何もかもを吹き飛ばした


どうしよう。握手として差し出された手を咄嗟に握ってしまった。それも「右手」で。

時間にしたらほんの一瞬の交わりなのに、私の中へ流れ込んできた情報はとてつもない量だった。今にも吐きそうな気持ち悪さに耐えながら、私は菊さんの前で必死に笑顔を作る。

ああもう本当にどうしよう。この人が「日本」だなんて。確かにフェリシアーノさんと友人関係にある人なんだから少しはそうじゃないかと思っていたけれど…迂闊だった。

でもなんていうか、目の前にいる人物が私の国だなんて、変な感じだなぁ。あーでも世界が違うんだったら私の住む日本ってわけじゃないんだよね?でも同じ日本人には変わりなくて、この人は日本そのもので…ってなんかわけわかんなくなってきた。


「あの、名前さん?」
「あ、はい!なんですか?」
「名前さんはどういった事情でここに?」
「え!それは…どういう…?」
「いえ、私はフェリシアーノくんに何も聞かされないままここに来たのもですから、貴女が一体何に困っていてどういった助けが必要なのか知っておくべきかと思いまして」
「え?私?困る?助け?」
「貴女の力になって欲しいと頼まれましたので」
「だ、誰にですか?」
「フェリシアーノくんにですよ」
「なぜ?」
「さぁ?」
「だってナマエは日本人でしょ?同じ日本人のほうが何かと話しやすいだろうし菊にならナマエを任せても安心だからね」


人数分の紅茶と少しのお菓子を乗せたトレーを持ったフェリシアーノさんが溶け込むように話へ入ってきた。それぞれの前へ紅茶を運んでくれるようすを見ながら私は少し感激していた。お茶を運ぶようすにじゃない。フェリシアーノさんの優しさにだ。

この人はどれだけ私に優しくすれば気が済むのだろう。私はここへきてから、彼に救われてばかりいる気がする。いや、気がするっていうか確実にそう。


「本当は俺が力になってあげたいけど、俺だけじゃやっぱり限界があるし何よりナマエが遠慮しちゃうでしょ?これ以上迷惑かけられないとかなんとか。俺はそんなの全然気にしないんだけどさ。やっぱりなんていうか、生まれ育った人間性ってものもあるだろうから…日本人は謙虚だからね。あ、もちろん悪い意味じゃないよ?」
「フェリシアーノくん…」
「まぁ俺としてはもっと頼ってきてほしいところなんだけど、俺自身が全然ダメだからさぁ〜」


全然ダメ?誰が?フェリシアーノさんが?こんなにも他人のことを深く想いやれる人をダメだなんて誰が思うの?

現に今、私は泣きそうになるのをこらえるのに必死で、彼の言葉に胸も目頭も熱くなって。


「菊。ナマエはね、不思議な子なんだよ。わかってることなんて名前と歳と日本人ってことくらいなんだ。こうやってちゃんと言葉が通じるのもパスタを食べたときからで始めなんか会話すらできなかったんだし」
「それはそれは…不思議ですね」
「それでもこうやってちゃんと生きてる。透けてなんかないし空を飛ぶわけでもない。俺にしか見えないわけでもない。俺たちとほとんど変わらないんだから助けられないことなんて一つもない。だからナマエ…」


泣かないでよ、なんて。そんなこと言われたって無理に決まってるっつーの!バカ!っていうかそもそも誰が泣かしたと思ってんの?!っていうか私ここに来てから涙腺緩みすぎだと思うんだけど。


「なるほど。フェリシアーノくんが私を呼んだ理由が少しわかった気がします」


隣に座る菊さんのなんとも言えない穏やかな声色が響いた。ゆっくりと撫でられる背中の手から、少しだけ彼らの持つ独特な空気が伝わってきた。


「つまりはアレですね。こういった類は私の得意分野ですからァ!」


まるでマイクを通したかのように最後の「ら」がエコーしているようだった。

私の涙もフェリシアーノさんのしゅんとした表情もソファーに漂うしめった雰囲気も、何もかもを吹き飛ばした。とてもいい顔をした菊さんの笑顔で。

頬をつたった涙が乾いていたのはきっとそれのせいだと思う。

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