25歳、夏(31話)
25歳、夏
― 25歳、夏 ―
「さぁさぁ名前ちゃん、ゆっくりして行ってね〜!」
「あ……。おばさん、その、お構いなく……」
隠しきれず笑みをこぼしながらも温かい紅茶を出してくれた彼の母親に遠慮がちにそう言うと、藤真さんも隣に座ったまま軽く頭を下げる仕草が視界に入った。
私と藤真さんが並んで座り、そして寿が向かい合うかたちで、ダイニングの椅子に座っていた。あたりまえに、無言の時間だけが流れていく。
「あ、あの……寿、」
「……あ?」
「帰るところだったんじゃ……ないの?」
「ん、ああ……べつに少しくらいなら大丈夫だ」
「いいじゃない、いいじゃな〜い!名前ちゃんの彼氏さんに会うなんて、めったに無いことなんだからね〜」
「どうぞどうぞ、ゆっくりして行ってね〜」とテーブルにお菓子の入った籠を置いた彼の母親はキッチンの奥へと下がっていってしまった。
「……わりーな、うるさくてよ。」
「いや、べつに構わない。」
「……。」
……なにこの、二人のあいだを漂う重い空気。でも、もともとは知り合いだったんじゃなかったっけ?それとも、昔から仲が悪かったとかかな。リョータくん、そんなこと、言ってなかった気がするんだけどなぁ。いや、待って。それにしても気まず過ぎるでしょ……。私に、藤真さん。目の前には寿が座っているこの状況。なんだ、コレ。
「名前もごめんな」
「……! う、ううん!ぜんぜんヘーキ。」
慌ててそう言い返して私は出された紅茶に口を付けた、が——なんだか味がしなかった。そりゃそうだよね。もはや、めまいすらしてきたもの。
「宮城からは聞いてたけど……」
「まさか、会えるとは思わなかったな」と彼も目の前に置かれたカップを手に取り口を付けた。藤真さんは出されたカップを手に取ることもなくじっと寿を見据えている。そんな彼を横目に私が口火を切る。
「彼に着いて、ニューヨークに行くことになったから……なんだか、バタバタとあちこちに挨拶」
「ねっ?」と私が藤真さんのほうを向いて言うと「ああ。」と、藤真さんも短く返してうなずく。
「ニューヨーク?」
「あ、うん……」
重い空気にシンと静まり返る室内。胃が痛い。そもそもの話……どうして寿のお母さん、居なくなっちゃったわけ〜!?
「結婚するんだよ、俺たち」
その空気を割って藤真さんが、さらっと言い放った。私は驚愕して口につけていたカップの中身を噴き出しそうになる。藤真さん、待って。物事にはいろいろと順序が……!
「名前と、結婚する。」
その言葉が放たれてからすこしの沈黙のあと、「そうか」と小さくつぶやいた、私たちと視線を合わせないままの寿を私はずっと見つめていた。
「……いつ、発つんだ?日本。」
「そ、それが……あと、一ヶ月後なの」
「——は? 一ヶ月!?」
「ほ、ほんと、慌ただしいよね……」
「なんだ……そうか。俺たちの結婚式に出てもらおうと思ってたのによ」
「あっ……うん、ごめんね」
「まぁ、仕方ねーよ」
外から聞こえてきた電車の音が、静まり返った空間に色を足した。ずっと無音だったのですこしだけ、このずっと続いている緊張感が解れた気がした。
「藤真、」
「……?」
間もなくして電車が通り過ぎたのか室内がまた無音で静かな空間へと逆戻りする。
「俺が言うのもなんだけどよ。名前のこと、よろしく頼むな」
「……ああ。」
「……。」
それでもやっぱり
勝ったチームが強いんです
……まただ。こんなときに思い出す。
安西先生が彼らに言っていたあの言葉が——。
*
「……おじゃましました。」
「名前ちゃん、またいつでも顔を出してね。」
私が「はい」とおばさんに頭を下げたと同時に鳴り響く着信音。すかさずポケットに手をかけたのは藤真さんだった。鳴ったのはどうやら、彼のスマホのようだ。藤真さんはスマホの画面を見て仕事だろうか「ちょっと外すな」と私に耳打ちをして伝えると「おじゃましました」と丁寧に寿のお母さんに頭を下げて挨拶をし、道路をはさんだ向こう側へと隙のない動作で歩いて行った。
「……。」
「……、じゃあね。」
藤真さんの背中を見送ってから、私も寿にそう告げると彼に背を向けるようにして、藤真さんのいるほうへ向かって歩き出した。
「……名前!」
そのとき——私を呼ぶ彼の声がしてゆっくりと立ち止まり、躊躇いがちに振り返ってみる。
「このまえの、あの話な?」
「……あの、話?」
「なんであのとき。成人式の、あの日……」
「……」
「あの約束の日。なんで、待ち合わせの場所に、行かなかったのか……」
彼の言うあの日とは、リョータくんに騙されたあの日——駅のホームの階段で、私が執拗に彼に『どうして』と、問いただした日のことだろう。あのとき彼は答えてくれなかった。
「本当は、本当はな……」
時は流れている、確実に——。
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