「これからじゃん」
『これからだよ』
洋平くんって
そんな——泣きそうな顔も、できるんだね。
『俺も、名前ちゃんも』
「洋平くんも、私も……」
腕の中で抱きしめた洋平くんの肩が、ぴくりと動いた。それでも私は離さない。絶対にこの腕を離したりなんかしない——今だけは。
「そう言ったの、洋平くんでしょ……?」
おねがい、洋平くん。
「逃げないで」
自分の変化を、受け止めてよ。踏み込まなきゃ何も始まらないんだよ。誰だって最初は怖いよ。相手も、自分も。みんな何も知らないんだもん。それでもみんな、怖い気持ちを乗り越えて分かり合っていくの。
「私だって、洋平くんと話すのは怖かった。」
でも、知りたい気持ちとか話したい気持ちとか会いたい気持ちの方が大きかった。会いたい人がいるって、幸せなことなんだよね。当たり前ではないんだよね。そう思うことも全部、言わなきゃ伝わらない。だから、伝われ……
「泣きたい時は泣けばいいし、辛いときは弱音を吐いたっていい。」
伝われ、私の想い。あなたの人生は洋平くん、あなただけのものなんだよ。
私、洋平くんのことを要らないなんて死んでも言わない。でもそのかわり、洋平くんが私を要らないって言うなら私、ちゃんと離れるから……。ちゃんと、離れるからさ。
「だから、何も言わずに中途半端に逃げないで」
体を離して彼の顔を見る。バツが悪そうに目をそらして俯く洋平くん。そんな顔、初めて見た。洋平くんってそんな顔もするんだ。なんかまるでコーコーセーみたいだな、って思った。
「追いかけたくなるから……」
涙が頬を伝う。洋平くんが目を見開いた。それ癖なの?驚いたら目を見開くの、洋平くんの癖?
私、気づいたんだよ。教えてもらった、三井や三井の元カノや、軍団たちから。
ちゃんと相手に全部言わなきゃ、ぶつけなきゃなにも、伝わらないんだってこと——。
「……俺、」
うん。
「この子といたら——名前ちゃんといたら変われるのかな、って。」
うん。
「でも、ダメだった。」
……うん。
「だけど、彼女だけはなんか、ちょっと違って」
うん。
「信じていいのかなって。一緒にいるとこの子の本音、これかなって」
うん。
「でも、なまえさん——いつも真っ直ぐすぎて」
——うん。
「こんな真っ直ぐになんなきゃ駄目なのかよって思って」
うん。
「怖くて、」
洋平くんがぎゅっと、私の制服の腰のあたりを掴んだ。誰よりも強いはずの、強がりな彼のその手が、微かに震えていた。
「怖くて……」
雷の音が、雨の音がだんだん遠ざかっていく。雨音と雷鳴。どちらもきっと儚いから輝くんだ。
「欲しい……」
彼の体がゆっくりと動いて、腕が私を包んだ。泣き出しそうなその声は、きっと彼の初めての、精一杯のワガママなんだろうな、って思った。
「いくらでもくれるよ」
「……」
「なまえセンパイなら——。」
笑いながら言うと、同時に雨の音が止んだのがわかった。初めて見る。純粋で、真っ直ぐな——彼の、その偽りのない漆黒の眼差し。
明日は晴れるといいね、晴れ男。やっと見つけたんだね、15歳の——いや、16歳の水戸洋平を。
*
「ぎゃああああ!」
「うわ!」
私の叫び声に洋平くんは目をぱち、と開けた。目覚めるとそこには洋平くんが居て、よく見たらすのこの上で……
「朝だよ、洋平くん!朝!」
「え? あぁ……ほんとだ」
「私たち寝ちゃったの!?学校で一夜明かしちゃったの!?しかも、下駄箱のすのこの上で!?」
「さぞかし笑える図だっただろーな」
どうやら二人して熟睡しちゃったらしい。彼は多分、寝不足だったから。私は多分、泣き疲れたから。セコムとか事務員さんとか、ああ、もう。どうなってんの、私の華のスクールライフはっ!
転がった携帯電話を見ると——朝の6時20分をさしていた。朝練組は、もう学校にいるはずだ。
「今日はさぼりだな」
「え」
「さすがに、二日間も風呂入ってないとか無理」
洋平くんが笑いながら言った。でも言えてる。私も今すぐお風呂に入りたい。体がベタベタだ。
「ていうか、高宮たちからの着信やば……」
「あ、俺もだ」
二人の不在着信を合わせれば、軽く、100件はいきそうだ。いくらマナーモードだったとはいえお互い、まったく気づかなかったとはね。
「んじゃま、行きますか」
「えっ、どこに?」
「んー、俺ん家?」
「……」
まじっすか!え、ちょっとタンマ、ストップ!洋平くんの、家?さっき、お風呂に入りたいって言ってたよね? え……。一緒に、と言うこと?
