男性の性欲に近いものが女性の『チヤホヤされたい』という欲なんだろうなと思う。また、人によって強弱があるのも、似ている気がする。
愛情を注がれると可愛くなるのが女で、愛情を注がれると調子に乗るのが男だ。
信じることが出来れば、奇跡は起きるのかな。
*
それでも、現実に戻ってきたら思ってしまう。もしかしたらこの人達は、頭でもおかしいのではないかと。
人に液体窒素をぶっかけちゃうような女子達、強姦まがいな事をしたり、挙句、俺のせいで泣くお前が好き、との宣言。遂には男子トイレで殴り合う始末。
誰だって思ってしまう。みんな頭がおかしいんじゃないか、って——。
「バカだなぁ〜お前ら!」
「おぅ!? バカとはなんだ、バカとは!」
「ったく……抱ける女が抱けなかった女に勝てるはずがねーだろうが」
「おっ、確かにそりゃあ理にかなってんな!」
俺のせいで泣く君が好き——あれに関しては、私に向けられた言葉じゃなかったんだろうけど。でも間接的には向けられたわけだから……。
だけど、あの男子トイレ事件は確実にフラフラしているどっち付かずの私を成敗したくてやったわけで、やっぱ頭はおかしくないか。妥当だよ、頭がおかしいのは私だよ、多分。
「おいおい、眉間眉間」
「へっ?」
「しわ!」
高宮に眉間を指さされて、私はハッとして顔の力を抜く。続けて野間と大楠が、生真面目そうに言う。
「まあ色々あんだなー、女子って」
「そーだそーだ。高宮みてーに、みんながみんな暇じゃねーんだよ」
「ンだとー!?一週間、ばっちりシフト組んでるヤツには言われたかねーぞぉ!」
「ガハハハハ!そりゃ洋平だ!俺はせいぜい二日続けば立派な方だ!」
——春麗ら、昼休み。三井達の卒業式が目前に迫っている、そんな三月初旬。
クラスの女子達とは普通に戻ったけれど、水戸洋平がいる教室になど居場所のない私はこうして桜木軍団に金魚のフンの如く、くっ付いてご飯を食べに屋上へ来る。��桜木軍団�≠ネんて言っても桜木くんと洋平くんの姿はない。昼休みの前に、担任から呼び出しを食らっていたから。また何かやらかしたのだろうか。
「まっ、なんつーか、あれだ」
「……なに?」
「負けんなよっ」
「そーだそーだ」
「なんかあったら言えよ」
「おう、言えよ!」
「う……うん、ありがとう」
水戸洋平が三井寿と私を取り合って殴り合いをしたって?いや、取り合ったはちょっと盛った。いずれ、私のせいで喧嘩したって?結果私は洋平くんから見限られたって?言えるか、そんなの。
三人には悪いけど、みんなには感謝はしているけれども、あんな悲惨な出来事……言えるわけがないよ。
あの、男子トイレ事件は、一生私の中に秘めておかなければならない、黒い思い出なのだろう。
*
——放課後。補習のはずのこの時間に何たって私は今、社会科準備室にいる。おかしいってば。どうなってんのよ、私の華のスクールライフは!
