25歳、夏 (34話)
「はぁぁー......」
「どうしたの?なんだか幸せが逃げていきそうなため息だね」
「あ?……いや、なんか。結婚式の準備ってめんどくせーのな」
手に持っていた招待客のリストを乱暴にテーブルの上に放り投げるとそれがテーブルの上で散らばった。俺はそのままソファに横になる。彼女はそんな俺の様子を見て、すぐに不機嫌そうな顔をした。
「ひさし、そういうこと言わないのっ!」
俺と向かい合うようにしてテーブルをはさんだ目の前に車椅子のまま腰を掛けていた婚約者が、俺によって放り投げられたそのリストをまとめてテーブルの中央へと置いた。俺は溜め息を吐き、「へいへい」と観念して起き上がる。そうして、彼女が束にまとめてくれたそのリストを俺はまた手に取った。
—— プルルルル…… ——
室内に着信音が鳴り響く。「電話、ひさしじゃない?」と彼女が言って俺の鞄が置いてある方に目を向けた。どうやら犯人は俺らしい。このときはじめて鞄の中にスマホを入れたままにしていたことを思い出す。
「ん……?ああ。」
そうつぶやき、気怠くソファから立ち上がって隅に置いてあった鞄を開けスマホを取り出した。ディスプレイには『宮城』の二文字。ん?と頭に疑問符を浮かべつつ俺はその鳴り止まない着信を取った。
「おつかれさん。」
『あっ、三井サン?♪』
「おう、なんだよ」
「どーした、ずいぶんご機嫌だな」とスマホを耳に当てたまま俺はまたソファに浅く腰をかけた。宮城はどこかに飲みに出ている最中なのか、時おり背後からワッと、笑い声が聞こえてきたりする。
「……つーか、お前いま、どこにいんだよ」
『あーいまねぇ、飲んでるとこで。バスケ関係の人たちとね』
「ふうん……」
『てか、三井サンさー。近々またこっち出てくる用事とかないー?』
——こっち?……あぁ、東京か。
俺はすこしだけ考えるみたいにして天井を仰ぎ見て、近々の予定を思い浮かべる。そうして目を伏せ「ん、あぁ……」と、乾いた声を出した。
「今度の土曜は、嫁さんの両親と——」
そう言って目の前に座っている彼女をチラリと目で追うと彼女は、ん?と首を傾げる。俺は自然と視線を逸らしつつ宮城に週末の予定を伝えた。
「結婚式の打ち合わせで東京行く予定だけどな」
言いながらテーブルの上にあがったままでいる招待状のリストを再度手に取る。それを、ざっと流し見ていたとき宮城が『ふーん』と軽く相槌を打った。そうしてすぐに『あ!そうそうっ』と、あいかわらずテンション高めに声を上げた。
『三井サン、名前ちゃんがニューヨーク行くの、知ってるっしょー?』
「……!」
宮城から突然に発されたその名前に、一瞬息が止まりそうになった。けれどもさとられぬよう、平常心を保ちつつ「ああ」と返した俺に宮城が、『こないだ三井サンに結婚の報告したって言ってたからさー』なんて言った。俺は返答に困りそのまま無言になってしまう。その空気を感じてなのかそうでないのかは知る由もないが宮城は淡々とまた話し出す。妙に楽しそうな声色で。
『送別会、やりませんっ?』
「……はっ?」
『三連休だしさぁ〜、これが最後のチャンスなんスよ〜!』
「……。」
最後の——チャンス。送別会……。そんなもの俺が行ってもいい権利など実際あるのだろうか。そもそもこのあいだだって、なんの前触れもなく婚約者を紹介される展開になったんだ。お節介なお袋が家の中に招き入れたまではよかったが正直どうしたらいいのか分からずに、会話もまともにできないままやり過ごしていたら結婚をすると、しかも日本を離れるなんていう衝撃の事実を本人の口から告げられたのだ。
結婚式に呼ぶつもりなんて本当はさらさらなかったくせに「誘おうと思ったのに」なんて言ってしまう始末で。違う、あれは動揺したんだ。結婚して、ニューヨークに行くなんて言うから……。
『……あれ〜、なんスかぁ〜?』
無反応の俺に宮城が『出られない理由でもあるんスか〜?』と目敏く問う。なんかもう、こいつムカつくから電話切ってやろうかなとも思ったが俺はひとつ息を吐いて心を落ち着かせ、後輩との電話をこのまま続ける決意をした。
「まぁ、べつにいいけど……」
