25歳、冬(46話)
「名前、あんたこれからどうするの?」
「名前ちゃん仕事も辞めちゃったんだもんね」
あれから数日が経った。あの日、幼馴染がいたbarで私はこの二人に連れられて、お店を出た。あの場にどうして彼がいたのかはなんど聞いても二人は答えてくれなかった。なので私もそれ以上深く詮索することはしなかった。
「……わたし、神奈川に帰ろうと思ってる」
「名前……。神奈川って、実家ってこと?」
「うん。わたしね、いつまでも過去の思い出から逃げてちゃダメだって気づいたの」
「名前ちゃん……」
「いい機会だしね、帰って数年ぶんの親孝行でもしようかなーと思ってさぁー」
ふたりは私の言葉に視線を落とし込んだまま、何も言い返してはこなかった。そんな彼女たちを見て私は呆れたように笑いながら明るげに言う。
「もーう。彩子もリョータくんも落ち込みすぎ!わたし、大丈夫だからさ?」
「……ほんとに?心配でしかないのよアンタは」
「ははは。ほんとにもう……大丈夫だよ。」
「……」
私は公園のベンチ、噴水のまわりで、楽しげにはしゃいで遊んでいる子供たちを見据えて言う。
「——わたしね、実はこのあいだ、神社に行ってお願いしたの」
「……お願い? なにをよ。」
「うん……寿が、幸せになれますようにって。」
「だから、これでもうおしまいっ!」と、そう言い切って二人に笑顔を向けると彩子とリョータくんはとても穏やかな表情になって個々にうなずいてくれた。この二人の優しさに私は何度も助けられた。
「だから、私は私の幸せをまたいちから探すよ」
「……そう。」
「名前ちゃん……」
「でも二人には、またすぐ会いに来るからね〜」
なんて冗談まじりに言うと彩子は「アンタって子は」と溜め息まじりに吐き、リョータくんは、「いつでもウェルカムです♪」と笑ってくれた。そんないつもと変わらぬ空気の中でも二人の安堵したようなその様子に、私もほっとして、小さく微笑んだ。
「……名前ちゃん。いつ、東京離れるの?」
「実は明日。もう荷造りも済んでるの」
「明日って、アンタ急すぎっ!」
そう言って彩子が急に声を張り上げるので私はすこし身構える。そうしてふと空を見上げながらきっといまはもう、ニューヨークにいるであろう彼のことを思い返してひとり言のようにぽつりとつぶやく。
「まあ……いつまでもダラダラやってたら、いろいろまた、考えちゃうからさー」
「……」
「だから今日こうして二人に会えてよかったよ。ありがとね、ほんと。」
「——オレも」
「ん?」
「会いに行くよ、絶対!」
「私も、会いに行くわ。」
「……うん、待ってる!」
湘北高校に転校して来てから、いちばん最初に友達になってくれた、この二人。本当はあの日、不安で心配でたまらなかったの。
あの頃から私は小心者で臆病で。だから二人が笑顔で声を掛けてくれたのが本当に嬉しかった。大人になってからも本心ではずっと会いたかったのに。小心者の私は、自分の失恋にうしろ向きになっていてこの二人からさえも避けて生きて来たから。もっと早く、会いに行けばよかったなあ。
彩子、リョータくん……。こんな私なんかと、友達になってくれて本当にありがとうね。離れていても、歳を取ってもずっと、友達だよ——。
*
「ただいま……いねぇのか? なまえ?」
あの日から数日が経った。部活から帰宅すると部屋の中は真っ暗で、声を掛けても返事はなかった。留守かと思い、そのままリビングへ向かう。
「……なんだ、いるんじゃねーかよ」
暗闇の中に人影が見えたので「電気くらいつけろよな」とブツブツ言いながら俺はリビングの電気を付けた。
「……おい。」
「……。」
なおも背を向けている彼女に少々苛立ちながら「返事ぐらいしろよな」と、つぶやく。どうも、機嫌が悪いのかよく分からないが、話したくないらしい。俺はそのまま気にせずに独り言のように話しつづけた。
「きょうの練習はきつかったわぁー、まあ試合もちけーし仕方ねぇけど」
肩に掛けていたバッグをソファの脇に置いて、冷蔵庫からミネラルウォータを取り出す。それをいつものごとく、ラッパ飲みをしたとき——。
「わたし、同情は嫌っ!!」
「……!? び、びっくりした、なんだよ急に」
急に浴びせられた彼女のその大声に持っていたミネラルウォータを床に落としてしまった。飲み終わって、蓋を閉めた瞬間でもあったことが幸いして溢さずに済んだ俺は安堵しながらそれを拾い上げる。
「ひさしは、知らないかもしれないけど……」
「……あ?」
「この世の中には私をちゃんと好きになってくれる人なんて、たくさんいるんだからね?」
「——は? なまえ?」
