25歳、秋(41話)
—— ガチャ。——
俺は静かに玄関の扉を開く。そのまま扉を閉め内鍵を掛けているとき背後に気配を感じた。俺は振り向かず、バリアフリーの玄関に腰を下ろして靴を脱いだ。
「……遅かったね、ひさし」
「……ああ」
靴を脱ぎ終えここでようやく振り返り車椅子の横を通り過ぎる。リビングへと入ろうとした間際「もう、ひさし帰ってこないかと思ってたよ」と言った、彼女の泣きそうな声が、背中に容赦なく突き刺さった。
「それは、お前だろーが……」
そう吐き捨ててリビングへ入り部屋の脇に鞄を置いてソファに気怠く腰をかけてリモコンでテレビを付けた。彼女もすぐに俺を追ってリビングへ来たであろう物音はしたけれど、どうもまだそこにいる彼女と、向き合えない自分がいる。
「私はやっぱり……ひさしが居ないと生きていけないから」
背後から聞こえたその声にようやく俺が静かに振り返えった、そのとき——。
—— プルルルッ! ——
スマホの着信音が部屋中に鳴り響いた。犯人は俺だ。ポケットに、乱暴に突っ込んでいたそれを取り出しスマホのディスプレイを眺めている俺に彼女が訊ねてくる。
「だれから?」
「……彩子だ」
なぜか躊躇って、通話ボタンを押せないでいるあいだも虚しく鳴り響いている着信音。たまらず彼女が「出たら?」と促したためようやく通話のボタンをタッチして、スマホに耳を当てた。
「もしもし……」
『——もしもしっ! 三井先輩っ!?』
電話に出た瞬間に鼓膜に響く大きな声。彩子はえらく、興奮しているようだった。俺は驚き目を見開いたが『なんども電話したのにっ!』なんて声を荒げる彼女に俺は表情を顰めて溜め息まじりに問う。
「……ああ、悪かったな。どうした。」
『名前、そっちに行かなかったですかっ?』
「——!」
突如——高鳴る自身の鼓動。直感で感じ取る、警告のサイン。焦りと胸騒ぎで手にジワリと汗が滲んだ。それでも冷静に平常心を保ちつつ返す。
「……来たけど」
『来たぁ!?いつ!?で、いまあの子どこにいるんですか!?』
彼女の慌てふためく声に俺もつられて動揺してきた。そんな自分を落ち着かせようとソファから立ち上がって、ダイニングテーブルに寄り掛かる姿勢を取り出来るだけ落ち着いたトーンで彩子に告げる。
「さっき駅まで送ったぜ。終電だったから、もうとっくにそっち、着いてんじゃねーか」
そう言って俺はちらりと柱時計に目を向けた。電話の向こう側では沈黙が続いている。不思議に思いこちらから声をかけようとしたとき、彩子がぽつりとつぶやいた。
『じゃあ……元気、だったんですね……?』
「は?」
またも、ドクドクと自身の心臓の音がうるさく鳴り出す感覚。それは、そばにいる婚約者にまで聞こえてしまうのではと心配になるほどに——。
『……三井先輩と別れるまえまで、あの子、元気だったんですね?』
「……ああ、べつに変わった様子はなかったぜ」
『名前……なにも言ってませんでしたか?』
「……、なんだよ?つーかなんかあったのかよ」
『あの子……土曜日から、全く連絡とれなくて』
「あ?」
『名前ねぇ、名前……』
そう言ったきり、彩子はまた言葉に詰まった。俺は自然と眉間に皺が寄っていく。目を細めて、やけに乾いた喉の奥から声を出す。
「なんだよ……どーした?」
『結婚……、白紙になったんですよ。』
「………は?」
嘘だろ……?
だって、あいつ……。
『……とりあえず。ちゃんと、見送ってくれたんですよね?』
「……」
『……? 三井先輩?』
『
もしかして、これが最後になるかもね
』
『
わたしは、藤真さんと
』
「——ひさし?」
『もしもしっ? 三井先輩?』
「……ひさし、ねぇ。どうしたの?」
「名前が……」
「えっ? 名前さんが、どうしたの?」
彼女が車椅子で俺の目の前まで来て興奮気味に問い質してくる。俺はハァハァと徐々に息が荒くなっていって定まらない視点を泳がせながら数時間前の出来事を頭の中で思い返していた。
『
さよなら。
』
「さよなら、って……」
「ひさし……?」
そのまま俺は前へと足を踏み出した。動転している俺に車椅子が目の前にあったことなど視界に入っておらず車椅子にぶつかったことでその弾みからガチャン!!と、鈍い音を立てて俺の手から床へと落ちるスマホ。『三井先輩!?』と俺の名を呼ぶ彩子の声が、床に落ちたスマホから微かに響いている。
「俺、行かねぇと……」
「……! 待って、行くって!?こんな時間に、どこに行くって言うの!?」
そんな彼女の声など、あたりまえに耳に入っていない俺がフラフラと玄関に向かうと、車椅子で追ってきた婚約者が、俺を必死に制する。彼女が俺の膝に両手を回したことで立ち止まる己の足。
「あいつ、探さねぇと」
「……」
「俺、あいつ……」
「……行かせない」
彼女はそうつぶやき、俺の膝を掴んでいた手を離した。そうして玄関の前に車椅子で移動する。そのまま、玄関の扉を塞いだ彼女が叫んだ。
「絶対に行かせないんだからっ!!」
「……」
「ひさし、名前さんは友達って言ったよね?あれは、嘘だったの?ぜんぶ、嘘だったの!?」
「……」
「私は、絶対にここから動かないんだからっ!」
「……」
「ひさし、私と結婚するんだよ?そうでしょう?結婚、するんだよねっ!?」
「……。」
シン……と静まり返る玄関前。沈黙の中、奥の部屋のリビングから聞こえてくるテレビの音だけが、虚しくその場に響き渡っていた。
—— 同時刻、東京。 ——
……ねぇ、寿。
あのとき、電話が掛かってこなかったら
私は、なんて答えていたのだろう。
いや、考えるのはやめよう。
いつだって私と寿は『もしもあのとき』を
繰り返してきた。
もう、考えるのはやめよう。
もうなにも考えない。なにも、考えたくない。
遠退いていく意識の中に私が見たのは体育館。そこには、大好きなみんなの姿。そして、バスケットをする、幼馴染の彼の笑顔が見えた——。
『名前』
『なんでテメーらが先に食ってんだよ!』
『今日は先に帰ったりすんなよ』
『みんな待ってるぜ』
『ずっと一緒にいような』
「寿——、」
私は、そのまま意識を手放したのだった。
*
「やっぱ、こんなヤミクモに探してもなぁ〜」
オレは、彼女の行きそうなところを片っ端から探し回っていた。そのとき、妙に騒がしい野次馬の群れを見かけて不意に足を止める。
「……ねえ、ヤバいんじゃない?」
「救急車呼ぼうよ……」
と言う、ヒソヒソ話を聞き捨ててその輪の中に入っていくと、そこには倒れている人が見えた。目を凝らして、オレは思わず大声を出す。
「……! 名前ちゃん!!?」
道端に丁度いま探していた彼女が倒れていたのだ。急いで駆け寄り彼女のそばにしゃがみ込んで彼女を起こし、肩を揺する。
「おい!しっかりしろよ!名前ちゃん!!」
「すんません!救急車、だれか!」と、彼女を抱えながら叫ぶと野次馬の中の人が慌てて救急車を呼んでくれた。そして到着した救急車にオレも一緒に乗り込んで、病院へと向かった。
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