。でも、そのとき——
「……強情な女だなァ」
苦笑するみたいにして、口角をやや吊り上げた彼の小さなささやきが、悪魔の呪いみたいに耳に届いて、かみつくようなキスが遅れて流れ込んできた。
「……っ!」
うなじを押さえられて角度を変えて襲うキスは酸素を奪われてうまく息ができない。泣いていて嗚咽が苦しくて、酸素を求めるのにかなわない。どんどん、体の力が抜けていく。
「……っん、……っ……、」
私は簡単に負けて、どさっと背中が布団に接した。唇が離れて、久しぶりに彼と正面から見つめ合った。息が弾み切なげなまなざしがぶつかるとぐらりと、意識が揺れそうになる。
「……言えよ、なまえ。ちゃんと言ってみ?」
「……っ」
「なあ、言えんだろ?」
耳元で囁きながら、ちゅと頬に口づけられる。また涙が出そうだ。悔しくて。好きだから、負けたくないのに。
「寿は——、……わたしの、だよ、ねっ……」
喉が震える。羞恥で、今頃、アホみたいな顔をしている自分がいる。
「私のことだけ、見ててよ……」
伝えたい言葉は、そんな言葉じゃなかったはずなのに。でもそれは、小学生以下の私の醜い本音だった。落ちてくるキス——彼の手が制服の中に割って入ってくる。
「——よくできました。」
「……っ、も、やだぁ……!」
「あー、っとに。マジでかわいすぎだぜ、お前」
「え、や、きゃっ……!」
彼の手の冷たさに極限まで熱くなった私は悲鳴を上げる。違う、こんなこと、今はしたくない。こんな気分じゃ……ないのに——。
「や、待って!し、下に、お父さんいる……っ」
「デレさせんのに……必死な俺の身にもなれぃ」
「ちが……っ!、や、だめっ……!」
私の声は届かない。いつだってそう。届かないんだ。言いたいこと、伝えたいことはいつもこうして、閉じ込められる。
始まった……彼の首に腕をまわして、声を押し殺そうと、甘い刺激に、必死に耐える時間が——はじまったんだ。
「んっ、んんっ……っ、」
「どーせ我慢してたって聞こえてるよ、バーカ」
「あっ、や、あぁっ……!」
「こんだけ、ベッド軋ましてりゃ、な……っ」
私の本心など、偽と言う名の偽りの自分を何重にも何重にも包んで見えなくなるくらいに覆って隠してしまえば……もう出て来られないだろうと思っていた。
だけど。いくら鍵をかけても、その鍵穴をこじ開けてしまう誰かが居たら?きっと包んだ偽りが滑稽になって消えてなくなるかもしれないほど、洪水のように、あふれ出してしまうんだろう。
仕方ないのかもしれない。だって私には彼しか見えていないのだから——。
*
いつなのかは覚えていないが部屋の電気を消したので、月明かりだけが私たちを照らしている。
お互いに我を忘れたせいで、気づけば夜もとっぷりと更けていて、いつのまにか我が家の音も、まったくしなくなっていた。
気を遣ってくれたのか、父は、きっとどこかへ出かけたのだろうと思う。ああ、こんな時間に。お父さん……本当に、ごめんなさい。
素っ裸のままベッドで抱き合う。私はと言えばそこかしこが痛かった。まだ、頭は覚醒しきれていない。
「なまえ、浮気すんなよ。特に、アイツと。」
「……アイツって、だれ?」
「お前よぉ、もういつもの調子に戻っちまったのかよ」
「う、うるさい……」
「はぁ〜、さっきまで超かわいかったのになー。ひさしはわたしの〜!って」
「今すぐ記憶から抹消して」
断る、と言いながら彼は唇を尖らせて顎で私の脳天を小突く。はあ、と顔を覆う私に彼は不意に動きを止め、少し掠れた声で呟いた。
「……あの野郎にだけは、絶対やんねぇ」
「……、」
私は、そんな言葉に少し胸が高鳴ってしまう。ちゅ、と、つむじにキスが落ちてきて、びくりと体を震わせる。
「……言っとくけどよ、なまえは俺のもんだからな」
「ジャイアニズムハラスメント」
「あ? なんだよ、それ」
「ジャイアンだね、って意味。」
「うっせ」
じわじわと熱くなる頬を隠すように、彼の胸へ私は顔を埋めた。
「……なあ、なまえ」
「……ん?」
「俺置いて、どっか行くなよ」
「……。」
すこしだけ歪な。けれどこれが、私たちの愛のカタチなのだと思っていた。けれど幸せなんかは一瞬の出来事なのだ。泡のように、すぐに消えてしまう幻想。そんなこと、もうわかりきってる。
その日から悶々と考えるようになった、彼との未来予想図。このままでいいのだろうか、好きと言う気持ちだけで一緒にいてもいいのだろうか。
彼の望む未来にバスケットが無かったら。私がいたらそれでいいと、バスケットを失っても彼は変わらずに、言うのだろうか。
もしも、仮にそう言ったのだとしたら、それは嘘になる。
『いま、最優先しなきゃならないこと』
私が転校して来なければ彼はもっと『いま』を大切に出来たのではないのだろうか。恋愛なんかに浮かれていないで真面目にバスケットと勉強に励んでいたのではないだろうか。
行きたい大学がある。やりたい事がある。その夢が自分のせいで壊れつつある。そんなの絶対に嫌だと思った。
私はそれから約一週間、彼を避け続ける日々を送った。ようやく答えが出た私は、重い腰をあげ彼の待つ、あの思い出の海へとむかう。
別れが人を大人に変えるなんて、嘘。もしも、一生のうちに流す涙の量が決まっているとしたら私はこのとき、随分と無駄遣いをしてしまったのだろうと思う。
愛しい人をさらっていく——16歳、冬。
私たちの初恋は、クリスマスイブの寒空のもと静かに幕を下ろしたのだった。
季節に逆らい想い続けて
今もあなたを
好き
なままよ。
(待てよ!ちょっと待て、納得いかねえ!)
(寿……、お願いだから……)
(……、)
(もう、その手を………離して。)
※ image song『 えりあし/aiko 』
TOP