25歳、冬(45話)
—— 同日、夜。——
「彩ちゃんから誘ってくれるの久しぶりだね!」
「そう?」
オレたちは恒例のbarに居た。午前中にある人から突然電話が掛かって来て相手のなんとも煮え切らない態度にイライラしていたけれど、いまは忘れよう。この貴重な時間を、彩ちゃんと楽しく過ごしたい。彩ちゃんと同じカクテルを隣合わせのカウンターに座って飲みながら、そんなことを思いつつ内心では単に二人きりでお酒を交わせることに舞い上がっていただけだった。我ながら、単純王だと思う。
「基本的、オレのほうから強引に誘うじゃん?」
「そうだっけ?」
彩ちゃんは至って可愛い。うん、平常運転だ。しかし今日の彩ちゃんはいつもと少しだけ違っていた部分もあった。やけにもの静かで、時折ため息なんかを零したりしていたから。オレがそんな彩ちゃんの顔を覗き込み「どーしたのぉ?なんかあったの?」と訊ねてみると彼女は気まずそうに口を開いた。
「実はきょう、名前も誘ってるの……」
「え? 名前ちゃん?」
「たまには、外に出なさいよって強引に……」
彩ちゃんは自身のグラスに視線を落としてそうつぶやく。そんな可愛すぎるおせっかい彩ちゃんにオレが頬を緩ませて「あいかわらずだな〜」と笑ったら「あんたには言われたくないわよ!」と彩ちゃんはやや顔を赤くしてムキになって怒っていた。もうめちゃくちゃかわいい、どうしよう。
*
一時間後——。他愛もない会話と静かに流れていく時間のなか、穏やかだなぁ〜平和だなぁ〜とぼーっと耽っていたとき、あれ?こんなこと昔もあったような……と、オレが宙を仰ぐ。
「どうしたのよ?」
「え? いや……」
穏やかで平和なときに限って、いつも決まってなにかと事件が起こるんだよなあ……とは素直に言えずとりあえず苦笑いを返した。そんなオレを流し見て、入り口のほうに体を向けた彩ちゃんが「あの子、もうすぐ来ると……」と言った瞬間、その声がぴたりと止まった。「ん?」と不思議に思って反射的に横に座っていた彩ちゃんを見る。
「……三井先輩、」
ついで出た彼女の言葉にオレも勢いよくbarの出入り口のほうを振り返った。果たしてそこに、彩ちゃんの言った『三井先輩』が立っていた。
「宮城……、」
「……。」
「リョ、リョータ、ちょっと。どう言うこと?」
彩ちゃんがオレを揺さぶって問い詰めるけれどオレはなにも返答できないまま、また、すっと正面に向き直って目の前のグラスに口を付けた。
「……ああ、ちょっと宮城に頼みがあってよ」
三井先輩が私たちの元へと歩いて来たものの、リョータは三井先輩のほうを一瞥もせず、正面を向いたままで、ただ一点を見つめていた。そんな二人を交互に見やる私をよそに三井先輩は自身のポケットからなにかを取り出しリョータにそれを差し出した。
「これ、」
未だ正面を向いたままでいるリョータの目の前に差し出されたモノ——その小さなビニール袋に視線を落としたリョータが瞬間的に自身の下くちびるを噛む。そうしてやや語気を強めて言った。
「……なんすか、これ」
「ストラップだ。」
ビニール袋から中身を取り出して小さなバスケットボールがぶら下がったそのストラップをリョータの目の前に置いた三井先輩。その動作をただ冷めた目で見おろすリョータは、怒りが抑えきれないといった様子で呆れたように小さく舌を打ち鳴らすと、そのまま目を瞑った。
「名前に渡してやってくれ。お前からだって言って」
「……は?」
閉じていた瞼を持ち上げて目を大きく見開いたリョータは三井先輩の方へようやく体を向けた。先輩を見上げるその顔は、まるで高校時代のあのころを彷彿とさせるのように眉毛がこれでもかというほどに歪んでいた。
「名前がストラップなくしたって聞いて、たぶん海だと思って探したんだけどよ」
「……」
「どうしても見つからなかった」
「ちょ、アンタそれ……マジで言ってんの?」
「ああ。しょうがねーから新しいの買って来たんだよ」
「……っ。」
言葉に詰まったらしいリョータは、大きく溜め息を吐き散らす。それにかまうことなく、先輩はつづける。
「……だから宮城、お前から渡してやってくれ、頼む」
「イヤだよ、」
「リョータ……」
「じゃあ——水戸に頼めって、なんでオレなの」
「……。」
三井先輩は言葉を返さなかった。いや、返せなかったのだと思う。そうして三人のあいだには、あたりまえに異様な空気が流れはじめた。そこで「つーか」とリョータが吐き捨てるように言う。
「渡したいなら三井サン、あんた自分で渡せよ」
「……それは、出来ねぇ」
「……っ」
「俺には、渡すことが出来ねぇ……」
「なんで」
「俺には、なまえがいる。だから、おまえらに頼むしか——」
