25歳、初夏 (12話)
—— ブーブーブー...... ——
朝の通勤ラッシュには何年経っても慣れない。バタバタと急ぐのも昔から得意なほうではない。マイペースとかそういうのではなくて、何せ私は朝にめっぽう弱いのだ。
東京というこの大都会で働き始めてから混雑とギリギリの行動は出来るだけ避けようと心がけて生活してきた。朝も予定より、一時間以上前には会社に着くように行動し社屋のカフェでコーヒーを飲む。きょうもまた、そんな変わり映えのない一日が始まった。
通勤途中に鳴り続けていたスマホのバイブレーション。会社に着いてからそのことを思い出して画面を確認すると、着信履歴に、藤真さん以外の男性の名前が表示されていた。毎朝恒例のカフェにいた私は隅の通話できるスペースにコーヒーを持ちながら移動し折り返しその相手に電話をかけてみた。向こうから電話を掛けてきたとは言え、あの彼の事だから急ぎの用事ではないのだろう、そう思っていた。
「もしもし?リョータくん?」
『おはよー!名前ちゃん♪』
「おはよ、珍しいね電話なんて。どうしたの?」
『いや今日って何時まで?定時であがれそう?』
また飲み会のお誘いかななんて思った。今日の自身の予定を思い出しながら「定時で上がれそうだよ」と伝える。その返事を聞いた彼から予想に反して、変化球な相談が降ってきた。
「ちょっとさー、買い物に付き合って欲しいんだよねぇ〜」
彩子にかな?と直感で感じたので、もしかしてついに告白!?なんて、私も朝からテンションが爆上がりした。きょうもひとつ楽しみが増えた。
十八時にいつものお店の前で待ち合わせしようということになり、とりあえずリョータくんとの通話は終話した。いつものお店となると買い物が終わった後、そのまま飲もうぜ!とリョータくんからお誘いがありそうだ。最近お酒の付き合いが多いなと、その日のお昼は、胃に負担をかけないように軽めに済ませた。
そうしてその日、仕事を終えて約束通り、最近行きつけになったBarの入り口付近で、リョータくんを待っていた。
なかなか現れない相手を心配しつつふと時間を確認すると、すでに十九時を回ろうとしていた。
*
何度着信を鳴らしても、一向に出ない生意気な後輩に俺は苛立ちながら約束した店の目の前まで辿り着いてしまった。
「リョータくん、遅いなぁ……」
「もしもし?宮城!?……なんだ、留守電かよ」
「「あ……。」」
二人の声が重なった。目の前には、ここに居るはずの無い彼の姿。困惑して言葉に詰まる私と、耳に自身のスマホを当てがったままその場で硬直する元カレ——もとい、寿。向かい合った状態の二人のあいだに少し長めの沈黙の時間が流れたがはじめに口を割ったのは、寿のほうだった。
「……宮城、見なかったか?帰る前に、もう一度会おうって」
「ここに来いって」と耳に当てていたスマホをポケットに仕舞いながら言う彼に対し「私もリョータくんから買い物付き合って欲しいからここで待ち合わせ……」と言い返した。二人でポカンとしたあと、何故か自然にフッと笑い合う。
「ったく、やられたな」
「え?もしかして私たち、ハメられたの?」
「だな」
と、彼は口角をあげて楽しそうに微笑む。あ、その癖……久しぶりに見た、と懐かしく思った。
「……せっかくだし、すこし歩くか」
意外な提案に目を見開く私に対して彼は「帰りまで時間あんだよ」とすこしだけ情けなく笑って見せた。そんな彼を見て、私は小さく肯いた。
とは言え、とくにこれと言って案内する場所も無かったので、有名なお団子屋さんやクレープ屋さん、お土産屋さんを案内して最後に公園のベンチに座って一緒に缶コーヒーを飲んだ。
「……寿、なんで東京に居るの?」
「ん?ああ……練習試合やら大会やらの下見とか打ち合わせでな」
「ふうん……」
ああ、そっか。湘北で先生をやっているとリョータくんが、言っていたっけ。バスケ部の顧問となると、そろそろインターハイ予選の時期か……
