お互いに高校を卒業して以降、彼女との距離はどんどん遠くなっていった。
卒業式の日、あの三年三組の教室で思わず手を伸ばして彼女を抱きしめてしまった事が果たして正解だったのかと。俺は今でもその答えを見つけ出せずにいる。
——あれは、梅雨の季節。湘北高校に入学して三ヶ月。六月に入ってすぐのことだった。
15歳、初夏
― 15歳、初夏 ―
やや遅刻気味に到着した寝ぼけ眼の俺の目に、我が校の制服を身に纏った見慣れない女子生徒が校門前で佇んでいる姿が映った。
なんとなく、声をかけたのがきっかけだった。軽く会話を交わし、案内係をする程で一緒に生徒入り口まで向かった日のこと。
彼女とは靴棚のところで別れ俺も教室に向かう振りだけをして、あまり気乗りがしなかったので一旦、教員専用の男子トイレに逃げ込んだ。一番奥の個室に入りセットせずに下ろしたままで来た髪を整えようとしていた、そのとき——。
——ガチャ・・・
思わず「やべ」と心の中で呟いて肩を竦める。どうせ、用を足したらさっさと出ていくだろうと静かに息を潜めつつその場をやり過ごそうとしていたら教師たちの会話が狭いトイレの中に響いてここまで聞こえて来た。
「——そう言えば二年一組でしたっけ?転校生」
「ええ。あの子ですよ、ほら。母親が小さい頃に亡くなったっていう」
「ああ!あの中学は地方に行ってたっていう子?へえ……母親、亡くなったんですか」
「ええ、自殺——らしいですよ」
教師たちがトイレを出ていく音を聞き捨てて、トイレの蓋の上に腰を下ろしたまま、しばらくのあいだ俺は、ぼうっとしていた。
�� 自殺——らしいですよ ��
誰にでも人には言えない過去というものはあるものだ。
もしかすると俺のとこのあのどうしようもない名ばかりの母親だってまた姿を消してから幾分も経つので今はもうこの世にいないかもしれない。
15歳 1月
― 15歳 1月 ―
冬休みが開けて、また高校生活がはじまった。大晦日に初詣で会ったきり彼女とは顔を合わせていなかったことを、ふと思い出す。
まぁよくよく考えてみれば��元彼�≠ェいる空間になど、わざわざ足を運ぶ義理もないわけで……バスケ部を見学しに来るきっかけも今となれば、きっぱり無くなってしまったのだろう。
そうなると、彼女と会うのは決まって放課後のこの体育館だったので、顔を見合わせていなくて当然というか当たり前というか。それでも、どうしているんだろうとかは多少考える。元気、なのだろうか。
「お、洋平帰んのか?」
「ああ、バイト。」
「働くねェ〜、今度なんか奢れよ!」
「はははっ、考えとく。じゃあな。」
花道の部活を少し見学してから、バイトのため先に体育館を後にする。
バスケットボールの弾む音と相変わらず楽しげな親友の声を背中に背負いながら廊下を歩いていると、映る窓に雨が降っていることに気が付く。
俺は無意識に「雨降ってきたのか……」なんて独り言をつぶやいていた。
靴棚の並ぶ生徒入り口に辿り着いたとき、その靴棚に背を預け床に腰を下ろして体育座りで膝を抱えている、一人の女子生徒の姿を発見した。
彼女は雨の降る校外をぼーっと見つめている。その相手が誰なのかわかった瞬間「あっ」と声に出したら相手は座ったままでゆっくりとこちらを振り返った。
「……やっぱりね。」
そう言って、弱々しくニコッと微笑んだ彼女。それは、数ヵ月前に俺がボッコボコにぶん殴ってしまった二つ上の先輩、三井寿の
元彼女
(
モトカノ
)
だった。
「なまえさん……」
一度足を止めた俺はまたゆっくりと彼女の方へ歩みを進める。彼女が座っている真横に立ち中腰になって校外を見やれば、やはり先ほど確認した通り、外は雨が降っていた。
「水戸くんだって、わかったよ?」
その言葉にチラと彼女を見下ろすと彼女はまた弱々しく笑って「タバコのにおい、したからさ」なんて言う。それに対して俺は一瞬目を見開いたが、すぐに鼻で笑って「それはそれは」と返して中腰だった姿勢を真っ直ぐに正した。
