どうか元気でいて、幸せでいて。
私以外を愛さないで、私を忘れないで。
愛と呪いと祈りは——よく似ている。
*
本日——神奈川は、あいにくの雨だった。
放課後ひとりで駅までの道を傘をさして歩いていると、不意に後ろから傘で肩を突かれた。振り返れば、そこには桜木軍団の一味が立っていた。
「野間……?」
「……よぅ。」
異様な組み合わせだが、彼と肩を並べて歩く、そんな卒業式前日の、帰り道。
「秘密を教えてやるよ」
「教えたら秘密じゃなくなるじゃん」
「言ったら驚くぞ」
「聞いちゃったらね」
「やっぱやめよっかな〜」
「ここまで来たら教えてよ」
野間が話し出す。私は一切口を開かない。
聞かされた真実に、言葉を失ったと言った方が正しかったかもしれないけれど。
中二の頃、洋平くんの母親が蒸発した。言うなればホステスというかキャバ嬢というか出会い系っていうか。とにかく、夜の男漁り業に移行してしまったお母さんに洋平くんはわかっていたんだろうけど、やっぱり心のどこかで傷ついていて。そのすさんだ部分が全部態度に表れていた時期があったらしい。
「ああ見えてアイツ実は脆い部分もあるつーか」
誰も逆らえないし、口出しもできない、そんな時期がちょうど中二のときだったそうだ。
そのときにやっぱり彼は孤立というか、孤独を選んでいた感じですっごく尖っていて。クラスの誰とも話さなくて。でも桜木くんとだけは喋っていたらしい。そして徐々に軍団とも仲良くなっていって。野間としては、それがちょっとした自慢だったと言う。幼馴染というせこい手を使ってはいたけれど結果話せてたからどうでもよかった、と言った。
「話すだけで、救えはしなかったけどな。」
続けてそう言った野間は情けなく笑っていた。
その時期洋平くんは、家にも帰らなかったし、やけに年上の人とばかりつるんでいてやばい噂もいっぱい立っていたみたいで、信じたくなかったけど証拠なんかなかったし、と彼は語った。
けれども中三になった頃、なぜか急に人が丸くなったという。
「花道のおかげだな、あれは。」
「花道がすさんだ洋平を止めた」って。確かに、桜木くんって不思議なオーラがある。そっからはどんどん人が丸くなって、最近は、ひょうきんなお調子者。
「人って変わるよな。つーか戻ったって感じ?」
「……」
「まぁ、喧嘩癖は抜けねーけど。もう自分からは売らないって言い張ってたしよ、洋平。」
やっぱり洋平くんの一番は私なんかじゃなかったんだ。今だってそれは変わらない事実だけど。
別に恋が叶わなくたって、そばにいさせてもらえるだけで十分なんだけどさ、私は。
「俺よ、洋平はずっと……姐さんの事を好きだとばっかり思っててよ」
「うん、私も」
「はっ? 何だよ、知ってて洋平のケツ追っかけ回してたのか」
「まあ、そう思うよね、周りから見れば」
どうしてわざわざ雨の中、引き留めてまで聞いてもいないのに、こんな話を野間が私にしてきたのかは、よくわからない。
「真実は知らんけどな……あいつが姐さんをどう思ってるか、なんて」
「本人も、よくわかってないんじゃない?」
「……。おめぇ、ほんと苦労してんだなァ」
「まあね。」
「絶対に叶わねぇ相手を追うなんて、まさに花道じゃねーか。玉砕したら紙吹雪降らしてやらあ」
「そりゃ、どーも。」
雨が降ったおかげで寒気によって気温は下がり翌日の朝、歩く人達は防寒具の襟に顔を埋め吐く息を白くしていた。
今日は、神奈川県立湘北高等学校卒業式。空は快晴。雲ひとつない青空だ。
*
一足先に在校生が体育館に椅子を持っていく。椅子を置いたあと、散り散りに教室に戻っていく在校生たちの中、見慣れた背中を発見した。
「よっ!アネゴ、なまえさん」
「あら、水戸洋平じゃない」
「どーもっ」
バスケ部の美人マネージャーと三井の元カノ、そして、洋平くんだ。ポケットに手を突っ込んで屈む姿勢の彼に三井の元カノが笑みを浮かべる。そのまま三人並んで体育館を出て行く姿を見送ってから、その後を追うように私も体育館を出た。
「いよいよ卒業式って感じだなー」
「そうね。あっ!」
「ん、どうした?アネゴ」
「卒業式が終わったら体育館でバスケ部が集まって三年生を激励するから、アンタ達も来なさい」
そう言ったバスケ部の美人マネージャーに彼、洋平くんは、一瞬だけ目を見開かせる。
「アンタ達もバスケ部みたいなもんだからねー」
続く言葉に洋平くんは優し気に表情を緩ませてとても嬉しそうに「アイツらにも言っとくよ」と返していた。
教室に戻ってしばらくすると在校生が体育館に来るように、との校内放送が流れる。ぞろぞろと体育館に向かう在校生たち。長丁場だろうから、思い切ってフケろうかとも悩んだがせっかくだし三井の最後の勇姿でも拝んでやろうと私も真面目腐って、卒業生を見送る在校生らしく、体育館に向かった。
*
湘北高校の卒業式が窓の外に青色の空を映したまま静かに始まった。
体育館の端に並ぶ吹奏楽部が、楽器を構える。
「卒業生、入場」
