自己嫌悪に溺れる

「ありがとう瀬戸くん 早速だけど、それで少しの間私を照らしてくれるかしら」


「?うん これでいい?」


豊の持つ懐中電灯の光が美月を照らす。一瞬その明るさに目を細めた美月だったが、彼女はすかさず自分のスカートを捲り上げると痛みのする場所に目をやった。


「わわっ!藤宮さん!?――っ!!」


「……やっぱり……!」


「ど、どうしたのその傷!?どうしてそんなに血がっ」


突然スカートを捲り上げた美月に動揺して顔を赤くする豊だったが、今度は一瞬にしてその顔が青くなった。


なぜなら美月の露わになった白い内腿から、真っ赤な鮮血が直線状に流れ出ていたからだった。
その血は美月の足首にまで到達していて、学校指定の白い靴下を赤く染め上げている。
失血死するような血の量ではないが、それでも日常的に見るような血の量ではなかった。
幸いそこまで深い傷にはなっていなかったが、こんな状況でなければすぐにでも病院に駆け込んでいるぐらいの出血量だ。


美月は自分の学生鞄を開けるとハンカチより少し大きめのタオルを取り出した。
修学旅行用に用意しておいた予備のタオルがあったのだ。


「天堂さんよ あの時彼女が持っていたサバイバルナイフが腿を掠めたんだわ」


「え……?でも天堂さん、武器なんて」


「瀬戸くんは気付いてないようだったけど、天堂さんはあの時あなたに近付きながら後ろ手にナイフを構えていたのよ だから私、無理やりにでもあの子を押し倒してそれを阻止したの」


――でも私ったらドジね。かっこよく助けたつもりでいたけど、こうしてしっかりやり返されてたんだもの。――そう言いながらタオルを太腿に巻く美月を見て、豊の顔が青を通り越して真っ白になった。



(藤宮さんが怪我をしたのはボクのせいだったんだ!ボクが天堂さんに声を掛けちゃったから……!

あの時藤宮さんが天堂さんに体当たりをしたのはボクを助けるためだったんだっ)


自分の情けなさは今に始まった事ではなかったが、それでも今までそのせいで誰かに怪我を負わせる事はなかった。迷惑をかけた事はあったかもしれないが、誰かが血を流し傷ついたことは一度もない。


しかし今この瞬間だけは違った。クラスメイトの女の子が、自分の楽観的な行動のせいで血を流している。それも、親友の好きな子がだ。
――いや、例えそれが三村の好きな子でなくともショックの度合いは同じだった。


「……ふっくぅ……!藤宮ざんっ ゴメン、本当にゴメンよっ ボクのせいで……!」


「え!?ちょっと、どうして泣くのよ瀬戸くん!」


「……グスッ……だってその怪我、天堂さんからボクを守ろうとしてそうなっちゃったんでしょ?」


豊が小動物のような目に涙を溜めながらそう問い掛けてくる。ひょこっと唇の間からはみ出た前歯が更にそれを助長させていて、美月の目には泣いている豊が余計に小動物のように見えた。


美月は豊の目を見て言った。


「――結果的にはそうかもしれないけど、瀬戸くんがそんなに気負う必要はないの。私が助けたいと思ってした事だから、こうなったのは私の責任よ

今回みたいに人を助ける為に負った傷だったとしても、自分が決めた事だもの。それを誰かのせいだなんて思ったりしないわ」


瞳に強い意思を宿したまま美月がそう言い切った。
豊はそんな美月の言葉を聞くと学生服の袖口でゴシゴシと涙を拭った。


(泣くなボク…!泣くだけなら誰だってできる。そんな事よりボクがしなくちゃいけないのは、藤宮さんを守る事だ!

こんな傷を負ってもボクを責めるどころか、逆に優しい言葉をかけてくれる、温かくて優しい女の子。そしてあの、誰にも本気にならなかったシンジが初めて本気で好きになった女の子!

これからはボクが守るんだ。――何があっても、絶対に!)


豊は顔中にまみれていた涙や鼻水を払拭し、強くそう心に誓った。










――――――――――――――――――――――



「はぁ……やぁねえ本当 どうしてアタシがこんな物騒なゲームに参加しなくちゃいけないのかしら」


前髪にボリュームを持たせたリーゼントの髪に、紅を引いた存在感のある分厚い唇。下がり気味の太い眉を寄せながら月岡彰が分校から出てきた。



月岡彰。桐山ファミリーの一員にしてオカマという特異なポジションの彼は父親が経営するゲイバーに小さい頃から出入りし大人の世界を垣間見てきた事もあり、光子同様並の中学生とは違い人の心理を読み解く事やその人の本質を見抜く事に長けていた。



月岡はまだこの状況に頭が追いついていないクラスメイト達よりかはだいぶこの状況をよく理解していた。こういったゲームは1人でいるより誰かと一緒にいた方が何かと便利だ。クラスメイト同士の殺し合いではあるが、今この状況ではやる気になっている者よりそうでない者の方が多いだろう。



命懸けのゲームであるが故、一緒に行動するクラスメイトは慎重に吟味して選ばなければならないが、とにかく誰か信用できる人物と行動を共にした方がいい。
特に桐山なんかがいればまず早々死ぬことはないだろう。それどころか桐山の常人離れした頭脳があればこのプログラムから逃れる方法はすぐにでも見つかるはず。月岡の脳裏に端正な美少年の顔が浮かんだ。