彼女は去年、クリスマスイブだかそんな時期に彼氏と別れたらしい、と言うことを花道の部活のマネージャーでもあるアネゴから聞かされたのは年の瀬、大晦日の初詣に行ったときの事だった。
「ごめんよ、臭かった?」
「ううん……昔ね、お父さんが吸ってたから慣れてるよ」
そう?と、短く返した返事には特に何も反応を示さなかった彼女に対して俺は密やかにも会話を続ける。
「帰らんの?」
「……」
「あっ、傘ね。忘れた系か」
もう一度チラと彼女を見下ろせば、彼女はゆっくりコクン、というように首を縦に振った。
「俺と一緒だな」
呟いた言葉に、ようやく顔を上げた彼女と目が合った。目が潤み微かに涙袋が赤くなっている。
ああ、なるほどね。泣いてたクチですか……とふっと浅く笑った俺がまた、視線を外に向けて「参っちゃうよなぁー」と今度は独り言のように呟けば彼女が同じく正面を向いたであろう動作が目の端に映った。
「え?」と言ってまた、ゆっくり俺の方を見やる彼女に、真正面を向いたままで言う。
「え? 雨がさ、参っちゃうって話。」
「……、うん」
「……。」
しばらく二人の間に沈黙が流れた。その間も、ポンポン、タンタンと、出入り口の屋根に落ちてくる雨音が、その場に鳴り響いていた。
ややあって「ねぇ水戸くんってさァ」と彼女の柔らかい声が聞こえてきたのでそっと耳を貸す。
「恋人とかいるの?実際のところ」
「……はい?」
「付き合ってる子……いるの?」
「えー? さぁ……」
はぐらかして受け流せば彼女は「さあ?」と、同じ台詞で聞き返してきたあと情けなく笑った。直後こちらに向かって歩いてくる数名のガヤ声がして反射的に声のする方を見やればそれは三年の男子、名前も知らないザコ共の集団だった。
「おっ、アイツ水戸じゃねーか?」
と言う、ご指名の声を聞き捨て俺もまた正面を向き直した、そのとき——。
—— ドンッ!!
「痛……ッ」
「!」
こともあろうにこの狭い空間、彼女と俺の間をわざわざ割って通り抜けて行ったザコ一名が彼女の背中にぶつかったらしく、それに対し彼女が、小さく声を上げたのだった。
男は「チッ、邪魔くせーなぁクソ女」とボソッと吐き捨ててから、自分の靴棚に向かって行く。背後からは、一緒にいた他のザコ連中の笑い声が聞こえてくる。
「——おい、」
「あっ、いいの。大丈夫」
俺が思わずそのザコの背中に声を投げたとき、彼女が慌てて制するように、俺の言葉を遮った。そして「通路ふさいでたの私だし!」と続け様に言うと、その彼女の声に主犯のザコが立ち止まりニヤニヤしながら振り返ったので、俺はすかさずメンチを切る。
「あの……ごめんなさい!」
座っていた彼女がすくっと立ちあがりぺこりとそいつに向かって頭をさげた。主犯はフンと謝る彼女を鼻で笑って、舐め回すように下から上まで眺めたあと俺の視線に気づき「ンだよ、てめーはまだ何かあんのかコラ、あン?」と喧嘩腰でガン垂れながら、ぐちゃぐちゃ文句を言っている。
「……いや? 悪かったよ」
そう淡々と返すと、そいつは「分かればいい」とかなんとか言って自分の靴を履き替えていた。その傍らでは、他のザコ達がまだニヤニヤと笑いながら靴を履き替えている。
全員が靴を履き終えた頃、俺はそいつらを一瞥したのち溜め息混じりに「——けど」と言った。その声に反応した主犯、彼女にぶつかってきた奴が俺に視線を向けて「あん?」と、懲りずに再度ガンを飛ばしてきた。
「次は遠慮なく俺の後ろ通りな」
「……はぁ?」
「わざわざこんな、狭いほう通んねーでさ?」
俺のその言葉に主犯が、一気に顔を赤面させて「ぅおら!てめーら行くぞ!」とプンスカご立腹な様子で生徒入り口を出て行った。残りのザコもブツブツと文句を言いながら傘も刺さず雨の中を走って行く。溜め息を吐きつつその姿を見送っていた刹那、彼女が横でぽつりと呟いた。
「……ありがと、水戸くん」
「ん?」
俺は彼女を見やったあと「何かしたっけ、俺」なんて、へらりと笑ってみせる。彼女は一瞬目を見開き、ふふっと可愛らしく微笑んでいた。
「ったく、これだから嫌になっちまうよなぁ〜」
