16歳、夏(13話)
16歳 夏
― 16歳 夏 ―
無事に全国への切符を手にした湘北バスケ部。インターハイは8月上旬。夏休みの真っ只中だ。湘北バスケ部にとって今年の夏休みは全国制覇に繋がる大事な期間だ。だから私も、できることをしたいなと、全力で応援しようとそう心に決めていた。
—— 対、陵南戦。寿が、試合中に倒れた。
湘北高校に転校して来てから初めて見た寿の、いや、湘北バスケ部の公式試合だった。
応援席で、水戸くんや晴子ちゃんたちと一緒に見ていた私は彼が倒れて運ばれたすぐ後に周りのみんなに促されて彼の元へと向かった。体育館を出ると、寿と誰かの話し声が聞こえて来たので、邪魔をしたら悪いと、陰からその光景を見守っていた。
一年生の桑田くんが「絶対勝ちましょうね」と寿に声をかけたあとコートへと戻って行ったので私も声を掛けようとした。でも、行けなかった。その場から動けなくなってしまったのだ。だって寿が、声を押し殺して涙を流していたから——。
私はそんな彼の姿を見て声を掛けるタイミングをすっかり見失った。結局そのまま、静かに音を立てず晴子ちゃんたちのいる二階席へと戻るしかなかったのだ。
今でもあのとき、どうにかしてでも声を掛けるべきだったのかと、実は思い悩んでいたりする。
勝利を手にした陵南戦の後も、湘北バスケ部は毎日厳しい練習の日々。校内もバスケ部の活躍に盛り上がりを見せていた。なお安西先生の容態も今は安定しているらしい。
練習に試合と日々繰り返す中で恋人同士になれた余韻に浸る間もなく、毎日がただ刻々と過ぎていった。けれど、相変わらず私も毎日練習を見に行っていたし、帰りも寿と一緒に下校出来た。
会えない時でも、メールは頻繁にしていたし、たまに彼から電話をくれたりもした。珍しく喧嘩をするひまもなく、なんやかんや慌ただしくも、インターハイが近づいてくる。
清く正しい、高校生のカップルらしく過ごしていたと思う。ただひとつ。気掛かりだったのは、あの、陵南戦での寿の涙だ。それだけがずっと、いつまで経っても私の頭から離れなることはなかった。
「寿。」
「あ?」
いつもの部活の帰り道。今日は体育館で吹奏楽部が応援のリハーサルをするとのことで、すこし早めの下校だった。私がぽつりと名前を呼んだら呑気に返事を返した彼。私は、遠慮がちに言葉を紡ぐ。
「あのね、陵南戦の、ときね……」
彼のすこし後ろをとぼとぼ歩いていたけれど、丁度、私たちの真横を走り去る電車の音で、掻き消された私の声。そのまま私は、言葉に詰まる。
寿に、私の声は届いていたのだろうか。すこしずつ、スピードを落とす彼の足。二人の真横を、電車が通り過ぎる頃、スピードを落として歩いていた彼の足は、遂にぴたりと止まってしまった。そんな彼を追い越してしまった私は立ち止まって彼のほうを振り返り体を向けた。つい先程までは前方に彼が居たのだが、ものの数秒で立ち位置が真逆になってしまったのだ。
シンと静まり返る二人の空間。やはり聞いてはまずかったのだろうか。上手く彼に目を向けられず、俯いて表情がどんどん曇っていく私に対し、彼は、ぽつりと言った。
「話したいことがある」
そう静かに告げた後にまた、いつものペースで彼は先を歩き出した。
重苦しい空気とはまた違う。けれど、なにか、いつもとは多少、違う雰囲気を感じ取った私は、先ほどと同様に彼の横には並ばずにすこしうしろから着いて行った。
そのまま私たちは、家の近くの海へと足を運んだ。浜辺には時期的なのか、いつもよりも多くの人影が見える。
心地よい波の音と、肌に触れる潮風。私と寿は肩を並べて座りただ無言で海を眺めていた。私の真横に座る彼が、足元にあった小石を海のほうへ投げる動作がふと視界に入る。なにか、話しかけなければ。そう思ったときだった。彼のほうから静かに会話が繋がれたのは。
「実はな……、」
彼の聞き慣れた低い声が今日はやけに耳に響く気がする。その声を、しっかりとキャッチした。彼の、寿の声が……昔から好きだった。
「バスケに復帰したの、最近なんだよ」
「え……」
そのあと、つらつらと本人から明かされた彼の忌まわしい、過去の話。あんなに仲良くプレーをしているリョータくんや桜木くん、流川くんや、赤木先輩たちと、そんなことがあったとは……。予想に反し斜め上からの告白だったのでさすがに驚いた。そもそも転校してからは母の命日以外、地元には帰って来なかったので、いま思い返せば彼とは会う機会もなかった。だから彼がどうしていたか予想したところでこの数年間のことなど、知る由もないのだけれども。
携帯の連絡先も知らなかったし、連絡を簡単に取る手段も家電というわけにもいかずこちらからなにかアクションを起こすこともしなかったし、互いの状況を知るネットワークも、これと言ってとくにはなかったから。
