幸せは、求めるものでも、なるものでもなく、幸せとは、気付くこと。
結婚していようがしていまいが、君が幸せならそれが俺の、幸せなんだ。
*
しばらくどちらも喋らなかった。でも、嫌じゃない。無言の空間がどこか心地いい。なんか——
「……変なの」
思わず笑ってしまった。水戸くんは、未だシガレットをくわえながら、こっちを向いた。
「だって、なんか変だよ」
「なにが」
「なんかよくわかんないけど、変。面白い」
「面白い?」
「だって普通ないよこんなの。タバコを吸ってる水戸くんと話すだけ。アイス買ってもらって食べて、しかもこんな早朝に」
「ま、それだけ聞いたらちょっと変かもな。でもそんな日があってもいーんじゃないですかー?」
水戸くんが微笑む。私は、笑いが止まらない。なんだろう、こんなにお腹を抱えて笑うのはいつぶりだろうか。笑っていたらいつの間にか溶けたアイスが綺麗に下に落ちた。
「あー!」
「あ」
「プッ……も、ヤダー!」
地面に落ちたアイスが、どんどん溶けていく。それと、買ってもらったのに申し訳ないけれど、やっぱりこの時期のアイスはちょっと寒すぎた。
笑いすぎて、もはや泣いている私に水戸くんは何かに気づいたように、ぽつりと呟く。
「あ、ねぇ」
「ん?」
「それ」
言われて私が彼の指差すアイスの棒を見ると、まさかの『あ た り』の、ひらがな三文字。
「うそ、やった! もう一本だ!」
「スゲー、あんまないよな、こういうの」
「すっごーい、マジ水戸くん、すごい、天才!」
「……」
「なんか、確かにたまにはいいねこーいうのも」
思わず目元の涙を拭った時。水戸くんは煙草を口から離して、地面に落とす。私のアイスの棒を持つ手が掴まれた、と思うのと同時に——。
「……!?」
スローモーション——目を瞑る暇もなく、彼の唇が、私の唇に近づいてくる。
咄嗟に反対の手で彼を押しのけた。一瞬離れてから、また目が合う。
「ちょ、なにして……っ!」
それは本当に一瞬で。また声は飲み込まれる。セブンスターのあじ。アイスの甘さと混じって、不思議なあじ。はじめての、あじ——。
彼の唇は、私の唇の手前でピタッと止まった。そんな、長いような短いような沈黙のあと、唇がゆっくりと離れて行き私は驚いて何も言えない。
「ごめんね」
水戸くんはバツが悪そうに目をそらして、そのまま俯いた。珍しい……そんな顔をするなんて。なんかまるでコーコーセーみたい。コーコーセーだけど。大丈夫だよ、ギリギリ、触れてないよ。タバコの味は少ししたけど……って。なんで私がフォローしてるんだろう。もう、焦ったよ。心臓ばっくばくだよ。ねえ、どうしてくれんの。
「俺——キスはたくさんしたことあるんだけど」
「……」
「女性を抱くときの付属品くらいに考えててさ」
「水戸くんって……たまにクズ男発動するよね」
「俺、クズですよ?」
「ごめん。……で?」
「で。したいと思ったのは、初めてなんだよね」
「え……?」
いや……え?なに?え、なんで真面目な顔してるの。いつもみたいに笑ってよ。冗談だよって。真に受けちゃった?って、笑ってよ。そんな……そんな顔して言われちゃったら、私……勘違い、しちゃうんですけど——!?
「知りたいんだ、コレがなんなのか」
「……、」
「教えてほしい、」
「……っ」
「なまえさんに——」
何だこれ。こんな水戸くん初めて見た。いつも余裕たっぷりで、経験値もガッツリありそうで。
『なまえさん、これも、キスだよ?』
『でも俺、なまえさんだったら彼女でもいいな』
『これ、二回目のキスにカウントされる?』
人の心を、見透かしたような顔ばっかりしてる彼が——。
「……水戸くんって、さぁ。」
「……」
「女の子に、いつもこんなことしてるの?」
わりと冷静な、しかも若干冷たい感じの声音が自分から出ていて驚いた。
「——いや、そんなことは」
「出会ったときから、大人だなとは思ってたよ。でも、誰彼構わずキスするような人だったの?」
「いや、違う」
「じゃあなに」
「……わかんないの?」
水戸くんはゆっくりこっちに目を向けた。なにその拗ねた子供みたいな顔。そんな顔してさぁ、私は、どうすりゃいいのよ。私が、悪いの……?