……ガタン、と突然、彩ちゃんが椅子を引き、ゆっくりと立ち上がった。俺は驚いて彼女を見張る。
「三井先輩……なにを、言ってるの……」
彼女は体を三井サンのほうへ向けて、一歩踏み出し、震えた声でそうつぶやく。
「自分が何をしようとしてるのか、わかってるんですか……?」
「……」
「……こんなことしたら、また名前が苦しむじゃない。せっかく三井先輩のこと忘れようとしてるのに」
「……、」
「三井先輩がこんなことしたって知ったら、辛い想いをするのは、名前なんですよ?」
……わかっている。そんなことは、言われなくたって、わかっているんだ。けど、どうやって、彼女を救ったらいいのか、どうやったら、彼女を幸せにしてやれるのか。——幸せ?彼女の幸せ?それはもう自身の役目ではないのに?じゃあ俺はなにをしにココに……?彼女のことを、どうしてやりたくて……。
「だから宮城に——」
「三井サン、アンタはバカかよっ!?」
ガタンッ!と勢いよくリョータが立ち上がる。他の客もその音に少々騒つきはじめた。すかさずマスターが「すみません、お静かに」とリョータを制するが、リョータの怒りはおさまることを知らない。丁度そのタイミングで、店内に入って来た��彼女�≠フ存在に気づくことさえできないほどに——。
*
久しぶりの外食に大切な友人たちと久しぶりに飲むお酒。それになんだか胸を躍らせていた自分がいた。案外、元気に過ごせている自分自身に、ほっと安堵する。
私は、すこしだけ遅れて彩子たちとの待ち合わせ場所へと到着した。緩む頬を抑えつつ逸る気持ちで店内に入ると——。
「アンタはバカかよっ!?」
ん——?リョータくんの、……声?
店内に入ったとたん、聞き慣れた声が聞こえた気がして、ふとあたりを見渡す。すると、カウンターの奥の席、はっきりと私の目に映った初恋の彼の姿。どうして?ねえ、どうして寿が、ココに居るの……?
「情に流されて、あの人を取って。それでも名前ちゃんのことが気になって」
「……」
「そこまでならオレも理解できる、許せねーけど理解は出来るよ!」
「リョータ……」
「……けどな、三井サン」
そう言ってリョータくんはカウンターの上からなにかを手に取った。私は、それに目を凝らす。
「なんだよ、これ」
——え、……ストラップ。どうして、あのストラップがここにあるの?どうしてリョータくんが持っているの?私、無くしたはずだったのに。
「こんなものが、なんになるんだよ……」
『 着けよーぜ 』
『離れててもこれ見たら俺とかあいつらとか』
『 寂しくなったら思い出せよ
俺も、同じの持ってるって 』
『 ずっと、一緒にいような 』
無意識に涙が頬をつたう。三人の姿をただ呆然とその場で立ち尽くして眺めることしか出来ない私は——こんな未来を、望んでいたのだろうか。
大好きな友達を、大切にしてきたつもりでいた初恋の記憶を。ずっと大切にして来た思い出を。みんなの笑顔を……私が全部、ぶち壊したんだ。
「名前ちゃんが大切にしてたのは、こんな物じゃないだろっ!」
「……」
「三井サン、そんなこともわからなくなったのかよっ!!」
リョータくんは、手に持っていたストラップを床へと強く叩き付けた。反射的に私は思わず目を瞑る。
「三井先輩……」
「……」
「三井先輩は、あの人と別れられないんでしょ?どうしても、ダメなんですよね……?」
「……っ」
親友の震えるその声に、そっと瞳を開いた私の目に映ったのもの——高校時代、陵南戦が行われた試合会場で目にした光景が不意に蘇ってきて、いま見ている目の前の映像と重なった。寿が……泣いている……?私が立っている、この位置からでもわかる。彼の頬をつたう涙が、はっきりと。
「だったら二度と東京へは来ないでください!」
「……、」
「名前のまえに、現れないでください……お願いだから」
彩子の頬にも涙が零れた。私がそんな三人から視線を床に落としたとき、先ほどリョータくんが床に叩きつけたストラップが視界に入った。私はゆっくりと、ストラップが見えるころまで歩いていく。そしてしゃがみ込んで、そのストラップを手に取り胸に抱えて両手で強く握りしめた。その一連の私の動きで気配を感じたらしい寿が背後を振り返り、ぽつりとつぶやいた。
「名前……」
その声に驚いて、彩子とリョータくんも揃って勢いよくこちらを振り向く。
「名前!?」
「名前ちゃん……」
ふたりは私が店内にいたことを、このときようやく気付いたようだった。
人間の心なんて、自分でもわからないものだ。目に見えないものこそ、本当に大切なものなのにわたしはずっと、それを見失っている気がする。
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