16歳、秋(20話)
「名前さん、来ないですねぇ……」
真赤な、もはや湘北のチームカラーと言っても過言ではないような、派手な色の法被を羽織った晴子ちゃんが寂しそうに、ぽつりとつぶやく。
「三井先輩、また喧嘩したんですかぁ〜?」
「してねぇよ」
彩ちゃんが晴子ちゃんを見兼ねて痺れをきかせそう問えば、ぴしゃりと、ドスの効いた声で吐き捨てた三井サン。そんな三井サンを、呆れた顔で見下ろす彩ちゃん。
三井サンはと言うと、パイプ椅子に気怠そうに腰を預けて適当にカチャカチャとタコ焼きの粉の入ったボールを箸で掻き混ぜていた。完全にやる気ゼロ、の三井サンに対し彩ちゃんが「ちゃんと混ぜてください!」と腰に手をあて注意を促す。
「うっせーなぁ……わーってるよ」
そんな、溜め息交じりの不機嫌大売り出し中の声が返ってきて彩ちゃんは、また大きく溜め息を吐いていた。
「彩子さん!このタコ焼き名前さんにあげてもいいですかね!?」
「あら桜木花道〜アンタ優しいとこあんのねぇ」
彩ちゃんのヨイショに花道は「ガハハハ!天才ですからっ!」と、かわらず騒いでいる。今年の学祭はバスケ部の活躍もあって例年よりも市民や他校のギャラリーが多かった。
こんなめでたい日にこの人たちは。と、オレも無意識に溜め息を吐いて三井サンを眺めていた。
「タ、タコ焼きふたつくださいっ!」
「おっ!いらっしゃいませ〜!」
「あ、あの……」
「ぬ?」
「陵南戦に出てた、赤い坊主の方ですよね?」
「あ?そーすけど!何かこの天才に用事でも?」
「私たちと、一緒に写真撮ってくださいっ!」
「「なにィ〜!花道と写真〜!?」」
桜木軍団が一斉に声を揃えて叫ぶ。そのお陰で一気に屋台も賑やかになった。お客さんや花道、軍団の野郎たちの楽しそうな声がここまで聞こえて来て、オレも自然と頬が緩んだ。地面に座ったままタコ焼きを食べていたオレは斜め前の椅子に腰を掛けていた三井サンを見てなんとも辛気臭いその背中に、またひとつ小さく溜め息をつく。
「ミッチー、袋!」
「え、ああ……わりぃ」
「ホラよ」とそばに置いてあったビニール袋を花道に渡したあとハァとまるで幸せが逃げていきそうな、あからさまな溜め息を吐いた三井サンの姿が、この位置からでも見えた。あ〜あ、もう。やれやれ……。
「三井サン。」
「……あ?」
適当に掻き混ぜて弄ばれたタコ焼きの粉から、三井サンは視線をオレに向けた。てか、あのさ。そんなに、睨まないでよ……。
「……早くしねーと、メインイベントの花火はじまっちゃうよ」
学祭の賑やかな音とギャラリーの声が重なっていい具合にBGMになっていた。夕日も沈みかけてきて、テントや屋台にも明かりが灯りはじめる。きょうの三井サンは、本当に静かだった。
ややあった沈黙のあと、また己の視線を手元のボールに移した三井サンは再度その中身を適当に掻き混ぜはじめる。そのとき——もうすぐ花火があがるとも取れる軽音部の演奏がバラードに切り替わった。
「——宮城、」
カチャカチャとボールの中身を掻き混ぜていた音がぴたりと止まったかと思いきや、そっと名を呼ばれオレは思わず片方の口角が吊り上がるのを感じた。
「……はい?」
「あと、頼むわ」
オレはふっと鼻先で笑って先輩の言葉に返事をする代わりに手をヒラヒラと振って合図をする。三井サンは「わりぃ」とつぶやいて法被を乱暴に脱ぎ捨てて走って行った。
「……たく、おせーっての」
タコ焼きを頬張りながらオレは何だか情けなく笑って立ち上がり、三井サンの座っていたパイプ椅子に座り直す。すると三井サンが走って行った方角を見ながら花道が言った。
「……ぬ?ミッチーこれから花火なのに便所か」
「さぁな♪あ!花道おまえ食いすぎなんだよ!」
世話の焼けるセンパイ、ガンバレ……!