その刹那——水戸くんが、さっきよりも距離を詰めてきた気配。潮の香りに混ざって水戸くんの香水と、タバコの香りがする。水戸くんの匂い。
「ほんと……言わなきゃ伝わんないヤツばっか」
「い、言わなきゃ誰だって伝わんないでしょ!」
「好きだよ」
「——、」
耳元で声がして柄にもなく肩がビクってした。水戸くんがちょっと距離を離して私を真正面から見据える。向かい合う体勢。だから……何なの、その顔。何拗ねてんの。私に、どうしろって——
「なまえさんが好き」
「……、」
「付き合ってください。」
「!!?」
「俺の、彼女になってください」
「……っと、待、」
「言ったよ?」
ザアザアと波の音。外だし、ここ。地元だし。こんな公共の場で。時間帯的にあり得ないけど、もしもお父さんとか、ひ、ひさしの……家族でも通りかかったら、どうしてくれるの。
彩子と一緒にいるおかげで、一応『優等生』で通っている私がこんな時間にこんな場所で異性と一体なにやってんだか……
「いや、好きとか……え?」
「あーあ。せっかく言ったのに、意味わかんないみたいな顔しやがってー」
「いや、しやがってーじゃないよっ!だってわかんないでしょ、えっ、なんでっ?」
「好きなもんは好きなの、わるい?」
「え、てか誰!? 待って、きみ誰っ!?」
「はぐらかすなー」
瞬間——コツンと額がぶつかって。ああ、もう逃げ場がない。だってこんな未来は、きっと誰も予想もしていなかった。まずい……顔が、熱い。なんだ、なんなのこれ。
だけどね、私……こんな状況下でも一つだけ、わかっちゃった事がある。
「——今……自分を試すつもりで言ったでしょ」
ぽつり、私が唇を動かせば、水戸くんが私から離れていく。目が合う。私は彼の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「好き。って言った自分が、どんな気分になるのかな、って」
「……」
「水戸くん、試したかったんだよ。本気で言ったわけじゃない」
言い聞かせる、自分自身に。私と彼の間に沈黙が流れる。聞こえてくるのは、波の音だけ。水戸くんは目を伏せて諦めたようにぽつりと零した。
「……なんで、そんなにわかるの?俺のこと」
「当てずっぽう、勘。」
「……」
「わかるフリ、したいだけだよ。」
水戸くんは自嘲するみたいにフッと浅く笑って「そっか」と、言った。そして彼は、ゆっくりと私のほうに顔を向けた。私は彼から視線を解き、真横、一面に広がる湘南の海を眺めながら呟く。
「好き……とかは、まだわかんない、正直」
「……」
「寿がいなかったら私——絶対に水戸くんのこと好きになってた」
「……、」
「でも水戸くんは寿じゃない。水戸くんは、水戸くんなんだよ。」
「……。」
「けど——。一緒にいるのは、嫌じゃない」
と、思った。これは本音。正直な私の気持ち。
あと一年。私が、卒業するまででいいから……こうやって今まで通りに水戸くんと、笑い合っていたいなって、素直な気持ちで思う。
「落ち着くし。楽しいなって、思う、し……」
「……」
「私が卒業するまでは——こうして、仲良くしていたいな、って」
そう、思ったんだ。嘘じゃないよ、ほんとに。でも、好きとか嫌いとか、付き合うとか付き合わないとかそういうのはまだ私にはよくわからなくて。大失恋をして、半年も経っていない私には。
「……そっか。」
水戸くんが呟く。私はそっと彼を見た。彼は、笑っていた。いつもみたいに。私の知っている、大人ぶった、優しい笑みを浮かべて。
「今はそれでいいや」
「え……今は、って」
「頭の片隅でも、俺がちょっとでもいんなら」
「……」
「今は、それでいい」
「——ッ」
そんなの、ずるくないですか?だって、どんな殺し文句だよ。水戸くん、私より年下のくせに、生意気だよ。やめてよ、なんか、泣けてきたよ。