「はぁ……それにしても桐山くんったらやっぱり美月ちゃんの事が好きだったのね」




月岡は教室で起きた一連の流れを脳裏になぞった。
抑揚のない無機質な声で放たれた美月の身を案じるようなセリフ(声のトーンと言っている内容の温度差が凄い気もしたが)。
感動もしないし同情もしない。恐怖も後悔も、あらゆる感情が桐山和雄という人間にはない。出会った当初は彼に付き従い(といより月岡達が一方的にただそばをついて回っていただけ)ながらも周りのクラスメイト達同様、月岡もそう思っていた。が、ある日彼は気づいたのだ。



2年になってから同じクラスになった藤宮美月。彼女に向ける目が、他と違う色をしている事に。



と言っても、当然だが最初から彼女が桐山の目に留まった訳ではなかった。
美月はそれはもう一輪の花のように美しい少女だったが、それだけで桐山が興味を持つかと言われれば、答えはノーだ。どんな美少女が現れようとも、容姿の良さだけでは桐山にしてみればただ同じクラスメイトのうちの1人というくくりに過ぎない。
――手っ取り早く結論を言うと、美月が他のクラスメイト達とは違い彼と"対等"に接していたからだった。



不良達のボスだという桐山の噂はとても多かった。もちろんそのほとんどが悪い噂だ。学校で問題を起こすような事は一度もなかったが、それが余計に噂に尾鰭はひれをつけた。
そういった経緯もあり、悪い噂ばかりの桐山に積極的に話しかけるような生徒は桐山ファミリーを除いては皆無と言ってよかった。



顔の造形に至っては群を抜いて美しい、それこそ稀代の美少年だったが、その代わり彼には一切の表情というものがなかった。常に無表情で、加えてどこか冷たい空気を纏った近寄り難い雰囲気。



しかし美月はそれに気付いているのかいないのか、とにかくそれを物ともせず普通の友達と接する時のように桐山に話しかけていた。
朝登校すれば「おはよう」と笑顔で声を掛けるし、桐山が本を読み終えれば何の本を読んでいたのかと聞いてみたり。またある時は授業で分からない問題があった時、桐山に答えの求め方を教えてもらったりしていた。



桐山と美月の席が隣同士だったという事もあり、2人は(と言ってもほとんど美月から話かけていたのだが)よく会話をしていたように思う。
しかしいつの日か、桐山から美月に「おはよう」と声を掛けていた所を目にした時は流石の月岡も自分の目と耳を疑った。
いくら美月と喋るようになったからと言って、まさか、あの桐山自ら挨拶をするとは思っていなかったのだ。



当然沼井や笹川、黒長なんかはそんな桐山を目に間の抜けた表情で口を開けたまま固まっていたのだが。



「好きな子の為なら死んでもいいだなんて、いくら感情の面で希薄な桐山くんでも簡単に言えるような事じゃないわ。やっぱり愛なのよ、愛……桐山くんにも人を愛するっていう心があったんだわ」



月岡は改めて感慨深く頷いた。
そしてその直後、ふと何か大きな物体が地面に転がっているのに気づいた。自然と視線がそちらに吸い寄せられる。



――人間が倒れていた。
それを見た瞬間、月岡は猫のようにしなやかな動きでそこから距離を取った。


クラスメイトの1人、天堂真弓が倒れていたのだ。
しかしどういうわけか、特に外傷などもなくただ眠っているだけのようだった。が、月岡は見たのだ。


――意識のない天堂真弓の手に、血濡れのサバイバルナイフが握られているのを。


サバイバルナイフに付着した真っ赤な血が、月明かりに照らされ不気味に光っている。月岡は天堂の倒れていた場所からいち早く距離を取りながら冷静に考えた。



天堂真弓が倒れている。その手には血濡れのサバイバルナイフ。しかし天堂に外傷は見当たらず、ただその場で意識を失っているだけ。
この場合天堂がやる気になっており、誰かクラスメイトをこのサバイバルナイフで刺し殺そうとした所、傷はつけられたが殺すには至らず、何らかの形でその相手に気絶させられたと考えるのが妥当だろうか。


月岡は道標のように地面にシミを作っている血痕を辿った。無防備な状態の天堂を殺していない所を見るに、どうやらやる気になっている人物ではなさそうだ。
無論、特待生でもないだろう。仮に特待生ならば天堂を生かしておく理由がない。問答無用ですぐに殺しているはずだ。


(でも一体あの血は誰の血なのかしら……確かアタシ以外に外に出たのは、典子ちゃんに滝口くん、真弓ちゃんに瀬戸くん、そして美月ちゃんよね。――怪我をしてるのはそのうちの誰?)


足音を立てずに移動しながら考える。


(まあこの際美月ちゃんじゃなければ誰でもいいわ

――でも何か嫌な予感がするのよねぇ。こういう時のアタシの勘って当たっちゃうから困りものだわ)



なんとなく、オカマの勘がこの血痕の先にいる人物が誰なのかを勝手に分析してしまう。
月岡は注意深く周りを警戒しながら血痕の続く林の中。木々に阻まれ月明かりの差し込まない真っ暗な闇の中へと足を踏み入れるのだった。

前へ 戻る 次へ
top