*
湘北になんて……転校して来なきゃよかった。お父さんが言ってくれたように素直に私立の翔陽とかを選んで、こうして再会なんてしなかったらこんなにつらい想いは——。
—— ガチャ……。——
「……ったく、ずっとここに居たのかよ」
屋上の、鈍くて古い扉の音が閉まると同時に、呆れたよな声が聞こえてきた。
「探したぜ」
歩み寄って来る、大きな影の気配とその足音。私はと言うと、体育座りの状態で膝を抱えて扉に背を向けていた。背中が丸まっていたのでずっと泣いていたことはすぐに相手にもバレたかもしれないけれど。
そんな私を見たからか、相手は一度足を止めたらしかったがまたすぐにこちらに向かって歩いて来る上履きの音が聞こえた。そのまま私の真横を素通りすると、ガシャンとフェンスを片手で掴みその下を見下ろす姿が視界に映る。相手の横顔は私の位置からではよく確認は出来なかった。
つい先ほど、掴んだ手を振り払われて背を向けられたのだ。そしていま、この状況に置いても、こちらを向く気はないのだろうと察して泣きたくなる。
「ふはっ、桜木の野郎……」
鼻で小さく笑うような声と共にようやく見えた彼の横顔。フェンスの下にいる後輩に向けたその笑顔は柔らかくて、とても穏やかな表情だった。やはり私のほうを向いて笑ってはくれないのかとついに涙が溢れてきた。彼はそんな私の鼻を啜る音を聞いてか「ふぅ」とひとつ、深呼吸をした。そして振り向きこちらへと向かって来てようやく私の隣に腰を下ろした。横目で視界に入れると、どうやら、正面を向いてあぐらを掻いているようだった。やはり、こちらを向く気はなさそうだ。
「……戻んねーのか?」
「べ、べつに……。関係ないでしょ」
突然放たれた優しいその物言いに咄嗟にそんな言葉が、口をついて出てしまった。あいかわらず自分自身に心底絶望していると「それ口癖かよ」と、彼の変わらぬ優しい笑い声が微かに聞こえた気がした。
「みんな待ってるぜ」
冷たく言い返した私に対してとくに怒ることもせず、あいもかわらず優しく話すその声に、涙は止まることを知らずに延々と流れ続ける。ねえ、寿。どうして、こっち向いてくれないの……?
「——わたしのこと」
震える私の泣き声に、こちらへ顔を向けた彼とようやく目が合った。
「……嫌いになっちゃったの?」
「——!」
『 寿、わたしのこと嫌い? 』
不意に蘇る。13歳の頃の彼女の面影が——。あれは、俺が中学三年のとき。あの海で言われた彼女の言葉と同じだった。あのとき『好きだ』と伝えていたらと何度も後悔した。あの頃よりも、何倍も、何十倍も今では想っているというのに。せっかくこうして向き合える関係になれたのに。困らせて、傷つけて。泣かせて、喧嘩してばかりじゃねえか。俺が勝手に、ずっとそばに居るって決めたのに……。
「——んなワケねーだろ、バカ野郎」
寿は私の腕を自身のほうへ引き寄せた。左腕を引っ張られたことでバランスを崩した私の足は、屋上のコンクリートの上に、少々乱暴に叩きつけられて上半身はすでに彼の腕の中にあった。彼はそのまま、私を強く抱き締めてくれた。
「嫌いになったことなんて、一度もねーよ!」
そうはっきりと口にして伝えてくれた彼の背中に私は腕を回してひとしきり、その胸の中で泣きつづけた。
*
どのくらいの時間が経ったのだろうか。随分と長い時間、彼の胸の中で、泣いていたような気がする。そしていま、私たちは先ほどと同じ姿勢に戻り、互いにフェンス側を向いて座っていた。
「——その、黙ってて……悪かったよ」
