不測の事態

天堂真弓は分校を出て2、3歩くとまず辺りを見渡した。建物の影から見ている事を悟られぬよう美月が素早く顔を引っ込める。クラスメイトを疑うというのは心苦しいが、これもまた大切な人達と再会するには通らなければならない道だ。
再び天堂の動向を探ろうと美月が建物の影から顔を出そうとした。


しかし、ここで予期せぬ出来事が起きた。


「天堂さん!」


美月の心臓がどくん、と大きく脈打った。
自分のすぐ横、建物の影に引っ張り入れた筈の豊があろうことか分校の出口から見える場所に立ち、天堂に向かって声を掛けていたのだ。
まだやる気になっているのか、そうでないか。――そして肝心の特待生かどうかもわからないというのに。


「…!ああ なんだ、瀬戸くんだったのね」


天堂の顔が一瞬こわばったが、声の持ち主が豊だと分かると少しばかりホッとしたような表情を見せた。一本に編んだ長い髪。それに巻かれた幅広のリボンが夜風に晒されヒラヒラと揺れている。天堂が豊の方へ歩みを進めた。


「ね、ねぇ天堂さん!」


豊まであと数歩という所で天堂の足が止まった。
理由はそう、少し大きめな声で豊かに呼び掛けられたからだった。自分たち以外誰もいない真っ暗な島ということもあり、余計に豊のその声はこの場によく響いた。


「どうしたの瀬戸くん いきなりそんな大声出して」


「あ、いや、大したことじゃないんだけどさ…!天堂さんはこのプログラムについてどう思ってるのかなって思って」


歯切れ悪そうに豊がそう言えば、天堂の目が僅かに拡大された。


「あ!も、もちろん疑ってるわけじゃないよ!だけどその…」


「怖いわ」


「え?」


「こんな状況よ?当たり前じゃない…ただでさえあなたは男の子で私は女の子なのにそんなこと聞くなんて…」


「ゴ、ゴメン天堂さん!ボク無神経な事聞いちゃったよね?謝るから」


「うんん、いいの。だって貴方にはもう――」



"死んでもらうから"




後ろ手にサバイバルナイフを構え、そんな物騒なセリフを続けようとした天堂真弓だったが、その言葉が続くことはなかった。


後ろから誰かが走ってくるような音がする。
瞬時に振り返ろうとした天堂だったが、一歩遅かった。
振り向いた天堂の視界いっぱいに美月が映った。
美月は驚いた顔の天堂に構う事なく、勢いをつけたタックルでそのまま彼女を地面に押し倒した。


「え!?2人ともどうしたの!?」


豊が突然の出来事に驚き慄くがそんな事にいちいち構っている余裕はない。
背中から地面に倒れた天堂は自分の腹に馬乗りになっている美月の、その腿の下――サバイバルナイフを動かそうと力を込めた。
しかしそれと同時に何か湿った布のようなものを鼻と口に押し付けられ、天堂は一瞬でふっと意識を手放した。


美月は天堂が気を失ったのを確認し、瞬時にその場から立ち上がるとすっとぼけた顔で立ち尽くしている豊の腕を取って走り出した。


「瀬戸くん、こっちよ!」


「藤宮さんっ!一体どういう事なの!?天堂さんがっ」


「いいから今は走って!説明なら後でするわ」


豊は走りながら首だけを後ろに向け、地面に倒れたまま動かない天堂を見て美月に問い掛けた。
――問い掛けられた。問い掛けられたはいいが、しかし今はそんな問いに答えるよりもこの場から遠ざかる方が先決だった。モタモタしていると天堂が目覚めてしまというのも理由の一つだったが、もう一つは天堂の次に出てくるクラスメイトにこの状況を見られた時、変な勘違いをされて自分か豊かがやる気になっている、もしくは特待生だと疑われてしまう可能性があるからだった。


