人生初


私の手を引いて私を助けてくれた人はアーサーと名乗った。とても綺麗な音で言われたそれとは逆に、言った本人は酷く疲れているような気がした。なんでだろうね。

目の前でそのアーサーさんと誰かが話している様子をぼんやりと眺めながら、私はふと自分の右手に視線を落とした。そういえば、触れてしまったなぁなんて思いながら、私は小さく溜め息をつく。

フェリシアーノさんもロヴィーノさんも、ルートさんも菊さんも。そしてアーサーさんも。みんな国の化身として生きている。きっと今彼が話している人もそうなのだろう。どこの国かはわからないけれど、きっとヨーロッパだと思う。

触れるだけで伝わってきてしまう彼らの記憶は、私が興味本位で見ていいものではなかった。走りながらも繋がれていた手から流れてくる記憶に、私は何度も泣きそうになったし何度も気持ち悪くなった。

私だったら絶対抱えきれそうにない悲しみや苦しみを、彼らは全て受け入れて背負っている。それらを過去だと割り切って、自分たちが国として成り立つ土台としてその上に立っている。

信じられない世界の中に放り投げられた私が手に入れた力は、私にとって要らないものとしか思えなかった。だってこんな力、なんの役に立つって言うの。本人から聞かされるでもなく、勝手に見ちゃうなんて、プライバシーがなってなさすぎる。だってこれは知られたくないものだと思うから、フェリシアーノさんたちも、アーサーさんも、私が見た記憶の中とは別の名前を教えてくれたんだ。

私だって、見たくて見てるわけじゃない。それでも流れ込んでくるっていうことはそれほどまでに想いが強いってこと。でも強すぎる想いは私には耐えきれなくて、走りながら何度も意識を飛ばしかけては転んだなぁなんて。今更ながらあの時は痛かったと今になって思い出す。


「(そういえば服とかどろどろだ…足も、転んだときの傷がハンパない…)」


はいていたスカートのすそをぐいっと上げ、足の様子を窺っているとカチャン、とコップの落ちる音が聞こえた。ふいに顔をあげると、トマトのように顔を真っ赤にしたアーサーさんがいて。隣でもう一人の人がコップとカーペットの心配をしていた。

早口の英語で捲し立てられても何を言ってるのか全然理解できないけれど、表情からしてきっと怒っているんだろう。でもなんで?なんか怒らせるようなことしたっけなぁ?

なんだか一人でテンパって一人でうろたえているアーサーさんになんだか笑いそうになったけど、ここで笑ったらきっとまた怒られるだろうからやめておこう。偉いぞ私。なだめるもう一人の彼が私を名を呼んで、おいで、と手招きをした。不思議に思ってソファーから立ち上がった私の手をす、っと取ったとき、無意識に肩が跳ねた。


「(み、ぎてッ…!)」


バッ、と手を振り払ってしまって後悔。きょとん、とした彼の顔にしまった、と思っても、もう一度手をのせることができなくて、力なく笑うしかなかった。そんな私にごめんね、と言ったのかはわからないけど彼が何かを言って、今度は頭にぽんっと手を置いた。

困ったように笑う彼に、酷く申し訳なく思った。言いようのない優しさに泣きそうになった。伝わらないことにもどかしくなった。フェリシアーノさんたちの顔を思い出して目頭が熱くなった。

でもここで泣いたら確実に彼らを困らせる。そんな私を見かねてか、彼は手であちらに行こうというジェスチャーをし、歩きだした。それに続くようにアーサーさんも歩きだして、私の名前を呼ぶ。ついていっていいのかな、と思いながら彼らの背中を追いかけた。長い廊下を歩きながら鼻をすする私に気付かないフリをする二人。ほんと私って、どこ行ってもダメだなぁ。


「―――――」
「…え?」
「………」


アーサーさんが何かを言った気がして反応するも、彼は背中を向けて歩き続けるだけだった。何を言ったんだろうと考えている間に一つの部屋へと通されてしまった。

そこには鼻をくすぐるいい匂いが充満しており、忘れていた空腹を覚醒させるにはとても容易いもので。な、なんて煌びやかで美味しそうな料理!フルコースだ!フランス料理みたい!脳内だけではしゃぎきれず、無意識に顔が緩む私を横目に、もう一人の彼が嬉しそうに笑ったことなどつゆ知らず。

豪華な料理が並ぶテーブルの真ん中に、何枚かに斬られて置いてあるフランスパンを見て予想が確信に変わった。人生初、本格フランス料理いただきます!


「ぶ、ブラボー!」


感極まって叫んだ瞬間、アーサーさんに思いっきり睨まれたのは言うまでもない。

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