「え?」
「スポーツマンの柄じゃねーヤツはさっ♪」
言ってニッと笑って見せると、ようやく彼女がニコッと、いつものような笑顔を返してくれた。そうして彼女のふう、と息を吐いた気配をそばで感じていたとき。
「水戸くんも、いい人だよ」
優しげな声音が、しっかりと耳に届く。思わず目が泳ぎ横目で彼女の事を盗み見てしまう始末。
もしかすると柄にもなく、すこしだけ動揺してしまったのかもしれない。
「スポーツマンじゃなくたってさ、いい人だよ」
「……」
「かばってくれて、ありがとうね。」
「………。」
参ったな……。俺の頭の中の教科書にはそんな法則——ないんだけどなぁ。
「雨……、止まないねえ……」
………みっちー、この子は……
「水戸くん、バイト?遅れちゃうんじゃない?」
——もたもたしてっと……、
「あ。ねえねえ……置き傘、拝借しちゃう?」
——たぶん、
「あったよ一個! 誰のかわかんないけどっ!」
——すぐに、
「水戸くーん、あいあい傘しちゃおっか〜?」
彼氏が、
できちまうぞ——。
「……あ、なまえさん。」
「んっ?」
「俺、持つよ。貸して」
「え、彼女……怒らない?」
「はは、居たらなー」
「え!居ないの!?ほんと!?」
残された時間——
あんたは、何もしなくていいのか?
「レディーファーストですよ。」
「あ〜、またそうやってはぐらかす〜!」
またそうやって、何年もずっと
自分に嘘をついて生きていくつもりなのか?
「はいはい。ほら、入りな?濡れるよ?」
「あ……」
「ん?」
「今の、ちょっとキュンとした。」
なぁ、みっちー。
「なんじゃそりゃ。なまえさんってほんとチョロいよなー」
「えーっ!!ひどい、今のは全国の女子が絶対にキュンとするシーンだったってば!」
アンタまた、
色んな人を、無条件に傷つけるぞ……。
*
「——なまえさんさぁ」
「んー?」
「ほんとは、誰かを待ってたんじゃねーの?」
「え……」
校門を出て少し歩いていると雨が小雨になってきたので傘を彼女に渡して、自分は傘を刺さずに自然と多少の距離間をあけて彼女の隣を歩いた。
「雨降って来たの、ついさっきだったからさ」
「……」
「なまえさん帰る頃には降ってなかっただろ?」
チラと空を見上げてみれば、雨は完全に止んだようで「お、雨止んだぜ」と言ったら彼女も空に手を翳したあと、静かに傘を閉じる仕種が横目に見えた。
「偶然装ってまで会いたいなら直接会いに行きゃいいのに」
情けなく笑って、思わず出てしまったド直球の本音に彼女は、一瞬目を見開かせてから俺と同じように情けなく笑った。そうしてぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「学校っていう場所はさ、すごい場所だよね」
「ん?」
「嫌でも週5で来る場所で、嫌でも週5で、好きなひとに会える場所だもん」
「うん」
「すぐそばに好きなひとがいてさ、いつでも顔が見れて。そんな当たり前の日々を当たり前に過ごしていたけど……」
「……」
「いまはちょっと、しんどいかも……」
不意に彼女を見たらまるで『人生の絶望の淵に立っています』とでもいうふうな雰囲気で俯いてとぼとぼ歩いていて、それを見たら、返す言葉も見つからず俺は正面に向き直ってしばらく無言のまま二人で駅まで歩いた。
駅に着いたとき俺と逆方向の電車に乗る彼女に別れを告げて先に電車に乗り込んだ俺はさっきの彼女とのやりとりを思い返していた。
嫌でも週5で行く場所で嫌でも週5で好きな人に会える場所——か。
「……ありゃ、絶望のがけっぷちって感じだな、
本気
(
マジ
)
で。」
思わず小さく声に出してしまった俺は目を伏せ自嘲するように、ふっと息を吐き出した。
手を伸ばそうよ、
届く
から。
(みんな、本当に煩悩のかたまりだなぁ……)
※ image song『 Rainbow/當山みれい 』
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