02:(その優しさは毒のように染み入るばかり)

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轟と蛙吹さんに交代で監視につかられるようになって早くも4日、私は戸惑っている。


「…轟、お蕎麦こぼしてる」

「お」

「っていうか、口の横に刻みネギついてるし」


指摘すると轟は指先で自分の口のまわりを探って取った、それを見ながらミートスパを啜る。ううん、何でこうなったんだろうか。
私の監視は蛙吹さんと轟が交代、そう、交代だ。そして今日は蛙吹の番のはず、なのに轟までもがついて歩いている。轟がついてくる、ということは自然と彼と行動をともにする緑谷や飯田までもついてくるわけで。


「轟君、昨日も蕎麦定食だっただろう。ヒーローを目指すならバランスを考えて野菜や魚なども食べなくては!」

「緑谷だって昨日と同じでカツ丼じゃねえか」

「二人共好きな食べ物が分かりやすいわ、ケロッ」

「う、好きなものがあるとつい…」


飯田が手刀のような手振りで力説するも轟はつらっと棚に上げて、同じく連日同メニューを注文してる緑谷言葉に詰まる。おかしいな、食堂でサッと食べてさっさと出るつもりだったのに賑やかになってる。くるくるとフォークを回しながら、その光景を眺める。こんな人数で一緒に食べるのは初めてなので、こんなにわいわいするのも初めてだ。寮ではさっさと部屋に戻るから、あまり話さないし。ふと隣に座る蛙吹さんを見る、視線が絡むとにっこりと彼女は微笑んだ。その笑みは捻くれた私の心に刺さる、監視役なんて煩わしいだろうに、屈託ないそれを向けられるのが少し痛い。


鈴音スズちゃん、どうかした?」

「……みんな元気良いなって呆れてただけ」

「そうね、でも良いことよ。ケロッ」

「……そうね」


蛙吹の問い掛けに適当な答えを投げて、適当にやり取りを交わす。そして雑談を放り合う目の前の男三人に目を向ける、本当に元気が良いこと。すると、蕎麦定食に添えられてた味噌汁のお椀を取った轟と目が合った。途端に、この間のやり取りを思い出す。

“お前は、もう少し笑った方が良い”

あれはどういう意味だったのか、轟のことだ、深い意味はあるまい。だけど、とつい意識してしまうのは期待してしまってるせいか、そんなの。(私らしくない)。そんな何気ない会話が少しずつ増える、轟との会話も増える、一方で募っていく焦りは行き場を失いつつあった。

早くアイツを、何とかしないと。夜に抜け出してみようか。

最早、最終手段を取るしかないのだろう。ひっそりと決意を固めて、私は早々と空になった皿を乗せたプレートを返却口に持っていった。

なのに、だ。

「あがり」

「うっそぉ!」

何でトランプ大会に巻き込まれてるんだろう…、抜き出そうとして切島や芦戸に見つかったのがいけなかったんだけど。馬鹿正直に玄関から出ようとしなきゃ良かった…寝てるかと思ったのに…。人知れず溜息だけを落として捕まったものは仕方あるまいと諦める、変に取り繕うと蛙吹さんや轟に怪しまれる。関係無くとも緑谷だって不思議に思うだろう、そうなればまた相澤センセイがしゃしゃり出てくる。迂闊には、動けない。

ギャンギャンと喚く芦戸を尻目に最初に上がった耳郎が誇らしげに胸を張る、蛙吹さんももちろんそこに居てケロケロと楽しそうに笑っていた。ううん、多分蛙吹さんも誘われたんだろうけど後ろめたい気がする。


「何やってんだ」


背後からソファに寄りかかるように凭れてきた轟の声、それが存外近くて悲鳴を上げそうだったのを堪えた事を褒めて欲しい。いや、褒められてもどうにもならんけど、切島が楽しげな空気をそのまま投げるかのように轟を誘った。


「トランプだよ、ちなみにババ抜きな。轟もやるか?」


誘われた轟はしばらく考えていたようで、けれど視線だけきょろっと動かしたかと思えば目がこちらを映したような気がした。ギクッとしてしまう、自意識過剰かと思ったがそうでもない、じっと私を数秒見つめたかと思えば“やる”と短く答えて蛙吹さんとは逆側の隣に座った。ちょっと、今の間は、何なの。訊ねたかったけど飲み込むことにした、聞いたら負けな気がしたから。

―――数十分後。


「だあぁぁぁぁ負けたぁぁぁぁ!!」


敗者の遠吠えを叫んだのは上鳴だった、因みにその前にババを持っていたのは轟。ぷるぷると指先を震わせる上鳴とポーカーフェイスかと思いきや意外と顔に出る轟が残っていたがゆえの接戦だった。いやホントに意外だったな、と心なしか楽しそうだった轟を見る。気のせいかな、何だか嬉しそう。


「あ〜そろそろ寝るか〜…明日は実技演習もあるし」

「そだね〜、って言う訳で解散!」

『うい〜』


元々が言い出しっぺだった切島から切り出して、続いて芦戸が手をパンパンと叩けば皆が立ち上がり、それぞれの部屋へと散っていった。時計を見れば、長針は既に12時を回る頃、よくここまで馬鹿騒ぎできたな…しかも何か疲れた……。


鈴音スズちゃん」

「ん?」

「楽しかった?」


部屋に引っ込む前に蛙吹さんが首を傾げて訪ねた、問われてるのはトランプ大会という名のババ抜きの事だろう。ふと考える、そうだ、何で巻き込まれたんだとは考えたけど煩わしくはなかった。


「…楽しかった、と思う」

「ふふっ、それなら良かった」


ケロッという蛙吹さんの表情はどこか安心したような穏やかなもので、何となく姉がいたらこんな感じだろうかと思わせるものだった。そんな彼女を見て、私は常々疑問として抱えていたことを口から漏らした。


「……蛙吹さん、何で監視役なんて引き受けたの」


自分の行動も制限されて、億劫だったろうに。優等生の彼女のことだ、先生に頼まれたからだろうと思っていたんだけど。一緒に居るようになって、それは少し違うように思えてきた。すると、蛙吹さんは大きな目をぱちぱちとさせた後ケロッと溢した。


「私ね、鈴音スズちゃんに“梅雨ちゃん”って呼んでほしいの。だから口実がほしかった、それだけよ」


名前で相手を呼ぶという行為はとても新鮮なものに思う、それは友人と呼べる間柄にあるもので―――私が遠ざけてきたもののひとつだ。どうして、と問いかけるのは無粋だろうかとそれは呑み込んだ。呑み込む代わりに、違う言葉を彼女に返した。


「おやすみなさい、………つ、梅雨ちゃん…っ」


蛙吹さんの返事も待たずにさっさと部屋の中に逃げ込んだ、ベッドに飛び込むと枕に顔を埋める。だれかを名前で呼ぶなんて何年ぶりなんだろう、恥ずかしさで得も言われぬ衝動に泣きたいような、叫びたいような何かがぐるぐると身体の中を回り続ける。くそう、何か悔しい気もしてきた。

―――それじゃ駄目だって、頭ではわかってるのに。ここのところ、彼らと触れ合うことが多くなってきて、それまで押し通してきた主体性が瓦解してる。自覚はあるのに、もう手遅れだ。ぬるま湯の良さを知ってしまったら、もう。

馬鹿みたいに意味もなく騒いだこの夜、私は夢を見る間もなくぐっすりと眠れた。

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© 2019 吾輩は猫である、だがそれが如何した。