彼の方を見ると、ぐしゃぐしゃと右手で自身の後頭部を掻きながら、申し訳なさそうにチラリとこちらを見た。
「私の方こそ、ごめんなさい……」
体育座りしていた足を正座に組み替えてぺこりと頭をさげる。すると彼も、あぐらを掻いていた足をくるりと反転させて、私と向かい合うように座り直した。その瞬間、相手の腕がグイッと私の首に回ってきて一瞬のうちで私は引き寄せられてくちびるを奪われた。校内だと言うのに舌を絡め何度も角度を変えて彼は私に口づける。
「——ちょっ、!!」
「……消毒だ、」
そんな自分本位な言葉を発した彼に尚も強引に口内を弄ばれる。私も、なんとか抵抗して離れるよう試みたが、まったく敵わない。そうこうしているうちに、あまっていた彼の腕が私の腰に回り今度は体ごと力いっぱいに引き寄せられた。私が彼の長い脚の間にすっぽり納まると懲りずに何度も何度も角度を変えて舌を入れてくる彼に流されるがまま弄ばれる始末。
「ちょ、タンマ……ここ……、学校っ——!!」
途切れ途切れに私がそう必死に訴えると、ようやく相手のくちびるが離れて、私は解放された。それでも鼻頭がぶつかり合っているため、互いの息遣いが、ダイレクトに伝わってくる。しかし、解放されたのも束の間、今度は、私の首筋に顔を埋めて来た。やばいっ!これ、キスマーク付ける気だ、ぜったい!!
「………っ、盛ってんじゃねー!!」
そう叫んで利き足で思い切り相手の股間を蹴り飛ばしてやった。っつーー、と呻きながらうずくまる彼が、ギロリと私を睨み上げる。
「——ってーな! ノリ気だったじゃねーか!」
「だれがっ!」
—— ドンドンドーン!!! ——
「……!? え、花火……?」
「……え? あ……、ああ。」
—— バタンッ……! ——
「ミッチー!!!」
「バカっ、花道!!」
不意に、屋上の入り口付近から聞き慣れた声が響いたので、ふたりで一緒になって振り返ると、そこには——大好きな、みんなの姿があった。
「タコ焼き、持って来た!」
そう言った桜木くんの満面の笑顔に、私も寿も拍子抜けし、そしてみんなで笑い合ったあの日。後日、彩子にあの日の真相を聞いたら「ミッチーミッチー!」と探し回る桜木くんに、流川くんが「たぶん屋上」なんて言ってしまったものだから猛ダッシュで屋上に向かって行った桜木くんを、みんなで止めに来たとのこと。そして先回りした彩子とリョータくんがお楽しみ中(?)の私たちの邪魔をしないように見張っていたら桜木くんが物凄いスピードで屋上の扉を開けて、中に入って行ってしまったのだそう。
桜木くん、きっとみんなで見たかったんだよねこの、花火を……。その��みんな�≠フ中に、私も入っていたことが、本当に嬉しかった。
今年の学祭は例年とは少し異なり特別だったとあとになってから聞いた。何十年か振りにバスケ部の活躍があったので、学祭で花火をあげようという話になったらしいと後日クラスの学級委員が言っていた。
晴子ちゃんに、桜木軍団。流川くんや、彩子にリョータくん。そして寿と私。本当に楽しかったあの日々。きっと、ずっと忘れないよ。花火も、バスケ部も、みんなのことも。そしてもちろん、寿とのことも。
記憶の中にある寿の笑顔はどうしてこんなにも心に響くのだろう。どうして、暖かいのだろう。どうしてこんなにも、思い出してしまうのかな。
ねえ、会いたいよ。あの頃のふたりに
もう一度だけ——。
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