「おばさん元気?おじさんも」
「ああ、あいかわらずな」
「俺より元気だぜアイツら」なんて、ケラケラ笑って話す彼の横顔はやっぱりあの頃から、まったく変わらない。とても、懐かしい気もするし、なんとなく、さみしい気もする。
「あんまり心配かけちゃダメだよー?」
「あ?なんだよそれ」
今度はたちまち不機嫌そうに眉を寄せる仕種もほんと昔のままだ。いつだってこうしてコロコロと表情を変えるんだから。この人、絶対に嘘とかつけないんだろうな。すぐバレちゃってさ……。
「だって寿は後先考えないで行動するからさ?」
「うるせーな、俺の心配よりお前だろ」
「なにがよ?」
「あいかわらずドジしてんだろ?どーせ!」
「階段でコケたり」と言って彼は笑っている。「毎回転んでたしな!あのコンクリのとこで」とあきらかに揶揄い目的で過去の失態を蒸し返して来たので、私もついムキになって反論する。
「寿こそ!生徒と同レベルでバカにされてんじゃないの?」
「バ、バカには!……されてねーよ、バカには」
「あ、声が小さくなった!……わかりやす〜」
本当にいつぶりだろうか。こんなふうに、寿と普通に会話をしたのは——。
「バカにはされてねーけど同レベルっちゅーのは当たってるかもな」
「へ?」
「あいつら、俺のこと先生って呼んだことねーんだよ」
「え?じゃあ、なんて呼ぶの?」
「…………チ。」
「——え、なになに?なんて?」
私は聞き取れずに耳を寄せて聞き返す。都合が悪くなると小さくなる声と、その大きな体を縮こめて後頭部を乱暴に掻く癖が昔のまま変わらないことに懐かしさを通り越して思わず噴き出しそうになるのを、必死に堪えた。
「……チ?」
「だーっ!もう。だーかーらー!ミッチーって」
「あれは絶対に桜木のせいだ」と頬を膨らませ文句を垂れる彼の姿を見てついに抑えきれず私は声を出して品なく大爆笑してしまった。それを嫌そうな顔をしながら横目に流し見た彼が言う。
「うぜーな……笑ってんじゃねぇ」
「だってミッチーて!ミッチーはヤバいって!」
そんな笑い止まない私を見て彼は呆れたように「笑いすぎなんだよっ」と、やや誘い笑いを受けつつも、軽く私の額を小突いてくる。
「ごめんごめん」
と言いながら私が涙を流して未だ笑っていると今度は「いつまで笑ってんだよ!」とヘッドロックをかまして来た。全然、痛くないヘッドロックだけど。
「この野郎、お仕置きだっ!」
「わかった、ギブギブ!」
私が彼の回してきた腕をバシバシと叩いてそう言いながら抵抗するとようやく彼は私を解放してくれた。そしてなぜだか互いに笑い合う。不意にふわりと舞い込む風と共に、ふと蘇る記憶——。ずっと前にも、こんな光景と遭遇したような気がした。
*
『まもまく二番線に電車が到着します——』
寿の帰る方向は人足が空いていた。特に平日のこの時間帯はいつもそうだった。
駅まで向かう最中、私たちは先生はこうだとか編集部はこうだとか意外にも社会人らしい会話をしたりなんかして、案外、リラックスした時間を一緒に過ごせたと思う。いや過ごせていたのだ。ほんの、数分前までは——。
駅のホーム、長い階段を目の前にしたとき「付き合わせて悪かったな」と言われ「ううん、私こそ」と返す。横に並んで歩いていた彼が足を止めこちらに体を向けたので私も向き合う姿勢を取った。
「 じゃあな 」
彼から放たれた��サヨナラ�≠フ合図。しかし、これは言わば、帰りの挨拶のようなもの。決してもう会えなくなる、別れるなどと言う��距離�≠ノ換算される「じゃあな」とは違うはずであった。冷静に考えて相手も、そんな重苦しい意味合いで言ったわけではないのだと思う。そんなことは、分かっていた。けれど突如蘇ってしまった記憶。私にとっては、消せないトラウマ——。