「……あからさま」
そして。なんて言ったって、なんて言ったって目の前にいらっしゃるこの方、満面の笑みの水戸洋平。よくもまあ、あんな事があったのに平然と私の前に座れるよね。あなた、今日は補習なんてないでしょうが。
あからさまって、何?私の顔に文句があるなら親に言ってもらえるかな。なんて考えて、小さく溜め息をついたとき、ガラッ!と扉が開いたので反射的に二人で入り口を見やる。
「あ、なまえさんだ」
「あ、ああ……水戸くん、と……名字さん」
入ってきたのは、三井の元カノだった。授業に使った物を持ってきたのか、めちゃくちゃわかりやすい作り笑顔を向けてきて、すぐさま私たちに背を向け、腕に抱えていた物を棚に戻している。
目の前の彼にチラッと視線を向けてみれば彼はずっと、無表情で彼女のことを見つめていた。
「なまえさん」
優しく囁かれたその声で私の名前を呼ばれた事なんて一度もない。またぐるぐると黒い感情が、私の中でとぐろを巻く。
わかってはいたけれど今、彼の目元は死ぬほど優しそうに細められている。
「……ん?」
やや間を空けて振り返った彼女の目の下が少しだけ、赤くなっている気がした。そう思ったのはどうやら彼も同じだったようで洋平くんはじっと彼女を見据えて目を細め、言葉を紡ぐ。
「もう帰るのかい?」
「あー、ううん。今日は担任に呼ばれてて——」
「また、
幼馴染
(
・・・
)
と何かあった?」
「え?」
核心をつかれたのか彼女は少し目を見開いた。それでもすぐに、ふいっと顔を背ける。
作業が終わったらしい彼女は「何もないよ」とだけ呟いて、こちらを振り向く事なくそそくさと社会科準備室を出て行ってしまった。
リズミカルにトントンと、机の上を叩いていた彼の人差し指がピタッと止まる。そのまま、拳を握ったその手が、あの人を——抱きしめたいって言っている気がした。
「……」
「……」
途端にしんと静まり返る社会科準備室。キュと音を立てて入り口の方に向けられたぺちゃんこの上履きが、彼女を追いかけたいって言っている。私が今目の前にいる事さえきっと、忘れている。
ややあって目の前の彼がようやくこちらに向き直って、机の上に両手で頬杖をついた。
「……誰、」
私は呟く。この期に及んで彼は、満面の笑みを向けてくる始末。まるで、数分前に思いを馳せていた三井の元カノなんてはじめからここには来ていないですよ、みたいな顔をして。
「水戸ですが」
知ってるけど。でも「誰?」って言いたくなるほどのこの変わりよう。思わず、溜め息が出る。
私を釣ったこの笑顔。偽りのなんちゃら、ってやつ?
「すけこまし」
吐き捨てるように私が言うと、洋平くんの眉がぴくっと動いた。なんかこの人、いちいち怖い。
「結構ですね」
ああ、私の人生はおかしい。狂ってしまった。狂わされてしまった。引き金は全て私だけれど。
「本当はもっと、優しい人だと思った」
「優しい人?」
「そう、優しい人」
「ねえ、君たち女子の言う優しさってさ、何?」
「……」
「車道側に立って歩くこと?それとも荷物を持つこと?欲しい物を買ってくれる事?何?教えて」
分からないことを分からないと言う勇気を持ち続けたい。自分を鼓舞し続ける。最後のブザーが鳴るまで絶対に譲ってはいけない。私、負けたくない。だってまだ、試合は終わっていないから。
「だったら、洋平くんの思う優しさってなに?」
「質問に質問で答えないでよ。第一さぁ、俺何も言ってないよね?自分のこと優しいって一言も」
「……っ」
奇跡でさえ起こるのには、時間がかかるもの。わかってる。たぶん私達、友達くらいがちょうどいい。
「泣いてみる?」
易々と私の髪に触れながら企みを後ろに隠した声を出す彼、水戸洋平。
「また、
シ
(
・
)
たい?」
「……っ」
何なの、三井の元カノにはこんなに簡単に触れないくせして。ああ、そっか……。本当に大切な女性のことはなんとやらって言うもんね。大昔、私たちが生まれる、ずっと前から。
『抱ける女が
抱けなかった女に勝てるはずがねーだろうが』
昼休み、軍団が話していた、くだらない会話の一文が思い出される。そうか、あれは私のことを言っていたのか。なんて、ばかばかしいな。何が��俺のせいで泣く名前ちゃんが好き�≠セ。悔しいよ。わたし、悔しいんだよ。
「そんな事したら彼氏に殺される」
「あら、まだ付き合ってたんだ?」
「……さあ、どうだろうね」
「あはは、いーじゃん殺されれば」
切れ長の瞳を細めて爽やかに笑うリーゼント。私は驚いて彼を見る。「でも——」と呟いた彼にあ、良かった、続きがある……と安堵した刹那。
「そいつに、殺させたりしねーけどな」
「——、」
おかしい——。やっぱりあなた、おかしいよ。夢の話だと思っていた。片思いって、一人で見る夢だろうって。でも私は、彼に永遠の片思いだ。
「……! やっ、」
急に。本当に急に——目の前の彼がキスをしてくる。なんだこれ?私達、いつからこんな関係になったの?
