16歳、秋(19話)
——湘北高校学校祭、当日。
彩子とリョータくんは当初からの予定どおり、バスケ部が催す、屋台の出し物に駆り出された。
私はしばらくのあいだ二年一組の教室にいたが他のクラスの様子でも見学しに行こうという話になり友人と一緒に教室を出た。はじめに一年生の教室を回って水戸くんたちと軽く会話をし廊下を歩いていると調理室に差し掛かった。中に、木暮先輩の姿を発見したので「ゴメン先に行ってて」と友人に告げて私は調理室の中にいる木暮先輩のもとへと駆け寄った。
「木暮先輩!」
「……あれ?名前ちゃんか」
あいかわらず穏やかな表情を浮かべる木暮先輩。女子から一際目立っている、あの赤点軍団や桜木軍団(なお水戸くんのみ)よりも実は陰で、はるかに人気が高いのだろうなあ、などと考えながら木暮先輩に見惚れていたら「三井?」なんて爽やかな笑顔で聞かれてしまった。どうしてなんでもかんでも私と言ったらあの人を連想するのだろうか。そのみなさまの癖、なんとかしてほしいなと内心思いながらも「違いますよ!」と、慌てて否定する。
「ごめん。冗談、冗談」
と苦笑した木暮先輩が私を見て、なにかを思い出したように「あっ」と、ぽつり、つぶやいた。
「そう言えば……三井、変わりないか?」
「最近ずっと落ち込んでたからな」と物思いにふける木暮先輩に、私はあたりまえに首を傾げて「なんのことですか?」と問う。
「え?ああ……ほら三井、推薦の話が来てなくて時期的に、もうね……」
……え? 推薦?
「この時期に推薦がないなら、難しいかもなって赤木とも話してたんだ」
「俺らも協力はしてるんだけどね」と情けなく笑う木暮先輩の姿に私の心臓が、突如トクトクと脈を打ち始める。なにそれ。知らないそんなの。赤木先輩や木暮先輩は、進路の悩みを知っていたってこと?じゃあ、リョータくんや彩子も——?
「名前ちゃん?」
「……わたし、知りません」
「初耳でした」と、ピシャリと吐き捨てると、あきらかに焦った表情を見せたあと「ああ、てっきり俺……」と罰の悪そうな顔をした。なんともわかりやすい人だ。優しいが故なのだろうけど。
「名前ちゃんには言ってると思って、つい……」
「……」
「きっと、心配かけたくないんだな」
そう言いながらも木暮先輩の顔には未だ動揺が滲み出ていた。まず目が、泳いでますしね先輩。
「私には、そういう相談しないんですよ」
「え?ああ。そう、だったのか……」
「——おい。」
刹那、シンと静まり返った調理室内に響き渡る不機嫌なその声色。私と木暮先輩が一緒になって入り口のほうを見ると、そこには寿がドアを背にして腕を組み、気怠そうに寄っ掛かっていた。
「あ、三井……ど、どうしたんだ?」
「は? タコ、取りにきたんだよ」
調理室の入り口で、まるで本物のタコみたいにくちびるを付き出して不服そうな表情を浮かべる彼がそのまま室内に入って来た。その姿に私は、咄嗟に目を逸らす。
「あ! つか、お前さぼってんじゃねーよ!」
私のことなどとくに気にも留めない彼がすぐに木暮先輩に噛みついて騒ぎ立てる。木暮先輩は、「悪い悪い」と軽く返して彼を宥めていたけれど私はなんだかその場にいられず勢いよくそのまま調理室から飛び出した。
「……あ? オ、オイっ!!」
調理室の入り口から顔を出して私を呼び止める彼の声が背後から聞こえた気がしたけど立ち止まることも振り向くこともせずに私は猛ダッシュでその場を後にした。
*
—— ガチャ…… ——
屋上の扉を開けるとそこには流川くんがいた。彼はコンクリの上に横になっている。デジャブ。すこし前にも同じ光景をここで見たことを不意に思い出す。私はあの日と同じく、そっと彼のそばまで歩み寄り、その顔を覗き込んだ。スースーと微かに寝息が聞こえる。バスケ部の屋台の手伝いに行かなくてもいいのかな?と思いつつもとても気持ちよさそうに眠っているで起こさないようにそのまま息を潜めて監視していたら寝返りをしてこちらを向いた流川くんの顔が近くに登場する。驚いてぎょっとしたが、流川くんの顔をこんなに間近で見たのは初めてかもしれないと尚もじっと観察をつづけた。
「……寝てるの?」
思わず問いかけてしまったが、流川くんからの返答は無い。聞こえてくるのは小さな寝息だけ。
流川くんって、まつ毛長いな。肌とか真っ白。髪の毛、柔らかそうだなぁ。そして、相変わらず綺麗な顔立ち。
「流川く………」
二度目の呼び掛けと、それはほぼ同時だった。私がしゃがみ込んだとき、流川くんのくちびると私のくちびるが、触れた——。
「——ッッ!?」
「……なんすか」
「ちょ!こ、こっ!こっちの台詞だよっ!!!」
—— バタン!!! ——
「——オイッ!流川!!!」
勢いよく屋上の扉が開閉された音がしたあと、背後から凄まじい怒鳴り声がして私がその状況を把握した頃にはその声の主が流川くんの胸ぐらに掴み掛かり、流川くんを力いっぱいに持ち上げていたところだった。。座る体勢だった流川くんは無理やり立ち上がるかたちになる。
「てめェ流川!誰の女だと思ってんだオラァ!」
「……たりとも」
「あァん!?」
「何人たりとも、俺の眠りを妨げる奴は許さん」
一気に頭に血が上ってカァァァァと絵に描いたように顔が真っ赤になった寿。それでも彼、流川くんは、無表情のままだった。……ま、まずい。これは非常にまずい状況ですよね——!?キレている、完全にキレている。あぁ流川くん、終了のお知らせ。ダメ、流川くん、いますぐ逃げて!!
