25歳、夏 (36話)
「なまえっ!待てって!」
「着いて来ないで!」
藤真と彼女がレストランを出て行ったすぐ後にものすごい剣幕で、車椅子のまま店を飛び出して行った婚約者を俺は追いかけた。店の外にはもう藤真と幼馴染の彼女の姿はなかった。
ただひたすら真っ直ぐに車椅子のタイヤを前に進める彼女を追いつき、その車椅子のグリップを背後から掴んで俺は足止めすることに成功する。そのときポツポツと頭上からは雨が落ちて来た。
「なんで……なんで、あんなこと出来るの?」
「……いや、だってよ。友達が……あんなふうに責められてたんだぜ、黙ってられねえだろ」
「友達?」
「……、」
「……友達なわけ、ないじゃないっ!」
「ぃや、俺……そんなつもりじゃ……」
俺の言葉に彼女は正面を向いたまま、ぐっと、車椅子のタイヤを掴んでそれを強く握りしめた。
「ひさしは、気づいてないの自分の気持ちに。」
「……あ?」
「どんなに言い訳しても、名前さんは友達でも、ただの幼なじみでもないっ!」
「もう離してっ!」と叫んで、彼女は無理やり車椅子を前に進ませた。そして立ち止まったままでいた俺に気づいたのか少し進んだ先で一度ピタリと止まると「しばらく、実家に泊まるから。すこし一人にして」と吐き捨て、その場を去って行った。
*
あれから私と藤真さんは、彼のマンションへと戻って来た。ソファに座る藤真さんから不意に、寿たちのことを尋ねられる。
「なんで、みんなあんなところに居たんだ?」
「……リョータくんだよ、たぶん」
とりあえず私は、思いつくままに答える。そうして藤真さんの座るソファの背後に立って、そのまま黙っていた。すると今後は藤真さんが呆れたように吐き出す。
「お蔭で母親の恥ずかしい姿を見せちまったな」
「……お母さんのこと、そんなふうに言っちゃ、ダメだよ」
「え?」
「お母さんが心配するのも最もだ。はじめから、なんの戸惑いもなく受け入れてもらえるなんて、そう思っていた私がバカだったんだよ」
「時間をかけてわかってもらうね」と目の前に座る藤真さんの背中向かって私が語りかけると、藤真さんは冷たい口調で吐き捨てるみたいにして言葉を返して来た。
「お前は、あの
女
(
ひと
)
が俺たちのことを理解して温かく見守ってくれる、そんなこと期待してるのか」
「……え?だって、お母さんだよ?わたし、お母さんにもう一度お会いして——」
「無駄だ」
「……、藤真さん……?」
本当に凍りついたような冷たい声だった。一瞬にしてその場の空気がピンと張り詰めた、そんな気がした。私は、この空気が苦手だった。
「世の中には、言って分かる奴と分からない奴がいる。分からない奴に付き合ってぐずぐずしてるのは時間の無駄だ」
「……で、でもね。わたし……人は一人じゃ……生きられないと思う」
「……」
「小さいときにお母さんが死んで……独りぼっちだって思ったときも、周りのたくさんの人が私を支えてくれた」
——伝わって、欲しかった。藤真さんに。下手くそでも、私の想いが伝わればと足りない言葉を繋いで一生懸命伝えたつもりだったのだけれど。それでも藤真さんは変わらず、遠くを見るような冷たい目をしていた。
「そうやって私は……ずっと、生きてこられた。だから、一人でも多くの人と分かり合いたい」
「……」
「それが、好きな人のお母さんなら尚更——。」
「……。」
それでも負けない。負けたくない。あの日……あの海で、愛しい人の温もりを手放す代わりに、��強くなる�≠ニ、誓ったのだから——。
*
その日はとりあえず地元には戻らず近くのビジネスホテルに泊まることにした。ビジホのベッドはとにかく寝づらかった。痛む体を起こして鳴り響くスマホに、俺は手を伸ばす。
『——もしもし? 三井サン?』
「あン……?」
着信の相手は宮城だった。俺は枕元の備え付けの時計に目を向ける。すると時刻は丁度夜の九時と表示されていた。もう、そんな時間か。
『……あのあと、なまえさん大丈夫でした?』