車椅子を俺の方に向けて目の前まで来た彼女が「ひさしは私を見くびりすぎだよ」と、微笑む。正直、なにを言っているのかよくわからず馬鹿な俺は「ラッパ飲みしたのを怒ってんだろうなー」くらいのテンションでいた。ほんと俺って、人の話を全く聞いていないんだなと再確認する。だが改めて今言われた言葉を思い返してハッとする。さっき、同情は嫌だと言わなかったか?って。
「ちゃんとリハビリだってすれば、歩けるようにだってなる」
「え……?」
「ごめん。わたし、リハビリさぼってた……。」
「……」
「歩けるようになったら、ひさしが、離れていく気がして。ちゃんとリハビリしなかった」
「——よかった。」
「……え?」
彼は私の座っている車椅子の前にしゃがみ込んで私を勢いよく抱き締めてきた。普段はしない、その珍しい行為に、私はビクンと肩を揺らす。
「……よかったなあ、ほんとに!」
「ひさし……?」
「よかった……」
私から体を離して、私の手を握ってくれた彼に対して、いままで自分がして来たことへの後悔が突如、押し寄せて来る。急ぐと言った彼を、無理やり呼び止めたこと。彼の気持ちに、気づかないふりをしつづけたこと。リハビリをさぼっていたこと。彼を、縛り付けていたことに——。
好きだった。そんなところが。他人を疑わず、他人の幸せを心から喜べるそんな彼が。本当に、好きだった。そう……あれは、私が大学一年生のときのこと。
18歳、春
― 18歳、春 ―
「あの!……これ、落ちましたよ?」
「あ?」
長身の男性が、バスケットボールの付いたストラップをぶらさげた自転車の鍵を落とした。咄嗟に拾い上げて渡したことが彼との出会いだった。
「この鍵……」
「うぉ! わりーわりー!」
申しわけなさそうに頭を掻いて歩み寄ってきた彼に拾った鍵を手渡したとき「サンキューな!」って、少年みたいに笑うその笑顔に、一目惚れをした。よほど大事なものだったのか「お礼させてくれ!」と、自販機でジュースを買ってくれた。私を見た目で判断したのか、私の意見も聞かずに買ってくれたのはなんと、いちごミルクだった。あまり好きではなかったけど頑張ってぜんぶ飲み干した。そして飲み終えたその空き缶をしばらく部屋に飾っておいたことを、ふと思い出す。
その日から、彼を観察していてわかったこと。人のために笑い怒り落ち込む。自分以外のことを自分のことのように扱う彼は、きっと人を大切にできる人なのだろうな、なんて思っていた。
だからあるとき、唐突に聞いてみたのだ——。
「三井センパイって、人たらしですか?」
「……あン?」
彼はぽかんとしていたけれども『人たらし』というワードに思うことがあったのか急に顔を不満そうに歪めて、私を睨みつけた。「ぜってーそれだけは言われたくねえ」とか言って。誰か、思いあたる人でもいるみたいにして。
「えっと。なんとなく、そんな気がしちゃって」
「てか、人たらしとかじゃなくてよ。俺なんかを大切にしてくれる人を、無視できねーだろ?」
「え?」
「俺を理解してくれる人ってすげーなって昔から思ってっからなー」
「なるほど……」
「バカ!なにもわかってねーだろ、あのなぁ〜?他人を受け入れるって、そうそう簡単なことじゃねーんだぞ?」
「う〜ん?」
実際のところ……彼には悪いが私にはよくわからない演説だった。言われてみれば今まで私はずっとそんなことを悩んだことも考えたこともなかったから。
「はっ、お嬢様にはわからねーか。生まれてこのかた、悩んだこととかなさそーだもんなぁ」
「……っ」
「まあ、だから……俺は、俺を受け入れてくれる奴等を大切にしたいと思ってる」
「友達、多そうですもんねー。」
そう淡白に言い返したら、不意にフッて笑った彼に目を惹かれて「どうしたんですかぁ?」と、訊ねたときに見せてくれた——
「いや、高校ンときの奴らのこと思い出してよ」
わりーわりー、って、照れたように幸せそうな顔をした彼の姿をいまでも鮮明に思い出す。彼のそういうところが、本当に好きだった——。
「……わたし東京に戻ってもっと大人な人探す。わたしがワガママ言っても笑ってなんにも相手にしないような人、探すんだからっ!」
「……」
「——わたし、ひさしとは結婚しない。」
「……、」
「だからもう、自分の気持ちに嘘はつかないで」
「……なまえ。」
恋人にするなら、どちらがいいだろうか——。辛いときに話しを聞いて、泣かせてくれる人か。それとも、辛いときに嫌なことを忘れさせて笑わせてくれる人か……。
大学時代の彼は、どちらも兼ね備えられていたようにも思う。あのまま自然とお互い恋に落ちることができれば、きっと未来はもっと違っていたかもしれない。
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