16歳、夏(14話)
湘北高校に転校して来てから訪れた、初めての夏休み。桜木くん以外は、合宿に行くような話も風の噂で聞こえて来たけれど……。
湘北バスケ部は今日も相変わらず部活動に明け暮れていた。
「アイス買ってきました〜!」
私の声に「うおー!」と声を上げて群がる桜木軍団。(水戸くん以外)水戸くんって、こういうときは、決まって保護者の立ち位置なんだよね。——って、違う違う。これは、バスケ部に……。
「毎日来てるわね、アンタ。」
彩子が呆れ顔で私の顔を覗き込んで来た。スミマセンと、私はいつものように反射的に謝る。
間も無くして「よし、休憩だ!」と赤木先輩の声が響いて、部員の喜ぶ声が体育館に飛び交う。そしてアイスをめがけて一目散に走ってきたのはやっぱり、あの天才——桜木くんだった。
「名前さん!!どうでしたか!この天才のダンクは!」
そんな桜木くんの姿を微笑ましく思いながらも素直に「凄かったよ!」と褒めてあげると「そうでしょう、そうでしょう!」と満足げにアイスを頬張っていた。
「花道、あんま名前ちゃんにちょっかい出すと、あのひと怒るぜ〜」
リョータくんの言葉に「そう言えばー!」と、桜木くんが、あたりをキョロキョロと見わたす。リョータくんもそれに笑いながらアイスを箱から選んで口に頬張ったときズカズカと踵を鳴らして向かって来た人物の声が、その場に響き渡った。
「オイ、おめーら!!」
リョータくんの言う��あの人�≠フ姿に、自然と私も笑みが溢れた。
「なんでテメーらが先に食ってんだよ!」
そう言って、ギャアギャアと年下に大人気なく噛みつくが私の姿を見つけると途端に優しく目を細めて「おつかれサン」と、私が手に持っていたアイスの箱の中から自分好みのアイスを一本取り出した、私の想い人——。
「寿、お疲れ様。」
私たちのやり取りを見ていたリョータくんと、桜木くんは、目配せをしてそのまま体育館を後にする。二人ともきっと、気を遣っているわけではない。むしろこれが自然体なのだ。ちょっかいを出すタイミングと、空気を読むタイミングをちゃんとわきまえている。改めてあの二人って本当に名コンビだと思う。
「憧れちゃいますよね〜!彩子さん!」
「ね、ね、羨ましいですよねぇ!」とアイスを頬張る晴子ちゃんに「そう?」なんて呆れて返す彩子の姿に思わず私は小さく吹き出す。コソコソ話のつもりなのだろうか、すべて、丸聞こえだ。晴子ちゃん、相変わらず可愛いな。でもきっと、鈍感な目の前の幼馴染の彼には、聞こえていないだろうと思う。
「だって、お似合いじゃないですかぁ!」
キャピキャピと、楽しそうな晴子ちゃんの姿を横目にどうせ流川くんとのことを妄想しているのだろうと、自然と頬が緩んでいくのを感じた。
「まぁ〜ねぇ。アレも、公認の名コンビよね」
「そうよ、そうよぅ〜」
そんなバスケ部名物、美人二人組の会話を聞き捨てて、私も残ったアイスを頬張った。
*
「今日、おやじさん遅いんだろ?」
その日の帰り道、彼が出しぬけに言う。それに対して私は「そうだった!忘れてた」と父の帰りが遅いことを今さら思い出す。今朝、寿と学校に向かう途中で父の帰りが遅いと報告したにも関わらず忘れていた。と、なると帰ってから自分のご飯を作らなければならない。やだムリ、めんどくさい。
「そうだったよ〜、お父さん外で食べて来るって言ってたんだった〜」
「じゃあ、メシ食ってけよ」
彼の手が私の頭にポンと乗せられた。えっ!?あなたは、神様ですか! ラッキー!やったー!
