泣いて泣いて泣いて、一緒になりたかった。
星は遠く消えて、もう会えないの?と聞いた。好きで好きで嫌い。私はただ、ずっと信じ続けていたかっただけ。
*
結局流されてあんな事になって彼の家を急いで飛び出してきたけれども、そのまま何食わぬ顔をして、彼と同じ空間で授業に出れるわけもなく、保健室に篭ったきり荷物もそのままで家に帰ってきた自分。ベッドの中で、永遠のように続く涙を流して……気付けばいつの間にやら寝てしまったらしく、あたりは真っ暗だった。
もう学校なんて行きたくない。明日は休もう。きっと数少ない友人が気付いて、鞄くらい持ってきてくれるだろう。
ベトベトの体をシャワーで流して、放心状態のまま、また布団にもぐりこむ。
こんなはずじゃ、なかったのに……。
真っ暗な部屋の中でもぞもぞと、のろく動き、ゆっくり携帯を取って眩しい画面を細目で見れば時刻は夜の九時を回ったところ。重い体を起こし私は携帯と財布だけを持って家を出た。
特に行き先も決めずに夜道をひたすらに歩き、電車に乗って辿り着いたのは最寄り駅より何駅か過ぎた無人駅だった。
「……名字?」
この声は——。
「……み、つい?」
私の台詞に三井は「ああ」と答えた。そうか、ここは奴の使ってる最寄り駅付近か。まだ部活に顔を出しているんだな。確か、朝練にも参加していた。もう二月だよ、真面目かよ、進路とか色々大丈夫なのかよ、と思った思考を頭の片隅に追いやって私は三井の目を見る。しかし、目が合った相手は、すぐにさっと視線を外した。
「つか——単刀直入で悪いんだけどよ、もうお前水戸に近付くな」
「え……?」
尚もこちらには視線を向けずに後頭部に右手を当てながら、気まずそうに三井は続ける。
「イヤなんだろ?辛いんだろ?苦しいんだよな?ならもう、近付かなきゃいい」
「で、でも——」
でも、なに?三井の言う通り、嫌なんでしょ?辛いんでしょ?苦しいんでしょ?残念ながら今回ばかりは、この人の言うとおりじゃん。
「お前が変わんなきゃ、あいつはずっと、お前に甘えるぜ」
「……」
「甘える……じゃねーな。甘さに付け込む、か」
そのひとことが、全てのことのように思えた。彼氏にも、洋平くんにも流され続けているのは、彼等に意思を伝えないからだ。やめてって、言えないから。そんな、勇気を出す事を誰かに後押しされるのを待っていたから。三井を、待っていたから。
「てか……別に付き合ってもないしね」
「だろ?しかもお前まだ男と別れてねーんだろ」
「……そ、それは——」
「だから最初っから言ってるよな俺。お前らおかしーんだって」
「う、うん……」
「まあ、おめーが水戸を好きだっつーんなら話は別だけどな」
「……」
私にもわかんないよ。誰が好きとか嫌いとか、どうでもいいとかよくないとか、そう思う事が、どうでもいい。それ以前の問題なんだよね。
「つーか、よ……」
「なに」
そろそろ会話が途切れるだろうと思っていた、そんな時、また新たに三井が話を持ちかけてきて私は内心驚いた。でも顔には出さない。
「俺といれば、あいつも近付かねーんじゃね?」
「……は?」
「や、だから……」
「……」
「俺、たぶんあいつに嫌われてっからな。だから俺のそばにいんなら、安全っつーか……」
「……」
当たり前にたちまち変な空気になった。この人なに言ってるんだろとか、正気?とか色んな事が頭の中を一気に巡ったが少なからず嬉しいと言う感情が生まれたのも事実。でも決して顔には出すまいと心を強く持つ。
「なにそれ?どういう意味として捉えろって?」
「やー、その、なんつーの。別に深い意味はねーけど。危なくなったら俺んとこ、来る、とか?」
「……はっ、バッカじゃねーの!?」
場に似合わない大声で私は怒鳴った。三井は、ぎょっと目を見開き少しだけ後退る。私はキリッとヤツを睨む。
「バカ!?あんたって、正真正銘のバカ野郎!?そんなんだから元カノだってずっと不安だったんじゃねーの!?」
「口悪ィな、おい……や、結構マジなんだけど」
「ヒーロー気取りかよ、意味わかんないよ」
「ヒーローかぁ……まあ……そんな感じ?」
「あんた、喧嘩売ってんの……?」
「ちげーよ! だから、」
三井はそこで一息おいた。そしてハァと今一度ため息を吐き散らし、ぶっきらぼうに言い放つ。
「……俺が傍にいたら、守れんだろ、すぐ」
「……」
「またあいつと、変なことになっても……」
急に目頭が熱くなった。私は慌てて三井に背を向けて悟られないうちに処理しよう鼻を啜った。背後では沈黙が広がっている。私の反応をたぶんヤツは待っている。
私は暗がりの中、月明かりを頼りに、ポケットティッシュをスカートの中から探し出し、一気に数枚引き抜いて、盛大に涙を拭いて鼻をかんだ。いかにも、女子高生らしからぬ音だ。それでも、涙は止まらない。色んな思いがこみ上げてくる。
洋平くんも三井も狡いよ。三井の元カノを守れないからって、なんでもかんでも私を代替にしてヒーローぶって。こんなのヒーローでもなんでもなくて、ただの悪党だよ、二人とも。滑稽だよ。
「名字?」
名前を呼ばれて驚いて、肩がビクンと震えた。けれどもまだ、振り向くことはできない。しかし三井は、そのまま淡々と続ける。
「泣いてんのか?」
「……!」