しかし気づいたらそんなことが口をついて出ていた。もはや無意識に近かった。だがいまさら、「やっぱり無理」と言うのも先輩の威厳がなあ、なんて思い悩む。でも、もう会えなくなるのなら最後に……いや、本人に直接ちゃんと真正面から『おめでとう』と伝えたい。素直にそう思った。
『オッケ♪じゃあ、今週末で調整するんでー!』
こちらの細かい予定は聞く気もないのか宮城はそう言ったあと最後に『あっ!本人には内緒ね!サプライズ考えてるんで!』と付け加えて言う。
……バカヤロウ、だれが本人に言うかよ。俺はべつにお前らと違って気軽に彼女と連絡を取れる関係性じゃねえっつーの、まぁ……いまは。とか言いたい気持ちはぜんぶ飲み込んで「わかったよじゃあな」とだけ返し、宮城との通話を切った。
「だれ?」
やれやれと溜め息を吐きながらスマホをテーブルに置いたところで彼女がそう聞いてきたので、俺は嘘偽りなく言い淀む事もせず淡々と答える。
「ああ。高校のころ同じバスケ部だった宮城って奴だ」
すると「なんだって?」と、さらに話の内容を深掘りしてきたので、さすがに言葉に詰まった。嘘はつけないよな?って。むしろ嘘をつくほうが何かやましいことがあるように見えるだろうし。そして俺はすこし考えたあと、ぽつりと言った。
「名前の——」
その幼馴染の名前を聞いた瞬間——彼女の顔が一瞬だけ、強張ったような気がした。勝手な俺の思い過ごしかも知れないけど。俺はそんな彼女を見て見ぬふりをして目を合わせず先をつづける。
「名前の、送別会やらねえかって」
「……。」
先ほどまでは穏やかな雰囲気で質問をして来た彼女からの返答がない。いや……無言は困る。と思いつつも俺のほうもこれと言って、とくに何か気の利いたような言葉が思いつくわけでもなく。そうして何も言い返してこない彼女と向き合って座っていること自体なんだか気まずくなってきた俺は、そのまま立ち上がり、冷蔵庫へと向かう。
「……」
「……」
沈黙が続いている。彼女は俺に背を向ける位置にいるためここからでは彼女の表情は窺えない。俺は冷蔵庫の中からオレンジジュースのパックを取り出し残りが少なかったのでラッパ飲みをしてとりあえず気持ちを落ち着かせる。いつもなら、「ラッパ飲みしないでよ」とすかさず怒る彼女もいまは怒る気もないのか単に機嫌を損ねたのかは分かりかねるが、やはり未だに反応はなかった。このままお互い無言を貫いていてもしょうがないので俺の方から口火を切り事の経緯を説明する。
「——結婚して、ニューヨークに行くんだとよ」
その言葉に、車椅子をこちらに向けて、すこし驚いた様子を見せた彼女が「結婚、するんだ」とつぶやく。そしてなぜか彼女はそのまま俯いた。
「断る理由もねぇしな……」
そう、ひとりごとのように短く言い返して空になったオレンジジュースのパックをシンクに置く俺の一連の流れを目で追われていることを、背を向けていても彼女の視線から痛いほどに伝わってきた。俺は振り向き、彼女が座っている車椅子のまえまで歩いて行く。
「父さんたちとの打ち合わせの後か前、ちょっと抜けてもいいか?」
そうして車椅子の目の前にしゃがみ込んでそう問いかけるとつづけて「なるべく早く戻ってくっからよ」と、彼女からの了承を求めた。
「——わたしも、行く。」
「え、」
「わたしも行くよっ?……だって、仲間に入れてもらっても、おかしくないでしょう?」
「……」
「直接会って、話したいこともあるし」
なんて彼女がやけにあかるく言って、車椅子のタイヤに手を掛けると、俺の横を横切りシンクのほうへと移動する。俺はその動向をその場でただ見ているだけだった。
「——って、ことは。その結婚式の席順さっさと決めちゃわないとね!」
「……」
「打ち合わせなんかさっさと済ませちゃおう!」
と洗い物をしはじめたらしい水の音が聞こえてきたので「あぁ、だな」となんとなく歯切れ悪く返事をして、俺はそのまま風呂へと向かった。
*
—— ブー、ブー、ブーッ…… ——
仕事を終えて自宅に帰宅したときだった。玄関を開けた瞬間、まるでそれを見計らっていたかのように鳴りだすスマホのバイブレーション。鞄からスマホを取り出し着信相手を確認すると、その名前に私はふっと頬が緩んだ。
「はい、……もしもし?」