「……あれ? おばさんたち居ないの?」
私の問い掛けに「いや…」と彼が気まずそうに私から、不意に顔を背ける。どうしたのかと顔を覗き込めば、そっぽを向いたままの彼が言った。
「報告すっからよ、彼女だって」
「えっ……。うん!」
素直に、嬉しかった。おばさんもおじさんも、昔からお世話にはなっていたけれど、改めて彼の口からそう聞いて本当に嬉しかった。喜びの余り彼の周りをくるくると回ってはしゃぐ私に対して「騒ぎすぎだ」なんて呆れながらも、彼は優しく笑っていた。
「ねえねえ! あの信号まで競争しようよ!」
と、突拍子もなく言い出す私についさっきまで呆れた顔をしていたのに、今度は子供みたいに、「負けねぇぞ!」なんて、本気になってさ。
特別なものが何もなくても、それでよかった。そこに、互いの存在がいてくれるだけで。本当に本当に、幸せな日々だったの。
——ねえ、寿。
あの頃の私は、なにをするにも寿が……どんなときだって、いつも寿が、すべてだったんだよ。
*
「ねぇねぇ、緊張した?」
「……あ? しねぇーわ」
晩ご飯の後に彼の部屋で先程の両親への報告のシーンを蒸し返し、煽るように顔を除き込む私に「するか今さら」と彼は、ベッドに寝そべり側に置いてあった雑誌をパラパラと開いた。
……なにそれ。帰り道では、顔を真っ赤にして「報告すっからよ」とか、言っていたくせに。
自分の反応に不機嫌になっているのに気付いたのか、彼はこちらをじーっと見つめたあと、ニヤニヤと嬉しそうにして、また目線を雑誌に戻し、ページを捲っていた。本当、性格悪いんだから。
「親も昔から名前のこと知ってんだから仕方ねーだろ、そんなん」
「なーに怒ってんだよ」とベッドを背もたれに体を預けてクッションにしがみ付く私の頬を突いて来たので「やめて」とその手を軽く払いのけると、彼が勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「名前で良かったって言ってんの」
私は「えっ?」と満面の笑みで彼の方に顔だけ振り向いて見せた。彼はぽかんと口を開けて目をぱちぱちと瞬かせる。
「ほんと、お前って犬みてェなヤツだよな……」
もはや感心したようにつぶやく彼はその上体を起こしてベッドにあぐらをかくとポンポンと自身の太ももを叩いた。それは、こっちに来いの合図とも取れる。私が観念しておずおずと立ち上がりベッドに上がるとギシッと二人分の重圧にベッドがすこし撓った。私が向かい合う形で座り込むと彼の長い足が解かれて私を囲い込むような体勢に変わる。そのままグイと距離を縮めて支えるように私の腰を包み込んで両手を組んだ。そうして、どちらからともなく抱きしめ合う。
「……落ち着く。」
彼女の柔らかい声が、俺の耳に届いた。珍しく素直に「俺も」と返せば、彼女が軽く顔を上げて自ら俺のくちびるに触れて来た。
「——ちょ、待った……」
くちびるが触れた瞬間そう言って、咄嗟に顔を離した俺に相手が「なんで?」と言わんばかりに首を傾げる。ほんとうに、まるで子犬だ。
「下に親いんだよ、バカ野郎」
ヒソヒソと話す彼に「チュウしただけじゃん」と言って呆れかえる私。しばらく無言の中、至近距離から見つめあっていたが抑えきれなくなったのか彼の顔がみるみるうちに邪悪な顔に切り替わり警戒する間もなく今度はガバっと勢いよく私を押し倒して来た。
「キャア!!」
——し、しまった……!思わず、勢いあまって結構の声量が出てしまった。
彼は自身で押し倒したにも関わらず慌てて私の口に手を翳して私を見下ろし「てめぇ……」と、つぶやいたあと、大きな溜め息を吐いた。程なくして一階から鬼のオーラを纏った「ひさし!!」という声が家中に響き渡った。仕方ないので私も帰る支度を済ませて、彼と一緒に一階に降りた。
一階ではおばさんが階段の下で仁王立ちをしていたので「ご馳走さまでした」と何事もなかったかのように、笑顔で頭を下げて玄関に向かうと、「お父さんにもよろしくね!」と、他所行きの声で寿のお母さんからも満面の笑みを向けられる。
その後ろには彼が立っていて口角を上げながら「コロサレル。」と、口パクで私に訴えていた。そんな彼を見て見ぬ振りをし、笑いを堪えながら「おじゃましましたー」と告げて彼の家の玄関のドアを閉めた。
—— バタン。——
「——さってと。……勉強〜、勉強〜」
俺は腕を伸ばしながらすぐさま180度振り向きさっさと二階に登りはじめたそのとき——突如、髪の毛をぐいっと背後から引っ張られてドリフのごとく、うしろにひっくり返りそうになる。
「——ってーな! あンだよ、」
「髪の毛抜けんだろーが」とやや巻き舌で俺は数ヶ月前の自身を彷彿させるような態度で母親の手を乱暴に振り払い、その引っ張られた髪の毛をぐしゃぐしゃと撫でつけた。……くっそ、マジで痛かった。ぜってー抜けた、俺の大事な髪の毛。
「寿、アンタ……」
「あ?」
「押し倒したねぇ〜〜〜!!?」
今年ベスト3に入るくらいの声量が、家の中に響き渡って俺は、久しぶりに母親からゲンコツを食らう羽目になったって話。
おばさん、外まで丸聞こえなんですけど(笑)
外に出ると、空には月が出ていた。ふと背後を振り返れば、いつも二人で肩を並べて歩く道を、その月の灯りがきらきらと照らしてくれていた。
もっと、一緒にいたいな。もっともっと、寿を感じていたい。もっともっと、たくさん——。
そんなことを考えながら、私は軽い足取りで、家路を急いだ。
TOP