宮城のその問いかけには答えず俺はベッドから降りるとスマホを耳に当てたまま、バスルームの洗面台へ向かった。気怠く歩く足と、頭が重い。まるで二日酔いのような気分だ。
『……修羅場、っちゅーヤツね?』
「そこまでいってねーよ、そこまでは……」
そう言い返してガラガラガラ〜と口を濯ぐ俺に『まぁ、普通怒るよね〜あんなことされたら』とやけに明るい口調に切り替えて、嫌味たらしくも宮城が言う。
「だ、だから!あれは、俺が黙ってられなかったってだけで——!」
ちゃんとその嫌味を真正面から受け止め教科書通りにムキになって言い返す俺に『ふーん』と、意味深な相槌を打つ宮城。……チッ、なんだよ。
「……つーかよ、お前らだってなぁ、」
『はい?』
「なんで、そんなふうに普通の顔して見てられんだよ」
『えっ?』
「へーきなのかよ、あんなん言われて……」
そう溜め息まじりにつぶやき俺はまたベッドに戻ってそこに浅く腰を下ろした。ぎしりとベッドがしなって音を鳴らす。
『へーきじゃないっスけど。』
「宮城……」
『ただ、俺らは三井サンみたいにバカじゃないんでねー?あと先考えずに行動出来ないだけデス』
「……バカで、悪かったな……」
『ああ、わりーでしょ』
電話越しに話しているのに目の前で説教されているかのごとく、なぜか情けなくも縮こまって、反省しているふうな自分の無様な姿が部屋の鏡に映っていた。
『藤真だって、表には出してねぇだろーけどね。絶対、いい気分じゃなかっただろーしさぁ?』
「まぁ、それはな……」
『ほんとさぁ〜、三井サンが羨ましいよ、オレ』
「だから。バカに、すんなよな……」
こいつに会うためなんかじゃない。用があって来ただけ。じゃなきゃ、こいつなんかに、会いに来ない。もちろん、あのイケすかないライバルにだって。俺はただ——あいつの顔が、見たかっただけだ。
*
宮城に藤真の連絡先を聞いた翌日、俺は藤真に連絡をした。ストレートに言いわけはしないで、『話したいことがある』と——。
そして待ち合わせのカフェに先に着いた俺は、改めて、昨日の出来事を振り返ってみたりする。頭の中に蘇るその光景に、思わず苦笑いをした。
だってよ……黙って、いられなかったんだよ。仕方ねーだろ、あんなん……。
「なんだよ、話って。」
気が付いたら目の前に藤真が立って居た。俺は「わりーな、呼び出して」と軽く謝罪しながら、「まぁ、座れよ」と藤真を席へと促した。ヤツは心底めんどくさそうな顔をしてそれでも俺の目のまえの席へと腰を落ち着けた。
「今度は——なんの用だ。きょうは、土下座する相手もいないと思うけど」
藤真は慣れた様子でウエイトレスを呼び付け、ホットコーヒーを頼み嫌味なく淡々とそう言う。俺はすこし押し黙ってしまったが小さく息を吐き心を落ち着けたあと言葉を繋げる。
「あれは、俺の役目じゃなかったなと思ってよ。一言、わびに来た」
「……わび?」
「出すぎたこと言って、悪かったな」
「……。いいよ、べつに気にしてない。それに、俺たちはそんなことでごたごたするほど子供じゃないしな」
「……っ、へいへい。そーかよ」
「なに、話はそれだけか?」
え……?と俺は固まる。そのとき藤真が頼んだコーヒーが運ばれてきてヤツはそばに添えられていた砂糖やミルクには手を付けずそのままカップに口をつけて、ひとくち飲む。そうしてカップを置いたのを流し見て俺はどもりながらも答えた。
「あ、ああ。まぁ……」
「……なんだ。もっと、おもしろい話が聞けると思ったのにな」
「……あ? おもしろい話?」
「三井。おまえ昔、あいつと付き合ってただろ」
「……!」
藤真から放たれた予想外すぎるその言葉に完全に動揺した俺はなにも言い返せず藤真から咄嗟に目を逸らしてしまった。しかし相手はとくに笑うわけでも揶揄うわけでもなく密やかに「いいよ、隠さなくても」と言った。
「あいつから聞いてる」
と、続けて表情も変えず言い置いた藤真はもう一度カップを手に取り、優雅にコーヒーを啜っていた。俺はまだ言葉を返せない。頭の中が真っ白になってしまった、そんな感覚だった。
