25歳、秋(42話)
—— 同時刻 神奈川 ——
カチカチと、室内の時計の針の音がする。あれからリビングに戻ってきた俺たちはテレビを消しこうしてずっと、無言のまま過ごしていた。
ソファに座っていた俺が、こちらに背を向けたままでいる彼女に、そっと声を掛ける。
「もう、寝ろ。」
「……」
「俺は、どこにも行かねーよ……」
「……。」
—— プルルル…… ——
俺のスマホが鳴る。俺は、そのままソファから立ち上がり、廊下へと移動した。ディスプレイを見ると『公衆電話』と表示されている。
「……もしもし?」
『——あ、もしもし、三井先輩?……彩子です』
「……名前は、見つかったか?」
『はい、見つかりました。』
良かった……。と心から安堵し溜め息にも似た大きな息を吐き出した俺に降りかかる真実——。
『いま——病院に居ます。』
「……病院?」
『道端で倒れてたのを、リョータが見つけて。』
「そっちには、戻ってたのか……」
『ええ、疲れていただけみたいです。先生もすぐ退院できるだろう、って』
「……そうか」
電話の向こうは物音もなく病院の中からかけているらしい彩子の声が、病院の廊下に響いてこだましている。
『——三井先輩、』
「……、あ?」
『あの。大人になっても、三井先輩が結婚しようとしても、三井先輩はずっと……』
「……」
『名前の……心の支えだったんじゃないかなって思うんです……』
「……。」
スウェットのポケット——その中に手を入れていた俺の指先に微かに触れる感触。それはあの、高校時代に彼女とお揃いで買ったストラップだった。俺は、そのストラップをポケットの中で強く握りしめる。
『あの頃のまま——心はずっと、あの場所で三井先輩を待っていて……』
名前……
『……でも、なにもかも無くして絶望したんじゃないかしら、あの子……』
彩子の言葉が、脳裏に突き刺さる。ずっと……いや確実に、初めて別れを告げさせたあの時から俺は、名前を苦しめていたのだろうと。
��愛情�≠謔閧熈�絶望�≠�、ずっと与え続けていたのではないだろうか、って。鈍感で、馬鹿な俺は彼女に、なにをしてあげられるのだろうか。
『——ねぇ、三井先輩。』
「……」
『引き返すことは、出来ないんですか……?』
「……、」
『名前のところに……戻ることは出来ないんですか?もう、三井先輩しか——』
—— ブチッ…… ——
「——! リョータ……」
話している途中で電話が切れてしまった。公衆電話を切ったのはリョータだった。私の背後から手を伸ばして電話のフックを下げたのだ。虚しくカラン、と10円玉が落ちてくる音がする。
「もう、三井サンなんてあてにすんな」
「でも……」
「俺たちで、守ってあげなきゃ。」
「……。」
リョータはそのまま背中をやや丸めて後頭部に手を当てながら、彼女の病室へと戻って行った。
なんだかんだ言って、笑いとか笑顔ってとても重要なんだと思う。
『辛いときに泣かせてくれる人がいい』
『そして、泣いたあとに笑わせてくれたら完璧』
なんて。過去、私の親友の彼女は言っていた。泣いてるときに笑顔にしてくれるってすごい存在かもしれない。きっと話を聞いてくれて泣かせてくれる人はいくらでもいる。友達にしろ、恋人にしろ。でも笑わせてくれる人はそうそういないのかもしれない。ならば、リョータが言うように、その役目を私たちがやればいいだけだわ。
*
「名前さん……見つかったって?」
突然切れてしまった電話。公衆電話からだったので折り返すこともできず俺がリビングに戻ると婚約者がそう尋ねてきた。俺は「ああ」と、短く返事をして、またソファに腰を下ろした。
「良かったじゃない。ひさしが心配しなくても、名前さんには、友達がたくさん居るんだし!」
「……」
無言の俺を見て見ぬふりをしているのか彼女は「小腹すいちゃった、なにか作るね!」と、キッチンへ向かう。「ひさしも食べよ!」などと俺に背を向けたまま、お湯を沸かしはじめた彼女からそっと視線を逸らして不意に、自身の手のひらを見下ろした。俺はいったい、この手で……。
俺は名前に、なにが出来るのだろうか——。
*