男なら聞くなよ、わかってるくせに。そういうとこだよ、あんた。そんなんだからあの、可愛い可愛い幼馴染と別れる羽目になったんじゃないのかよ。学べよ、おまえ一応、センパイだろうが。
「ねぇ、三井ってさ……」
背を向けたままで言う。三井は、黙って聞いていた。嗚咽しそうな苦しい呼吸の間際、私は一つの言葉を生みだす。
「私のこと、好きなの?」
背後から、ひくっと息を呑んだ気配。私の涙は止まることを知らなかった。
月明かりが照らしてる、こんな夜は——。
*
いつかの雨の日、薄暗い昇降口で出会ったのが始まり。最初は水戸の彼女だとばかり思っていて言動の全てが気に障った。
勝手に俺の中で想像していた、水戸好みの顔に水戸好みの声、水戸好みの性格。ぜんぶが、そう映った。
その横で猫被りするあいつにも全部苛々した。思えば俺は最初からあいつが気に食わなくて——ふっかけた喧嘩は物凄い圧力で潰されて極悪人の皮を被った、正義のヒーローみたいな。
気がついたらいつのまにか全部終わらせられていて——。
『やっちゃいました。バスケ部も、三井くんも』
いつだって、すべて、あいつが一人で片付けてしまう。汚れ役を買って出る癖に、外には微塵も出さないで、自分の中だけで、ヘラヘラ嘲笑してやがる。そんな自嘲できる自分に酔って、周りの連中を見下して、それでいいと思ってる。本人は無意識なんだろうけど。
そう、始めから——全てが気に食わなかった。
『私のこと、好きなの?』
ドキッとした。
良い意味じゃなくて、悪い方の意味で。
『そんなんだから元カノだってずっと不安だったんじゃねーの』
水戸に言われたのかと錯覚するほど、よく似ていた。言葉に詰まった俺を見透かすような、あの漆黒の瞳も。わかったような顔立ちも。ぜんぶ、水戸にそっくりで。俺は、あの女が苦手だった。
俺自身、何がなんだかわからない。どうして、あんな言葉を口走ったのか。好きとかそう言うんじゃない。俺が好きな人は今でもこの世にたった一人だけなんだ。
『みっちーってさ、いつも口先だけだよな』
『守りてぇもん一つも守れねーで口ばっか』
『人に守られてばっかの奴ってさ、そうなんだよなー。口だけ達者でさ』
『——俺さ、そーいうの苦手』
馬鹿げてる。『守れんだろ』なんて……端からあんな女、守る気なんて更々ないくせして。
一番取られたくない相手に取られたと思うと、行き場がなかった。あいつを好きな気持ちなんてもう封印してやろうって、何度も思った。
だから、何もかも全部奪ってやろうと思った。��水戸洋平�≠�取り巻く、全てのものを——。
*
「あ? 水戸?」
昼休み——騒がしい教室で女子二人組から尋ねられたのは、水戸洋平についてだった。
以前、まだ彼女と付き合っていたときにもこうして同級生から聞かれた事があったと思い出し、思わず眉間に皺が寄る。それを見ていた女子二人の口許が引き攣った。いっけね、焦るな俺。
「三井ならくわしーでしょ〜?いっつもバスケ部覗いてる、ちょっと背ぇ低めの」
「短ランでぇ、端正な顔立ちのイケメン!」
「めっちゃいい匂いするよね〜ブルガリ?」
「いやっ、カルバンクラインじゃない!?」
「うぜーな!わかった、わかったから寄るな」
珍しく苺ミルクを飲む俺の机に二人が迫るので俺は片手で制す。二人組は嬉々とした声で言う。
デジャブ——相手が違うと言うだけで過去にも同じようなセリフ、光景を目にした気がする。
「メアドとか聞き出してよ」
「あ、クラスも知りたい!」
「知りたい!会いに行くー」
「1年7組だよ。メアド?知らね、自分で聞け」
やれやれと頭をかきながら空になった苺ミルクをフリースローの要領でごみ箱へ投げる。甘くて飲めたもんじゃねえ。もう、一生買わないと心に誓いながら、パコンと軽い音がしてパックはごみ箱の奥底へ飲み込まれた。隣で女子たちが何故か俺の頭を撫でている。これもデジャブ。俺はいつからこんなことをされるキャラになったのか——永遠の謎だ。
抗議しようと口を開いたと同時に予鈴が鳴り、女子たちは手を離して、自身の教室へと向かう。すると片方の女子がくるりと振り向き、けろっとした顔で俺に言った。
「そういえばね、さっき水戸くんがかわいい女子連れて、保健室行ってんの見たよ」
「……あ?」
思わず声が凄む。予鈴の音に掻き消されて奴らが何を言っているのかは、はっきりとは聞き取れなかったが「水戸くんっていつも違う子と一緒にいるよね」とかそんな内容だったと思う。多分。
「それ知っててメアドとか聞きてーのかよ」
「いーじゃん。本気でどうにかなりたいわけじゃないんだからさ!」
「ハァ……理解できねぇ。」
「顔が可愛いから遊びたいだけ! じゃあ三井、彼の調査よろしくね〜♪」
相変わらず女子は末恐ろしい。俺は、溜め息を吐かざるを得ない。
『メアドが知りたいだけ』『遊びたいだけ』ってそう言ってる奴が一番、堕ちそうな気がするのはたぶん、俺だけじゃねーはずだ。
保健室———まさかの、デジャブもデジャブ。過去に今と同じような境遇に置かれた際に俺は、授業のあと、保健室に向かったような気がする。
あの時そこには保健室の前の廊下にいた水戸と中に、今では元カノである彼女がいたあの光景がふと、蘇る。
俺は奴らの事が気になりながらも三年生らしく真面目に授業を受けることにした。
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