彼の口から放たれる「じゃあな」は、私の中で��別れ�≠竍�終わり�≠�連想させてしまうものに置き換えられてしまうのだ。
『 じゃあね、元気でね。』
私もそう返せれば、後腐れなく綺麗に終われたはず。あの頃も……きっと、今日も。しかし聞かなければならない、遠い昔に置いてきたあの日の真相を——。
もうすぐ、彼の乗る電車が到着する。私に背を向け駅の階段を登りだした彼の背中をただじっと見つめていた。丁度、彼の足が階段の中間付近に差し掛かったとき溜まらず私は彼を呼び止めた。
「 寿! 」
背後から聞こえたホームに響き渡るその声に、俺はふと足を止め、階段を振り返る。すると見下ろす距離、階段の約五段目ほど下まで彼女が駆け上がって来て、立ち止まった。
「最後に一つだけ、一つだけ聞いてもいい?」
俺は無意識に眉間に力が入ったのがわかった。それと同時に、意識的に歯を食いしばる。一呼吸置いてから、震えるくちびるをゆっくりと開き、「なんだよ」と、言い返した。
「成人式の……寿の成人式の、あの約束の日、」
「——!」
自身の眉間に寄せられた皺がゆっくりと解れていくのが分かった。予想もしていなかった彼女から放たれたその言葉に目線を何処に向けたらいいのか分からず、俺はすこしだけ、目を泳がせた。
困惑した。彼女の目を直視できない。まさか、ここで。こんなところで、そんな質問を投げかけられるとは、夢にも思っていなかったから。
「どうして、来なかったの?……どうして、」
「ねえ、寿」と何度も彼女が俺の名前を呼ぶ。彼女が潤んだ瞳で真っ直ぐに俺を見据えている。
堪らない……胸が、息が詰まる。抑えられなくなる——。
「ねえ——」
「……ンなこと」
「……っ、」
ほんの数分前までは、二人とも自然体だった。楽しく会話をしていたんだ。たしかに先日、俺の実家の前で偶然再会したことへの動揺で、冷たく接してしまったことが気掛かりだった。けれど、宮城のお節介だったとしても今日一緒にこうして普通に過ごせたことで言葉にしなくとも、多少は和解が出来たかも知れないのに。なのにまたこうして、彼女を傷つけるのか、俺は。俺の成人式の日と、このあいだ家の前で婚約者と鉢合わせしてしまった、あの日と同様に今回までも。だって、どうしようもねぇんだよ。どう振舞って、どう、立ち回ったらいいのか俺にだってわからねぇんだから。ずっと、わかんねぇんだよ……。
ずっと迷宮入りで。ずっとずっと、俺だって、苦しかった——。
「……んなこと聞いて、どうすんだよ」
「え……」
俺の言葉に彼女がぽつりとつぶやく。その表情を確認することが出来ず、俺は目を逸らしたままだったけれど、表情を見なくても分かる。たった一言でも、ひどく、傷ついた声をしていたから。
「今さらそんなこと聞いて、俺らどうにかなんのかよ」
「それは……」
言葉に詰まる彼女の声が俺の耳にも届き、ようやく相手と視線を合わせた俺は——
「………どうにも、なんねーだろ」
力なくそう吐き捨てた。そして沈黙の中、俺の乗る電車がこちらへ向かってくる音が大きくなっているのに気付く。
「
そうだね
」
駅に到着した電車の音とともに掻き消された、彼女の声。聞き取れない程の小さなその声ですらも俺の耳にははっきりと鮮明に届いてしまうのは俺の本能がそうさせるのか。いまでは俺にもよくわからないけれど。
「……そうだよ、どうにもならない」
「……、」
「ごめんね、変なこと聞いて……」
と、彼女は俺に、か細く言って弱く微笑んだ。だけど俺は知っているんだ。いま自分は、確実に目の前の彼女を、また傷つけた。
たくさんの彼女の表情を見てきた。だからこそ時間がどれだけ経とうとも全く会えていなかったとしても分かる。分かってしまう。この微笑みの裏側で彼女はきっと、深く傷つき、泣いているのだと——。
