16歳、冬(24話)
「は……?」
冬の海は冷たく、頬に当たる風も痛いほどで。いつもは穏やかなはずの波も今日は荒々しく音を立てていた。
風が強かったこの日。クリスマスイヴだというのに曇り空で。今にも空が泣き出しそうだった。
「おい……名前、冗談だよな?」
「だから、何回も言わせないで」
「いや、嘘だろ?なんかのゲームか?これ。」
「だから……」
「……」
「わたしと、別れて——。」
波の音だけが、煩く響き渡っていた。小声では聞き取れないほど、今日の波音は激しい。数年に一度の大寒波が近づいていると今朝のニュースでやっていたっけ。今年のクリスマスは、大荒れになるかも知れない。
「——断る。」
「え、断るって……」
「断る。」
「……待って、そんな選択肢……ないでしょ。」
「ふざけんな!」
「バカじゃねーのか」と半ば開き直ったように呆れ返す幼馴染の彼。その顔は、ひどく不機嫌であきらかに苛立っていた。彼は舌打ちをしてガシガシと後頭部を乱暴に引っ掻く。
「ずっと一緒って約束したじゃねーか」
「だから、出来ないんだってば……」
私だって、こんな言葉を言いたくはなかった。こんなあなたの姿を、見たかったわけじゃない。でも、どんなに悩んで考えても、今の私に出来ることはこれくらいのことしかない。これくらいのことしか出来ないの。もう一緒にいられないの。
「……寿、いつも、私のため私のためって。」
「……」
「そうやって無理して、わたし、いつか最後には寿を押し潰す」
「……」
「ここが……」
「……」
「ここが、いまの私たちの、限界なんだよ。」
向かい合って話していたが、私はそっと彼から視線を解くと静かに振り返り来た道へと足を踏み出した。
「——待てよ!ちょっと待て、納得いかねえ!」
歩き出したとき彼に勢いよく背後から腕を掴まれた。掴まれたその腕が燃えるように熱い。もうこの手に触れることは出来ないのだと、いやでも再認識させられてしまう。
「寿……、お願いだから……」
彼女は瞼に、零れんばかりの涙を溜めていた。いつものガキのような泣き方とは違う、俺の足りない頭でもそれは、なんとなく分かった。それを言葉にしろと言うなれば——絶望。彼女の今日の表情はそんな表現がいちばん近かった気がする。こんな泣き顔を見たのは彼女の母親が死んだとき以来だった。本能が、いやでも認識してしまう。彼女とは二度と、戻れないということを……。
「——もう、その手を………離して。」
か細くつぶやいた声にスッと解かれた彼のぬくもり。不意に彼を見たとき私の目に映ったの彼の顔は愕然としているようにも見えて、どちらかと言えばいま目の前で起きている出来事に絶望しているような、そんな表情だった。
「わたし、頑張るよ……」
また彼から視線を逸らした私は彼に背を向けてそう告げた。これが最後。涙を見せるのは最後にするから。だからお願い、きょうだけは、許して欲しい、神様——。
「寿がいなくても、強くなるから……」
未だ絶えずに荒々しく鳴り響く波の音が、耳に痛い。肌に突き刺さる真冬の冷たい風。ぽつりとそう言い置いて歩き出した——そのときだった。
「こんな終わりを望んてたんじゃねえ!」
目の前で荒れ狂う波よりも大きな彼の声が私の耳に確かに届いて、涙がとめどなく溢れてくる。ごめん、寿。ごめんなさい……いつまでも、弱い私で。ずっと迷惑ばかり掛けて本当にごめんね。
「こんな別れ方するために名前を好きになったんじゃねえ!」
「——っ、」
「名前!!」
別れが人を大人に変えるなんて、嘘。もしも、一生のうちに流す涙の量が決まっているとしたら私はこのときずいぶんと無駄遣いをしてしまっただろうと思う。
愛しい人をさらっていく——16歳、冬。
私たちの初恋は、こうして幕を下ろした。
*
「あ〜あ、クリスマスだってのに練習かぁ〜」
「おいおい……新キャプテンが何言ってんだよ」
「まぁ、そうなんスけどねぇー」
そんなことをぼやきながらリングを見上げる。部活の休憩時間は、三井サンとリングを見下ろすこの位置に腰を掛けるのが、いつの間にか日課になっていてこの場所はオレたちの特等席だった。オレはクリスマスとは言えいつもと変わらぬ一日だな〜なんて心の中でつぶやいて呑気にあくびをする。そして、この人はクリスマスだと言うのにどうしてココに、居るのだろうかと考えながら。
「え〜、なになにィ〜?」
「……あ?」
「なんなの?ぼーっとしちゃって。」
先ほどからまるで上の空の三井サンにオレが、そう問い掛けた。今日の三井サンは、あの学祭のときみたいに、やけに静かだったから。
「あ……?いや……」
「べつに」と三井サンは手に持っていたままのボールをコートに置いて、小さく溜め息を吐く。
「……ははーん、幸せボケってやつ?」
「……」
「あーヤダヤダ。そーいうのねぇ、マウントっていうんスよ」
いつも通り三井サンを揶揄ってみる。しかし、三井サンからはとくに何の返答も返ってこない。いつもならドヤ顔で得意げに「まーな」って鼻で笑ったり逆にギャーギャーとうるさく喚き返してくるのに。なんか、変なの……。
「今日は名前ちゃんと一緒に過ごすんスか?♪」
「……い、いや。」
「へ?」
歯切れの悪い三井サンの返しにオレは間抜けな声を出してしまう。三井サンは目線を泳がせて、在らぬ方を向く。
「なんで?過ごさねーの?」
と、オレが再度確認すると「ああ」と、つぎは溜め息を吐くような声で三井サンは、しっかりと肯定した。また喧嘩でもしたんかな?なんて考えていた俺を置き去りにしばらくすると三井サンがよいしょと声に出して立ち上がり腕を高く上げて背伸びをする。
「えー。せっかくのクリスマスなのにぃー」
いまだしつこくそのネタに絡むオレに対して、またひとつ小さく溜め息を吐いた三井サンが伸ばしていた腕を下ろし正面を向いたままでぽつりとつぶやいた。
「別れたよ。」
——んっ?はて?いまこのひと、なんて?……いやいや。きっと、オレの聞き間違いだろうな。うん、絶対そうだ。あっ!ワカサギか。ちょうど時期だもんな〜。うん、三井サンいま、ワカレタって言……
「ぅえっ!?」
「……あ?」
「マ、マジ!?」
「んなこと嘘ついてどーすんだよ」
「えっ、え……え。な、なんで?」
「そんなん、俺が聞きてーよ」
「はっ?……どーゆうこと?え、」
つづけて「振られたんだよ、昨日」と、溜め息混じりに、吐き捨てるみたいにして言った先輩。オレは、あたりまえに言葉に詰まってしまって、しばらく黙っていた。しかし、なにも言い返してこないオレを不審に思ったらしい相手が、立ったままでオレの顔を覗き込んでくる。
「あっ?」
「……へ?」
「なーんでお前が落ち込んでんだよ」
三井サンがオレの頭をグリグリとして来たので「イテっ……」と、オレは自身の頭を労るように両手で撫でつける。
「——さ、休憩終わりだろ?」
「早く始めよーぜ」と三井サンはボールを拾い上げてオレをその場に置いたままコートに戻って行った。
「……。」
三井サン……。
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