血が果てるその夜まで

「頑張れよ藤宮ー先生お前のことも応援してるからなー」


にこにこと終始笑顔の坂持を鋭い目つきで睨みつつデイパックを受け取る。想像よりずっしりしたその重みが妙にリアルで、なんとも言えない緊張感が走った。


美月は闇に向けて開いた戸口に立つと一度後ろを振り返った。貴子、光子と来て最後に桐山に視線を送る。
今日で何度目か。桐山と視線が重なった。
なぜ桐山が先ほどのようにクラスメイト達の前で語弊を生むような事を言ったのかは正直美月にも分からなかった。


桐山に命をかけて守ってもらうほどの理由が何なのか、まったくもって思い浮かばなかったのだ。
しかし彼が美月の味方――いや、それ以上の何かがあるという事は誰がどう見ても明らかだった。なにせ美月が助かるなら優勝の座、つまり自分の命を犠牲にしても問題ないと宣言したのだから。


桐山はクラスメイト達にとってどこか読めない男であり同時に近寄りがたい存在であったが、決して嘘をつくような人間ではなかった。
そんな彼の人間性が先ほど美月に向けて放った言葉に嘘偽りはないと言う事を裏付けている。
こんな状況でなければどれだけ心が躍るような幸福を感じられただろうか。


美月はそんな思いを胸に仕舞い込み、覚悟を決めると闇の向こう側に一歩足を踏み出した。そう、決して戻れない平和な日常を思い返しながら。













――――――――――――――――――――


分校から外に出ると、月明かりの下、目の前に大きな運動場が広がっていた。その向こう側に林が見える。左手には小高い山、右手には海が見えた。


美月は今いる周辺の風景を簡単に頭の中にインプットさせると一旦身を隠せる場所へ走った。今出てきた分校。建物の側面、壁に背をつけ身を隠す。一度深呼吸をして、そこからそっと顔を出せば分校の出口が見えた。
ここなら相手に気づかれる事なく誰が出てきて、どんな風に動くのか、観察する事ができる。


もちろん不意打ちを狙って身を隠しているわけではない。美月とて出来ればすぐにでも出てきたクラスメイト達と合流し、解決策を共に考えこのプログラムから脱出したい。
だが出てきたクラスメイトが万が一やる気になっているような人間では困る。しかも女子である美月の次に出てくるのは男子生徒だ。やる気になっているようならまず力では敵わないだろう。


その為一旦身を隠し、プログラムに乗っているのかいないのかを見極めなければならないのだ。本当ならクラスメイトを疑うような真似はしたくなかったが、こんな状況だ。もしかしたらあまりの絶望に常軌を逸してしまったクラスメイトがいるかもしれない。
とにかくこんな状況で誰彼構わず無条件に信じるなど自殺行為に他ならない。


美月は息を潜めてじっと分校の出口を窺っている。頼れるのは月明かりのみの心許ない光だけ。恐怖と不安で心が押しつぶされそうな感覚がしたが、それでも自分を奮い立たせた。貴子と光子、2人のかけがえの無い親友。そして美月にとって特別な相手。想い人である桐山とこのまま一生会えなくなるなんてごめんだ。


その3人だけじゃない。美月達(貴子や光子)と仲の良い三村や七原、杉村にだってまた会いたい。いや、違う。生きて必ず会うんだ。


そう心に誓った瞬間、分校の出口から誰かが出てきた。気を引き締めながら慎重に建物から分校の方を覗く。


学ラン姿の人影がびくびくとした様子で辺りを見渡している。その人影は男子生徒の割に、かなり小さい。
美月がそういえば…、と自分と同じ出席番号の男子生徒は誰だったかを考えているうちに、その小柄な男子生徒の顔が月明かりにぼんやりと照らされた。


不安げな表情。まるで怯えた小動物のように頼りない顔をした瀬戸豊が、そこにいた。


(そうだった…!男子で私と出席番号が一緒なのは瀬戸くんだったわ)


豊が出てきてようやく気づいた。それまで出席番号の事まで頭が回らなかったが、確かに豊と美月は同じ出席番号だった。


心なしか自分よりも震えている豊を見てホッと短い息を吐く。美月はどうすればいいかわからずその場で立ち往生する豊に向かって小さな声で呼びかけた。


「瀬戸くん…!」

「……っ!あ…っ藤宮さん…!!」


突然声をかけられてビクッと肩を揺らした豊だったが、分校を背にして斜め左後ろにいた美月を見ると幾分かその表情が和らいだ。
豊が途中ズッコケそうになりながらも小走りで美月の方へ走ってくる。


「大丈夫 落ち着いて瀬戸くん。今はまだ私とあなたの2人しかいないわ」

「藤宮さん…うん、そうだよね。ボクったらすっかり気が動転しちゃって」

「ううん、いいの。こんな状況じゃ気が動転しちゃうのも無理ないもの」


そんな美月の優しい言葉に豊の顔色が徐々に落ち着いて行く。美月は顔色の悪い豊を落ち着かせる為、出来る限りいつも通りの声色でそう言った。しかしそんな美月も実は人の心配をしている余裕は、そんなにはなかった。それもそのはず、つい先程生まれて初めて人の死体――それもクラスメイトのそれを見たばかりだ。すぐに平常心に戻れるはずはない。


だが豊なんかは美月よりも見るからに危なっかしかった。状況がまだよく飲み込めておらず、分校の前で暫く無防備に震える姿を見れば一目瞭然だ。あの場でもたついていればもしやる気になったやつが出てきたときにはひとたまりも無いだろう。美月はだいぶ落ち着いてきた豊の顔をそっと下から覗き込んだ。


「わっ!藤宮さん!?」

「ふふっ よかった。少しは落ち着いたみたいね」

「あ……!ゴ、ゴメンよ藤宮さん!本来なら男のボクがちゃんとしなきゃいけないのに」

「あら こんな時に男も女も関係ないわよ。感性は人それぞれだもの。だからそんなに気に病まないで?」


美月がにこっと笑ってそう言った。とても有難いと思う反面、豊はどうしようもなくこんな自分が情けなく思えて仕方がなかった。


(本当ボクって男はなんてダメなヤツなんだ…!女の子にこんな情けない姿を見られてその上慰められるなんて)


もし親友の三村であればこんな無様な姿は晒さなかっただろう。特に女の子の前では尚更だ。
運動神経も抜群で頭も良くて、その上女の子にもモテるという自分とは全く人間としてのレベルが違う親友の顔が豊の脳裏に浮かんだ。そして、ハッ!と美月の顔を見てある事を思い出した。


(そうだ!藤宮さんは"あの"シンジが初めて本気で好きになった女の子なんだ。

――そんな子を、シンジの好きな女の子をフォローするどころか逆にフォローされたなんて、恥ずかしくてシンジに顔向けできないよっ)


美月が三村の想い人だという事を思い出した豊は余計に自責の念に襲われた。本来なら今いない三村に変わり、彼の親友である自分が美月をフォローして守ってやらないといけないのに。そんな思いが豊の頭の大半を覆い尽くした。


と、その時ガサッと音がした。分校から見える場所で立ち尽くしながらそちらに顔を向けようとした豊だったが、そばにいた美月に瞬時に腕を引っ張られ、豊の体が建物の影に隠れた。分校からまた1人、クラスメイトが出てきたのだ。
美月が目を凝らす。やる気になっているか、そうでないかは大体の雰囲気を見ればすぐに分かる。
あのシルエットは、そう、出席番号で言うと美月の次、天堂真弓だった。




前へ 戻る 次へ
top