16歳、秋(16話)
「アンタ最近バスケ部ぜんぜん来ないじゃない」
あれからかれこれ四日が過ぎた。机に向かって日直の日誌を記入していると私の前の席に座っていた彩子がそんな事を言い出す。私はあたり前に聞こえないふりを決め込む。
「寂しがってるわよ〜?」
「えっ、だれが!?」
「桜木花道♡」
ニコニコと笑顔で言う彼女に対し「ああ、背中はもう大丈夫なの?」なんて平然を装い私はまた日誌に目線を落とした。くっそぅ、やられた……べつに期待していたわけじゃないし。そうだよ、するもんか、期待なんか……。
「嘘よ、」
突如降ってきたその優しい声に、私は走らせていたシャーペンを止めて、チラリと彼女を見る。
「三井先輩が。」
あいもかわらずニコニコとこちらに笑顔を向けている彩子。なによ……だから、期待なんて——
—— ブーブーブー。——
机の上に置いたままのマナーモードにしていた私の携帯電話が鳴った。このバイブレーションのリズムはメールだろう。溜め息まじりにパカッと開けると同時に彩子が「だれ?」と尋ねて来た。
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🕑 9/16 15:48
FROM 三井 寿
件名
本文
仲直りしたい
屋上で待ってる。
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「……」
「なんて?」
彩子の言葉と同時に私はすくっと椅子から立ち上がる。すると彼女が、「いってらっしゃい」と言ってヒラヒラと手を振った。「ひとつ貸しよ〜」という声を追い越して走りながらゴメン!と心の中で手を合わせてつぶやき、教室を出た。
廊下を走る私の脳裏に浮かぶのは彼の事だけ。私は彼の言葉に一喜一憂し、強くも弱くもなる。物事には必ず終わりがくるけれど、それでも君となら、永遠を信じてみたくなるんだ——。
*
「はあ、はあ、はァ……」
屋上の扉を勢いよく開けると、フェンスの下を見下ろして、こちらに背を向けたまま両手をポケットに突っ込んでいる大きな影——間違いない、あのうしろ姿は、寿だ。四日ぶりにあらためて、その生身の姿を見たら急に動悸がしてきた。このバクバクとうるさく鳴っている心臓の音は走って来たからだけの所為ではなさそうだ。
彼が、背後の気配に気付いて振り返った。その相手が私だと認識したあと先程のメールの淡泊な文章では想像もつかないような、穏やかな表情を私に向ける。彼の元へとゆっくり近寄りながら、走って来たことで乱れてしまった自身の髪の毛を適当に整えてみたりする。目の前まで辿り着くとポンと私の頭に彼の手が添えられて「走ってきたのかよ」と優しく、そのくちびるが問う。
「髪の毛、ぐちゃぐちゃだぜ」
そう言いながら、せっかくいま整えたばかりの髪の毛をまたぐしゃぐしゃと弄られたので「やめてよ」と軽く手を払ったもののそのまま抵抗する間もなく彼の胸の中へと捕まってしまった。心無しか彼の腕は震えていた。ついで放たれた切なげな声に、何故か私のほうが泣きたくなった。
「……練習も来ねぇし、ほんとに嫌われたのかと思ってよ」
——ちがうよ、って。はっきりと、素直にそう否定したい。意地を張っていた、そう伝えたい。
「ごめんな?」
違う。違う、ちがう……チガウよ。悪くない。寿はなにひとつ、悪いことなんてしていないの。謝るのは、私のほうで……。そう伝えたいのに、言葉よりも先に涙が溢れてしまい喉に突っかかり言葉が出て来ない。そもそも自分に落ち度がありすぎて、どこから説明をしてどんなふうに伝えて謝罪をしたらいいのか、いまの私の頭では、到底整理も処理も出来ないでいる。
「……寿が、告白されたって聞いて……それで」
なんとか振り絞ってようやく出た台詞はそんな中途半端な言葉だった。どうせバカだもん。現文できないもん。だって話の主語は?ファンクラブのくだりは?嫉妬したと、意地を張っていたとの謝罪は……?このままではどうしてこんな事態になったのかの経緯もきっと伝わらない。きっと、これではまた、誤解が生まれてしまうのに……。
「……なんだよ、そんなことかよ」
呆れたように言い放たれ、ハァ、と小さな溜め息が聞こえてきてから、いまさっきまで包み込まれていたはずの体がスッと離れていった。
「そ、そんなことって……なに?」
こんなに悩んでいるのに。苦しいのに。挙句の果てには「ハァ」と、溜め息までつかれる始末。
私がそんなことで頭をぐるぐると使わせているうちに投げやりに彼が言った。
「俺の気持ち、なにも伝わってねーんだな……」
「……え?」
「他の女に言い寄られたくらいで心配されるほど俺の気持ちって、伝わってねえのかよ」
「……。」
……なにそれ、言い寄られたくらいって……。急にそんなことを言われて驚いたのもあって私は押し黙ってしまう。そして彼は声を荒げる。
「俺、名前しか見てねぇじゃねーかよ!」
「わかんないじゃん、そんなの……」
「わかれよっ!」
「わかんない!」
「……っ。」
あ……まずい。思わず出てしまった己の言葉に息を呑んだ。たぶんもう、遅かったけれど。
正面に立つ、私の目に映った彼の表情。苛立っているのか、傷付いたのか。彼は微かに、下唇を噛んだ。
「あの、寿、ごめ……」
「——ダメだ。」
冷たく低いトーンで私の言葉をさえぎった彼。そのまま私に背を向けた彼の姿に背筋が凍りつく感覚がした。冷たい彼の背中。私は、出しかけた言葉をひゅっと飲み込んでしまった。
「このままじゃお互いのこと傷つけあっちまう」
「え……?」
「俺たち……距離おこうぜ。」
「しばらく考えてぇ」と彼はスッと私を横切り屋上の扉に向かって歩き出す。すぐさま追いかけその腕を思い切り引っ張って引き止めた。
「待って!いやだ、嫌っ!わたしは離れるなんて嫌だよ!」
そう強く、訴えかけた。泣いてすがってもとに戻れるならなんだって出来る。いまなら、素直にだってなってみせるよ。だからお願い、待って。
「——たまには、」
「……」
「俺の頼みも聞いてくれ」
しかし彼はそう力なく吐くと私に掴まれていた腕を擦り抜けて屋上を出て行った。虚しく屋上の扉がバタンと閉まり、ただ茫然と立ち尽くす私。遅かった。素直になるのも、意地を捨てるのも、ぜんぶ、遅かった。寿は、ずっとこちらを向いてくれていたのに——。
はじめに軌道修正が出来たのはきっとあの日、桜木くんと廊下でぶつかって手を差し伸べられたあの瞬間。その手を取り素直に気持ちを伝えればよかった。つぎは屋上。流川くんと、鉢合わせたときだ。促されるまま、思ったことを口に出来ていれば、きっとここまで持ち越さなかったのだと思う。もういいなんて言わずに、意地を張らずにちゃんと話し合っていれば、あのときすでに解決していたに違いない。つぎの分岐点は、あの日のメール。短文でも淡泊でもいいから素直に帰った理由を伝えていたら?そして最後のチャンスは、きっと、いまだった。「仲直りしたい」という、彼の意志を私が踏みにじったんだ。
何度もあった
機会
(
チャンス
)
を逃したのは私自身。そして最後には相手を深く傷つけた。何度も歩み寄ってくれたのは、紛れもなく彼——寿だったのに。
世界で一番愛しいと思うこの人を、どうして、もっと上手に好きになれないのだろう。
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