目を覚ますと天井がやけに高い。私のベッド、こんなに硬かったっけ……?なんて考えていると真横から聞き慣れた声が聞こえてきた。
「名前!気がついた?」
彩子の声だ。私が寝たままの状態で、横に顔を向けてみると、やはりそのには親友の姿が——。
きのう、駅を降りたところまでは覚えている。なんだか頭がぼうっとして、そのまま私は……。
「アンタ、路上で倒れてたのよー?」
「え……? 倒れた?」
「ええ。さっき、お父さんも帰ったわよ」
「えっ、お父さん、来てたの……?」
「私が見てるから大丈夫って、伝えておいたわ」
そう言ってウインクをする彩子に、私は自然と頬が緩む。「ありがとう」と返すと、冗談めいて「貸しよ?」なんて言う彼女。そうして目を伏せ彼女がぽつりとつぶやく。
「お父さん、言ってたわよ」
「え?」
「なんでわざわざ地元に帰ってきたのに実家には来なかったのかなー、って」
「う、うん。なんだか……お父さんに、会わせる顔がなくて……」
「——三井先輩に、会わせる顔はあっても?」
「……!」
驚いて彩子を勢いよく見ると、優しく微笑む、あのころのままの彼女の姿が目に映る。情けなく私も目を伏せて、小さく溜め息を吐いた。
「三井先輩も、心配してたわよ?」
「寿はもう……私の心配なんか、しちゃいけないんだよ」
「……」
「寿には……婚約者がいる。幼なじみだからっていつまでも一緒って、わけじゃないんだから」
「……名前。」
「わたしね……ストラップ、無くしちゃったの」
そうつぶやいて私はゆっくりと体を起こした。「大丈夫?」と手を貸してくれた彩子。その手を借りながら起き上がりベッドの柵に背をつけて、私はまたひとつ、溜め息をこぼす。
「私は、いつもそうなの。無くしたあとで大事なものだって気付く。」
「それなら……本当に、そう思うなら」
「……」
「いまあるものを大切にしなさい?自分を想ってくれる人、いままで積み上げてきた自分の人生、その全部、全部を大切にしなさい。」
「彩子……」
「本当に大切な物なら、神様だってそう簡単には取り上げたりしないわ」
「わかったわね?」と私の顔を覗き込む彩子に微笑んで「うん」と、言い返した。
*
翌日には退院の許可が下りた。退院後、彼女を自宅のアパートまで送り届けたあとで「また夜に来るわ」と言い、私は仕事に戻った。
今日は天気がいいなとスマートフォンを開くとディスプレイに映る天気予報に��晴れ�≠ニ、表示されていた。
—— ブーブーブー。 ——
会社に向かう途中で、突如鳴り響いた着信音。スマホの画面を見ると『三井先輩』の文字。
「——もしもし?」
『……あ、おぅ。彩子か?』
「はい」
『わりーな、急に電話して。仕事だったか?』
「いえ、大丈夫ですよ」
私は、公園のベンチに腰を掛けた。目の前には噴水があって子供たちが楽しそうに遊んでいる。それを眺めながら相手からのアクションを待つ。
『……名前、どうだ?』
「ええ。さっき退院して、アパートまで送ってきましたよ」
『……そうか。』
ほっとした様子の三井先輩の顔が電話越しでも見えた気がして、思わずくすっと笑ってしまう。わかりやすいのよねぇ、昔から本当に。て言うかこの人こそ、学校、大丈夫なのかしら……?
「——そんなことより、三井先輩?」
『……あ?』
「名前は、三井先輩のこと心配してましたよ?」
『え? 俺のこと?』
「もう自分に関わり合ってはいけないって。ストラップも無くしたみたいなこと言ってましたし」
『ああ、聞いた』
「三井先輩、名前の言う通りですよ?あなたは、自分の幸せを考えてください」
『……』
「いまは、それだけ考えてればいいんですよ。」
——みんなが、それぞれの道を歩んでいる。
過去は振り返らずに、ただ前だけを向いて歩いていくしかないのかも知れない。
長いあいだ見守って来た親友と先輩の恋物語。憧れは憧れのままで。綺麗な想い出はそのまま、綺麗なままで。先輩との電話を切った私はそれがいちばん幸せなのかもしれないわね……なんて、雲ひとつない青空を仰ぎ見て思ったのだった。
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