紫煙が宙に舞い、蒼白い空に消えていく。気がつけば朝になっていた。いまだ防波堤に居座る、高校生の男女が二人。こんなの……補導されても仕方ないだろうな。もしも補導されたら、一緒に仲良く怒られようね。
「ねえ、なまえさん」
「はっ、はいっ!」
「今日ってさ、なんの日か知ってる?」
「へっ?」
見れば水戸くんが立ち上がって、自分の携帯を耳に当てている。いつ鳴ったんだろう……全然、気が付かなかった。私もよいしょ、と言って立ち上がる。「おー花道」と言う声に、何だ桜木くんかと、ほっと胸を撫で下ろしたとき——。
「——花道、誕生日おめでと。」
「……!」
「違うって……エイプリルフールじゃねえって。さては忘れてたな?今日はお前の誕生日だろ?」
「……。」
私たち二人揃って仲良く新学期早々のんびりと生徒指導室に直行だな〜なんて思っていた思考が一気に吹っ飛ぶ。
水戸くんと、セブンスターの煙。もしも私が、本当に優等生で、湘北高校の屋上になんて近寄る世界線すらなかったのなら、きっと、彼とこんな関係にはなってない。きっと、出会っていない。きっと話すこともなかったかもしれない。人生において、関わることもなかったと思う。
「あれ?なまえさーん?」
「……」
「花道ランニング行くんだって。電話かけてきたくせして切られちゃったよ」
「え、えいぷりる、ふーる……って?」
「え? ああ……」
水戸くんが私を見下ろす。してやったりな顔。心底、面白いという顔。勝ち誇ったような顔だ。そしてさっと慣れたように差し出された手の平。
「落っこちそう、海に。」
「……!」
「危ないから掴みなよ——シンデレラ。」
「なっ——!!」
自分の顔が真っ赤になったのなんてお構いなしにむかつくからすぐさまその手を取ってやった。驚く彼に今度は私が勝ち誇ったように眉を歪めてニヤリと笑う。繋いだ手と手があったかい。彼がそのままジャケットのポッケに私の手のひらごとすぽっと収める。おかげでぐんと距離が縮んだ。
「なまえさん可愛かったなー、顔真っ赤にして」
「べ、べつに!ぜんぶエイプリルフールの嘘って知ってたしねっ!」
「えーほんとかよー。じゃあ、なんですぐ手繋いだんだろーな?」
「お、おちそうだって、水戸くんが言うから!」
こんな現実も、いいのかもしれない。私のナワバリに勝手に侵入してきて、いや……私が勝手に彼のハナバリに不法侵入して心にもいつの間にか入り込んでいた。そして同じく入り込んできた、水戸洋平という、年下の男の子との物語。
「恥ずかしさのあまり、海に身投げされたら後味悪いなーと思って手を差し伸べたんです、俺は」
「あ、あのねえ!勘違いしたからって身投げするほど私、やばい女じゃないんですけど!」
「あ、やっぱ勘違いしたんだ?へー、ごめんね」
「さ、さ、さいてい!すけこましっ!変態っ!」
「ははっ、結構ですねー」
私は大気にはぁーっ!と溜め息を吐き出した。防波堤の上、隣を歩く水戸くんがハハ、と笑う。
いつの日からか、勝手に作りあげられていた、『優等生』というレッテル。けど、それもきっと新学期になったら、なくなっていることだろう。
だって私は今日、新学期初日をいま隣を歩いている彼と一緒に遅刻をすることが決定したので。
……まあ、いっか。
優等生
にも、色々あるって事で。
(こりゃ新学期早々、仲良く遅刻組だな)
(じゃあ、一緒に生徒指導に仲良く怒られよーね♡)
(そーね。あー腹減った。なまえさん牛丼食ってこ)
(やだ、マック。朝マック!)
(じゃ、センパイのおごりね)
(えー、ジャンケンにしよ?)
(ジャンケン弱いくせになー)
※image song『 心を開いて/ZARD 』
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