逃げずに説明をすれば分かってくれるかもしれないが、もし次に出てくるクラスメイトが天堂真弓のようにやる気になっていたら?そうでなくても次に出てくるクラスメイトが特待生という可能性もある。次は確か男子生徒だったが、それが誰だったかまでは覚えていなかった。
――というか、こんな状況ではそこまで頭が回らなかった。
美月はとにかく分校から遠ざからなければと判断し、豊の手を引いて目についた林の方へ駆けた。こんな所でじっくりと正確な判断を下している暇はなかった。美月は情けない顔をした豊を連れ、暗闇の中、林に向かって駆けて行くのであった。






――――――――――――――――――――


真っ暗な林の中。高木や低木が入り交じり、足元にはシダのような植物が生い茂っている。美月は足を止めて後ろを振り返った。何分ぐらい走っただろうか。正確な時間は測っていないので分からなかったが、辺りに目を凝らして見ても分校から放たれる人工的な光は目視できない。ただ物静かな闇が広がっているだけだった。


何はともあれ分校からはだいぶ離れられたのだろう。美月は肩で息をしながら掴んでいた豊の腕から手を離した。
豊はゼエハアと、こちらも苦しそうに肩で息をしながら両手と両膝を地面につけて四つん這いの姿勢になっている。
美月は肩に掛けていたデイパックを葉っぱの敷き詰められた土の上に下ろすとジッパーを開け、中からペットボトルの水を取り出した。


「瀬戸くん、お水よ。少し飲んで」


差し出されたペットボトルを受け取り豊がそれを飲む。その間、美月はデイパックの中身を改めて確認した。数枚のパンに懐中電灯、この島の地図と方位磁石、時計、1リットル程度のペットボトルが2本。そして先程天堂に使った薬剤――クロロホルム。
これは美月に支給された武器だった。


分校を出る前に歩きながらデイパックの中身を確認しておいて正解だった。最初は武器らしいものが見当たらず、坂持達が武器を入れ忘れたのかと思ったがペットボトルの他にもう一つ液体の入った瓶を見つけたのだ。


瓶のラベルに書かれていた薬品名を見てすぐに気がついた。以前テレビドラマやなんかで見たクロロホルムを使って相手の意識を奪うシーンがあったが、まさか自分がそのドラマと同じ事をするとは夢にも思っていなかった。


我ながらクラスメイトになんて事をしてしまったのだろうと思ったが仕方ない。相手はサバイバルナイフを持っていて、更にはそれで豊を殺そうとしていたのだから。後ろ手にナイフを構え標的に近寄ろうとする姿を見れば何をしようとしているかなんて火を見るより明らかだった。


「…っ痛!」


美月がつい先程の出来事を思い返していると、ザアアッと風が強く吹き、周辺に生えている葉っぱが体のあちこちに当たった。


しかし葉が体を掠めただけだというのに何故か太腿付近を何か鋭利なもので切りつけられた時のような痛みが走り、美月は思わず近くにあった木の幹に手を付いた。


「藤宮さん!大丈夫!?どうしたの?」


「ごめんね瀬戸くん 懐中電灯を取ってもらってもいい?」


「え?あ、うん!わかったよ ちょっと待ってね」


何か太腿の辺りに違和感――いや、違和感ではない。ズキズキと、太腿に今まで感じたことのないような鋭い痛みが走っている。しかしこうも暗いと何がどうなっているのかが分からない。その為美月は豊に懐中電灯を取るよう頼んだのだ。


「あったよ藤宮さん!」


豊の言葉に美月は辺りを見渡した。暗くてよく見えないが、恐らくこの付近にまだ人はいないだろう。


こんな暗闇の中懐中電灯をつけるとなると第3者に自分達の居場所を知らせる事になってしまう為、一瞬躊躇ったが何せ自分と豊は分校を出た最初の生徒とその次の生徒だ。それに何よりここまで全速力で走って来たのだ。きっとまだ周りに人はいない。すぐに灯を消せば危険はないだろう。美月はそう判断した。



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