洋平くんが本当に笑顔が上手く作れる人なら、私はもう、いらないんじゃないの?
私がこの人に近付いた理由は、それだ。哀しい笑顔の裏が、上手く笑えない、ぎこちない——、そんな彼に惹かれて近付いたのは、私だった。
「……いらないんじゃ、ないの?」
「え?」
私は今頭に浮かんだ台詞をそのまま口に出す。突如中断された行為に洋平くんは怪訝そうな顔をする。私はもう一度、口を開く。
「あの人が転校してきてから、ちゃんと出来てるじゃん」
「……」
「洋平くんが笑えるんなら、私——」
ふと思い付いたそんな簡単で素朴な疑問。汚い展開のあとに響く、幼稚で単純で白い言葉。
「いる意味、あるの?」
「……」
「関わりたいって言った……わたし言ったけど、でもそれも、嘘になる」
馬鹿げた空白を埋めるように、埋まりますように、って……私はただ、ひたすらに訊いた。何を期待して吐いたのかは、自分でもわからない。
「洋平くんの、あの笑った顔が全部……作ってた顔だったんだとしたら」
私とあなたが過ごしたこの短くて濃い今までの時間は全部——
「嘘になる……」
彼は何も言わない。私は彼を見ない。だから、彼の表情も知らない。でも、涙が止まらない。
「なんのために、私を受け入れたの?」
言葉が止まらない。笑える。私はスカートを、両手でぎゅっと握り締める。
「作った顔にへらへらついて来る、調子のいい奴だと思った?」
「……」
「丁度良い、遊び相手だった?」
これ、結構当たってるんじゃないかなと思う。いい線いってると思う。なんだよ、今日の私……案外、冴えてるじゃない。
「ほんとは、関わって欲しくなかった………?」
一番言うのが怖かった台詞。笑った顔が作り物で騙されていて影で嘲笑われてるんだとしたら。
初めて会ったあの下駄箱でのメンチがあなたの本性だと思った。あながち外れちゃいなかったのかもね。
掃除を手伝ってくれて、私を庇って怪我して、おんぶして家まで送ってくれて、廊下ですれ違ったら手を振ってくれて。非難された私に、席つけって促してくれて、泣く私の頭なでてくれて……気にしないでって言ってくれて。
「ねえ、洋平くん……」
水をぶっかけられたとき偶然を装ってやっぱり屋上まで来て慰めてくれて、クラスの女子達から庇ってくれて、痴漢から私を、助けてくれて——おでこにキスしたり、抱きしめたり。男子トイレでの事だってフラフラしてる私を成敗したんだとしたら。
別れたよ、私。ちゃんと彼氏と別れてきたよ。そんな、今までの記憶の全てがぜんぶ、嘘だっていうの……?
「……なんか、言ってよ」
「……」
「なんか、言ってってば!」
すけこまし。こんなときだけ、黙らないでよ。
ああ、ダメだ私は……どんなに黒い水戸洋平を見たって、どんなに非道な水戸洋平を見たって、どんなに怖い水戸洋平を見たって私は優しい彼を知りすぎた。たとえそれが、醜い嘘だったんだとしても——。
「私、彼氏と別れてきたよ?」
「……」
「私、ダメなの」
「……」
「私は、洋平くんがいなきゃ駄目なの……」
「……」
「私はもう、洋平くんじゃなきゃ駄目なんだよ」
泣かされてもいい。嘘でもいい。暇潰しでも、遊びでもいい。もう、なんでもいい。
私を洋平くんの……あなたの側にいさせてよ。
「好きだよ……」
最後まで彼を見れずに小さくつぶやいた、私の彼への気持ち。ありきたりな、馬鹿みたいな……ガキみたいな台詞。
手遅れだったんだ、始めから、何もかも全部。
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