卒業式が終わり最後に三井に声をかけようかと思ったが、在校生や保護者がわやわやと往来していてなかなか三井を発見できず、何となく屋上に向かってみたら先客がいた。しかも、二人も。
洋平くんと三井の元カノの会話を、扉の向こうから盗み聞きして、私はその場を後にした。
きっと洋平くんにバトンタッチされたところで私なんかがこんな日に彼女に素敵な言葉を送ってあげる事なんて、できないだろうと思ったから。
大切な人が卒業してしまうって一体……どんな気持ちなんだろう。それはちょっと聞いてみたい気もする。でも絶対に、聞かないけど。
校外を歩いていると、バスケ部の顧問と話している三井を発見した。周りには生憎誰もいない。もしもヤツと会話を交わすのならば、きっとこの瞬間を逃したら、もう一生ヤツと話せる機会など訪れないと思った私はバスケ部の顧問に頭を下げて会話を終える三井を待ってから、背後から軽い口調で声をかけた。
「第二ボタンちょーだいよ」
顧問の姿が見えなくなっても深々と頭を下げていた三井が怪訝な顔をして勢いよくこちらを振り返った。そして声の主が私だとわかると、さらに顔面を不服そうに歪めたのだった。
「てめぇ、声かけんなよ……」
「いーじゃん。最後なんだし」
「……」
チッとあからさまに舌打ちをした三井がめんどくさそうに私と向き合う体勢を取る。見れば胸元のボタンが、一つだけ残っていた。まぎれもないそれは、三井本人の第二ボタンだった。
「ちょーだい、第二ボタン」
「おめーって……DDだよな」
「何それ、ディーディーって」
「誰でも大好き」
あ、うまい……。何だよ、今日の三井冴えてるじゃん。つまんないのー。いつもみたいに、抜けさくでいてよね。なんか、調子狂うじゃんか。
「悪ィけど、これ予約済みなんで」
突然、さらっとそんなカッコいいセリフを吐き散らかす三井に私は言葉を失った。しかもなぜかドヤ顔で、大切そうに自身の第二ボタンを撫でている。相変わらず、気持ち悪い男だ。
「——で、水戸信者は継続なのか?結局」
「うん。」
「はっ。バカに塗る薬はねー、ってか。」
教えてあげよっかなと思った。屋上でその第二ボタンを先約していた相手が、他の男と油売ってましたよって。まあ、その相手の男の子の方が、あんたなんかより数倍も数百倍も、かっこいいんだけどさ。
「元気でね」
私が右手を差し出す。三井は一瞬目を見開き、そして、眉間に皺を寄せながら笑うという妙技を披露して言った。
「左手で握手してくれよ。」
三井はさっと、やけに長い腕を伸ばして左手を差し出してきた。私は思わず、眉毛が歪む。
「はっ……?あんた知ってる?左手の握手って、マナー違反なんだよ?そこまでして私が嫌い!?ほんとあんたって最後まで性格わる——」
「こっちの方が、心臓に近ェ」
「……っ、」
こいつ——本当にアホなのか?そういうのは、好きな子だけに限定でやるんだよ。DDはどっちだよ。あんただろ、DDは。
そういうのは好きな子だけにやるから映えるのであって、どうでもいいヤツにやったって、何の意味もないんだってば。そういうところだよ……いい加減改めろよ、気づけよ、抜けさく男。
「お互いに真心持って、さよならっつーことで」
「……何それ。ほんと、意味わかんないよ」
私は出していた右手を引っ込めて、力いっぱい左手を握ってやった。照れ隠しでブンブンと大袈裟に手を上下に振り回しても、奴の体幹ではびくともしない。
三井は口角を吊り上げ、でも優しげな目をして最後に真っ直ぐ言った。
「ゲーム終了のブザーが鳴る、その瞬間まで——ほんの少しも、気ィ緩めんじゃねーぞ」
わかってるよ。そんなの言われなくたって……すでに一度は当たって砕けたけど。
でも最後まで、限界まで頑張ってみるよ。玉砕したら、紙吹雪を降らしてくれる人たちもいる。彼を好きな気持ちを無くしたくない。私はまだ、負けてない。ねえ、そうでしょう?
——三井、卒業おめでとう。そして、たくさんありがとう。
*
「 寿。 」
「なまえ……」
「卒業おめでとうございます」
「あ、……おぅ」
「ボタン、全部もってかれた?」
「え?……あぁ、今回はほぼ男子がな」
卒業生がほぼ解散したのか、数名の学生達しか残っていない湘北高校の校外。
校舎の裏で一服をして、表に出ようと足を踏み出したとき「ファンクラブ潰れたんじゃない?」と、軽口を叩く聞き慣れた声がここまで聞こえてきたので、俺は足を止めた。
「お前が存続し続けろよ」
嫌味に嫌味で返す、素直になれない喧嘩の弱い二個上の先輩の後ろ姿。俺は自転車置き場の陰、アルミの柵に背を預けてその会話を聞いていた。
未だ、ぎこち無さの残る二人の距離感。思わず乾いた笑い声が小さく漏れてしまった。
「なまえ」
「……ん?」
「合格したぜ、大学」
「そうなの?オメデト」
「おう、」
「また……バスケットが出来るね」
「ああ」
そういえば昨日。バイト帰りの電車内で、20代くらいの女性に席を譲ってもらえませんか?と、声をかけられた。
先に俺の隣の女性に聞いたらしいがヘッドホンをしていて聞こえていなくて俺の方に声をかけたわけ。妊婦さんかな、それとも体調悪いのかなと一瞬考えたけど断る理由も無いので、どうぞって譲った。ちゃんとお礼を言われた。礼儀正しい。
しかし彼女は普通に携帯を見始めたんだ。特に体調が悪そうでも無かった。そして俺よりも先に電車を降りて行った。こういう席の取り方もあるのかと驚いた反面自分にはできないなと思った。
素直に自分の気持ちをストレートに表現できる人なんだなと感心にも似た気持ち。要は、他人の心はどうしたって、読めないってことだ。そこにいる二人だってそうだし、もちろん俺の気持ちも他人にはわからない。俺も、他人の気持ちなんてわかりっこない。
「……ホラ、呼んでるよ。お友達」
背後から呼ぶ声に彼女が促すと「ああ……」とぎこちなく返す、喧嘩の弱かった二個上の先輩。
「私もう帰るから、じゃあね」
学校を背にして彼女は足を踏み出す。幼馴染のいなくなったこの道を——もう一緒に並んで歩くことはない、この通い慣れた湘北高校の校庭を、彼女はこれから先も一人で、自分の足でちゃんと歩いて行くのだろう。
「なまえ!」
正門を出る手前。その大きな声に、彼女は歩む足を止めて、ゆっくりと振り向く。
「ありがとな!」
卒業証書の入った筒を高く掲げ、満面の笑顔で彼女にそう叫んだ、最後までバスケットボールに命を賭けた、二個上の先輩。
彼女は必死に涙を堪えて精一杯の笑顔を返し、幼馴染に背を向けまた、歩き出したのだった。
それは舞い散る
桜
のように。
(この瞬間の景色を忘れないように。)
※ image song『 I gotta go/GeG 』
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