『あっ、名前ちゃん?』
「リョータくん。おつかれさま、どうしたの?」
スマホを耳に当てながらアパートの中に入り、手に持っていた買い物袋をテーブルに置いてからスマホを逆の耳へと当てがう。
『おつかれ!急にごめんね〜。ねぇねぇ、今週の土曜って、なにしてる?』
「……土曜日? べつに……なにもないけど?」
『じゃあ土曜の3時、2時間ほどあけといて!』
「えぇ?……いいけど……なんで?」
『今度こそ!名前ちゃんに付き合って欲しい買い物があんの♪』
そう楽しそうに言った彼に「もう、騙さないでよー?」と笑いながら釘をさすと『わかってるって♪』なんて本当に反省しているのかいないのかご機嫌な声が返って来て私は思わず心の中だけで溜め息を吐く。
『ごめんねー、引っ越し準備とかで忙しいときにさぁー』
「ううん、仕事の引き継ぎも終わったし。あとは細々したことばかりだから」
『そっかぁ〜。あと、すこしなんだねぇ……』
リョータくんの声が急にトーンダウンするからなんだかこちらまで、胸が熱くなってしまった。友人が言った『あとすこし』が、しみじみと身に沁みてきて、しんみりとした空気になる。
「……うん、」
『ほんとに、ニューヨーク行っちゃうんだねぇ』
リョータくんの背後から電車の走り去っていく音が聞こえた。その音がなぜだかやけに気持ちを暗くした。リョータくんに限らず彩子や他のみんなとも、離れ離れになるのだ。もう簡単には会えなくなってしまう距離。高校を卒業して以来いままでもそんなに頻繁には会っていなかったけれど最近はこうして、懐かしい顔ぶれと会える機会が増えていたのであらためて日本とニューヨークの距離を思えば寂しい気持ちが募っていく。
「彩子との、新婚旅行にでも遊びに来てね?」
『ちょ——名前ちゃん!』
電話の向こうであわあわしているであろう彼の真っ赤にした顔を想像して私はくすくすと笑う。
もう会えなくなるのならできるだけ会いたいし本人たちと、直接ちゃんと真正面から向き合って話して想いを伝えあいたい。素直にそう思った。
—— 後日 ——
「え〜っ!!土曜日ダメになったぁ〜!?」
「うん……」
この日、いつものbarで彩子とリョータくんと食事をとっていたときに私は土曜日に都合がつけられなくなった旨を話した。その、断りの理由。
「急に藤真さんのお母さんと会うことになって」
「……ゴメンね」と、顔の前で両手を合わせて私は深々と謝罪した。リョータくんはどうしても土曜日に例の買い物に付き合ってほしかったのか頭をうなだれて凹んでいた。こちらも言いにくそうに先を続ける。
「なんだかお母さん、とても忙しい人みたいで。それに彼のお母さんだから……断れなくてさ。」
「そんなぁ〜」
「……リョータ、諦めなさい」
「だって彩ちゃん」と、リョータくんは涙目になっていた。それを適当に宥めつつ彩子が言う。
「名前、頑張ってね。藤真さんのお母さんとの食事会」
「うん!あ〜、どんな人かなー?緊張しちゃう。わたし、気に入ってもらえるかなぁ?」
「大丈夫よ、アンタなら。ぜったいに気に入ってもらえるわよ」
そんな私と彩子の話をカウンターに突っ伏して聞いていたリョータくんが「あっ」と、勢いよく体を起こしたので私と彩子は反射的に彼を見る。
「ねぇ名前ちゃん、何時に会うの?藤真の親と」
「3時、ちょうどおなじ時間なの」
「ちなみに……どこで?」
「えっと〜、新宿のレストランなんだけど……、なんて言ったかなぁ〜」
と、私はスマホのスケジュール帳を開いて待ち合わせ場所と時間を再確認する。そうしてそれをリョータくんに伝えた。リョータくんは「了解」と語尾に音符つきでなぜか嬉しそうにしていた。私はいったんそのまま「ごめん」と言い置いて、お手洗いに立つ。
「……リョータ。」
「……んっ?なに、彩ちゃん」
「アンタなにか、変なことたくらんでんじゃないでしょうねー?」
「えー?べつに?♪」
自分はこれから先の人生で彼以外の人と出会ったり付き合ったりしたとしてもきっと全然楽しくないしいつも上手くいかなくてフラれてばかり、なんていうのを繰り返して生きていくのだろう、そう思っていた。でも、きっと大丈夫。わたしは藤真さんとの思い出を、積み重ねていけばいい。
TOP