そのまま寿は私に背を向け階段を静かに登っていく。私はそこに立ち尽くしたまま彼の後ろ姿を見ていた。そうして、彼が階段を登り終わる頃、その背中に向かって、静かに囁く。小さな声で、彼には聞こえないように……
『 サ ヨ ナ ラ、』 と——。
そのときだった。微かに彼が足を止めたのだ。その両手は拳を握っている。それは悔しいときに見せる、彼の無意識な癖だった。
なんとなく、振り返る素振りを見せたようにも感じたけれどその体が私の方へ向き直す事はなく彼はそのまま電車の方へ歩き出した。そして間もなくして、彼の姿は見えなくなった。
時は流れている、確実に。離れていたあいだに流れてしまった時の砂は、私たちを別の場所へと流してしまった。
もう戻れない。二度と、あの頃には……。
*
「名字さん、お手紙?届いてたわよ」
「手紙……?」
社内の人から受け取った、可愛らしい封筒。
わざわざ会社宛に誰からだろうと不思議に思い、宛先を確認しようと、その封筒を裏返してみた。
「——みょうじ、なまえ……?」
しばらくその名前を眺めたまま私は瞬きをするのも忘れていた。
——プルルル……!
その時、社内の電話が鳴った事でようやく我に返り、私はその封筒を自分の鞄にしまい込んで鳴り止まない電話を取った。そうして今は、ただ仕事にだけ集中する事を決めた。
その日は珍しく定時で帰宅した。自宅に帰ってご飯を食べてお風呂に入って髪を乾かす。そしてふと目に止まった、テーブルの上に置きっぱなしにしていた、可愛らしい封筒の存在。私は付けていたテレビをリモコンで消した。そして、一呼吸置いてから、その封を、そっと開けてみる。
――――――――――――――――――
突然のお手紙、驚かれたことと思います。
けれど、どうしても確認したいことがあり
筆を取りました。
以前いただいた名刺に会社の住所が
記載されていたので勝手ながら会社に
送らせて頂きました。ご迷惑でしたよね。
もしも、私の勘違いだったらごめんなさい。
寿には、私と知り合うまえにすごく
好きだった人が居たということを
私は知っています。
このあいだ名前さんを見たときに
その忘れられない人が、名前さんだと
直感で分かりました。
名前さんはまだ、寿のことが
好きなのでしょうか?
私はもうすぐ、寿と結婚します。
なのに私は、不安で仕方がないのです。
今でも二人はお互いのことを思っている
のではないか。昔に育んだ気持ちを
まだ持ち続けているのではないか。
そう思うと、ただただ心配で。
だって私は、寿なしでは
生きていけないから。
このような形で、あなたに
不安をぶつけてしまってごめんなさい。
みょうじ なまえ
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手紙を読み終え私は封筒の中に便箋を戻した。しばらく呆然と天井を見上げたあと、無意識に、ぽつりとつぶやく。
「て、言うか。かえって気になるじゃないのよ」
手に持っていた手紙を少々乱暴にテーブルの上に置いて私は立ち上がり冷蔵庫にミネラルウォーターを取りに行った。
充分に喉を潤したあと再度テーブルを前に座り込む。そうして深く深呼吸をしてから、私も筆を手に取った。
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なまえさん。
お手紙ありがとうございました。
正直、驚きました。
なまえさんが何を心配しているのか
よく分かりませんが、私の手紙で
その不安がなくなるのならと思い
お返事しました。
私たちのあいだには、昔育んだ気持ち
なんて、そんな大袈裟なものはなく
なんと言うか、ただの喧嘩友達と
いったところで。
喧嘩をしては仲直りをし、仲直りを
してはまた喧嘩するという、不毛な
時間を過ごしました。
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