「——あいつ、まだ大事に持ってるよ。」
その言葉で、ようやく止まっていた脳が正常に働き出して俺は「……あ?なにを」と久方ぶりに口を開いた。今日はやけに口の中が乾く。そんな俺に藤真がそっと目を合わせてきた。しかし目を伏せるようにして先に視線を逸らした相手が言う。
「ストラップ。」
「…………は?」
——ス、ストラップって……まさか。
「……え、知らなかったのか?」
と、再度固まってしまった俺に、不思議そうに問う藤真のきょとんとした顔に動揺を悟られたくなくて出来るだけ平常心を保って「あれは、ただ気に入って付けてるだけだろ」と早口で返した。
「けど、お前との大事な思い出も詰まってる。」
「……、」
「違うか?」
「……っ、」
またも藤真の言葉に俺はなにも返せなかった。上手い言いわけが、まったく出てこない。ほんとこんな自分を、好きになれない。
「……まぁ、でも。正直言ってあいつがそこまで昔のことを引きずってるとは思わなかった」
カチャン——。と、テーブルにカップを置いた藤真に俺は、そっと視線を送る。ヤツは俺の方は見もしないで、まるで独り言でも話すみたいに、淡々とつづけた。
「もっとなんて言うか割り切ってると思ってた」
「……」
「お袋のことだって無視しろって言ってんのに」
「……。」
こいつ……ちゃんとアイツのこと、幸せにできんのかよ。——いや、だから。そーいうのがダメなんだよな、俺は。さっき藤真にも謝ったばっかじゃねーかよ。けどアイツ、こんなやつのどこに惚れて……。
「お母さんだからそれは出来ないとかなんとか」
「——だからっ!」
「……」
「……チッ、だから。テメぇの母親はなぁ?名前にとって、久しぶりの母親なんだよ!」
「……」
「わかり合いてぇと思うのが、あたりまえだろ」
「……なんだって?」
「いや……それが、好きな人の母親なら尚更。」
「……。」
『 それが好きな人のお母さんなら尚更 』
俺の言葉に藤真は自嘲するようにフッ、と鼻で笑った。すぐにその顔は真顔に切り替わってしまったけれど、なにか呆れているみたいな、諦めたみたいな。一瞬だけ、そんな顔をした気がした。
「——あ。わりーな……また余計なこと言って」
「……お前は、お袋のことを知らないからそんなことが言えるんだよ」
「あ? なにが。」
「俺はウジウジしてめんどくさい人間が大嫌いだそういう弱い人間に付き合ってると無駄に疲れるそういう人間は、切り捨てるに限る」
そう言い放ってまた目の前に置かれたカップに手を添えた藤真に、俺は首を傾げながら言う。
「藤真ぁ、そりゃあ間違ってねーか?」
「……え?」
「俺は、弱い人間を切り捨てちまう奴もやっぱり弱い人間だと思う」
「……」
「支えきれずに自分も潰れんのが怖いから……。だから、逃げ出してるだけだと……思うけどな」
「……説教か、」
「あっ!いや。俺、その、教師やってっからよ。つい、なんつーか……職業病で」
「……」
「……とにかく、名前をよろしく頼むぜ。」
これ以上、空気が悪くなるとさすがにまずいと思い気まずくなった俺は「じゃあな」と言い置き席を立ち上がった。藤真からの返答はとくになかったので俺は千円札をテーブルの隅に置いてそのまま入り口に向かい藤真に背を向け歩き出した。
「自分だって……」
俺を追い越すようにぽつりと背後から聞こえてきたその声に、俺は不意に足を止めた。
「自分だって……あいつから逃げ出したんだろ」
「……」
「……違うのか?」
「……。帰るわ、悪かったな……呼び出して。」
俺は一度も振り向かず藤真にそう告げその場をあとにした。バタンと閉まったカフェの扉。奴が追いかけてくる展開など起こらず、そのままスタスタと少々荒く踵を鳴らして俺は来た道を戻る。
「……っ、」
……逃げ出したりなんか、してねぇーよ。逃げ出したりなんか——!
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