17歳、春 (26話)
17歳、春
― 17歳、春 ―
「アンタねぇ〜、」
桜の舞う季節。四季の中で私はいちばん、春が好きかも知れないな、と思う。
今日は快晴。雲ひとつない青空のもと大の字に寝そべって、空を仰いでいたら、流川くん以外の珍しい人に声を掛けられた。屋上で彼女とふたりきりになるのは、実は初めてかも知れない。
「今朝からずっとここに居たの?」
「探したわよ」と呆れ口調の彼女が歩いてくる音がする。見なくても分かる、きっと両手を腰にあてているのだろうな、と。
ふと視界が暗くなったと思ったら、頭上に現る彩子の、あいかわらず美人な、その整った顔。
「卒業式くらい、ちゃんと出なさい」
「この不良娘!」と説教じみた言葉とは裏腹に彼女は花のように、きれいに笑っていた。
「みんな下で、三年生と写真撮ってるわよ〜?」
その言葉に私は、ゆっくりと目を瞑る。そんな私の行動に彼女は諦めることなく「ちょっとー、聞いてんの?」なんて声を掛けてくる。ここまでくると本当にもう、本物のお母さんみたいだ。
「名前、」
「……なに?」
私の声はわりかし、不機嫌そうにも聞こえただろう。その証拠に彩子が大きな溜め息を吐いた。そうして彼女は、呆れたように言い放つ。
「卒業式くらい、ちゃんと見送ってあげなさい」
「……」
「最後なのよ?」
そう言われてついに私はゆっくり瞼を開けた。あいかわらず空は快晴。ほんと、晴れ男万歳だ。
「………そうだね」
ようやく重い体を起こす。屋上のフェンスからチラリと下を見下ろせば、卒業生と在校生の姿が見えた。その中にあの彼の姿があったのかまでは確認できなかったけれども。
今朝、嬉しい知らせがあった。教室に響き渡る大きな声で「名前ちゃん!」と、呼ばれた。その声の主はリョータくんだった。その彼のうしろに桜木くんも興奮気味にオマケでついている。私の前の席に座っていた彩子が「何ようるさいわね」と、私の変わりに返事をすると——
「三井サン、合格したって!」
今年イチの、ビックニュースが飛び込んで来たのだ。もうこれを超えるめでたい知らせなど今年は出くわさないだろう。そのビックニュースに、私は驚きと感動で思わずその場で号泣してしまった。急に泣き出す私を、三人があたふたと宥める展開に発展する。
「あ!リョーちんが泣かせた!」
教室内にいた全員がこちらを振り向くほどの声量でリョータくんに指を差して責め立てる桜木くん。
「ち、ちげーよ!ごめん、名前ちゃん……」
困惑しながらも、何故か平謝りをするリョータくん。ついでにクラスメイトたちにも「ちがう!これは、違うって!」とか言いわけをしている。
「名前、びっくりしたのよね?」
おー、よしよし。と私をぎゅうっと抱きしめる彩子。悲しいやら嬉しいやら楽しいやらで、気がつけば、すっかり涙は引いてしまっていた。
大学に合格したら、彼が地元を離れると知ったのは先週の晩ご飯のときだった。お父さんから、突然報告を受けたのだ。お父さんは彼の両親から聞いたと言っていた。一人暮らしなんか出来るのだろうかと、心配にはなったけれど。彩子の言うとおり、最後くらいちゃんと見送ろう。もう会えなくなるのだから。これが、本当に最後だから。
*
「 寿 」
久しぶりに呼んだ初恋の彼の名前。そのたった三文字を発するまで、ずいぶんと時間がかかってしまったように思う。
みんなと笑い合う彼を、楽しそうに騒ぐ笑顔の彼を、ふとあたりを見渡し、なにかを探している彼の一連の心情の流れをいまこの場所からずっと見ていた。元気そうで、安心したよ。
「名前……」
すこし離れた位置にいた私が背後から声をかけたことに彼は驚いていたけれど、それでも律儀にも「ちょっとわりぃ」とそばにいた友人たちに、申しわけなさそうに手を小さくあげてこちらへと歩いて来た。胸には赤いコサージュが入っていて行き交う卒業生たちを見渡してみれば思い思いにそれぞれの色を纏っていた。やっぱり彼は赤色を選んだのだなと、微笑ましくなる。
「卒業おめでとうございます」
「あ、……おぅ。」
向き合ったのも、見つめ合ったのも本当に久しぶりで。いまこうして自然と笑い合っているのもなんだか不思議な感覚だった。きっと昔なら想像できないだろう。こんな、関係になるなんて……