「——流川てめぇ、ふざけんなっ!!」
寿が拳を握りその腕を高く振りかざした。私は彼の腕が上にあがる動作が見えた瞬間に勢いよく抱き着く体勢で、流川くんから寿を引き離そうとする。
「寿っ——!!!」
「あぁ!? 離せっコラ!!」
「ダメ!!暴力だけは——!!」
私のその言葉に彼が我に返り流川くんの胸ぐらを掴む手を、しぶしぶ離した。そして解放された流川くんは不機嫌な顔のまま屋上を出て行った。突如ふたりきりになってしまった屋上では、未だ興奮状態の彼の荒い息遣いがハア、ハアと、響き渡っている。
「……ったく。なにしてんだよ、おめーは」
「な、なにって……」
「お前が隙見せてっからいけねーんだろ!?」
えっ、私!?と言おうとしたが押し黙って私は静かに困惑する。だってこれは、不可抗力というやつでは……だってだってあんな状況、私だって想定できなかった!そもそも、ちゃんと最後まで話も聞かないでなんなんだ、この血の気の多い、元ヤンは……!もう、腹が立つ!
「寿だって隠し事してるくせに!」
「あぁ!?隠し事だぁ!?」
「してるじゃん!嘘つき!」
「——う、嘘つきって……ハァ、また俺かよ」
彼はそのまま言葉を詰まらせた。私も急に大声を出したことでやや息遣いが荒くなり小さくハァハァと息を吐く。そして彼が舌打ちをして自分の後頭部をぐしゃぐしゃと掻いた。たぶん困惑している。きっと、苛立っているのだろう。だけど、私だってここは引けない。隠し事をしているのはそっちだ。私はなんでも言ってねと伝えたのに。力になるから、と。それなのに——。
「……ハァ、なんなんだよテメェは」
「……」
「急に逃げてみたり、すぐ怒ったり……流川と、キスしてみたりよぉ……」
「……!」
いや、待って……!それは、流川くんが……!
「俺のこと振り回して、そんなに楽しいかよ」
「そ、そんなつもりは……」
「じゃあ、何なんだよ!!」
「……。」
どうしていつもこうなってしまうのだろうか。
わかり合いたい、ただ、それだけなのに——。
「どうして……」
「あ!?」
私の顔すら……見たくなくなったのだろうか。ずっと、私に背を向けている。怒りとか呆れとかそういう感情が滲み出ているその不機嫌な背中。どうやらこちらを向く気はなさそうだ。やっぱり私がいけないのだろうか。私はただ……寿の力になりたいだけなのに。
「……どうして、悩んでるって言ってくれなかったの?」
悲しい。ただ、ただ悲しい。誰よりも側にいて理解していた気でいた。私は彼のことを、きっとなにも知らないんだなって痛感したから。
「進路のことで悩んでるって、どうして、教えてくれなかったの……?」
「……!」
彼がようやく私の方へと体を向けた。その顔はひどく驚いたような表情だった。
私は瞼に涙をいっぱいに溜めていた。頑張って堪えていたけれど、それが瞼から零れ落ちるのはもはや時間の問題だった。
「私って、そんなに頼りない?私って、そんなに力不足?」
「……ちげーよ、聞けって」
「いや、聞かない!」
一気に距離を詰められて、私は腕を掴まれた。その掴まれた手を勢いよく私が振り払ったことで瞼に溜まっていた涙が一気に頬へと流れ落ちた。
「バスケ部のみんなは知ってて、私だけ知らないんだよ?」
「それはっ」
「全部知ってたら私、遊んだり、一緒に帰ったりメールしたり電話したり……しなかったもん!」
情けない。きっと寿なら大丈夫だろうなって、余裕な振りをして、高を括っていた自分自身が。
「寿の……っ」
ダメ、涙が……止まらない。
「勉強や、部活を、最優先させてた……もんっ」
止まらない。悔しい、なにも知らずにひとりで浮かれて。久しぶりにデートができたからって、ばかみたいに舞い上がって。
「知らなかったんだもん、だって、わたし……」
そのまま言葉に詰まって嗚咽しながら顔を両手で覆った。とめどなく溢れ出て来る涙を、必死に拭う無様な私の姿を彼はただ茫然と眺めていた。
「……だからだよ」
私の泣き声だけが虚しく響き渡る屋上に、彼の弱くて低い声が重なる。私は、反射的にひくっと息を止めた。
「お前がそうやって、気ィ遣うと思って、言えなかった」
覆っていた自身の手を顔から離し、ゆっくりと彼のことを見上げた。相手はずっと俯いている。
「名前と居たら、悩みなんて忘れられたしよ」
彼は俯いたままで、ぽつりぽつりとつぶやく。そして彼の拳は——強く握られていた。握られたままでいるその拳が、微かに震えている。
「名前との時間、減らしたくなくて」
どうしていつも俺たちは、こうなっちまうんだろうな。もどかしい、情けない、悔しい——。
「なんか、逆効果だったみてーだな……」
「………ひさ、」
私は咄嗟に彼の腕を掴んだ。しかし、それにはとくに反応もせず私の声を遮って「わりィ。俺、屋台あるから戻るわ」と、腕を掴んだままでいた私の手を力なく擦り抜けて彼は屋上を静かに出て行ってしまった。
私は、大切な人を傷つける天才だ……。
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