「なァに想像したの」
洋平くんがにやけながら、私の顔を覗き込む。私はハッとして、緩み切っていた表情を固くしてふん、っと、そっぽを向いて言った。
「いや……タバコ臭いんだろうなぁと思って」
「……そっちですか」
言えるわけないよ、本音なんか。昨日死ぬほど本音を晒しまくったもん。
それにもう、これが最後だろうから。水戸洋平と楽しく会話を交わせる最後の時間だろうから。
*
朝練組から変な視線を浴びながら、洋平くんの家まで二人で歩く。歩きながら彼は軍団に電話をしていた。私も一緒だ、とかも言っていた。
あの三人は多分朝まで探し回っていたんだろうなぁ。学校にいたなんて、思いもしないよね。
「てか洋平くん、なんで学校にいたの?しかも、下駄箱に」
「それを言うなら名前ちゃんだって。なんで下駄箱来たんだよ」
う、と私はつまる。この人、ほんとに流すのがうまいよね。さらっとだよ、まるで風のように。そのまま消えて無くなりそうだよ、まったく。
「理由なんてないだろ」
なるほど、本能レベルとか言うやつか。三井が言ったら「は?」って返しちゃうような台詞も、洋平くんが言うといつも「そっか」って納得しちゃうから不思議。これも、私の本能レベルかな。
「まぁ適当に海とかぶらぶらして夜寒かったから学校行った」
「さいですか……」
学校なら宿泊代もかからないしタダだもんね。でもこの人なら野宿とか容易にできそう。だけど寒いとかいう人間の感覚は持ち合わせていたんだな、って。意外っていうか……いや、普通か。
「ねえ、晴れ男くん」
「俺?」
「そう」
「え、どこが?」
「なんか洋平くんといるときって大抵晴れな事に最近気付いて、一人で感動してましたとさ。」
「なんだよそれ」
夏日、乾いた雲。錆びた標識、ただ君に晴れ。君を想うと、記憶の中はいつも夏の匂いがする。出会ったのは、春だったのにね。
「あれだよ、少年漫画の主人公とかって、青空がよく似合うじゃん。そんな感じ」
「はぁ? 俺が主人公?」
「そう。だから、ヒーローだったんだよ」
「へ?……意味わかりません」
「洋平少年は根っからのヒーローだったのです」
どんな困難にも立ち向かう。試練を乗り越えて成長する。そんな王道のキャッチコピーが似合うあなたは、私のヒーローでしたとさ。おしまい。
「クサいな」
「うるさい!」
「しかも感覚ズレてるよな、俺的には名前ちゃんといるとき、雨が多い気がしてたけど」
「えー、そうだっけー?」
「ずっと片思いのままだなー、俺たちって」
洋平くんが呆れたように笑うから、私はべっと舌を出した。何か女の子みたい。女の子だけど。
「じゃあ俺もクサいことをひとつ」
「はいはい?」
気がつくと太陽はもう夏の日差しに近かった。暑いってば。おかしいな、まだ四月だよ。
鳥の鳴き声や川のせせらぎがパノラマのように聞こえる。青空の似合う季節がやってくる。またすぐに夏がはじまる音が聞こえてくるのだろう。
「神様って、ほんとにいるのかもな」
「え……ゴッドエネルの話!?」
「……」
「ごめんごめん、ゴッドレベルの話ね。」
だって、ほんとにクサいよ水戸洋平。そのまま彼は口を噤んでしまった。会話が途切れて私から何か繋ごうと思ったけど、洋平くんのその横顔が悲しいほど綺麗で、何一つ言葉をかけられなくて気づけばまた涙が溢れてきた。私って、こんなに涙脆かったっけ……。
「悪い。なんかそんな気分なんだよ」
「あはは……ごめん、笑えない。」
洋平くんが大好きだった。好きで、好きだから好きじゃないときも、あなたといたいと思った。
どうしてこんなに好きなんだろうって考えて、愚問だった。理由なんてあるはずがない。だって��水戸洋平�≠ニいう、存在が好きだったから。
泣いてしまうほどの恋だった。一生心に刻んでおきたい。本当に好きだった、実感として——。
「なんかさ、俺と名前ちゃんが会ったのって運命だった気がする」
「神様が決めたって?」
「ああ。馬鹿みたいだけど。でも何か出来過ぎな話だろ?この、約一年間の出来事って。」
……まぁ、ね。まるで、小説。まるでドラマ。行き過ぎたB級映画。夢みたいな、話だった。
「だからさ、名前ちゃんは俺を救うために現れたクイーンなんじゃねぇのかなって」
洋平くんは、けらけらと笑った。それは、人の良さそうな笑みだった。初めて見る、顔だった。最後にまた、違う水戸洋平を知る。
きっと彼は、もっともっと、たくさんの素敵な顔を持っているのだろう。
「……馬鹿。馬鹿洋平。」
「水戸だって、水戸洋平」
そんなふうに思えるくらい、くだらない話で。まるで、おとぎ話のような……儚くて、キレイ。
「洋平くん、」
「ん?」
「空、きれーだね」
「ああ、雲ねぇな」
二人で空を見上げる。もう下は絶対向かない。すると自然に、ほんとに自然に。洋平くんが私の手を取った。びっくりしたけど、洋平くんの方は見ない。見たら泣いちゃうから。最初で最後だ。こうして、手を繋いで歩くのは。
こうやって進んでいくんだ。すこしずつでも、ちゃんと前に、自分たちの足で——。
「行こっか」
「……うん」
こんな人生の一瞬も悪くない。大丈夫。たとえもう話せなくなっても、出会う前の関係に戻ったとしても、大丈夫。私たちは、大丈夫だから。
心の岸辺に凛と立つ、
一輪花
。
(——もっといっぱい、話を聞かせてよ)
(え?たとえば? どんな話聞きてーの?)
(詰まらない話でも下らない話でもどんな話でもいい)
(……)
(ただ洋平くんの声が、たあっくさん聞きたいから)
(……そっか。じゃあ花道の話でもしよっかなー)
※ image song『 一輪花/tuki. 』
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