マイクを使い教頭が固い声で言う。それを待ってゆっくりとした曲調の入場曲の演奏が流れた。胸に赤や白のリボンで出来た花をつけて卒業生が順に体育館に入場してくる。
卒業生が全員着席して、校長の長い式辞、来賓祝辞、祝電が終わったあと在校生の送辞に移る。送辞を読むのは、新しく生徒会長になった二年生だった。読み終わると体育館が拍手で包まれる。
次は三年生、卒業生からの答辞だ。「答辞」と言う教頭のマイクの声が、体育館に響き渡る。
「——卒業生代表、三井 寿。」
その名前が読み上げられたとき、在校生の席がざわついた。名前を呼ばれた本人は「はい」と、真面目ぶった返事をして、椅子から立ち上がる。
三井は登壇して一礼したあと、自分の背に合わせてマイクを上げる。送辞を読んだ二年生の生徒に比べると彼の上背は十センチ以上高いだろう。三井は小さく咳払いをして答辞の書かれているであろう紙を広げた。
「答辞——いつもの道をいつも通りに登校する。そのありがたみを私たちは苦しいほどよく知っています」
最後に彼を間近で見たのは、あの男子トイレ。悔しいが、あの整った顔についた痛々しい傷が、きれいさっぱり無くなっていて安心した。そんな私の心配をよそに、マイクを通して三井が淡々と答辞を読み上げていく声が、この体育館に響く。
「花の香りに鳥の声に、春を感じるようになりました。今年の桜もいよいよ咲こうとしています。三年前、私は期待と共に、ずっと憧れだった湘北高校の正門をくぐりました」
私はチラと、目の端で洋平くんを探した。一番後ろの方で同じクラスの桜木くんとクラスの違う軍団達と固まってだらしなく椅子に座っている。
三井が彼らへの感謝にも似た言葉を述べると、洋平くんが小さく笑って同じように笑った軍団と顔を見合わせて肩をすくめていた。
長い答辞の後半、じっと前を見据えた三井は、元カノの姿でも探していたのだろうか。それは、私にもわからない。きっと、誰にもわからない。
三井が答辞を読み終わり手にしていた白い紙をたたむ。
「——卒業生代表、湘北高校、」
そこまで言って三井が急に黙り込んだ。そして少し胸を張ってから、マイクへと向き直る。
「湘北高校、バスケットボール部、三井寿。」
マイクのスイッチを切り、一歩下がった三井が深く頭を下げる。しばらくして頭を上げ、自分の席へゆっくりとした足取りで戻っていく。拍手が鳴り止まない中、ガタンっ!と椅子が鳴る。音のする方を見れば二年生のチャラチャラしたバスケ部員が立ち上がっていた。急な展開、当たり前に周りの生徒たちは何事かとざわつく。
「三井サン!今までありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
見渡せばちらほらと立ち上がっている在校生。きっとバスケ部員だろう。そのバスケ部員全員が声を張り、頭を勢い良く下げる。
三井は、降りようとしていた階段で、一瞬立ち止まって呆気にとられた顔をしていた。めっちゃ間抜けヅラで笑える。シンとなった体育館に再び湧く、大きな拍手。
私は窓から覗く空の青に目を細めた。そして、その日差しのような、晴れやかな気分になった。
*
卒業生の合唱を屋上で聴いたあと私は寝不足もあって、少しばかり眠りに落ちていた。
しばらくすると、体育館の方から人の往来する音が聞こえてきて私は目を覚ます。どうやら滞りなく式は終了したみたいだ。
屋上の真下。在校生や卒業生の、楽し気な声がここまで聞こえて来る。
——ガチャ・・・
屋上の扉が開く音がした。思わず体を起こした私の目にはいつも通りビシッとリーゼントを決め込んだ一年生、ベストフレンドの姿が映った。
「不良娘」
「水戸くんには絶対言われたくないね」
水戸くんはそんな私の返しに「ハッハッハ」と高らかに笑いながら扉を閉めた。壁に背を預けて当たり前にポケットからセブンスターのタバコを取り出した水戸くんに、私は噴き出してしまう。
「なーんか、疲れたサラリーマンみたい」
「え?」
私はくると座ったままで姿勢を水戸くんの方に向ける。当たり前になった軽口をいつものように交わす水戸くんを見ながら、煙草姿似合うなぁーなんて思う。慣れたようにフーっと空に向かって煙を吐く彼が私の方に一度視線を投げてよこす。そして、すぐにまた自分の足元に視線を落としてから呟いた。
「……体育館で、バスケ部集まるってよ?」
「ふーん」
「行かない感じね」
「うん」
水戸くんはやっぱりハハ、と情けなく笑った。
彼はそれ以上、何も言わなかった。だから私も何も言葉を発しない。
けれど煙草を吸い終わって扉を開ける直前に、一度こちらを振り返ってひと言だけ言い残した。
「意地ばっか張ってっと、幸せ逃げちまうぞ」
——って。過去にも同じ言葉を投げられた事を思い返しながら苦笑する私。
その言葉を言い置いて屋上を後にした水戸くんの残像を、私はしばらくのあいだ眺めていた。
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