25歳、夏 (33話)
25歳、夏
― 25歳、夏 ―
寿がなにかを、伝えようとしている——。目を逸らして話すその仕草は、都合が悪いときによく見せる、彼の癖だった。これでもう本当に、会えなくなるだろう。だから私は、あなたに聞きたいことがある。その答えを目の前の彼がいまきっと伝えようとしているのだと本能的に私は悟した。
「本当は、俺……」
そのまま言葉を詰まらせた相手に私も無意識に顔が強張ったのがわかった。
「……本当は、ダメだと思ったんだ」
「……。」
冷たい潮風と彼のその言葉が、やけに耳に突き刺さった。……変なの、わたしったら。どうしてこんなにも、落ち込んでいるのだろうか。だからこそなんとなくだけれどもそのあとに続く言葉が読めてしまった。
「——このまま続けても俺たち………ダメだと、思ったんだ。」
「……」
「だから俺——」
「わかってる。」
「……。」
期待していたわけではない……決して。そんなことは私だってあのとき、寿が来なかった、あの日から理解していた。ただあらためて彼の口からそうだとはっきり聞いてすこしだけ悲しくなっただけ。疑問が明白になった、ただそれだけの事。もう、聞きたくない。そう思ったら、咄嗟に彼の言葉を遮ってしまった。
「わかってるよ、わかってる」
「名前……」
「だからもう……言わないで。」
「……。」
私と彼のあいだにはこの気まずい空気に反して心地の良い波の音だけがただ延々と止むことなく静かに流れていっただけだった。
自分が嫌になる。結婚すると報告をしたばかりだと言うのに。なにを期待していたのだろうか。こういう自分が、好きになれない。道路を渡った先には未来を誓った婚約者が待ってると言うのになぜこんなにも胸が苦しいのか。涙が込み上げて来るのか。こんな自分が、私は本当に大嫌いだ。
「……寿、」
最後にしっかり目に焼き付けようと真っ直ぐに見た幼馴染の彼の顔。彼の表情もまたどこか瞳が微かに潤んでいるように見えて、光の加減でそう見せたのか、いまにも泣きだしそうに見えたのは馬鹿な私の勘違いだろうか。きっとそうだろう。
「なまえさんと、幸せになってね、絶対。」
私はそのまま「じゃあね」とつぶやいて、歩き出した。彼の家の玄関の階段を下り、門を出たところで藤真さんの姿が道路の向こう側に見えた。
「………名前!」
その聞き慣れた癖のある幼馴染の声に一歩踏み出そうとした足が止まり彼に背を向けたまま私はその先につづく言葉を待った。
「名前も、幸せになれよ……絶対!」
私は下唇を噛み、こみあげてくる涙を堪えた。振り向くことなくコクンとひとつうなずいて向こう側で待っている婚約者の元へと走った。
時は流れている、確実に。離れていたあいだに流れてしまった時の砂は、私たちを別の場所へと流してしまった。
もう振り返らない。もう、二度と——。
*
「……やっぱり、三井とお揃いなんだろ。」
藤真さんと駅に向かって歩いていた時だった。藤真さんの方からこうして彼の名前が出たのは。たぶん、出会ってから初めての出来事だろう。
「あのストラップ。鍵に付けてたな、お前も。」
藤真さんはいつもと変わらない表情ではあったものの、どこか冷たい目をして遠くを見ていた。きっと、気のせいであってほしい。
「三井も、同じの付けてたもんな」
そう言って藤真さんは、こちらに目線を送る。駅までは、まだすこしある。この話のネタはいつまで続くのだろうかと考えると頭が痛くなった。
「……やっぱりな。」
「……」
「そんなに何年も思い続けるほど、良い男か?」
「……。」
無言のままでいる私に苛立ったのか、珍しく、今日の藤真さんは、よく喋る。藤真さんの言葉に私は静かに立ち止まり、か細い声で否定をした。
「……違うの。」
「……」
「たぶん、いつも肝心なところで気持ちをぶつけ合ってこなかったから……」
「……」
「気持ちが……残っちゃってたんだと思う。」
「……過去形か。」
「え?」
「思いが残ってるって、本当にそれ過去形か?」
「……、うそぉ……」
私が思わず口に手を当て驚く仕草を見せると、藤真さんは「なんだよ」と不機嫌そうに言った。初めて彼のすこし歪んだみたいな、なんというか人間らしい、そんな表情を見た気がした。
「藤真さんって、そんなこと言うの?なんだか、ヤキモチ焼いてるみたーい」
「あのなあ……。俺だって、ビックリもするし、怒ったりもするんだよ」
「へえ、そうなんだ。見てみたーい怒ってるの」
そう言って彼の前に立つと「本当に怒るぞ」と冗談混じりに、軽く拳を作ってみせる藤真さん。私が「怒れば〜?」なんて揶揄うと「このっ!」と私を叩く振りをする彼を見て、思わず笑った。
……きっと、大丈夫。この人とは、この人との思い出を、積み重ねていけばいい。古い思い出は捨てて新しい思い出を積み重ねていくんだ——。
TOP