「……ボタン、全部もってかれた?」
「え?……あ、あぁ。今回は、ほぼ男子がな」
なんて不満そうに言う彼に「ファンクラブ潰れたんじゃない?」と私が嫌味を言えば「おまえが存続し続けろよ」と、彼が偉そうに得意げな顔をして対抗してくる。この日のためにちょっと奮発してお小遣いで買った新しいシャンプー。それでしっかりと髪を洗い、今朝、念入りにブローしてきたことに、さりげなく気づいてほしい。きっと彼は気づいてくれないだろうとわかっていても。
まだ、ぎこちなさが残るふたりのこの距離感に互いに私たちは未だ視線を上手く合わせることが出来なかった。
「名前」
「……ん?」
「合格したぜ、」
「大学」と、照れながらも誇らしげに言う彼の頭上には、桜が舞っていて。いつか見た光景と、重なった。残念、そんなのもう……知ってるよ。
「そうなの?オメデト。」
「おう」
「また……バスケットが出来るね。」
「……ああ。」
彼には桜とバスケットが、本当によく似合う。そんなことを不意に考えていたら「三井ー!」と名前を呼ばれ振り向く彼の背中に��ありがとう�≠ニ心の中で真っ直ぐに伝えた。
「……ホラ、呼んでるよ。お友達」
振り向いたままその場で固まっている彼にそう促すと「あ、ああ……」とぎこちなく返す相手に「わたし、もう帰るから。じゃあね」と言い置き校舎に背を向けて、私は歩き出した。
「名前!」
彼を横から通り越して正門を出る間際、大きな声で名前を呼ばれたので、咄嗟に振り向けば——
「ありがとな!」
卒業証書の入った筒を高く掲げて、笑顔で私にそう言った、大切な幼馴染。私は一度だけ微笑み返し、また彼に背を向けて、そのまま湘北高校をあとにした。
しばらく俺は立ち尽くしていた。彼女の姿が、見えなくなるまで。
「三井!」と友人に名前を呼ばれなければ俺はあのときいったい、彼女に、なにを伝えていたのだろうか。
卒業式。いつも汗を流して走り回った体育館を今日は、紅白の布が艶やかな色に変えていた。
綺麗に並べられた在校生のイス。何度見渡してみても彼女の姿を見つけることはできなかった。最後になにか伝えなければならない大切なことがあった気がするのに。
あの日、別れてから日々強くなっていった彼女への��伝えたい想い�=Bそもそも、今日は来てねーのかもな。そんなふうに諦めかけていた卒業式終了後の校舎の外で、ふと呼ばれた自身の名前。けど——実はあのとき、そこに居る気がしていたんだ。春の風に舞って落ちる桜の花びらとともに名前の、優しい香りがしたから。
「三井サン」
不意に呼ばれた自身の名前に振り向くと……約三メートルほど距離を開けた先に突っ立っている生意気な後輩の姿。
「宮城……」
つか……距離取りすぎなんだよ、バカヤロウ。
「なにボーっとしてんの?」
生意気にポケットに手を突っ込んで聞いてきた宮城に対して「べつに」と返せばニヤリとほくそ笑んで「卒業おめっとサン」なんて祝福の言葉をくれたので、きょうくらいはと思い珍しく素直に「サンキュ」と、返した。
そのあとはすこし沈黙が生まれたがややあって「いろいろあったけどさ」と語りだした生意気な後輩が、へらっと笑って言った。
「アンタが居てくれて、良かったよ。」
なんて。まさか、そんなことを言われるとは、夢にも思っていなかったので、なんだよ、可愛いとこあんじゃねーか、と思いつつも卒業式にあらためて気付かされる、後輩たちの存在の偉大さ。
「気持ちわりーな、なんだよ急に……」
やはり根の部分は素直になれず、あいかわらずそんな返しで誤魔化して、なんとか待逃れたが。なんつーか……目頭、熱くなっちまったじゃねーかよ。どうしてくれんだ、このクソガキ。
「——さて、ここで」
「……あン?」
「俺からの、プレゼントです。」
お得意の悪ガキ顔で言った宮城が中腰になって俺を覗き込んだ。……だから、その歪んだ眉毛が好きじゃねえ——って何度も言わせんなっつの。
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