彼の口から告げられる衝撃の事実を、私自身が受け入れるとか言う以前の問題で、そもそもいま聞いたその過去の話の内容をこの場で突然一気に告白されたところで、なんだか現実味が湧かないのだ。それ、実話?当時の写真とか無いの?ヤンキー時代のやつとか。とでも、聞き返したくなるくらいに彼が伝えてくれた内容は、とても悲惨な日々が綴られていることはなんとなく理解した。まったく、想像も予想もしていなかったよ……。
「……嫌いになっただろ?」
「へ?」
私は咄嗟の事で素っ頓狂な声を出してしまう。ふと海を眺める彼を横目に見れば、いまだかつて見たことのないほどの、情けなくて、不安そうな表情の横顔が目に映った。
苦しかっただろう、あんなに大好きだったバスケットから離れて。悔しかっただろうな、期待の新人が表れて楽しそうにバスケットをしていて。寂しかったよね、孤独と戦う自分を誰にもさらけ出せなかったことは。
急に胸が熱くなった私は、気が付けば彼を抱き締めていた。相手は突然の私の行動に驚いていたけれど、構わず私は、彼の頭を両手で包み込んで自身の胸へと引き寄せていた。
「寿……苦しかったね、辛かったよね、頑張ってるね……。」
絶対に嫌われると思ったんだ。俺のあの忌まわしい過去を知られてしまったら。バスケットを、無下にしたことを伝えてしまったら。
無駄な時間を過ごした。そんなことは俺自身がずっと重く痛感している。あのとき傍にこいつが居てくれたら……そう、何度も思った事だって。お前の笑顔で、お前の存在だけで、もしかしたら頑張れたかも知れない、乗り越えられたかも知れない。もっと前向きに、己の弱さと戦えたのかも知れないと。でも、何度後悔しても戻る事のない時間。彼女に抱き締められて、泣きたくなった。こんな俺を、こんな俺でも真っ直ぐに受け止めて包み込んでくれるのだと。
こんなにもお前のことを好きになっているとは自分でも気付かなかった。改めて、強く想った。俺は、名前が好きだ——。
「 変わらないよ 」
包まれた腕の中、頭上から聞こえたその優しい愛する人の声。彼女の声が、昔から好きだった。
「難しいことは、よく分からないけどさ……寿は寿じゃん」
「……」
「だってね、昔もいまも、私は寿が好きだよ?」
俺が顔を上げ、彼女の腕の中から体を離すと、「きっと、どんどん好きになっていくと思う」とそう、ひとりごとのようにつぶやいた彼女の腕を俺は思わずグイッと今度はこちらに引き寄せた。
「……寿、帰ろう?」
いつまでも私を抱き締めたままのその腕から、そっと体を離して私は立ち上がった。そうして、くるりと海に背を向けたところで、いまだ座ったままでいた彼がつぶやく。
「俺よ、名前の母さんがいなくなったときな」
彼の隠された過去の話を打ち明けられたことで今日はなんとなくお互い意地を張らずに、素直な気持ちをぶつけ合えると、そんな気はしていた。だけど彼の口から母の話が出るとは思ってもいなかったので、突然のことに、胸がぎゅっと苦しくなった。
「俺がずっとそばにいてやろうって思ったんだ」
「……」
「……ずっと、名前を笑わせてやろうって」
座ったままで海を眺めながら彼が言った。私は海に背を向けたまま立っていたけれど、目の端、ふと視界に彼の姿を捕まえる。
「どんどん好きになっていくんだ……会えば会うほど、気持ちがでかくなって」
波の音と、寿の声——。心地よい沈黙の中で、久しぶりに彼と再会したときと同じように、トクトクと、私の心臓が高鳴りはじめる。
「ずっと、一緒にいてぇ。」
そう言ってゆっくりと私の左手首を掴んだ寿。そして彼も立ち上がると、掴まれたままの手首をグイッと引かれた。状況を把握した頃に私の体はまた彼の腕の中にすっぽりと収まる状態になっていた。
「きょう——家、誰もいねんだ……」
頸のあたりにかかる吐息に混じって聞こえた、彼の切なげな声と一緒になって潮風が耳を掠めてほんのすこしだけ、こそばゆかった。
「……帰したくねえ。」
今年の夏は、例年よりも暑いらしい。
猛暑日が続くと先日、朝のニュースで、お天気お姉さんが話していた。もう、7月——16歳、初夏。私はずっと大切にしてきた��初恋�≠ニようやくひとつになった。こうして、お互いの想いを重ねながら、数えきれないほどの喧嘩をしては、何度も分かり合って。近づけば近づくほど情熱は色濃く増して、どんどん溢れ出てくる��好き�≠ェ止まらなかった。
ねえ、寿。わたしも、おなじ気持ちだったよ?こんな日々が、ずっとつづくと思っていたから。
彼の温かい腕の中で、幸せを噛みしめて眠りに着いたころ、遠くで——蝉の鳴く声が聞こえた。もうすぐ夏が来る。ずっと一緒にいて。この手をずっと、離さないでいてね。
だけど、あの頃の私たちはやっぱり幼かったのかな。あなたのすべてを分かったつもりでいたのかも知れない。離れるなんて、思ってもいなかったよ……。
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